いざ、神の山がまかり通る   作:ニンジンデース

6 / 18
予想以上にお気に入りや評価をいただいてそわっとしてます。
史実の馬が登場します。


第6走 調教、舞田厩舎

 舞田厩舎へ入厩した当日は入厩検疫検査でほぼほぼ時間が潰れたので、検疫後のバンセイフガクは馬房に案内されてそこで過ごすだけにとどまった。

 その際、舞田厩舎で管理されている他の馬達とも少し顔合わせをした。いずれも育成牧場にいた馬達とは面構えが違う、本場のレースを駆け抜けて来たプロの競走馬達だった。

 バンセイフガクを目にした馬達は自分達の馬房からチラ見していたが、「はあッ!?」と驚いて二度見してきた。

 それからも興味深そうにちらちらと馬房を見てくるが、バンセイフガクが相手にせず、そのまま夕食を平らげた後はすぐに横になり、翌朝まで爆睡した。

 

 

 そして翌日の早朝。

 ついに本格的な調教を行うわけだが、本日は主戦騎手を務める恵護がバンセイフガクに乗ってその能力を確かめるために走らせる感じだ。

 調教ゼッケンと鞍を着けて準備を済ませたバンセイフガクに厩舎のスタッフ達と打ち合わせを済ませた恵護が騎乗する。

 

「よっ……うおぉっ、いつもより視線が高えぇ……」

 

『ほぉ、存外軽やかに乗るものだな』

 

 厩舎スタッフの手を借りずに自分の背へひょいと飛び乗る恵護にバンセイフガクは感心する。

 育成牧場でバンセイフガクを担当していた人間は、スタッフの手を借りながら登るように騎乗していたが、やはり正規の騎手ともなると違うようだ。

 難なくバンセイフガクに騎乗した恵護は普段とは違う高さに驚いていたが、すぐにバンセイフガクの首を撫でた。

 

「それじゃあよろしく、バンセイフガク」

 

『ん、よろしく頼む』

 

 昨日まではひょろ長いもやしっ子扱いを脳内でしかけていたバンセイフガクだが、今日の恵護の所作で認識を変えて返事をする為に鳴いた。

 

 

 乗り運動で厩舎の周りをぐるっと歩かせて体を馴らし、その脚で調教コースへと向かう。

 道中他の厩舎にいる馬達もウォーミングアップを済ませて一斉に移動を始めていた。

 

 その際、多くの人間達がバンセイフガクの姿を見てざわついた。

 

「おいおいなんだあれ、ばんえい馬か?」

 

「ここは中央競馬のトレセンだぞ、んなわけあるか。それに体形がどう見たってサラブレッドじゃねえか……すげぇでかくてごついけど」

 

「見ろよあの筋肉、ムキムキじゃん」

 

「それにあの毛色、めちゃくちゃ黒いぞ。青毛……なのか?」

 

 足先から鬣まで全てが艶のない光を吸い込む黒い毛色。そして他の競走馬より一回も二回り大きな馬体。

 現在のバンセイフジの体重だが、育成牧場の頃から成長が続いてとうとう1tの大台を超え、現在1057kgに到達した。

 腹は肥えず全身の筋骨が成長し続け、体高に至っては200cmまで高くなった。サラブレッドの平均体高が150cm前後である点を考えると、50cmも高いバンセイフガクの背の高さはサラブレッドの背に慣れた騎手には未知の世界である。

 

 

「恵護、フジの仔の乗り心地はどうだ?」

 

「綿上(わたがみ)さん」

 

 そんな中、騎手を乗せた一頭の馬がバンセイフガクへ近付いて恵護へ話しかけて来た。

 バンセイフガクもちらりと舞田厩舎の中で見た事のある人物だ。

 恵護より一回り背丈が小さい40歳くらいの男で、華やかな顔立ちではないが、実直そうなベテランの騎手と言った風貌をしている。

 

「体つきがしっかりしてるんで安定感が良いですね。こっちの指示にも今のところ素直に聞いてくれるんで乗りやすいですし、大きさとは違ってきびきび歩きます。後は走らせてみない事には、何とも」

 

「ふむ、フジもえらい仔を産んだもんだな。今何キロだ?」

 

「その、昨日測ったら、1t超えてたみたいでして……」

 

「……俺も色んな競走馬を見てきたが、こんなサラブレッドは初めて見たなぁ」

 

「やっぱり気になりますか? バンセイフジの屋根を務めていた綿上さんからしますと」

 

『何?』

 

 バンセイフガクは恵護のセリフに思わず首を向けて綿上という騎手をまじまじと見た。

 

(この男が母の騎手だったのか)

 

 日本で現在最高位の七冠馬に輝いた母バンセイフジとともに数多の大レースを駆け抜け、生涯無敗を貫かせた騎手。

 同じ厩舎の誰かだろうとは思っていたが、こうして出会ってみると何だか妙な感覚を覚えるバンセイフガクだった。

 

「何だ? 急にこっちを見だして」

 

「今、バンセイフジの名前を出したら綿上さんの方を向きましたね」

 

「俺がこいつの母親に乗っていた事を今の会話で理解した? 人間の言葉を正確に理解できているのか?」

 

「頭が良いとは聞いていましたが……あぁ、もしかしてこの会話も分かってるのかな」

 

「そいつはおっかないなぁ。なら、発言には気を付けた方が良いかもな」

 

 お道化る綿上を見ながらどんなレースだったのだろうと思いを巡らせていたバンセイフガクだったが、その綿上の下の方から声がかけられた。

 

『ずいぶんとでかい奴だな。お前本当に競走馬か?』

 

 やや小柄な黒鹿毛の馬だった。毛並みや肌艶、瞳の艶やかさが目を引く。

 一瞬牝馬か? と思ったが、よく見れば牡馬だとすぐに分かった。

 

(この馬、他の奴らとは何かが違う)

 

 外見ではなく。その馬が発する雰囲気とでもいうべきか。バンセイフガクは黒鹿毛の馬から只ならぬ気配を感じた。

 その証拠に、周りの調教場へ向かう際中の馬達はバンセイフガクと黒鹿毛の馬の周りに近づこうとせず、黒鹿毛の馬を慄くように見ている。

 そんな黒鹿毛の馬は、バンセイフガクの視線から何かを察して綺麗な眼で睨みつけて来た。

 

『おいお前、俺の事牝だと思いやがったか?』

 

『最初はな、よく見れば牡なのは分かった』

 

『ふん、はっきりと言いやがる』

 

 苛立たしげに鼻を鳴らすこの黒鹿毛の馬、どうやら気性が荒いタチの様だ。

 いつぞや育成牧場にいたとある馬と違うのは、だいぶ落ち着いている所だろう。

 

『……まぁ、他の奴らより反応がマシだから許してやる』

 

 だが次は無いぜ、と黒鹿毛の馬は荒く鼻息を吐くと、気を取り直してバンセイフガクへ話しかけてくる。

 

『お前昨日うちに来た奴だな。周りの奴らが気まずそうにしてたらしいが』

 

『俺が話しかけられないようにしてるからだろうな』

 

 バンセイフガクとしては、今後自分達の将来もかかったレースを競い合うかもしれない馬達とあまり慣れあう気は無かった。

 人間だった頃も競走社会に身を置いて一人のサラリーマンとして働いていたが、負けて最悪肉に加工されたり殺処分に処されたりするような環境ではなかったので、この華やかに見えてその実過酷な世界の裏を知ればこそ、どこかで処分されるかもしれない競走馬達と距離をとりたくなる。

 加えて母を超えると言う目標を掲げているバンセイフガクは他の競走馬達にレースで容赦をする気など毛頭なく、負かしてどんな末路を辿るかもしれない相手にへらへらと話しかける神経を持ち合わせていない。種牡馬行きが確定されているのであれば話は別なのだが。

 もし気に掛ける相手がいるとすれば、母や今後、もしくは既に生まれているであろう弟か妹、そして自分が生まれ育った守松牧場の馬達くらいだろうか。

 もっとも、その兄弟や馬達も競走馬となって相手をするのならば手加減はしない。多少の気を配る事こそあれども最終的には競走馬としての己をとる。そんなどこか矛盾した考えにもバンセイフガクはイラついた。物事はもっとシンプルでありたい。それこそレースで走る事だけを考える程度で済むくらいに。

 

『ふぅん、じゃあ俺とこうやって話してるのは何でさ?』

 

『あんたが話しかけてくるから仕方なくだ』

 

『へぇー……ところでさ』

 

(なんだこの馬)

 

 だからこの馬の無神経なんだか神経が図太い態度が面倒くさかった。

 大抵の馬はバンセイフガクがイラつく態度や睨みつけるだけで近寄ろうとしなくなるが、この黒鹿毛の馬は違う。今も鬱陶しそうにしているバンセイフガクへ物怖じもせずに話を続けてくるのだ。

 しかも話しかけてくるなと言っても平気で話しかけてくるので、避けるのを諦めたバンセイフガクは酷いウザ絡みや不愉快な事でも言わない限りは調教場に着くまで話に付き合う事にした。

 

『しかし昨日入ってきたなら、お前は本当に競争馬なわけか。どんな親がお前みたいなデカいのを産んだんだか見てみたいもんだ』

 

『母は現役時代無敗の競走馬だった』

 

 バンセイフガクがそう返すと、黒鹿毛の馬が目を見開いてバンセイフガクを見た。

 

『……何だって?』

 

 黒鹿毛の馬の態度を不思議に感じたバンセイフガクが怪訝そうに答えた。

 

『無敗七冠、それが母が残した功績だ』

 

『……お前のお袋さんの名は?』

 

『バンセイフジ』

 

 バンセイフガクがその名を告げると、黒鹿毛の馬の様子が変わった。

 馴れ馴れしかった態度が一変して鋭い気配を放ち、それまで気楽な口調で話しかけていたが、今はまるで刃物のような鋭さがある。

 

『ふぅん、なるほど。あの馬の仔ってわけか』

 

『? 母を知っているのか?』

 

『まぁ、俺の先代だからな』

 

『……先代?』

 

 母バンセイフジの事を知り、尚且つ意味深な事を言う黒鹿毛の馬に意味を訊ねようとしたら、いつの間にか調教場へと到着していた。気付かないうちに話し込んでしまった様だ。

 

「じゃあ、俺はこれで」

 

「ああ、頑張れよ。目指すは無敗のクラシック三冠か?」

 

「あはは……まぁ、頑張ります」

 

 鞍上の二人も話を済ませたようだ。二頭へ指示を出して別々の場所へと向かわせようとする。

 別れ際、黒鹿毛の馬がバンセイフガクの方へ振り向いた。

 

『じゃあな、七冠馬の仔よ』

 

 そのまま黒鹿毛の馬は、鞍上の綿上とともに別の場所へと行ってしまった。

 

『……名前、聞いておけば良かったか?』

 

 お互い名乗らず会話を進めてしまいそのまま別れてしまった事を少し惜しんだバンセイフガクだが、同じ厩舎だった事を思い出してどこかで知る機会がくるだろうと意識を調教へと向けようとした時、鞍上の恵護が話しかけて来た。

 

「フガク、俺の言葉を理解しているのか分からないけど、さっき綿上さんが乗っていたあの黒鹿毛の馬、あいつはお前の母さんの後に“無敗の三冠馬”になったんだ」

 

 バンセイフガクの耳がピクリと反応するのを見た恵護は、何らかの理解をしたのだろうと分かって言葉をつづける。

 

「あの馬の名前はミスターシービー、今最もお前の母さんの記録に近い競走馬だよ」

 

(ミスターシービー……そうか、覚えたぞ)

 

 バンセイフガクは、いずれ超えねばならない競走馬の中に件の黒鹿毛の馬、ミスターシービーの名を心に刻んで調教に取り組んだ。

 

 

 

 

 バンセイフガクが来たのは調教場の距離1400mのダートコース。9月予定の新馬戦の距離が1200mなのでそれに近いコースで走らせて感触を確かめる様だ。

 調教師の又則も調教スタンドからバンセイフガクがいるコースをじっと見ている。

 

「それじゃ、行くぞフガク」

 

 大勢の競走馬達が順番待ちをする中で、自分達の番になると恵護が手綱を駆使してバンセイフガクを走らせる。

 

 軽いかけ足から始め、バンセイフガクの調子を鞍上でつぶさに確認しながら徐々に足を速めていく。ダートの砂がバンセイフガクの脚力で激しく跳ねる。

 バンセイフガクは手綱を通してハミに伝わる圧力の緩急から騎手の意志を読み取ってそれに従い走る。

 走り出したスタート地点からコーナーに入り、そのコーナーを曲がり切りって再び直線に入ると、恵護から更に加速の合図が入った。

 だが、全力ではない。精々6割と言った速度だ。それ以上の速度を出そうものなら恵護の手綱が速度を落とせと指示を出してくる。

 

(やはり、簡単に全力で走らせてはくれんか)

 

 バンセイフガクも人間達が馬をなるべく全速力で走らせたがらない気持ちは理解している。

 サラブレッドはレースをさせるために品種改良を繰り返した弊害か、脚の故障がしやすい品種だ。

 馬にとって脚とは極めて重要な部位だ。それこそ、故障して歩けなくなってしまえば予後不良と見做して馬を安楽死させなければならない程に大切なのだ。人間が脚を壊して歩けなくなるのとは意味合いが違う。

 馬の脚とは、歩く事で全身に血液を行き渡らせる第二の心臓のような役割がある。平均400~500kgもある巨体だと、心臓一つだけで血液を全身に回せないのだ。

 そんな馬が脚を故障して歩けなくなってしまえば、血の巡りは悪くなり、循環できなくなった古い血液は脚へと溜まって、やがて壊死が始まる。

 肉体が壊死する痛みで馬は苦しみ、食事もとらず動く事もしなくなって衰弱死する。かといって横たわらせても重い体重に耐え切れず下にした部分や、果てには内臓が壊死してしまう。どうやっても馬が苦しむ悪循環が極まっていくのだ。

 治療が無いわけではない。だが、それも成功率は高くないらしい。おまけに人間を上回る巨体で痛みに暴れられたら怪我は悪化、治療どころではないし出来たとしても馬が人間側の思惑通り安静にしてくれるわけではないので非常に困難なのだと言う。

 とはいえ治療して競走馬として復帰した馬もいるらしいが、やはり故障しないに越した事はないので、厩舎の人間や騎手は馬が故障しないように気を付けながら調教やレースに取り組む者が多いのだ。

 

 そういう話を育成牧場で人間達の会話から盗み聞きしたバンセイフガクは、まさか自分達の脚がそんなに大事なものだとは思わず驚いたが、同時にある事を思い返す。

 以前守松牧場で160cmの柵をテンションに任せて跳び越えた時の事だ。

 当時800kg台だったバンセイフガクはあれだけの高さを跳び、地面に着地しても脚を痛めるどころか何時もの状態となんら変わらなかった。もちろんバンセイフガクに痛覚はある。

 それも2回だ。あの後牧場長達が慌てて獣医に診せたが異常なしという診断結果が出て、翌日歩いても追い運動で走っても全く問題は無かった。その後も育成牧場で調教中に試しに全力疾走をした時も、別段痛みや筋肉痛、痺れや腫れといった症状は出なかった。

 そこから導き出されるのは、バンセイフガク自身の肉体が他のサラブレッド達よりはるかに頑丈である可能性だ。

 舞田厩舎の又則の方へもそれらの件は入厩する時点で報告を受けているようだが、大事を取って普通の調教にとどめている。調教初日と言うのもあるのだろう。

 それが少し、バンセイフガクにはもどかしく感じた。

 

 見せてやりたい、自分の本気の走りを。そしていつか、レースで大観衆の度肝を抜かせてやりたい。

 

 が。

 

 

(まぁ、基礎を固めるのが先か)

 

 そもそもバンセイフガクは厩舎での調教は今日が初めてだ。まだ騎手も調教師も自分と言う馬の事を完全には把握しておらず、手探り状態からの調教だ。そんな状態で最初から全開で走らせるのも非常識か。

 デビュー戦もまだ2か月先なので、その間に騎手と折り合いをつけられるようにして自分と言う馬を知ってもらえれば良い。

 競馬とは、人と馬の協力のし合いではなかろうかとバンセイフガクは思う。人が乗るのがバイクの様なマシンではなく、頭脳を有し、心と感情を持った馬という生き物に跨るが故に人は自分本位な乗り方で馬を乗りこなすだけではいかず、その馬の性質を学んでそれに合わせて手綱を捌かなければならない。

 

 幸いと言うか、バンセイフガクは人の前世を持ち、人と同じ頭脳と人格を持つので人の機敏には馬よりも敏い自信がある。鞍上の恵護もバンセイフガクと相性は悪くないだろう。

 そしてこの肉体。他の競走馬よりもでかいが、ポテンシャルは抜群だとほぼほぼ確信が持てる。ここまで好条件が揃っていれば後は鍛錬あるのみだ。

 

 バンセイフガクはダートのコースを駆け抜けて間もなく一周すると、調教場から出るように恵護から指示が出た。

 周りの馬や騎手達からの視線を受けながら調教場から離れて調教コースの側に建てられた建物――調教スタンドの近くへ来ると、その中から又則が出て来た。

 

「恵護、どうだ? バンセイフガクは」

 

「……テキ、なんなんですこの馬」

 

 テキ、とは調教師を指す競馬業界用語だ。恵護は仕事の最中は父又則の事を父としてではなく調教師として接している。

 興奮したような、しかし困惑も混ざった顔で訊き返す恵護に又則はその意味を訊ねた。

 

「お前がこれから屋根を務める馬だ。で? それはどういう意味だ?」

 

「いつも乗っている馬達と感覚が違うんですけど……まずこっちの指示に対して的確に合わせてくれます。次に今回初めてだったので抑え気味に走らせてみましたが、同年代の馬達より十分早いと思います。あと――」

 

 恵護はバンセイフガクの首に手を添えながらその顔を伺う。

 

「――殆ど息が上がってません。まるで家の周りを軽くランニングしてきたみたいにピンピンしてます。テキがスタンドから見てどうでしたか?」

 

「……確かに早かった。お前が速度を上げて走らせたのかと疑ったくらいにな。だがこうして見ると全力で走ったわけではない。やはり加減してあの走りだったのか」

 

 又則は眉間にしわを寄せながらバンセイフガクを見る。

 確かにバンセイフガクは全く疲れていない。もっとガンガン走りたいくらいには余裕がある。なので1周で切り上げた時は『まさかこれで終わりなのか?』と不満でさえあった。

 

「予定通りもっと走らせますか? 何となくですけど、フガクも不満そうなので」

 

「よし、だが次は1600、1800とコースを変えて走って見ろ。もっとスタミナの方を確認したい。スピードも少し上げてみて構わんが、くれぐれもフガクの脚や体調には気を付けるように。異常が分かったらすぐに止めろ」

 

「はい」

 

 そう言うと恵護はバンセイフガクを再び調教場へと連れて行った。

 その背中を見送りながら、又則はバンセイフガクの走りをその場でじっとつぶさに観察し始めた。

 

 

(俺のスタミナの確認か、それは俺も興味がある)

 

 バンセイフガクはこれまで守松牧場や育成牧場での調教で何度も走って来たが、一度たりともスタミナ切れを起こした事が無かった。

 他の馬もそうなのかと周りを見渡せば、自分と同じ内容でバテている者達しかいなかった。

 そこから自分には生まれつき相当な体力があるのだろうと結論を下したが、一体何処まで走れるのか気になってもいた。

 

 まずは1600m。今度は速度を7割にまで引き上げてこの距離を走る切る。

 次に1800m。一旦休憩した後、同じ速度で再び駆ける。

 

 

 そして恵護とバンセイフガクは又則の指示通りのコースを走り、再び又則と合流した。

 

「で、どうだった?」

 

「全然バテてません。1600、1800とも余裕で走り切れます。スタミナはまだまだ余っていそうですね」

 

「距離適性はスプリンター(短距離が得意な馬)以上は確実だな。であれば新馬戦で勝ち次第その後は更に距離を伸ばしたオープン戦で手応えを確かめる」

 

「新馬戦は確か1200でしたよね?」

 

「ああ、何せこの巨体と筋肉だ、無理やり常識に当てはめれば何とかスプリンター向きと言えなくもない。まずは短距離から初めて適性を確かめながら、距離の長いレースに出させてみる」

 

「……そういえば、バンセイフジも新馬戦は1200でしたっけ」

 

「あいつも600キロ越えで筋肉隆々だったから最初はスプリンター向きかと思ったからなぁ。だが走らせてみたら中距離だろうが長距離だろうが全て千切り捨てて無敗の牝馬に君臨した。常識もあてにはならん」

 

「だったら、フガクも常識には当てはまらない馬になるかもしれませんね」

 

「ま、1t越えのサラブレッドなど競馬史上初の異常事態だ」

 

(何せ、育ちが良いもんでな)

 

 二人の会話を静かに聞いていたバンセイフガクが不満気に鼻息を鳴らして嘶くと、恵護と又則は顔を見合わせて苦笑した。

 

「それにしても、フガクは何と言うか不思議な走り方をしますね。テキから見てどんなふうに見えましたか?」

 

「……ストライドがとんでもなくでかい。それに脚の回転も速い。こんなに歩幅が広くて初手から加速する走り方は初めて見た」

 

 又則が溢したバンセイフガクの走り方。

 フォームが変、というわけではない。ただ、異様だったのだ。

 その正体は、走る際のバンセイフガクの歩幅の広さだ。バンセイフガクは、一度大地を踏み込んでから次に地面に着くまでの滞空時間が他の競走馬よりも遥かに長いのだ。

 それに加えてバンセイフガクは足の回転が速い。それによって大ぶりの足運びでありながら一気にハイペースで飛ばす事を可能としている。

 

「フガクの身体能力で走った結果、あの超重量の馬体を長く宙へ飛ばすほどの推進力が生み出されるんだろう。……万世さんから聞いた話だと、こいつは故郷の牧場で160cmの柵を跳び越えた事があるらしい」

 

「160cm!? 嘘でしょう? こいつ跳べるんですか?」

 

「万世さんが言うには、現地の牧場の関係者達が数名それを目撃したらしい。もっとも、その時のフガクはまだ800kg台だったようだが」

 

「いやその体重で跳んだっておかしいですって。こいつどうなってるんです?」

 

 誰が聞いても驚愕するだろうバンセイフガクの跳躍力に恵護が耳を疑ったのは無理からぬ事ではある。 

 

「恵護、これからお前が乗るその馬は、恐らく今までの競走馬の常識が通用しない馬になるだろう。お前はまずこのバンセイフガクの事を理解するために乗り続けろ」

 

「……わかりました、テキ」

 

 こうしてバンセイフガクの調教は、各々が手探り状態で模索しながら始まって行った。




この作品ではミスターシービーが無敗の三冠馬になってます。まるで無敗の三冠馬のバーゲンセールだな(次の世代の競走馬を見ながら
なお、現在無敗記録更新中だそうです。

偉そうに予後不良と脚の事を本文で長々と書いてしまいましたが、こんな感じで良いのでしょうか?
ウマ娘経由で競馬を知ったクチなのですが、予後不良について調べたらそんな理由があったのかと驚きました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。