いざ、神の山がまかり通る 作:ニンジンデース
これから登場する実況のセリフは《》で表記します。
※当作品の時代が1980年代なので、馬齢の表記は西暦2000年前の旧表記で書いてます。
野生の熊の襲撃を物理的に打ち砕き、検疫馬房で気分よくごろ寝する二週間を越え、バンセイフガクは来たるデビュー戦前の追い切りを行う前に密度の濃い調教を受けていた。
入厩したばかりの頃は様子見だったが、色々と試してバンセイフガクが非常に頑丈な体とタフネスの持ち主だと分かると、又則は馬主の万世から了承を得て普通の競走馬よりはるかに多いメニューを課すようにした。
現在バンセイフガクは調教場で鞍上の恵護の手綱捌きに導かれながら調教コースを走り続けている。
もうかれこれ合計すれば10000m、つまり10kmくらい走っていた。
インターバルを挟みながら3000mを1回、2000mを2回、1500mを2回と走らせるハードメニュー。更に坂路も加えたりすれば当日走る距離はずっと多い。
普通ならば馬が故障しかねない暴挙ととられる指示だ。だが、そのメニューを課せられた当の馬は平気だった。
『おう恵護よ、お次は何だ? ハーフマラソンでもおっぱじめるか?』
10kmも走って流石に汗を流しているバンセイフガクだが、その顔に疲労はあっても機嫌が良かった。恵護へ振り向いて催促するように猛獣のような嘶きを出している。
「はぁ……はぁ……うぐっ……元気だなぁお前は」
対する鞍上の恵護はバンセイフガクの背の上で息を荒くしながらヘルメットから垂れる汗を指で拭っていた。
恵護の騎乗姿勢は鞍から少し尻を浮かせた態勢で乗るモンキー乗りと呼ばれる騎乗法を用いている。
その為競走馬が走っている間はずっとその態勢を維持しなければならず、更にそこからレース中は走行中の馬や周りの状況を見て即座に判断して馬に指示を出すのでかなりの重労働となる。
それを少し休みを挟みながらとはいえ。5レース分やっている様なものだ。その消耗具合は相当なものとなる。
「一日の調教でコース場だけで10km走らせるとか親父もとうとう本物の鬼になったかと思ったけど……お前にとっちゃ普通のトレーニングの範疇か。俺も負けてられないな」
『頑張るのは結構だが、体を壊すなよ。お前は細いからもっと飯食って体力付ければ良いんだが、騎手はそういかんらしいしな』
恵護の言葉にバンセイフガクが振り向きながら重い嘶きを繰り返して返事をすると、その姿に恵護が苦笑した。
「会話してる、のか? これ」
『安心しろ、ちゃんと成立しているぞ』
恵護が話せばバンセイフガクが振り返って返事を返すやり取りは、傍から見れば会話が成立しているように見えるので、周りの騎手達は恵護とバンセイフガクへ奇異の目を向けていた。
そんな中、一際熱の籠った視線をバンセイフガクだけが察知した。
人のものではない、馬による視線だ。
バンセイフガクはそんな視線が注いでくる元へ、悟られないようにそっと視界に入れると、ふんっと鼻息を吐いた。
(あのチンピラ、無事に競走馬になったか)
物理的な力が働きそうなほどの眼力で睨みつける馬の正体は、かつて育成牧場でいざこざを起こした額の白い流星が特徴的な鹿毛の牡馬、シリウスシンボリだった。
奇妙な縁だが、美浦トレセンの厩舎に所属しているようだ。初めはバンセイフガクを見つけて目を見開いたが、今では育成牧場の時のように殺意すら感じる程の眼で睨みつけてくるだけにとどまっている。
というのも、こちらも育成牧場と同じようにバンセイフガクが全く相手にしなかったのだ。近くにいても蛇蝎の如く嫌うバンセイフガクがシカトを決め込んでそのまま素通りし、それを見たシリウスシンボリが顔面に血管が浮き上がる程に怒って憎悪の眼差しを向けるようになった。
調教の方は黙々と、更にバンセイフガクを見かけると狂ったように取り組む、と言うのを繰り返して結果的にしっかり調教メニューをしっかりとこなしていた。
バンセイフガクはシリウスシンボリの視線を無視して本日のメニュー最後の仕上げに森林馬道へ向かおうとした時、ある馬が調教場のコースを走る姿が視界に映ってふと足が止まる。
「フガク、どうした?」
バンセイフガクがじっとコースを見ているのに気が付いた恵護がその視線の先で走る馬に気付いて、あぁと納得した。
「ミスターシービーか、あいつも変わった走りをしているな」
恵護はその馬の走る姿を見て納得する。
バンセイフガクが見つけたのは、同じ厩舎に所属している競走馬にして「無敗の五冠馬」に輝いた馬、ミスターシービーだった。その鞍上で手綱を取るのは主戦騎手の綿上咲(わたがみしゅう)。
ミスターシービーが調教場のダートコースを駆ける姿は、まさしく風の様だった。
加速すると頭が下がり、大きな足運びでまるで跳ねるように走る様は、滞空時間の長さから飛んでいるようにも見える。
「天馬、か」
恵護がぽつりと溢したその呼び名。かつてミスターシービーの父トウショウボーイが同じ走り方で活躍した事からそう称えられ、競馬最高位のレースで4回勝利を収めている。
現在ミスターシービーは無敗で「五冠」、クラシック三冠に加えて他に日本競馬最高位のレースである八大競走を二つ勝ち、未だ負け知らずで既に父を越える偉業を成し遂げている。
スタートしてから一度も先頭を譲らずゴールまで快速で突き進む天衣無縫の飛ばし屋、天馬二世。今の日本競馬のトップは間違いなくあのミスターシービーであった。
「いつか、お前にも渾名がつくかもな。お前の親父のシンザンが神馬って呼ばれたみたいにさ」
『さて、な。勝ち進んでいけば分かる事だろう』
その為にもまずはデビュー戦で勝たねばなるまい。
バンセイフガクは、視線の先で疾走するミスターシービーを見ながら決意を新たにした。
1984年9月9日。場所は千葉県の中山競馬場。
天気は小雨、馬場は良。
その競馬場の3つ目のレースで、いよいよバンセイフガクはデビュー戦を迎える。
「いよいよフガクの新馬戦か。溝峰、頼むぞ。俺も別口で向かう」
「了解です。任せてください」
『また競馬場でな、先生』
朝。厩舎から馬運車で担当厩務員の溝峰とともに乗り込んで、バンセイフガクは競馬場へ向かった。恵護は既に競馬場へ事前に到着しているので、舞田厩舎のメンバーは現地集合だ。
行先が美浦トレセンから比較的近い場所の競馬場の為、さほど時間を要さずにバンセイフガク達は中山競馬場へ到着。
「フガク、ここで少し待ってな。時間になったらまた来る」
『成程、ここが控室ってわけか』
競走馬用の待機馬房へ溝峰に連れられるバンセイフガク。
同じ馬房にいた競走馬達がバンセイフガクの姿を見ると驚いて二度見して騒ぎ出すが、バンセイフガクがそれらをひと睨みで黙らせると、与えられた馬房内で眼を閉じて時が来るのを待った。
それからいくらか時間か経つと、溝峰が戻って来てバンセイフガクを待機馬房から連れ出した。
しかし、その時の溝峰の服装がいつもと違っているのに気が付いた。
『溝峰よ、今日はやけにめかし込んどるな』
「……? あぁ、これか。うちの厩舎では担当の馬がレースに出るとき着るようにしてるんだ。テキもこんな感じだぞ」
『そりゃあ、俺の責任重大だな』
見慣れた厩務員の服装ではなく、上着を脱いで袖をまくったネクタイスーツ姿だった。
溝峰と一緒に移動している時に他の競走馬を引く厩務員達を見ると、厩舎でよく見るような服装のものもいれば軽装やスーツ姿だったりと厩舎によって服装は違うようだ。
施設内を歩いて辿り着いた先は装鞍所という場所。そこで馬体と蹄鉄の検査を行い、体重の測定を行い、レースの準備をするのだ。
バンセイフガクが装鞍所へやって来ると、そこにいた人間達がざわついた。
無理もない事だが、バンセイフガクは下手な重種馬よりも大柄な馬体の持ち主だ。加えて、艶のない光を吸い込むようなどす黒い毛色に全身の発達した鎧のような筋肉が、馬の形をしているのに馬とは違う異質な存在感を放っているのだ。
思わず作業を止めて凝視してくる人間達をバンセイフガクが見回していると、目当ての人物達が見つかった。又則と恵護だ。
又則はスーツ姿で真剣な表情を浮かべながらバンセイフガクを熱い眼差しで見つめ、恵護はレースに出走する騎手が着込む勝負服に身を包んでいた。
恵護の着る勝負服は、胴が青く袖は緑、柄は胴に黒い襷、腕に黒の三本輪と言ったデザインだった。
『ほー、それ着て俺に乗るってわけか』
へーと興味深そうにしげしげとバンセイフガクが見ていると、恵護が苦笑しながら話しかけて来た。
「これはお前の母さん、バンセイフジの時も綿上さんが着て乗ってたんだぞ。まぁ、馬って言うか馬主さんごとにデザインが違うんだけどな」
『ほほぉ、所で随分とカラフルなヘルメットだな。それも馬主の所属カラーなのか?』
恵護のかぶるヘルメットは身に着けた勝負服とはどうも親和性の無さそうな黄色だった。
それを鼻先でつんつんと突っつくと、意図を察した恵護が肩を落とした。
「あぁこれはその、何て言うかくじ運が悪かったと言うか……まぁ大丈夫、お前なら平気だよ」
『……? なんぞ引っかかる言い方だが、お前がそう言うなら平気だろうよ』
「お前達、そろそろ準備に取り掛かるぞ」
又則の言葉を合図に、恵護や溝峰が作業に入った。
実馬照合に始まり蹄鉄検査、馬体検査、馬体重測定と続き、体重が1083kgという数値を叩きだすと係の人間が思わず目を疑うが、手に取った資料と見比べて問題はないと物凄く不可解な顔で判断を下して作業は続行。
ゼッケンと鞍が取り付けられると、バンセイフガクは溝峰に連れられてまた別の場所へと向かわされた。
行先はパドック(下見所)。ここで一般の来場客へと競走馬のお披露目をするのだ。
バンセイフガクがパドックに入ると、その場がどよめく声で溢れた。
《第3レースサラ3歳新馬戦、芝1200mの出走馬がパドックに回ってきましたが……おっとこれは凄い。8枠10番バンセイフガク、サラブレッドどころか並の重種馬すら越える巨体で馬体重も驚きの1083kg。本当にサラブレッドなのでしょうか?》
溝峰に引かれながらパドックの中を、黒い巨体に驚く他の競走馬とともに回っていくバンセイフガク。
己の肉体には自信があるので、ここは恥ずかしげもなく堂々と、そして悠然と歩いて――
「フガク、後ろが詰まってる。もうちょっと早く歩いてくれ」
『何? もっとせこせこ歩けと? そういうものか』
溝峰に急かされてよく見てみると、自分の前は結構空いてしまい、後ろが詰まり気味になっていたのに気付いてバンセイフガクは足を早めた。
「おいおいあの馬、来る場所間違えてるだろ」
「ここはばんえい競馬じゃねえんだぞ。帯広でそり引いてろよ」
「あのでかさで1200m? 無理無理、何しに来てんの?」
「イロモノ出走で人気とるのも大概にしろー!」
辛辣な言葉を口にする客へバンセイフガクが足を止めて睨みつけると、遠くにいるにもかかわらず眼が合った客が「うっ」と怯んだのを見て鼻息を吹かし、再び歩き出した。
『精々少ない貯蓄を切り崩して当たりもしない馬券に流し込んでおけ』
バンセイフガクはパドック近くに付設されたオッズ板の読み方がまだよく分からなかったが、人間達の会話から大分高め、つまり自分の勝率が低いのだという事が分かった。
どうやら両親の名前や担当している調教師や騎乗する騎手などで評価はあったようだが、馬自体がかなり未知数だったので10番中最低の10番人気となっていた。
体格のデカさや体重の重さで勝率が大分低いと見なされての判断だろうが、バンセイフガクは眼光を益々鋭くさせながら口元をにやりと歯を覗かせる程に歪ませた。
『上等だ。おのれらが偉そうに掲げてる常識をぶち壊してくれるわ』
勝つことを期待されていない。勝てると思えない。「常識的に考えて」。
この競馬場に来た観客達の目から見れば、ばんえい競馬で活躍しそうな巨大な重種馬もどきが中央競馬で走ろうとしているという、バンセイフガクを場違いな存在と見做している。
それがバンセイフガクの闘志の炎に燃料を投下した。
このレース、舐め腐った連中にほえ面かかせてくれるわと。
パドックを回っている内に停止の指示が入り、騎手が乗り込み始めた。
恵護が溝峰の手を借りずに軽々と騎乗すると、バンセイフガクの様子を察して首を撫でながら静かに話しかける。
「フガク、まわりの皆はお前が走れないと思っているらしい。あっと驚かせてやろう」
『今回は安い賞金だろうが、いずれでかい賞金の分け前をくれてやるから楽しみにしていろ』
一人と一頭が本馬場へと入場する。
芝を踏みしめながら、バンセイフガクが首をゴキゴキと鳴らして悠々とゲートへ向かう。
本来は返し馬と言うゲートへ向かうまで軽く走り込む準備運動をここで行うのだが、バンセイフガクは敢えてそれをしなかった。
恵護が軽く走るよう指示を出しても何故か一向に走り出す気配を見せない様子に最初は首をかしげるが、バンセイフガクの意図を何となく察して苦笑しながら首筋を撫でて好きにさせた。
他の競走馬達が待機所まで駆ける中、一頭だけ歩いて向かうバンセイフガクの姿を見た観客達はやっぱり駄目だ、いわんこっちゃないと言わんばかりの顔を浮かべ、あるものは鼻で笑った。
やはりあの馬は走れない。両親がいかに名馬であろうと生まれる仔馬まで名馬であるとは限らないのだ。
今回のレースは、そんな一例を体現するものになると、誰もが思っていた。
「とはいえ、これで負けたら親父達から何言われるか……フガク、頼むぞ」
『むしろおっさんどもが泣いてキスしてくるようにしてやる』
待機所で集合時間まで待ち、その後合図がかけられ競走馬達がゲートに入っていく。バンセイフガクが最後に自分の枠へと入って行った。
場所は一番外側。他の馬と比べて二回り以上の巨体なので、入るとかなりギリギリだ。
「ん? うおっ、危なっ!?」
『……ちょいと育ちが良すぎたかな?』
恵護がゲート上部分の枠にぶつかりそうになり、慌てて頭を下げる。恵護も騎手としては高身長のため、体を少し低くしないといけなかった。
鞍下のバンセイフガクもゲートに触れないように進むと入り切ったのを確認して係員が背後の扉を閉じる。
《中山競馬第3レース新馬競走10頭立ての枠入りが終わりまして――スタートしました》
一斉にゲートが開き、新馬達が一斉に駆け出した。
《おっと、ばらついたスタートの中10番バンセイフガクが飛び出して、一気に先頭へ躍り出ました》
そんな中を、まるで押し出されるかのように他の馬達より巨大な黒い馬が端をきった。バンセイフガクだ。
先頭に立ったままバンセイフガクはぐんぐんと加速して、2番手の馬との距離を離して道中の下り坂を駆けて行く。
その走りを見て、観客や競馬関係者達は目を疑った。異様なほどに大きなストライドだったのだ。
一度の踏み込みで離れた脚が、再び地面に着くまでの間が、明らかに並の馬の2、3倍はあるという異常な滞空距離。
巨体故、歩幅が大きいという理屈もあるのだろうが、そもそも1tを越える馬があんな走りを出来るのか。
更に、脚が地に着いてから再び大地を蹴るまでの脚の回転速度もまた速い。まるでスプリンター並だ。
バンセイフガクは飛んでいた。
暗黒の巨馬が、中山の芝を這うように低く、鋭く飛ぶように駆けて行く。
第3コーナーから第4コーナーにかけて緩やかなカーブがあるコースをバンセイフガクは初手の速度を保ったまま進み、走るフォームも崩れずに、ついに一頭だけ先行して最後の直線へ到達した。
《バンセイフガク落ちない、全く落ちない! 2番手を大きく引き離して突き進む! その差はもはや大差としか言いようがありません!?》
後続の馬達をはるか後方へと追いやり、途中高低差2.2mの上がり坂をバンセイフガクは持ち前の馬力で平地を走るように駆け上る。
登り切ったコースは残り200m、バンセイフガクは既にゴール板を視界に捉えていた。そして――
《逃げ切りましたゴールイン! 1着は黒い巨体のバンセイフガク、圧倒的大差での勝利でした! この中山の坂をあの巨体でものともせず上る様はもはや圧巻の一言!》
観客の誰もが驚き、唖然とした様子でそのレースを見ていた。パドックで野次を飛ばしていた者達は、手に持った馬券を取り落として腰を抜かしている者もいた。
あり得るか、あの巨体で。
信じられるか、あの速さ。
スタートしてからゴールまで、他の馬達の走りを千切り捨ててみせた、自分達の目を疑うような記録を、あの巨大な馬が為し得たと言う事を。
《なんと! タイムが出ましたがレコード! 中山競馬場3歳芝1200のレコードです! その数字は驚きの1分6秒5!! 信じられませんバンセイフガク、1tを越える超重量級とは思えないスピードで中山の1200mを新記録で更新しました!》
そして電光掲示板に表示されるタイムに人々がどよめく中、バンセイフガクは息も切らさずに悠々と歩き、電光掲示板に記録されたタイムをちらりと見ながら検量室まで向かって行った。
その最中、鞍上の恵護が疲労で息を荒くしながらもバンセイフガクを労わるようにその首筋を撫でてきた。
「……やっぱり、お前は強い競走馬だったなフガク。ありがとう」
『なんの、まだまだ序の口。これからよ』
検量室前まで近づくと、溝峰がバンセイフガクの綱を引きにやって来た。その顔は満面の笑みを浮かべている。
「目も覚めるような大勝利だったな!」
「フガクが凄いんですよ。ほんと、凄い奴なんですこいつ」
「そのフガクを手懐けて走れる恵護君も十分凄いよ。胸を張るんだ、この後待ってる表彰式で情けない態度をしてたら、フガクに呆れられてしまうぞ」
「あはは……検量、行ってきますね」
恵護はバンセイフガクの馬具を外すと、ゼッケンと鞍を持って検量に向かって行った。
それを見送った溝峰が、バンセイフガクの綱を引きながら話しかけてくる。
「さ、お前もこの後採尿せにゃならんから行こうか」
『ドーピング検査か。俺もすっかりアスリートだな』
グオォォンと唸るような声を鳴らしながら、やる事が人間のスポーツマンと変わらんなぁと感じるバンセイフガクだが、まずは1勝目と脳内で記念すべき最初の勝利数をカウントした。
(ここからだ、ここからこのバンセイフガクの挑戦が始まるのだ)
馬へ転生を遂げた男の、競走馬としての大いなる第一歩が踏みだされた。
目指すは偉大なる功績を打ち立てた母を越え、世界にその力を示す事。
その手始めに、日本競馬の栄光を全て我がものとしてくれよう。
暗闇のようにどす黒い馬体の中で照り返る刃の様に強く光る眼光が、今はまだ遠い場所を見据えていた。
衝撃の新馬戦の後、レース後のコメントを求められ舞田恵護はこう語った。
「バンセイフガクが強いのは入厩して最初の調教で分かっていました。勝つべくして勝つ、という言葉を体現したような馬です。今後もバンセイフガクと共に勝利を分かち合っていけるように頑張っていきます」
その夜。
居酒屋の個室で調教師舞田又則と馬主の万世楽之助が祝杯をあげていた。
「う、ううぅぅ……フガクの奴がやりよったわぁ……!」
「ああ、まずは1勝、しかもレコード更新。出だしとしてはこの上ないくらい絶好調だ」
楽之助は滝のように涙と鼻水を流しながら酒をあおる様を、又則が苦笑しつつも今回の勝利を噛み締めていた。
バンセイフガクのポテンシャルは調教時に可能な限り把握はしているが、レースに絶対は存在しない。なので又則はレースが始まるまで緊張していた面持ちでバンセイフガクと恵護のコンビを見守っていた。
しかしどうだ、終わってみれば凄まじいタイムを刻んでのレコード勝ち。
居並ぶ新馬達を千切り捨て、ゴール版を越える姿には思わず又則は胸をなで下ろした。楽之助は馬主席で感動のあまり泣き崩れた模様。
だが、まだ喜ぶのは早い。これからバンセイフガクの前には、越えねばならぬ幾多のレースが待ち構えているのだ。
それら全てに打ち勝って、無敗の七冠馬である母を越えたその先にこそ、又則達が目指している場所がある。
お店の人の好意で用意してくれたティッシュを大量に消費してようやく落ち着いた楽之助が、いつもつけているサングラスを外してしょぼしょぼした目で又則へ今後の予定を確認してくる。
「あ゛ー……又さん、フガクの次のレースは今月末だったっけ?」
「ああ、オープンレースの芙蓉特別、距離は1600。それで勝ったら次は11月の府中3歳ステークス、最後は12月の朝日杯3歳ステークス。これが今年のスケジュールだ」
府中3歳ステークスは3歳馬限定のオープン特別競走で、これに勝利すれば当代関東最強の3歳馬を決めるための朝日杯3歳ステークスへの優先出走権が与えられる。
それは3歳競走馬にとって最高級の栄誉であり、かつてバンセイフジも朝日杯3歳ステークスを優勝して当時の関東最強の3歳馬に君臨したのである。
加えて、今年度から朝日杯の方はグレード制が導入される事で最高位G1クラスと格付けされる事になっている。バンセイフガクにとっては挑まない訳にはいかない最初の大レースなのだ。
「フガクの調子次第だが、問題ないならそれで頼むよ。又さん達から見てどうだった?」
「ちょっと汗をかいている位でそれ以外は元気なものさ。一応獣医に診させるけど、あの様子なら大丈夫だろう」
「なら、心配はなさそうだ。又さんの眼は確かだからな。ククク、抜群に強いうえにタフときた。ますますもって惚れ直した」
ヤクザも挨拶をして道を空けそうな極悪顔のスキンヘッドの凄い笑みを見て、又則は肩をすくめながら自分も酒をあおって、今はバンセイフガクの勝利を素直に喜ぶ事にした。
本文で登場した坂路ですが、とある影響でバタフライエフェクト起こして設置された時期が正史よりも早くなってます。理由は後ほど本編で明かします。
調教内容にプールをいれようと思ったら、主人公のいる時代にはまだ美浦トレセンにはプールが設置されていないんですね。何でも1991年に作られたのだとか。
主人公のいる時代は1980年代、あの頃の調教ってどんな感じだったんでしょう。
ネットで調べて分かる一日の調教メニューって現代のものしかまだ見つかってないので「こんな感じなのかな?」って感じで調教内容を書いてます。
ミスターシービー、当作品ですと両親からの遺伝の仕方が変わって快速の逃げ馬野郎になりました。走り方とかは父トウショウボーイを参考にしてます。
コンセプトは「もしミスターシービーがトウショウボーイと同じ脚質に仕上がったら?」って感じです。
勝負服はネットにあったツールで作成したもので描写しました。デザインはクリフジとトキノミノルとシンザンを足しで3で割った感じです。セントライトは入れる余地がどうしても思いつきませんでした……。強いて言えば胴が青いくらいでしょうか。
勝負服にもデザインする際ルールが色々あるんですね。作品を書くために調べていく内に初めて知りました。
あと競馬のレースの一連の流れとかネットで動画とかを見ながら調べてますが、こんな感じで良いのかな。