いざ、神の山がまかり通る   作:ニンジンデース

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親離れした後の牧場回です。


第3走 競走馬への道

 母バンセイフジと離れたクロマツは、徐々に競走馬としての訓練を受けるようになっていった。

 

 その手始めとして、まずは基礎体力を作るために追い運動なる調教を施される。

 放牧地で同い年代の仔馬達と一緒に後ろからスタッフの乗る馬によって追い立てられながら走らせるという内容だったのだが、その光景は異様の一言に尽きる。

 

「……どっちが大人と子供か分かりゃしないな」

 

 追い立て役の馬に乗るスタッフの谷村は、自分達が追っている巨大な暗黒色の馬を見てぼやいた。

 

 

 

 その肉体は発達した筋肉で覆われ、その巨体も相まって岩山の如し。産まれて一年も経っていないにも関わらず、既に大人の馬以上の貫録を醸し出していた。

 

 生涯無敗の七冠馬バンセイフジの初仔。だが両親のいずれにも似ない真っ黒な馬体を持つ鬼子の名はクロマツ。

 悠然と前を向きながら、背後から迫る追い立て役の馬なぞ気にもかけずマイペースに走っている。

 

 そんな様子を後ろから追い立て役の馬の背に乗った谷村が観察している。

 本来追い運動は他の仔馬達と一緒にやるのだが、いかんせんクロマツと他の仔馬達とでは体格があまりにも違いすぎて一緒に走らせる事が出来ず、こうして一頭のみで行わざるを得なかった。

 同年代の仔馬達はクロマツの巨体と産まれてひと月前後はその馬体と不機嫌な態度も相まってすっかり怖がられ、近寄られることすらない。放牧すると仔馬達はクロマツから明らかに距離をとっているのだ。

 

 走る姿は何となく母バンセイフジのそれと重なって見えた。

 姿は似ずとも立ち振る舞いが母親に似ている所は、やはり親子なのだろうなと思わせる。

 

 そんなクロマツの走る姿を後ろから見ながら谷村は安堵する。

 

(でかく成長したもんでどうしたもんかと思ったが、これならいけるか?)

 

 クロマツの重種並の体格でサラブレッドの様に走れるのかと関係者達は心配していたが、こうして走らせてみると存外に軽やかに、そして速く走って見せた事に驚いた。

 超重量でありながら足の運びはサラブレッドの様に軽く、しなやかに動く様は大きさこそアレだが確かにサラブレッドだと思わせる走りだ。クロマツの中に流れる血が良血のサラブレッドのものである事を教えてくれる。

 

 しかも、只無作為に走っているのではなく追い運動の際に放牧地内を走るコースを理解した上で走っている。

 なおかつ時折こちらをちらりと見ては一定の間合いを維持しながら速度を調整している。いや、もしかしたら谷村の様子すら見ている節がある事に谷村自身が気付いて顔が引きつった。

 

(……クロマツの奴、こっちの意図を読んだ上で走ってやがる)

 

 人間の意図を読んで最適な行動に移せる知性の高さ、それにあの800kg台の巨体とは思えない足の軽さ。更に先程から走らせ続けていても一向に息が切れないスタミナ。

 

(こいつは、本当にとんでもない馬になるかもしれない)

 

 馬主が両親を超える馬になると豪語していた時は身内贔屓かなと半信半疑だったが、この母であるバンセイフジをセリで見出した相馬眼は本物だし、こうしてクロマツ走らせてみると谷村もその言葉が現実味を帯びて来るのを感じた。

 厩舎で正式にトレーニングを行い、然るべき騎手が乗って走らせてみなければ本当の能力は把握できないだろうが、それでも心の片隅から期待の二の字が顔を出す。

 

 親子二代によるクラシック三冠制覇、そしてその先、バンセイフジが断念した世界への挑戦。

 そんな夢が、ちらりと見える。

 

 まずはこの馬鹿でかい巨体で競走馬に登録出来るかが最大の難問になるだろう。

 谷村はどうかこの馬が競走馬に登録できますようにと天に願った。

 

 

『若、お疲れ様です』

 

 その日の追い運動が終わってすぐ、いささか及び腰でクロマツに近づいてきたのは今日クロマツ達の追い運動を担当していた馬だ。

 この守松牧場で飼われている馬の一頭で、クロマツの母バンセイフジに挨拶をしていたのでクロマツも何となくその顔は憶えている。

 

『また次も番が回ったら頼む』 

 

 年上の馬への態度とは思えないクロマツの尊大な態度だが、それに相手の馬は気を害した様子もなく、会釈をする様に頭を下げるとそのまま谷村を乗せて自分の馬房へと帰って行った。

 

「ますます立場が逆転してる」

 

 大きさも一回り以上は違う体格差にこの態度。

 二頭の様子を見比べた谷村が去り際にそう溢した。

 

 何時の間にか出来上がったこの関係。

 クロマツは最初どんな風に牧場の馬達と接するべきかと悩んだが、下手に出て舐められるのは御免被るし、周りは既に自分の大きな体格と母バンセイフジの子供である事等が起因していからか、馬なりの恭しさがあった。

 加えて、馬達も何となくだがそれを望んでいる節があった。自分達の長の子供、そして将来自分達の長になる若者。そんな不思議な期待感を滲ませているのはクロマツの気のせいか。

 なので記憶にある母の周りへの態度を参考にして今の振る舞いが出来上がった。前世で務めていた会社の上司と部下というよりは、大学高校の体育会系の部活にある上下関係のそれに近いそれが。

 これはある種の奮起だった。これから己が馬の生において競走馬として生きる為に。今生で世話になった恩馬や人間達に報いるために。

 

 

 とはいえ、羽目を外してしまう事もあった。

 

(……つまらん)

 

 日々調教を続けてクロマツなのだが、はっきり言って非常に物足りなかった。

 今世の母から授かった馬の体は、実に優れた体らしい。体格差もあるのだろうが、有り余るスタミナは追い運動で一度も息を乱さなかった。

 クロマツにとって追い運動はお散歩みたいなものだった。

 それ程までに隔絶した身体能力の差だったので、追い運動も今では追い立て役の馬に合わせて走っている。

 故に力を持て余し始めたクロマツは段々この調教が退屈になって、馬としての本能が顔を出し始めて来た。

 馬になってから走りたいという気持ちが強くなってきたのは種族としての本能なのだろう。それがクロマツに思いっきり走る事が出来ない現状に激しい不満を訴えていたのだ。

 

 そんな不満が積もりに積もった結果、こんな事が起こった。

 

 いつもの追い運動の最中、谷村の乗る馬に追われながら走っていたクロマツだったのだが、普段は理性で制していた獣の本能が出来心を生んだ。

 

 クロマツは突然谷村達を一気に引き離すほど加速。

 驚く谷村と彼を乗せた馬を後方へ置き去り、目の前に柵が急速に近づいて来る。

 

『ぬおおおぉおぉぉぉぉッッ!!』

 

 仔馬とは思えぬ巨体に似合った野太い雄叫びと共にクロマツが跳躍、柵を軽々と越えて向こう側へ難なく着地。その際、ズンと一際重い音が響き、柵が揺れた。

 

『む』

 

「は?」

 

 一瞬の静寂の後に一頭と一人の声が同時に漏れる。

 一頭は思わずやってしまった事を自覚しての。

 一人は目の前であり得ないものを見てしまったが故の。

 

 柵の高さはおよそ160cm。

 クロマツは800kg台の重種馬とカテゴライズされても不思議ではない巨体で助走をつけて柵を跳び越えてしまったのだ。

 

 

「う、嘘だろおい。クロマツ、そこ動くなよ? 頼むから……」

 

 一時停止から再起動した谷村が血相を変えてクロマツに静止を呼びかけながら馬から降りて柵の外へと出ようとする。

 

 そんな様子を見たクロマツは、人間から見ても溜息と分かる仕草をすると、柵から距離をとるように後ずさりし始めた。

 それを見た谷村が慌てだす。

 

「おい、おいクロマツ! 頼むからそこ動くなってばっ」

 

『……俺が脱走すると思われとるのか、まったく』

 

 幾分か柵から距離をとったクロマツは、再び柵へ向かって加速、そしてさっきのように跳ねる。「あーっ!!」と谷村が悲鳴を上げた。

 柵の高さを優に超える飛翔の如き跳躍を見せ、ズシンと重い着地音とともに、クロマツは再び放牧地へと戻って来た。

 

『ほれ、ちゃんと戻ってきてやったぞ』

 

「へ?」

 

 呆ける谷村の前へと歩いてじっと眼を合わせていたクロマツだが、動く気配のない様子に業を煮やして、鼻先で谷村の胸を突いて帰宅を急かした。

 

『おら谷村、いつまですっ呆けてる。さっさと動かんか』

 

「いや、おい、ちょ、分かったからやめろって! 元はと言えばクロマツが悪いんじゃないかよ!」

 

『まぁ、それについてはスマンかった。いや本当に』

 

 決して通じる事のない会話が馬と人間の間で交わされながら、クロマツ達一同は追い運動を中止、谷村は馬達を放牧地に一旦放牧させて自分は牧場長へと報告しに向かった。

 

 

 

 

「本当なんですって、信じてくださいよぉ」

 

「しかしあのクロマツの巨体で出来るとは思えないんだが……」

 

「それよか谷村よ、仮にやったとしてクロマツの脚は大丈夫なのか?」

 

 この後、放牧されていたクロマツの元へ、谷村の報告を受けた牧場長とスタッフの杉がやってきた。

 とりあえず現場から離れず側に佇んでいたクロマツを見るや、谷村が「あそこです」と指さて近づいて来る。

 

 クロマツの元へやって来ると、まず人間達は先にクロマツの脚を確認した。

 クロマツに断りを入れると、四つ足全てを隈なく調べる。

 

「……別段異常はないみたいですよ?」

 

「念の為、後で獣医に頼んで診てもらうか……谷村、クロマツはどこから跳んでどこに着地した?」

 

 クロマツの脚に問題なしと一応判断して安堵した牧場長の問いに、谷村は視線を足元へ彷徨わせた。

 

「えーっと確かここから跳んで……そう、あそこに着地したんですよ!」

 

 谷村の指差す着地場所へ牧場長が向かい、しゃがんで地面を調べだす。

 

「……見事な蹄の形にめり込んでるな」

 

「うぉ、何ですかこれ……凄い深いですよこの足跡。確実に10cm以上ありますよ」

 

「だからクロマツが跳んだんだよ。牧場長、嘘じゃないんですよ」

 

「確かに、足跡の位置や向き的に柵を跳び出したように見える。……しかしなぁ」

 

「そうだよ谷村、クロマツのこのでかい図体で柵なんて跳べんだろう?」

 

 谷村が必死に説明するも、それでも二人は未だに半信半疑だった。

 実際この放牧地に使われている柵の高さは約160cm、それを跳び越えられる馬と言うのは障害飛越(ひえつ)競技、それもトップクラスの馬でないと跳び越えられない代物だ。

 それをばんえい馬と見紛うほどの巨躯と800kgの超重量級を誇るクロマツが跳び越えるなど、常識的に考えて無理があるのだ。

 

(谷村を、ほら吹きにはさせられんな)

 

 そんな話を聞いていたクロマツが、荒い鼻息を一つ鳴らすと、柵から後ずさりし始めた。

 

「あっ!? クロマツ待―――」

 

 真実を知らず怪訝そうな二人はともかく、既に知っていた谷村が血相を変えてクロマツに静止を呼びかけるが、すでに遅かった。

 

 距離をとったクロマツが一気に駆け出すと、驚く三人を他所に柵まで接近、さっきの様に軽やかに跳び越えて見せたのだ。

 ズシンと重い音を鳴らしながら地面にめり込みながら着地。呆然とそれを見る人間達の方へ顔を向けると再び荒い鼻息を鳴らす。

 

「ほ、本当に跳んだ」

 

「あいつ障害競走の才能あるんすね……」

 

「クロマツ頼むからもう跳ばないでくれー!」

 

 三人の男達が慌てながら柵を潜ってクロマツの元へ向かうのを他所に、当の本馬はそんな人間達を意識の外に置いて自分の体を観察していた。

 

(思わず跳んじまったが、意外とすんなり跳べてる自分に驚いた)

 

 三人の話を盗み聞くに、クロマツの様な馬体では本来無理な高さの跳躍だった。

 しかし現実ではクロマツは全身の筋肉をしならせ、軽々と飛ぶ事が出来た。

 着地した時も特に脚に痛みもその他支障もない。クロマツの馬体を支える4本の脚は、800kg台の巨体で160cmの跳躍をこなし、更に地面への着地の際もさしたる負担無くその肉体を受け止めたのだ。

 この体、パワーとスタミナに加えて頑丈さもばっちりらしい。

 良い体に産んでくれた事にクロマツは母バンセイフジへ密かに感謝の念を送った。

 

 

 その後、クロマツは牧場で依頼した懇意の獣医が診察した結果、脚に異常は無いと言う事が確定して一同はほっと胸をなで下ろした。

 牧場長が馬主の万世社長へ事の次第を報告して今より高い柵への付け替えを検討すると同時に、クロマツに柵を跳び越えないようにするよう教え込む事を決意した。

 後日、守松牧場の放牧地に高さ180cmの頑丈な柵が取り付けられるようになった。

 

 

 

 守松牧場の放牧地の柵が改修されてから数日後。

 

「クロマツよぉーあの柵を簡単に跳び越えたんだって? まったくお前は体のバネも大したもんだな! はっはっは!」

 

 スキンヘッドが日の光で眩しく輝く厳つい顔の男こと、クロマツの馬主である万世はご機嫌な様子でクロマツの鼻筋を撫でながら大笑いしていた。

 

 万世はひと月の数回の頻度で守松牧場へとやって来てはクロマツとバンセイフジの様子を見に来ている。それはあの好青年の様な息子や妻と一緒だったり、部下と一緒だったりと、その時によって違ってくる。

 玩具業界の大手企業で社長という多忙な立場もあって頻繁に来れない身だが、それでも必ず会える日を作るようにスケジュールを調整していた。

 

 

「すみません守松さん。以前の馬のお部屋の改装に続いて、柵の改修までこちらの都合でしてしまいまして」

 

 そう言って牧場長の守松岳彦(もりまつたけひこ)に謝るのは万世の妻。夫が強面なのに対して妻は気品のある夫人と言った佇まいをした女性だった。息子は妻に似たらしい。

 

「いやあご主人とはバンセイフジが仔馬だった頃からの付き合いですし、ご主人が出資してくれていますから」

 

 守松は人の良さそうな顔に笑みを浮かべながら気にしないで下さいと言う。

 元々守松と万世の出会いは本当に偶然だった。北海道で行われた競りで落とした仔馬を飼育してほしいと当時の守松へ万世の方から相談に来たのだ。

 なるべく様子を見に行きたいから仕事先の本社や自宅から離れ過ぎず、それでかつ馬がのびのびと暮らせるような場所に構えた牧場を探していると言う事で、立地や環境について条件が揃っていたのでそのまますんなりと守松牧場でその仔馬を預託で飼育する事になったのだ。それが後のバンセイフジである。

 初めて会った時はその人相でヤクザの人かと血の気が引いてしまったが、有名な玩具会社の社長だと知って驚いた。昔自分の息子に買い与えた玩具がそこだったと知った時は不思議な縁があるものだと感慨にふけったものである。

 

「今度の新しい子は、何だか凄いんですのね」

 

「ええまぁ、私もそれなりに馬は見てきたつもりですけど、クロマツみたいな馬は初めて見たものでちょっと困ってます」

 

 万世夫人が夫と夫が今仕事以外に執心してる所有馬の方を見る。

 他の馬よりも明らかに大きな馬体と鼻先から尻尾の先まで光が映らない黒一色で染まった馬は、万世のスキンヘッドの頭頂部を鼻でゴンゴン突っついているが、万世当人は「こやつめ、ハハハ!」と機嫌良く受け入れていた。

 

「それは、何か問題がありますの?」

 

「いえ、クロマツに問題は無いでしょう。強いて言えば、人間の我々が理解が追い付かなくて右往左往するくらいです」

 

 並の重種馬と並びはじめた馬体でありながらその血筋は紛れもなく、それこそ良血のサラブレッド。

 サラブレッドの倍近くもある体重とその巨体からは考えられないような軽やかな足取りで駆ける姿は、守松から見てもこいつは走れるだろうと思わせる。

 そして今回の柵を軽々と飛び越えるバネの強さ。そんな事をしてもビクともしない筋肉と骨格の頑強さ。

 まるで今まで培ってきた常識をかなぐり捨てた様な存在、それがクロマツだった。母馬と父馬の血筋に同じヒンドスタンがいるのでインブリード特有のリスクが懸念されたが、この仔にその特徴は全く現れていない事は幸運だった。

 クロマツの母親のバンセイフジを飼育した時もサラブレッドとしては異様な700キロ近い馬体だったが、その強さは当時の日本国内の競走馬達を牡馬牝馬区別なく尽く薙ぎ払い、終ぞ日本競馬の頂点であり続けたまま引退した。

 今回のクロマツは彼女を上回るポテンシャルを秘めている。これまでのクロマツを見ていると、そう感じさせるものがある。

 だから守松は自信を持って万世夫人に言える。

 

「ただ、あいつは間違いなく走れる馬です。ご主人も初めてあいつを見て、あいつの両親を越えられると仰っていました。バンセイフジの才能も見抜いた人が言うんです。きっと大活躍しますよ」

 

「その通り」

 

 いつのまにか万世がクロマツを連れてやってきていた。

 このクロマツ、普段は大人の馬ですら道を空けたりする程の風格を放って慣れなければ近寄りがたい雰囲気を放っているが、馬主の万世やその家族には懐いた様子で接している。今も万世夫人にゆっくり近付き、そっと顔を擦り付けてくる。夫人もまんざらではなく、笑いながらその黒一色の鼻筋を撫でていた。

 相手が自分の飼い主だと言う事を理解しているのか? はたまた万世の持つ人並み外れた財力や当人の企業人としての貫録から何かを感じ取っているのか。

 クロマツは人の言葉や機微を理解している節があるのは、守松もスタッフからの報告や直接自分で見て察している。

 

「見てくださいこのクロマツの体! まだろくに厩舎で調教されていないにもかかわらずこの発達した筋肉! 生まれて一年もたたない仔馬とは思えない牡馬の貫録よ……素晴らしい!」

 

 拳を振るえる程握りながら熱弁するのを苦笑しながら守松は気になった事を訊ねた。

 

「再来年の入厩先は予定通り舞田さんの所ですか?」

 

「勿論! そのためにここまで準備してきたんですからね」

 

 そう言った万世の笑みの質が変わった。

 力強い笑顔である事に変わりはないが、こっちは違う。まるで獲物を見定めた肉食獣が牙を剥いた時に見せるそれに似ていた。元々厳つい形相であった事がそれにさらなる凄みを与えている。

 それを見た守松はその迫力に思わず息をのむ。

 

「フジの時はタイミングが合わなかったが、今回は違う。向こうの倅も騎手になって活躍している。我々の挑戦は、クロマツが競走馬としてレースに出た時が本当の始まりなんですよ」

 

 守松は前に万世から聞いた事がある。

 万世が馬主になろうとしたのは、起業したての若い頃に同い年の騎手と意気投合し、その騎手から聞いた夢に大変感銘を受けたからだと。

 長い年月をかけて会社を大きくし、馬主になれる財力と立場を手に入れてから万世は北海道のセリでバンセイフジを見つけ、競走馬の馬主となったのだ。

 その時バンセイフジを鍛えたのは騎手から引退して調教師となり厩舎を持つようになった男だった。

 守松もその調教師とはバンセイフジの頃からの知り合いだ。バンセイフジを万世に案内されて見に来た時、眼を見開いたと思いきや、静かに涙を流していたのは今でも覚えている。

 クロマツの時も来たのだが、その時は信じられないものを見るような眼でクロマツを見ていた。その後クロマツの体を触って筋肉の付き方などを調べ、緊張した様子で息をのんでいた事も。

 

 バンセイフジの時も歴史に残る程の大活躍をしたが、それすら万世は真の夢を果たすための布石にしている。

 それを思い返した守松は体が強張り、汗が流れるのを自覚した。

 あの無敗の七冠馬を、今後あれを越える牝馬が、いや競走馬が産まれのだろうかと思わせるほどの強さを誇った怪物の女王を越える存在を生み出そうとしている。

 

 ……いや、既にもう出来つつあるのか。

 バンセイフジの産んだ最初の仔、クロマツ。

 あらゆるものが今までのサラブレッドの常識を覆す鬼子。

 

(再来年の日本競馬は荒れるかもしれない……とんでもない怪物が中央競馬に出る事によって)

 

 守松は底知れない野望に燃える万世と、その側で静かに佇むクロマツを見て言い知れない感情が湧き上がっていた。

 

 なお、そのあとクロマツが万世のスキンヘッドを再び鼻でごんごん突っつき始めた。




この小説を書くに当たって重種馬の動画を見ましたが、めっちゃでかいんですね。そんな重種馬並の巨体で160cmの柵を跳び越える馬がいるらしいです(象並の馬に踏みつけられるモヒカンみたいな顔をしながら
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