いざ、神の山がまかり通る   作:ニンジンデース

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第9走 一等星との初対決 芙蓉特別

 新馬戦でレコード勝ちしてから二日後の早朝、バンセイフガクは数日振りの調教を行うべく恵護を乗せて調教コースへと向かっていた。

 

 レース後の翌日は担当の獣医師が来て脚を中心に色々と診察してきた。何分、1t越えのバンセイフガクがレコード記録を刻む程の速さで走った事への影響を厩舎の人達が案じての措置である。

 診察の結果、別段脚に負担がかかっていない事が判明、あまりに負担がかかっていない事に「本当にレースで走ってたのですか? しかもレコード記録並みの速さで?」と獣医師も自分の診断に半信半疑で何度も確認をしていたほどだ。

 

 何の問題もないと分かったその日を丸ごとバンセイフガクの休日にし、その翌日から再び次のレースに向けての調教を始めた。

 

 その重量に違わぬ重い蹄鉄の足音を鳴らしながら道を進むバンセイフガクの回りにはぽっかりと小さな空間が出来上がっている。

 他にも調教コースへ向かう馬達が、バンセイフガクに及び腰で近寄ろうとしないのだ。鞍上の騎手達が指示を出しても近づこうとしない。

 そんな光景を鞍上から見ている恵護が、少し気の毒そうにバンセイフガクへ話しかけて来た。

 

「……相変わらずお前の周りに馬は来ないな」

 

(レースに支障が出ないのなら別に構わん)

 

 もとよりバンセイフガクはレースに集中できれば後は一頭で静かに過ごしていても何ら問題は無かった。此処には仲良しこよしをやりに来たわけではないのだから。

 

 だが、それでも例外は存在する。

 バンセイフガクへ近づく蹄の音が聞こえて来た。

 

『ようバンセイフガク、良い朝だな』

 

 バンセイフガクと同じ舞田厩舎所属の品のある美麗な黒鹿毛の牡馬。

 しかしてその実態は、無敗三冠を獲り、今もなお無敗で5冠へと至って日本競馬史上最強の競走馬となったミスターシービーだ。

 他の馬達が臆する中で、何の気負いもなく気安げに近づいて話しかけて来るのに気が付いて、バンセイフガクが内心少し溜息が出た。

 鞍上の恵護は近付いて来るミスターシービーとその鞍上の騎手を見た。

 

「綿上さん、シービーですか?」

 

「あぁ、どうもシービーはフガクに興味があるみたいでな」

 

「近くにいるといつもそんな感じですよね」

 

「競走馬として思う所があるのかもな。他の馬が相手だと興味なさそうか不機嫌そうにしているのに」

 

 鞍上の人間達が会話をする中で、その下で二頭の馬も会話をしていた。

 隣に並んだ自分より二回り以上小さいミスターシービーを、バンセイフガクがちらりと目線を下ろして答える事にした。

 

『……ミスターシービー、何の用だ?』

 

 初めて会った時から、どうにもこの黒鹿毛の馬は近くにいるとバンセイフガクに絡んできていた。

 喧嘩を売ってきたりしているわけではなく、純粋に好奇心で構ってくるのでバンセイフガクも邪険に扱いきれなくて対応に困らされた。

 

『この間レースに勝ったらしいじゃないか。この季節とお前の歳的に……新馬戦って所かな?』

 

 馬なので人間の言葉をちゃんと理解出来ない代わりに、少ない情報からバンセイフガクに新馬戦があった事を見破ったミスターシービーに感心しつつも、バンセイフガクは大した事じゃないと返した。

 

『……初戦を勝っただけだ。あんたみたいに、まだ三冠も手に入れていない』

 

『ほー? “まだ”って言うあたり、やはり三冠馬を目指すか』

 

 ブシュウウゥっとバンセイフガクが蒸気のように鼻息を鳴らしながら肯定する。

 

『無論だ。父母の功績を越えずして何が血統持ちか』

 

『……親父も確か三冠馬だっけか。豪気な血筋をお持ちだ事で』

 

 ブルルルと鼻を鳴らしてお道化た様子でいるミスターシービーへ、バンセイフガクはぎらりと眼光を向けた。

 

『俺の事よりも、自分の事を気にしておくんだな。あんたに勝とうって競走馬はわんさといるだろうよ』

 

『ふん、その程度で俺が負けるとでも思ってるのか』

 

 ミスターシービーが鼻で笑って切って捨てた。

 それだけ自分と言う競走馬の能力に対する自信と自負があることが伺える。

 実際、ミスターシービーは現在全てのレースを無敗で勝ち続けている。これはバンセイフジに続く無敗の7冠馬の誕生か? と期待を寄せられているほどだ。

 飛ぶように駆けて逃げ、背後からの追手の全てを振り切って勝利へ独走する天馬の後継者。クラシック三冠を手にし、ジャパンカップで海外からの刺客を迎え撃ち、中央競馬の一年を締めくくる有馬記念で勝って見せた。

 現役無敗の五冠馬。それだけでも競馬界では凄まじい功績だ。しかし、当馬はそれだけで満足していなかった。

 当馬、ミスターシービーは綺麗な瞳を鋭く細めながらバンセイフガクを見上げて野心に燃えている。

 

『見ていろ、俺はお前の母が打ち立てた栄光を越えてやる』

 

『……無敗七冠の先に行く気か』

 

 それはもう、前馬未到の大偉業。日本競馬界に神話が生まれるレベルの話である。

 かつて無敗で全てを薙ぎ払った無敵の女傑、バンセイフジが次の世代を産むべく引退した時、それを惜しんだファンも多くいた。

 もし現役でいたなら、海外遠征が計画されていたら、そんなもしもを夢想を人々は胸に浮かべてしまうのだ。

 そして今、それに手が届きそうな競走馬が現れたのだ。

 

 そんな伝説の中を駆ける馬を前に、今まで仏頂面だったバンセイフガクの口の端が吊り上がった。

 

『結構な事だ。俺と競(や)るまで勝ち続けておくんだな。その方が倒し甲斐がある』

 

『はっ! ほざくじゃないか、クソ生意気な3歳馬の小僧め』

 

 バンセイフガクは現在3歳、対するミスターシービーは5歳。もしレースで当たるとしたら、最低でも1年後の4歳以上が出走条件のレースになる。

 しかも、ただのレースではない。バンセイフガクは、そしてミスターシービーも、最高位のレースで互いにこの馬を捻り潰してやると考えているのだ。

 

『だったら、お前も勝ち進んで来いよ。お前の歳なら最高位のレースは朝日杯か? あそこで負ける様じゃお話にならんぜ』

 

『言われんでも今年全部勝った後に、来年三冠馬獲って挑んでやるからちょっと待ってろ』

 

『口の減らん奴だ』

 

 不機嫌そうなセリフだが、言っているミスターシービーは上機嫌だった。 

 

『ま、期待しないで待っておくぜ、じゃあな』

 

 調教コースが近付いて、鞍上の人間達が別れを告げて別々のコースへと向かう最中にミスターシービーがそう言って別れて行った。

 意外と話し込んでしまったな、と相手のペースに乗せられた事が何となく癪で、バンセイフガクは苛立たしげに鼻息を吹いた。

 

「なぁフガク、お前とミスターシービーって仲がいいのか?」

 

『…………さぁ、な』

 

 バンセイフガクとしては仲良くする気なんて毛頭ないのだ。ないのだが、向こうはこっちが嫌そうにしてもずけずけと絡んでくるから否応なしに対応せざるを得ないのだ。

 不思議そうに声をかけてくる自分の主戦騎手へ、バンセイフガクが首を曲げて目を合わせ、一際大きな鼻息を吐くと、何となく察した恵護はははっと苦笑いを浮かべてそれ以上は言わなかった。

 

 バンセイフガクは来たる次のレースに向けて調教をこなすべく、自分が走る調教コースへと向かって行った。

 

 

 

 

「どうだ恵護、フガクの調子は」

 

「どこも問題はないですよテキ。今朝走らせてみても、新馬戦前と全く変わらない調子でした」

 

 バンセイフガクの調教が終わり、厩舎で調教師の父又則へ恵護が報告している最中。又則はまず、バンセイフガクの体調を案じていた。

 スタンドから見てはいたものの、直接騎乗していた恵護からの所感を聞いて、又則はようやく安堵のため息をついた。

 

「そうか……脚の方は平気とみて良さそうだな」

 

「1t越えてる体であの速さですからね。普通なら脚の負担とかを考えると凄く怖いですけど、そこはフガクの頑丈さでビクともしませんね。ほんと、あいつの骨とかって何で出来てるんでしょう?」

 

「ありゃ本当に金属か何かで出来ているかもしれませんよテキ」

 

 その場に同席している担当厩務員の溝峰が乾いた笑いを浮かべていた。

 

「今度のレースは1600m、調教の様子を見る限りではスタミナに問題はない筈だ。新馬戦の時と同じように逃げで行こうと思うが恵護、やれそうか?」

 

「それで良いと思います。あんな体格ですが、能力的にフガクは逃げ馬の戦法が適してます。まぁ、逃げと言うより単に速いから自然と先頭を走ってるだけなのかもしれませんけどね」

 

 競馬で走る競走馬の走法は大きく分けて4つある。

 レース序盤は後方に控え、終盤直線で一気に抜き去る「追込み」

 レース前半は馬群の中団あるいは後方を走り、最終コーナー付近で加速、ゴール前で馬達を全て抜いて行く「差し」

 レース開始から最先頭からやや後方の位置を取って走り、直線コースで抜く「先行」

 そして、レース開始から馬群の先頭を走り、最後まで先頭を譲らずにゴールする「逃げ」

 

 新馬戦で後続の馬を26馬身も突き放してゴールしたバンセイフガクの走りは逃げ、それも大逃げに該当する。

 他にも、舞田厩舎が担当している競走馬では現在はミスターシービーも逃げ馬であり、かつてはバンセイフガクの母バンセイフジも逃げや大逃げで他の馬達を千切り捨てていた。

 

「いつもながらテキの厩舎って逃げ馬と縁がありますねぇ。フジの前はミスターシービーの母親とかも担当してましたし、その縁でミスターシービーも任されましたし。テキが開業して一番最初に管理した馬も逃げ馬の産駒で、見事な逃げ馬になりましたものね」

 

 付き合いの長い溝峰にそう言われる調教師舞田又則、かつて夢見た叔父のような騎手になる事を諦めてから、調教師となってその叔父が乗っていたクリフジのような馬を手掛けたいという夢を見つけて今も邁進中の54歳。もっとも、目標のクリフジは逃げ馬ではないのだが、そこは又則の才能ゆえ仕方なし。

 そんなクリフジを目指して又則なりに思考錯誤した結果、活躍した馬の多くが逃げ馬としてレースを駆け抜けて行ったのだ。

 バンセイフジ以前の頃から重賞、八大競走優勝馬を輩出してきたその腕の確かさで、いつしか「逃げ馬職人」や「逃げ馬調教の鬼」と呼ばれ競馬界で名が通るようになっていったのである。

 

「……馬が応えてくれて、騎手が良い仕事をしてくれた。それだけだ」 

 

 又則は一瞬遠い目をして過去に思いをはせたが、「そんな事より」と話を次のレースのに戻した。

 

「次のレースまでにフガクには1600mの感覚を覚えさせていく。いくらフガクの能力が高かろうが、調整する人間達が足を引っ張る様な事だけは絶対に出来ん。油断はするな、着実に勝っていくぞ」

 

 

 

 

 そして来たる9月29日土曜。バンセイフガク2回目のレースの日だ。

 天気は良好、風清く、本日は絶好のレース日和である。

 レース名は芙蓉特別、距離は1600mと前回よりも400m長い距離を走る事になる3歳限定オープン特別レースだ。

 

 前回のレースで大体の要領を得たバンセイフガクは慣れた様子で厩舎から馬運車で中山競馬場へ、到着したら待機馬房で、そこから溝峰に引かれて装鞍所へと向かう。

 

「いよいよオープン戦か、頑張れよフガク」

 

『どっしり構えて見ておきな』

 

 溝峰は緊張した様子でバンセイフガクへと語り掛けてきた。

 何せ自分の所の厩舎が誇り、調教師と馬主がご執心の最強牝馬の仔のレースなのだ。気が引き締まらずにはいられない。

 新馬戦は圧勝だった。しかし次は大丈夫か? 初戦で勝って、次走で惨敗するケースは多くあるし、舞田厩舎でもそういうレースはあった。だからこそ、いつもレースに自分達が鍛え、育て上げた馬達を送り出すときは不安と期待が入り混じる。

 そんな溝峰の雰囲気を察してか、バンセイフガクは口の端を少しだけ上げて見せた。

 

 

 鞍上に恵護を乗せて本馬場へと姿を現す。

 バンセイフガクの姿を見た観客一同がざわめきだした。

 実況は声が同じなので新馬戦の時と同じ人の様だ。

 

《出ました1枠1番、本当にサラブレッドかと言わんばかりの巨体はバンセイフガク。新馬戦1200mでは信じられないレコードを叩きだして圧倒的勝利をおさめましたその体重、前回と変わらず1083kgですが、それでも競馬史上かつてない馬体重です》

 

「あの馬鹿でかい図体で1200をレコードでぶっちぎれるのかぁ。こりゃ凄いものが見れるかも」

 

「だが今回は1600m、あの馬体でそこまでスタミナと脚が持つのか……?」

 

「……母親はあのバンセイフジだ。あの馬も最初は短距離専門かと言われていたが、八大競走を7つ千切り捨てた化物だった。もしかしたら……」

 

《しかしその血統は紛う事なき本物。母は無敗七冠に上り詰めた最強牝馬バンセイフジ、父はあの2代目三冠馬シンザンと凄まじい血筋の持ち主、どこに出ても恥ずかしくない血統を持つサラブレッドであります》

 

 新馬戦の活躍を見た観客はもしかしたら……? という期待と、あれは好条件が重なったフロック(まぐれ)ではと疑念を持つ者がいたりと、未だバンセイフガクの力量を測りきれていない様子だ。

 そんな考えが反映されてか、今回のバンセイフガクの人気は10頭中7番。

 

 そして、本レースの1番人気があった馬が誰なのかはすぐに分かった。聞き覚えのある馬だったのだ。

 

《2枠4番、シリウスシンボリ。デビュー戦をこの中山の1600mで快勝し、このオープン競走でもその実力を発揮出来ますでしょうか。1番人気であります》 

 

(あのチンピラが1600を1着か)

 

 バンセイフガクの中では未だに素行不良のチンピラという印象でしかない馬だが、能力はあるらしい事は今の実況をバンセイフガクの図抜けた聴力で聞いて理解できた。

 本馬場へ姿を現したシリウスシンボリはバンセイフガクの姿を視界に映すと、耳を後ろへしぼり、凄まじい眼力で睨みつけてくるのに恵護が気付いた。

 

「……パドックの時もだけど、何でこっちを睨みつけてくるんだ?」

 

(ドチンピラめ、一々因縁つけてきやがって)

 

 当のバンセイフガクはシカトを決め込んで、それを見たシリウスシンボリは鹿毛の馬体をわなわなと震わせながらも同じように芝へと歩を進めて行く最中、鞍上の騎手がシリウスシンボリの様子を察して宥めていた。

 

 他の競走馬達に混じってバンセイフガクも今回は返し馬をする。

 バンセイフガクが芝を駆けると観客席からおぉっとどよめき声とも歓声とも聞こえる声が響く。「何だあの馬は……」と競馬関係者が目を見開いてそう溢す。

 並の重種馬を優に超える1t超の巨体でありながら、走る姿の軽やかさに、場内全ての人間達の目が釘づけにされた。

 

 ひと通りのウォーミングアップを済ませると、バンセイフガクは待機所へ向かい、静かに目を閉じて集合時間まで待ち、時間になってゲートへ向かうと、声がかけられる。

 

『おい』

 

 明らかに不機嫌な声をかけるのはシリウスシンボリ。

 歯をむき出しにして威嚇するように唸る様を、バンセイフガクは顔どころか目も向けずに鼻を鳴らした。

 

『……レースに出れる程度には躾けられたようだな。調教師達に感謝しておけ』

 

『あ゛ぁ゛……ッ!?  て、てめえ、偉そうな態度もここで終わりにしてやる!』

 

 シリウスシンボリが今まで抑えていた激情をぶちまけるように吠える。鞍上の騎手や係員達が鎮めにかかるも、その怒りに燃える眼はバンセイフガクを離さない。

 

『いいか! ここでどちらが上か思い知らせてやる! てめえ如き、このシリウスシンボリの敵じゃない事を教えてやるッ!』

 

 対するバンセイフガクは冷ややかな目を一瞬向けるだけで、すぐに視線を切ってゲートに入って行った。

 

 一部の馬が荒れるトラブルが起きたが、何とか全頭ゲートへ納まった。

 芙蓉特別の始まりだ。

 

 

 

《中山競馬第4レース芙蓉特別競走、ゲートが開いてスタートが切られました。飛び出すように端を切るのはバンセイフガク》

 

 ゲートから走り出した馬達が馬群を形成して行く中で、バンセイフガク一頭だけが先頭へと駆け抜けだした。

 スタート地点の第1コーナーのポケットからすぐ先にある第2コーナーを抜けて下り坂を加速していく。

 

《縦にばらけていく馬群から5馬身……8馬身とぐんぐん距離を離しますバンセイフガク、大きく離れて続くのはジープスケート》

 

 向こう正面の中間点を過ぎて右へと第3コーナーをカーブするバンセイフガク。

 既に後続を大きく引き離して第4コーナーへと差し掛かった。

 

『野郎! 待てコラアアァァァ!!』

 

《ここでシリウスシンボリが出ました! ジープスケートを抜いてバンセイフガクの黒い巨体へ迫らんと前に出ます!》

 

 シリウスシンボリが馬群から飛び出して、バンセイフガクへと猛追を始めたのだ。

 怒りと必死の形相で脚を回し、騎手の鞭が入ってバンセイフガクへ追い付かんと走る。

 

《シリウスシンボリ、バンセイフガクとの距離をじわじわと詰めましたが……あっとここで止まりました!》

 

『なぁ……ッ!?』

 

 だが、それ以上の差が縮まらなかった。

 シリウスシンボリは目を見開いてその背を追う中、バンセイフガクが直線に入った。

 

《さあバンセイフガクだけがラスト直線に入りました! 後ろからは誰も来ず、途中の急坂すら難なく越えまして、悠々と一人旅を満喫して……ゴールイン!!》

 

 ゴール板を越えていくらか離れたところでバンセイフガクは足を止めて振り返る。

 後続の馬達も次々とゴール板を越えるのを見て、とある馬の所へ歩み寄る。

 息を荒くし、全身から夥しい量の汗を流して疲労困憊のシリウスシンボリだ。

 

 バンセイフガクが近付いて来るのに気付くと、ギリッと歯を噛み締めながら睨みつけてくる。

 そんな様子を気にもせず、バンセイフガクはシリウスシンボリの前まで近づいた。

 

『どちらが上か教える、などと抜かしておったな』

 

 バンセイフガクは何処までも冷めた眼差しで自分に喧嘩を売り付けた鹿毛の馬を見下ろした。

 

『誰が上か、この場で言ってみろ』

 

 冷淡に、バンセイフガクが吐き捨てるように言う。

 

『言ってみろ。このレースで、1着を取ったのは誰で、2着になったのはどこの馬かをな』

 

 一言一言、語気を強めて相手に教え込む様に話すバンセイフガクの眼は何処までも冷たく鹿毛の馬を見下ろしていた。

 

『ぐ……う……』

 

 シリウスシンボリが、バンセイフガクの気配に圧されるようにその場から後ろへ後退してしまう。

 それを見た黒い巨馬の眼が怒りに歪んだ。

 

『お前……今、後ずさったのか?』

 

 一歩後ずさるシリウスシンボリへバンセイフガクが一歩大きく踏み出した。

 耳を後ろへ絞り、歯を剥き出しにして、四白眼を血走らせるほどの怒りが込み上げているのは誰の目にも明らかだった。

 

「駄目だフガク、止まるんだ!」

 

 怒るバンセイフガクの様子に恵護が止めに入るが、手綱で引こうとしてもビクともしない。

 

『お前みたいな腑抜け野郎が、俺と勝負などふざけるのも大概にしろ……ッ』

 

 二頭の異様な様子を遠くで見ていた係員達も気付いて動き出してきている。

 鼻先まで近づいたバンセイフガクに、びくっとシリウスシンボリの馬体がはねた。

 

 それを見たバンセイフガクは、鼻息を吐くと一気に熱の冷めた眼をしながら芝のコースを去って行った。その際、恵護がシリウスシンボリの騎手へ謝罪をして。

 一頭残されたシリウスシンボリは、歯を食いしばりながら俯いて、その場から係員達の誘導が来るまでしばらく動く事はなかった。

 

《1番バンセイフガク、このレースでも中山競馬場の3歳芝1600でレコードを出しました! タイムは1分33秒1! 驚くべき強さです! このまま3歳王者へまっしぐらか!?》

 

 驚嘆と歓声で中山競馬場が揺れる中、バンセイフガクの2戦目は勝利で終わった。ただ一頭の心に、深い傷を残したまま。




※この時シリウスシンボリのタイムは1:34.6

何度かご指摘いただいたのですが、この作品では主人公が存在している影響でミホシンザンの誕生年がいくらかずれております。
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