いざ、神の山がまかり通る 作:ニンジンデース
育成牧場生活も後半に入ったバンセイフガク。
今は背中にスタッフを乗せて普通の歩きから段々と速度を上げて、レースさながらな走りを敷設されたコースで行う調教へと移行している。
馬になってから走るのが楽しかったので、延々と走らされ続けても苦にはならなかった。
そうなると今度はどんな走り方をすれば走りやすくなるのかと考えるようになり、コースでの調教中に走るフォームを変えてみたりした。
その際、背中に乗っているスタッフがバンセイフガクを不思議な生き物を見るような眼で見てくるが、止めさせない所を見るに調教に支障はないらしいからバンセイフガクも気にせず試行錯誤に励んでいた。
それと、コースで走るにあたってバンセイフガクの蹄に蹄鉄が付けられるようになった。
蹄鉄の事を全く知らないでいた頃は、蹄鉄ってどうやってつけるんだろうと不思議に思っていたが、まさか釘を打ち込んで固定するなど想像だにしていなかったので、さしものバンセイフガクもゾッとした。こいつら自分の脚に釘刺したまま過ごして平気なのかとドン引きしたのだ。
しかし馬として暮らしていく内に気付いたのだが、馬の蹄は人間の爪のようなもので、しかもとても分厚く痛覚が無い。だから蹄鉄を着けていても痛がる仕草する馬がいないのだ。もっとも、中には付け方を誤って足を痛める馬もいるらしいのでそれだけは勘弁して欲しかったバンセイフガク。
「あ、あれ? 硬っ! こいつの蹄凄い硬いな!? 何だこれ!?」
装蹄師なる技術者が蹄鉄を付ける前にバンセイフガクの蹄の形を整えるべく削っていたのだが、想像以上にバンセイフガクの蹄が硬く、作業が難航。普通の馬よりも大分時間がかかってしまった。
勝手が違う作業に四苦八苦する装蹄師の様子にバンセイフガクも少し冷や冷やしたが、そこはプロと言うべきか、最終的には綺麗に取り付けが完了して馬も人もホッとした。
そして一つ、育成牧場で決定的に変わった事がある。
育成牧場ではあまり馬となれ合わずに過ごしていたバンセイフガクだが、妙に縁のある馬が出来たのだ。
数は二頭、一頭の名はシリウスシンボリ。以前他の馬達へ挑発して一触即発の状況を作っていたのでド突いてバンセイフガクなりに叱咤したら、それ以降物凄く意識されるようになった。加えて、その時の騒動を見ていた厩務員達が慌てて宥めに入り急遽放牧は中止。その後バンセイフガクとシリウスシンボリの馬房を離す事になった。
最近ではバンセイフガクが調教でコースを走っていると、同じコースを走っていたシリウスシンボリが張り合おうとしてスタッフに止められる事態があったが、バンセイフガクが冷めた目で睨みつけたらそれ以降は大人しく調教を受けるようになった。
(何なんだあいつは、まったく)
バンセイフガクにとってシリウスシンボリとは、関わると面倒くさい類の問題児という扱いだった。あの手の輩は人間だった頃から関わるだけ時間の無駄なので、自然と距離をとっていた。
シンボリという名前に聞き覚えがあるが、競走馬になる邪魔をする者はすべからく敵という認識でしかない。
なのでシリウスシンボリが近付けば、嫌悪と殺意すらにじませた雰囲気と眼力で牽制した後に無視を決め込んでいる。
そのたびに彼の鹿毛の馬は怒りをあらわにして荒れるが、それもバンセイフガクは全く相手にしない。
だが、調教中にちらと様子を見てみると、物凄く機嫌悪そうにしつつも調教は黙々と真面目に受けている姿が見えるので、勤勉さは持ち合わせているようだ。
あの調子で行けば、恐らくシリウスシンボリは競走馬になると思われる。どこのレースでかち合うかは分からないが、その時が来たならば――
馬として第二の生を受け、だらだらと家畜の様に生きるのが嫌だったから、競走馬への道がある事がある種の救いだった。
そこで先達であり偉大な記録を残した母を越え、全ての競走馬の頂点に立つと決めたその時からバンセイフガクの生き甲斐はそこにある。
その過程で行く手を阻む馬が何頭現れようが関係ない、全てを置き去りにして勝利へ駆け抜けるだけだ。シリウスシンボリもその内の一頭に増えるだけ。それだけだと思っていた。
季節が冬へと移ると、馬主の万世が様子を見るために育成牧場へ訪問に来た。
どうやらこの時期になると、育成牧場のほうで預かっている馬の馬主への状況報告を行う事になっているようだ。その為の御対面と言うわけだ。
久しぶりに見た万世は夫人を連れてやって来た。もう50は過ぎているが背筋を伸ばして歩く背丈が小さいがガッチリした姿は活力でみなぎっているのが見て分かる。すこぶる元気そうだ。
バンセイフガクを見るなり相変わらず嬉しそうに接してくるので、バンセイフガクも鼻筋を擦りつけるなどしてそれに応える。今の自分はこの人の金で生かされているが、同時に愛してもくれている。競走馬として活躍するにあたって、この男へ恩に報いようと思う気持ちもあった。
『見ろ社長、蹄鉄が付いたぞ』
「ん? おお! 蹄鉄か!? お前もいよいよ競走馬らしくなってきたな! しかしお前の蹄鉄はでかいなフガクよ!」
馬名がバンセイフガクになってから、親しいものはフガクと呼ぶようになった。
万世は前脚を曲げて蹄鉄を見せるバンセイフガクにからからと笑ったが、ある事に気が付いた夫人がスタッフへ訊ねている。
「あの、馬と言うのは自分からああやって脚を見せるものなのでしょうか?」
「いえ、普通はしないですね。多分バンセイフガク号はご主人へ気を利かせたんじゃないでしょうか。何せ頭が良いものですから、相手の機微も読めるみたいなんです」
「そういえば、生産牧場の方もそんな事を仰っていましたね」
「……昔からあんな感じなんですか」
その後、スタッフの方から万世の方へ調教の進捗状況を説明し、今後の諸々の馬主としての話を万世達が済ませて状況確認は恙なく完了する。
別れ際に、万世と夫人へ挨拶代りに顔を擦りつけてひと鳴きしておくのは忘れない。
さらに数か月後、年を越してバンセイフガクは3歳となり春を迎え、そして夏が来る。
いよいよ育成牧場卒業の時が来たのだ。
ゲート練習の際バンセイフガクの巨体で入るのか一同最大の懸念事項だったが、無事におさまって安堵の溜息をついた。これでサイズオーバーで入れなかったらレースもくそもないので、これにはバンセイフガクも深々と溜息をついた。
晴れて卒業生と相成ったバンセイフガク。
いよいよレースにデビューする事になるわけだが、その前に今度は専門の調教師の厩舎へと移される事になった。
バンセイフガクは母バンセイフジの頃から世話になっている調教師がいるので、そこの厩舎へと馬運車で運ばれる手筈になっている。
辿り着いたのは茨城県某所にある調教拠点、正式名称美浦トレーニングセンターだ。中央競馬が保有する東西の内、東日本地区を担当している施設だ。
馬運車から出ると、既に到着していた馬主の万世達が出迎えてくれた。
万世の隣には調教師らしき男が仲良さげに立っており、その近くには見知らぬ別の男が二人いる。
バンセイフガクが彼らの前に立つと、万世が調教師らしき男に紹介した。
「又則(またのり)さん、バンセイフガクを連れて来たぞ」
「……バンセイフジの仔、か。前見た時より更に大きくなってるが、ゲートの方は入れるんだよな?」
又則と呼ばれた万世と同い年くらいの男がどうやら今回お世話になる調教師の様だ。
その調教師が構えている厩舎が舞田厩舎というらしいので、フルネームは舞田又則(まいだまたのり)だろうか。
又則はバンセイフガクを見上げると、以前牧場で見た時よりも大きくなった馬体を見て、呆気にとられた顔で万世に訊ねる。
「じゃなきゃ育成牧場を卒業出来ないだろう」
「まぁ、そりゃそうなんだが……俄かには信じられない。サラブレッドとは思えない巨体だが――」
そう言ってしげしげとバンセイフガクの全身を又則が眺めると、むうと唸る。
「――間違いなくサラブレッドの体つきだ。重種馬のものじゃない」
「おうともよ。こんな筋肉の付き方は重種馬でもお目にかかれんぜ?」
「……ふむ」
万世の説明を聞いていた又則は眼を鋭く光らせると、ちょっとごめんよ、とバンセイフガクに近寄り、その馬体に触れはじめた。
全身を、特に足回りを丹念に触り、その体つきを確認すると、眼を見開いた。
「なるほど、やはりこいつは、凄いな……」
「だろう? 俺は一目見て確信したさ、こいつは凄い事をやらかすぞってな」
「もう既に競馬界の歴史に残りそうな馬体をしてるけどな。まぁいいさ、それで厩務員はフジと同じように溝峰(みぞみね)に任せる予定だが、大丈夫かい?」
「それで大丈夫だ。溝峰さん、今回もよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ。フジの仔を担当出来て嬉しいですよ。しかし、本当にでかいですね……」
一緒にいたもう一人の男は厩務員だった。
万世や又則より年下だが、手慣れた雰囲気は経験豊かな厩務員だと感じさせる。
そんな溝峰はバンセイフガクを見上げると乾いた笑いを漏らしていた。
「そして主戦騎手はそちらの恵護(けいご)君だな?」
「はい! よろしくお願いします!」
元気よく挨拶をするのは最後の一人。若い青年だった。
身長は170cmか、もしかしたらそれ以上はあるかもしれない。
バンセイフガクは育成牧場で過ごしている内にスタッフたちの会話で知ったが、騎手になる人間は背が低いものが多く、体重制限があり、決まった数値以内で維持しなければならないので細身の人間ばかりだ。
この青年もそんな他の騎手達と同様に細いが、背丈があるのでより縦に細長く見える。まるで細木のような印象をバンセイフガクは抱いた。
(この細っこいのが俺の背に乗るのか)
バンセイフガクはまるで新入社員みたいな挨拶をする若い騎手――恵護に近付いて、その全身をつま先から頭のてっぺんまで鋭い眼力でじろりと眺めた。
突然近づいて睨みつけるように見てくるバンセイフガクに恵護は驚くが、危害を加えるわけではないと分かってとりあえずされるがままになっている。
「ヴォ゛オ゛オ゛ン゛、ヴヴォ゛ン゛?『騎手になるのも大変だな、痩せすぎてぶっ倒れるなよ?』」
車のエンジン音のような鳴き声を出したかと思えば、また元の位置へと戻っていくバンセイフガク。
「今のは何だったんでしょうか?」
「機嫌が悪い様子ではないみたいだが……万世さん何か分かるかい?」
「うーん、案外恵護君の体つきを心配したのかもなぁ」
万世はスキンヘッドの頭を撫でながら首を傾げて厩舎一同の質問に答えると、心外そうに恵護が困り顔を作った。
「俺、そんなに頼りなく見えるんでしょうか?」
「はっはっは! まぁそこは今後親睦を深めていけばいい。別に嫌われたわけじゃないんだしな!」
万世が笑って何でもないように笑うと、又則がおほんと咳き込んで話題を変えた。
「それはともかく、新馬戦は9月9日で間違いはないかい?」
「ああ、場所が中山なら俺も行きやすい。その日付に合わせてフガクを仕上げてやってくれ」
(ほお、俺の初レースは9月初旬か)
バンセイフガクは初めてデビュー戦の日取りを聞いて密かに闘志が燃え上がる。
日程的にはひと月以上の余裕がある。その間にこの厩舎でトレーニングを積み、より鍛え上げられた肉体でレースに挑めると考えれば好都合だった。
そしてバンセイフガクは自分の主戦騎手となる若者へと顔を向ける。
今後長い付き合いになるであろうから、今の内にこの若い騎手の性格や癖を学んでおくのもまたこの期間中の課題であった。
恵護はバンセイフガクが自分を見つめている事に気付いて、今度は何だろうと不思議そうに首を傾げた。
その夜、美浦トレセン近くの居酒屋個室席。
個室席にいるのはバンセイフガクの馬主万世楽之助(ばんせい がくのすけ)とその担当調教師となる舞田又則(まいだまたのり)の2人。
「悪いな又さん、明日も早いだろうに」
「それを言うなら楽さんだって忙しいだろ。今じゃ日本有数の玩具会社の社長やってんだからな」
適当に乾杯を済ませ、軽い食事を頼むが、二人の目的はただ飲み食いしたいがために場を設けたわけではなかった。
「お互い、こうして酒飲む機会も減って来ちまったなぁ。もっとも、又さんはあの時も現役騎手だったしそんなほいほい飲み食いできる立場じゃなかったか」
「そっちは安酒飲んで楽しそうだったな?」
万世と又則、二人の付き合いは今に始まったものではない。それこそ彼らが20代の頃にまで遡る。
「……あれから30年くらいか」
「信じられるか? 俺達妻子持ちだぞ」
二人が初めて出会ったのは、互いに社会に出て数年経ち、それなりに社会人として馴染んで来た頃だ。
出会った場所は安い居酒屋のカウンター席。万世は会社を立ち上げはじめた頃であまり経済的にも余裕が無かった頃。
「あの時隣でやけにひょろい奴がちびちび飲んでるもんだから、酔っぱらった勢いで「お前ちゃんと飯食ってんのか?」って訊いちまったな」
「俺はヤクザに絡まれたのかと思って酔いが一気に吹っ飛んだよ。背丈は大して変わんないのに体の厚みが倍くらい違うし、その顔であの時角刈りは知らないとすじものにしか見えないぞ」
「はっはっは! よく言われる! 営業に行ったら受付で警察呼ばれた事があるからな!」
その時は社交上手な万世だったからすぐに誤解が解け、お互いの素性を知って互いに驚いた。
片や立ち上げたばかりの玩具会社社長。片や若手の競馬騎手。
特に又則は、万世のあまりのギャップの違いに大爆笑していた。
「俺は賭け事に興味が無かったもんで競馬の事は全く知らなかったから、あんなに所で騎手と出くわすなんて思わなかった」
当時の万世にとって競馬とは賭博の一つ程度の認識で、縁遠い存在と思っていた。
そこで競馬を知り、そして又則の夢を聞いた。
舞田又則は北国の農家の産まれで、父は沢山の弟が、又則から見れば叔父がいた。
その中に一人、騎手になった叔父がいる。
舞田永良(まいだながよし)。当時まだ見習い騎手でありながら若干20歳で日本で史上最年少のダービージョッキーになり、今もその記録を越える者はいない。
騎手として優れたな才能を持ち、その時彼が乗っていた馬と相まって今も伝説となっている。
そんな彼を語る上で外せないのが、永良が主戦騎手を務めていた競走馬、クリフジの存在だ。
曰く、日本史上最強の馬の一頭に数えられる名馬。
戦績は11戦11勝。多くのレースを大差で勝ち、後の東京優駿(日本ダービー)でレコードを記録、更にオークス、菊花賞を10馬身、あるいはそれ以上の差をつけて勝利し変則三冠を獲得。その後も引退するまで圧勝を続けて無敗を貫いた凄まじき牝馬である。
又則は幼い頃よく永良に面倒を見てもらった事があり、工作の仕方や動物の世話の仕方など色々と教えてくれていたので、叔父と甥というよりは歳の離れた兄のような間柄で彼を慕っていた。
騎手になると言って東京へ行き、それからレースに出るようになってその活躍を時折送られてくる電報を読んでは我が事の様に喜んだ。
そして憧れたのだ。自分も叔父の様な騎手に、クリフジのような馬に乗ってレースで活躍したいと。
だが、時代は永良が騎手でい続ける事を許さなかった。
当時世界は太平洋戦争の只中。悪化する戦況に伴い、正規騎手となって間もなかった永良は軍からの召集命令によって軍へ入隊。旧満州へ出征する組み込まれ、その後消息を絶った。
終戦を迎えても全く便りが無く、生きているのかも、死んでいるのかさえも分からない。又則が調教師をしている現在でも、彼の行方は分からなかった。
戦争から帰ってこない叔父が気掛かりだったが、当時の又則は永良に憧れて厩舎の門を叩いて騎手の世界へ飛び込んだ。
正規の騎手になった又則だが、現実は厳しく、又則の成績は中と下を行ったり来たりを繰り返してあまりぱっとせず、自分には叔父のような騎手になれる才能は無いのだと打ちのめされた。
進退窮まり苦悩する又則を見かねた師匠の調教師からは「調教師とか人にものを教える才能はあるみたいだから、今後競馬業界で食っていく気があるならそっち方面で考えてみたらどうだ?」と助言を受け、又則自身も興味があったのでこれを機会に調教師を目指すようになった。
自分は名騎手にはなれない。ならば預かった馬をクリフジのような凄い馬に鍛えて大レースへ送り出せるような調教師になろう。
幼い頃の夢が破れ、挫折して別の夢を見つけた又則が再始動する、そんな時だった。万世楽之助と出会ったのは。
新しい夢は見つけたものの、将来への不安が拭えない又則は、そんな気分を紛らわせるために普段は決して行かない居酒屋でちびちびと飲んでいた。
その時、突然背丈は小さいが見て分かる程に筋肉質で角刈りの厳つい形相をした、まるで武闘派ヤクザみたいな男が酒気で顔を赤らめ、顔つきに似合わない心配そうな表情でこちらを見てきた時は又則の血の気が一気に引いた。
その後すぐ素性を明かし合って打ち解けると、何で声をかけて来たんだと又則が訊ねれば「今にも首を括りそうな酷い顔で酒を飲んでいたから思わず声をかけた」と万世が答え、そのまま流れで事情を話す事になった。
自分が騎手になって目指した夢、その夢の原点、そして挫折して新たな夢とともに調教師を目指そうとしている現在。
そんな又則の夢を聞いて万世は――号泣した。
それも只の号泣ではない、大号泣である。
ぐおおおおおおおと猛獣の唸り声の様に鳴きながら涙と鼻水が滝のように流れ、これこのまま放置したら脱水症状でぶっ倒れるんじゃねえか? と又則が心配し、ドン引きする程の泣きっぷりだった。
――素゛晴゛ら゛し゛い゛ッ!!
泣いているんだか吠えているんだか分かりゃしない声を垂れ流していた万世は突然顔を上げて涙と鼻水で濡れた顔のまま拳を握りしめた。
――なああんた、その夢に俺も一枚噛ませちゃくれないか!? いつか俺が馬主になって凄い馬見つけたらよ、あんたの所で鍛えて欲しいんだ!
おしぼりで顔を拭った万世が次に口にしたのは、そんな話だった。
その時はあまり期待していなかった。馬主になると言うのは相当な資金力が必要だ。当時の万世は起業して間もない成り立ての社長。今後どう転ぶか分からない人物だった。
加えて又則もまだ調教師免許を取得していない状態で頭に描いた青写真に過ぎず、大成出来る保証もないから胸を張ってそれを受ける自信が無かった。
だが、万世が好人物である事はこれらの会話で分かった又則は彼の好意を素直に受けて「まあその時が来たら頼むよ」とお茶を濁すような形で返事をして一旦その場を締めた。
二人の関係はこれで終わらなかった。主に万世が仕事の合間を縫って競馬について学ぶようになったのだ。
調教師になった又則の厩舎へ見学に行ったり、馬の事について又則に教わったり、競馬場へ行ってレースを直接見に行ったり、わざわざ北海道市場のセリを見に行ったりと、万世の活動は精力的だった。
並行して万世の会社が年々業績を伸ばして大きくなっていくのには舌を巻いた。いつぞや言っていた馬主になると言う話、本当に実現するかもしれないと。
又則も無事に調教師免許を取得し、中央競馬会から馬房を預かり、引退した調教師や師匠から管理馬を分けてもらって開業する事が出来た。
本人も予想外だったのは、騎手をしていた時よりよっぽど成績が良かった事だ。預かった馬もレースで良い結果を出していたので馬主達からも一定の信頼を得られて順調に調教師としてやっていけた。
重賞、中には日本ダービーや有馬記念などの大レースを制した馬が出た事で、嗚呼自分には騎手の才能は無かったが、調教師としての才能はあったんだなと達成感とともに、自分の才能の無さへの未練がましい寂しさを抱いた。
そして1970年代のある日、万世からセリで馬を買って馬主になった報告が又則にもたらされた。
――又さん! いたぞ! 見つけたぞ! お前さんが話してたクリフジのひ孫だ! こいつは凄いぞ!! 思わず買っちまった!!
最初はクリフジの血筋の馬という事に驚いた又則だが、すぐに冷静になり興奮する万世を宥めながらそんなに凄いのだろうか? と半信半疑だった。
競馬の世界で馬の血統は殊更重要視される。だが、名馬の血統を持つ馬が必ずしも名馬になるとは限らないのは、この業界の人間達の多くが知っている。
あれ以降競馬について色々と勉強していた万世とは言え、馬の良し悪しを目利き出来るとまではその時は思っておらず、落札してしまったのは勇み足だったのではと心配した。
しかもその落札価格が価格だった。
――2億円(現代換算)で落札したぜ!
それを聞いていた又則は全身から血の気が引くのを感じながら受話器を取り落とした。
当時活躍していた外国産馬のマルゼンスキーが海外のセリで約9000万円(現代の日本円換算)で落札され、輸送や関税などの経費も込みでおよそ1億2000万円(現代の以下略)もかかった事で、購入者の正気を疑うような言葉が購入者の地元の業界人達から言われたという。
万世の落札はその倍近い。そのため「血迷った玩具成金のバカ買い」と噂が広まり嘲笑われたし、万世本人から恐るべき落札価格を聞かされた時は又則も顔を青ざめて「馬鹿野郎っ! 破産する気か!?」と本気で怒鳴った。当の本人は「安い買い物だったと思うけどなぁ」と屁でもない様子だったが、予算については事前に妻と息子へ死ぬほど土下座したらしい。
しかし、その万世の相馬眼が本物だった事を、又則は後に思い知る。
「楽さんには本当に感謝しているよ。あの時クリフジの子孫を……バンセイフジを見つけて馬主になって、俺に引き合わせてくれた」
「なに、お前さんがあの時語った夢がそうさせたのよ」
万世に案内されるがままにやって来た守松牧場で仔馬のバンセイフジを初めて見て、又則は全身に電流のような衝撃が走った。
この仔は走る。騎手として、それ以上に調教師としての経験が又則へそう告げたのだ。
とうとう巡り合えた。叔父の乗った馬の血統の仔に、それも八大競走に挑める名馬になり得る仔に。
その時又則は、バンセイフジの姿を見て込み上げてきた感情に思わず涙を流した。
そして数年後、バンセイフジは牝馬でありながらクラシック三冠へ出走して無敗三冠を手にし、天皇賞春・秋、有馬記念を2回と次々に制覇して史上初の七冠馬となり、無敗で全てを勝ち抜いて昭和の時代に伝説を作った。
「でも、走るとは思っていたがあそこまで強くなるとは思わなかったな。引退レースも余裕の大差勝ちをしたときは感無量だったが」
「そりゃ又さんの調教の賜物だろうさ。俺が馬主になる前から巷じゃ有名だったじゃないか、去年だって無敗で三冠馬になったのがいたじゃないか。確かミスター――」
「あれは騎手の機転が利いたのが大きいと思うがね。バンセイフジに関しては父方の血筋ももしかしたらあったのかな。まさか幻の馬の姉の血が混じっていたとは」
「あれな、落札した後に改めて血統を調べて俺も驚いた。なんじゃこれって」
バンセイフジは母方の曾祖母がクリフジである以外にも、父方の血筋にも無視できない馬が曾祖叔父と曽祖父にいた。
曾祖叔父はトキノミノルと言う、戦後活躍した10戦10勝の幻の馬とうたわれた名馬だ。
レコード勝ち7回、クラシック二冠という輝かしい記録を持つが、惜しむらくは日本ダービー優勝後に破傷風にかかりそのままこの世を去ってしまった悲劇の馬でもある。
バンセイフジの父方の母は、そのトキノミノルの一つ上の全姉の娘なのだ。
そして曽祖父はセントライト。日本競馬史上初の三冠場。父方の父は、セントライトの息子である。
そんな両親の家系に流れる日本競馬の優駿達の血が凝縮され、バンセイフジの代でとんでない化学変化を引き起こした。
又則の競馬人生においでもこれほどの名馬は二度とお目にかかれないだろうとすら思う奇跡の結晶だった。
その奇跡が更なる奇跡を生み出した。何というか、ホームラン級のアレと言うか、別の生物の設計図で馬を作ったらこうなりましたと言うか。
「そのバンセイフジの初仔があの仔か。いや確かに凄いんだが、どうしてああなった? あれか? 親父の血も混じって突然変異でも起こしたのか? 訳が分からん」
又則が酒をあおりながら心底不思議そうにぼやくのは、この度入厩したバンセイフガクの事だ。
なんだあの1t並の馬体と筋肉、両親に全く似ない光を飲み込む黒い馬体。まるで猛獣を思わせるような鋭い眼光。ばんえい馬が何か可愛く感じる位の迫力があった。
又則は、今まで人間達が築き上げて来た血統学では思いもよらないナニかを見た気分である。
「いやーかの高名な神馬に肖って種をいただいたら大成功だったな!」
万世は嬉しそうにつまみを口に放り込んで鼻高々だった。
元々バンセイフジが繁殖牝馬入りして最初の相手に件の馬を狙っていたのは万世だ。
事前に又則の方へもバンセイフジの相手について相談は来ており、件の馬が第一候補だとは聞かされていた。又則は血統の中に同じ馬が近い位置に入っていてインブリードのリスクを危険視したが、あの万世の判断ならばあるいは、と思い賛同した。
種馬の両親も優秀な血統で、その馬自身も日本競馬界の歴史に名を連ねる名馬だったからというのも大きい。
種馬の、バンセイフガクの父の名は――シンザン。
戦後日本で最初にクラシック三冠を獲得し、他にも八大競走を二つ制覇した事から五冠馬とも、その功績から神馬とも讃えられた競走馬において最高位の馬である。
日本の競馬界は「シンザンを越えろ」というスローガンのもとに強い競走馬を生み出そうと日夜努力し続けてきたほどにシンザンの存在は大きかった。
バンセイフガクは、そんな偉大な父と母を持ち、その身には日本競馬の赫々たる血統が凝縮した尊くも凄まじき血が流れているのだ。
そんなバンセイフガクが重種馬並の巨体に成長するのは完全に想定外だった。
競走馬に登録は出来たし、育成牧場でゲート訓練も合格出来たのでレースには出れるだろう。
後はレースでどれだけ走れるのか。そこだけである。
「それで、騎手を務めてくれる恵護君だが、今年で三年目だったな。今まで何勝したんだっけ?」
「200勝を越えたよ。親父の俺はその頃100勝なんて夢のまた夢だったのに、この才能の差よ」
そう言って又則は自嘲した。
舞田恵護は又則の息子である。父である又則が競馬業界ですごしていた背中を見たからか、恵護も馬に興味を持って騎手を目指したのは又則にとって幸いだった。自分が憧れと夢を抱いて競馬の世界に行ったので、義務感や強制で同じ道を歩ませたくは無かったのだ。
望外の僥倖だったのは、恵護の騎手としての才能だ。ぱっとせずよく師匠から渋い顔をされていた自分と違って、恵護の才能は本物だった。
デビュー初年で64勝を挙げて当年の最多勝利新人騎手に受賞され、二年目で100勝を越え、史上最年少のリーディングジョッキーとなり、三年目でも順調に勝利数を増やしている。
息子はトップジョッキーになり得る才能を秘めている。これに又則の脳裏である事が思い浮かんだ。
バンセイフジの仔に恵護を乗せて世界を目指す。
それを万世に話したら案の定と言うか、この手のシチュエーションが大好きな馬主様は喜んでその提案を受けた。
万世が手繰り寄せたクリフジの血統と、舞田親子の調教と騎乗が、かつて一人の少年が見た夢が、数十年の月日を経てその先に指をかけようとしていた。
「……なあ、乾杯でもしないか?」
「何に対して?」
「俺達の夢に。最初は又さんの夢だったがね。まぁ、改めて」
「人生曲がり角に入った50代のおっさんどもの夢か」
「何だ知らんのか、夢を持つのに歳なんて関係ないんだよ。玩具会社の社長が言うんだから間違いない」
数十年間、人々に夢を与え続けて来た男がにやりと厳つい顔に笑みを浮かべると、又則は苦笑しながら酒を注がれたコップを掲げた。
目下の夢はクラシック三冠、そしてその先は、世界へ。
その夢の行き先は、数年後に判明する。
Tips:過去、舞田又則のもとへ舞田永吉に縁のある人物を探してとある競馬評論家が訪ねてきた。
Q.そもそも何でこんな馬鹿でかい馬を主人公にしたんだ貴様。
A.元々は黒王号や松風(花の慶次ver)みたいな巨大な馬が競馬で活躍する話を書きたかったんです(秘孔を突かれた悪党のような顔で
それで調べてみたらみどりのマキバオーのベアナックル(最終回のジャパンチャンピオンシップver)がどう見ても1tありそうな描写なのに出走してるので、「い、行けるのか?」と思って書いたのがこの作品です。
でも動画で調べた感じ、実際のゲートって結構狭いらしいので、重種馬クラスの馬が入るのか怪しい所です。
出走できる馬は軽種馬でなければいけないと登録する際のルールで書いてあるみたいですし、やっぱり軽種馬のサイズに合わせて作ってるんでしょうかね。