混沌王がアマラ深界から来るそうですよ?   作:星華

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NO! ウサギは呼んでません!
人修羅が箱庭に送り込まれたようですよ?


──紅い。

 

 鮮血のような紅色。液体と呼ぶには濃厚で、個体と呼ぶには流れるほどの粘度である、血液のような濁流が壁を伝いどろどろと落ちて行き、やがて底に溜まる。まるで井戸のような巨大な円筒状のその空間には、多くの存在の気配があった。

 

──あるいは魔獣。

 

──あるいは龍神。

 

──あるいは魔王。

 

 内壁のあちこちにある歪んだ梯子窓の内側から、数多の神魔が中を覗き込んでいた。その内の一体ですら数々の国を、あるいは星を支配出来るほどの強大な存在である。そんなあらゆるものを超越した存在が、何故雁首揃えて観客に徹するのか?

 

 紅き水面より僅か上空に、奇妙な一室があった。

 

 一見すれば品の良い上流階級の私室である。中央には暖炉が燃え、雄羊の剥製が飾り立てられている。本棚に収められた一見して分かるほどの希少本、並べ、飾られた写真や絵画、芸術品の数々。

 

 だがそれは、ただの舞台装置でしかなかった。観客が見ているのはただ一人──いや、二人。

 

 一人は、古めかしい車椅子に身を預ける老紳士。完璧に手入れされた長い金髪と、品の良い白いスーツが貴族のような威厳を表している。一見すると歩けぬほど衰え、その年齢を表すかのように多くの皺が刻み込まれた老人だが、鋭く力強い視線と真一文字に結ばれ動かぬ口元が、ただならぬ存在だと主張している。

 

 もう一人は喪服を纏った淑女──ではない。彼女もまた、舞台装置の一つに過ぎなかった。一歩下がり、手を組んで微動だにせず、背景に徹している。

 

 そして、その場にはもう一人居た。

 

 一見すると成人に達していないような少年である。頂点が尖ったような短髪と、どこか中性的な面立ちが更に彼を若く見せている。だが、その身は異様の一言だった。全身に黒の刺青が施され、その縁を翠色のラインが彩り、爛々と光っている。うなじには黒色の角も生えている。上半身には何も着ておらず、墨色のハーフパンツを穿き、青いアクセントがある黒のスニーカーを履いている。そして、その瞳に灯るのは──紅。何の感情も灯っていない、その色とは裏腹に温度の感じられない紅色。この紅い異様な空間も、周囲の超越者たる観客たちも、目の前の老紳士の事も、些事としてただ瞳に写すのみ。

 

 そして、それも当然のことだった。何故なら彼は王。暗黒の天使によって生み出されし最も新しく、そして強大なる悪魔。

 

──混沌王。

 

 全ての悪魔を統べる、黒の希望なのだから。

 

    *

 

 部屋の中央で、老紳士と混沌王が向かい合って座っている。一人は威厳を纏いて車椅子に。もう一人はただ自然体で高級感のある椅子に腰掛けていた。暫し象牙色の杖を弄んでいた老紳士だったが、ゆっくりと話し始める。

 

「……我らの敵へ挑んでから幾多の戦いが過ぎた。多くの神霊を蹴散らし、我らの力を底上げし、我らを率いて奴らの力を削いで行った。お前は我らが期待していたとおり──いや、期待していた以上の戦果を上げてくれた」

 

 しかし、言葉とは裏腹に憂いるような表情で目を閉じる。

 

「だが、今や我らと敵の間に『滅び』が置かれた。あれは単純な力で退けられるような容易いものではない。お前はこれまでに多大な成長を遂げ、更に今だ成長しつつあり、いずれ我ら全てを超える力を手にするだろう。しかし──それは今ではないし、『滅び』を抑えられる保証は無い」

 

 その言葉を受けても、混沌王はただ無表情に聞いているだけだった。老紳士は薄く目を開け、車椅子の手すりで頬杖を着く。

 

「我らが一丸となれば『滅び』を乗り越えることはできるだろう。しかし、その後我らの敵と戦う余力が残っているかどうかは怪しいものだ。この私ですらあの存在は未知なるもの。脅威であるもの。私にとってのお前のようなものかもしれないな」

 

 ふ、と現状を鼻で笑う。大見得切って動き出した己に、敵に叶わぬ己たちの宿命に、皮肉たっぷりに嘲笑う。それでも、その笑みには余裕が感じられた。この程度は窮地でもなんでもないと、越えられる程度の難題に過ぎぬと威厳たっぷりに佇んでいる。

 

「だが、策が無いわけではない。既に幾つかの手をうち、『滅び』を退けるため動き出している。そして──今日呼び出したのは他でも無い、最後の策を実行するため」

 

 老紳士は背景に徹していた淑女に視線を移す。それを受けた淑女はゆっくりと頷き、混沌王の前に進み出て一つの封書を手渡した。奇妙なことに宛名が抜けており、『    殿へ』とだけ書かれている。

 

「アマラの狭間に漂っていた手紙です。中にはある世界への転移術式が込められています」

 

 混沌王が封を開くと、術式が起動する──事はなかった。起動条件に合わなかったこともあるが、悪魔の頂点たる混沌王を召喚するには、あまりにも弱すぎる力しか込められていなかったのだ。

 

「恐らく力ある霊──それも人間に限って──を呼び出すためのものでしょう。その目的までは不明ですが、〝箱庭の世界〟と呼ばれる地への招待状のようです」

 

 その言葉を受けて、手紙に落としていた視線を上げて老紳士を見据える──その策とやらを理解して。その視線を受けた老紳士はにやりと笑って頷いた。

 

「そう、お前にはその世界へと行ってもらおう」

 

 その老紳士の背後に移動し、淑女は説明を続ける。

 

「〝箱庭の世界〟とはこのアマラ宇宙の中でも特異なる世界。あらゆる可能性の収束点なのです。そこでは歴史や役割、信仰が強い力を与えます。魔界にも見られないような、人々の思想、感情、願いから生まれた悪魔が多く存在し、そして単純な力としては測れない特異な能力も併せ持っているのです」

 

「その悪魔たちの中に、現状の打破の助けとなる者がいるかも知れぬ。あるいはお前自身がそれらを学び、身に付けてもいいだろう。方法は任せる。期限も無い。お前さえ良ければその世界が滅ぶまで居ても構わん」

 

 そして、老紳士は杖を混沌王に突き付ける。命ずるかのように、願うかのように。

 

「──見定めよ。大いなる意思に刃向かえるような強き霊を見出すのだ。それはその世界の何者かもしれんし、お前自身かもしれん。お前は既に我らの希望だが、お前自身の希望をその霊に見出すがいい」

 

 そうして、ようやく混沌王は頷いた。何事もなく、軽い頼みを引き受けるかのように、ただ無表情に、自然体で、その命令を──あるいは願いを聞いた。それを見て老紳士は頷くと、淑女が口を開く。

 

「〝箱庭の世界〟は広大ですが、あなた様がそのまま降臨されるには些か脆弱な世界。力を絞った分霊をお作りになるのが宜しいかと」

 

 それを聞いた混沌王は目を閉じ、集中し始めた。

 

 全身の翠色のラインが紅に染まり、漏れ出たエネルギーが紅い火花となってその身に散る。単純な弱体化した分霊を生み出すのではない。その世界に存在することが出来、かつ見定めることが出来るギリギリの力を求めているのだ。故にその全能力を集中し、練り上げ、分霊を産み落とす。

 

──混沌王が目を見開く。

 

 混沌王の影が真っ赤に染まり、ぐんと伸びて一つの場所に寄り集まる。まるで血の池のような紅い淀みが出来上がると、その表面がブルブルと震え一本の手がそれを突き破った。もがいていたそれが地面を見つけ手を置くと、続けてもう一つの手が現れて表面を引きちぎり、その存在が這い出して来る。まるで、胎盤を引き裂いて生まれた獣のようだった。そして、産み落とされたそれはゆっくりと立ち上がる。

 

──それは人間だった。

 

 全身の刺青と角が無くなり、緑色のフードが付いたパーカーを羽織っていることを除けば混沌王と瓜二つであるが、一見するとただの少年にしか見えない。しかし、翠色に輝くその瞳がやはり人から外れたるものであることを物語っていた。

 

 その分霊を見つめ、目を細める老紳士。淑女も感心したように言葉を漏らす。

 

「己の力を凝縮し、マガタマを与えましたか。人に似せたる人修羅の器でそれを包むならば、確かに力を最小限に──かつ、いずれ最大の力を発揮することが出来ましょう」

 

 淑女の言葉を他所に、分霊は混沌王の側へゆっくりと歩み出る。そして己自身から封書を受け取った途端、その宛名にある名前が浮き上がった。

 

「その封書を再び開き、術式に逆らわず身を委ねれば〝箱庭〟に導かれるでしょう。その招待状の送り主もその場に現れるはず。先ずはその送り主を見定めるのが宜しいかと」

 

 分霊は頷いて、手紙を開き──その場から消え去った。

 

 老紳士は分霊がいた場所を暫し眺めていた。やがて、一旦目を瞑り──開く。

 

 そこには紅も、舞台も、観客たちも何も居なかった。光も無かった。闇も無かった。ただ──無が広がるのみ。そんな場所に老紳士と淑女、そして混沌王が佇んでいた。

 

『さて、種は蒔いた。後は芽吹くのを待つのみ──だが』

 

 老紳士が言葉を紡ぐが、奇妙なことにその口は動かずどこからともなく声が聞こえてくる。そして、声もまた変質している。あるいは老人。あるいは少年。あるいは青年。あるいは少女。あるいは──

 

──無の彼方、六枚の翼と一対の角を持った大いなる存在の影があった。

 

 いつの間にか老紳士と淑女は消えており、代わりに多くの悪魔が混沌王の傍にあった。

 

『戦いは続いている──芽吹くのを座して待つ必要はあるまい。行こう──』

 

 混沌王が歩み出す。そして悪魔たちもまた動き出す。向かう先には先ほどには無かった神々しい光が輝いていた。悪魔たちを焼き尽くすかのように、刃向かう者共を蹴散らすかのように。まるで太陽のような輝きが照らしている。

 

『我らの真の敵の所へ……!』

 

 悪魔たちは再び戦いに身を投じた。

 

 その結末は語られることはない。これから綴られる物語にそれらは重要なことではない。悪魔が大いなる意思に対する更なる一手を求めて、混沌王の分霊を一つの世界に送り込んだ──その事実だけが必要なのである。

 

 そして、送り込まれた分霊は──

 

 

    *

 

 

「わっ」

「きゃ!」

 

 突如として地上から遥か上空へ放り出された者たち。全く予想だにしていなかったこの状況に、同様の感想を抱きながらも三者三様の反応を見せる。驚き声を漏らす者、油断なく周囲を眺める者、ただ落下の圧力に耐える者。そして──言葉も漏らさず微動だにせず重力に身を任せる者。

 

 彼らは落下地点の湖に叩き込まれたが、多数重ねられた緩衝材のような水膜によって速度を落とされ、幸いにも人肉のペーストとなることは避けられた。自身の頑強さに自信のある者は耐えられたかもしれないが。

 

 湖は足が付く程度の浅瀬で、二人は罵詈雑言を吐き捨てながら陸地に上がり、一人は連れていた猫を引き上げて大事がないことに安堵する。

 

 その側を、まるで水の抵抗を物ともしない速度で歩き去り、陸地に上がる一人の少年がいた。

 

 猫を抱きかかえた少女は後を追う。陸地に上がると、なし崩しに自己紹介が始まった。服を絞りながら答える三人。

 

「私は久遠飛鳥よ。以後は気をつけて──」

「春日部耀。以下同文──」

「見たまんま野蛮で凶暴な逆廻十六夜です──」

 

 それを他所に、最後の一人は周囲をゆっくりと見渡している。我関せずどころか三人の事など眼中に無いという態度だった。その姿勢にイラついたのか、率先して自己紹介した久遠飛鳥がその少年に声をかける。

 

「──それで、私たちをガン無視した挙句に一人だけ全く濡れていない(・・・・・・・・)貴方は何者なのかしら?」

 

 飛鳥の言う通り、その少年は全く濡れていなかった。他の三者と同じく湖に叩き込まれたと言うのに、身に付けているパーカーにも、ハーフパンツにも、それどころか肌にすら水滴の一つも着いていない。異様な現象だったが、三者は無視されている事と自分たちはびしょ濡れなのに一人だけ濡れていない理不尽さの方に苛立ちを感じていたので、そのことに対する大きな反応は無かった。

 

 問われた少年はゆっくりと振り返る。完全な無表情。無視していたことを悪びれる様子もなく、無視していた相手に話しかけられたことに興味も抱かず、相手を黙らせるのに必要だからしているだけ──まるで歩くのに足を動かさなくてはならない──とでも言いたげに言葉を返す。

 

「──間薙シン」

 

 それだけ言って、またそっぽを向いた。

 

    *

 

「……四人?」

 

 『主催者』から聞いていた、召喚される者たちの数が合わないことに、物陰から見ていた黒ウサギは疑問を抱いた。

 

「……まあ、少ないよりは良いでしょう! 何しろ私たちは崖っぷち。使える駒が多いことに越したことはありませんから!」

 

 ぐっと拳を握り、おちゃらけながら己に言い聞かせる。

 

──駒。それは単なる言葉の綾で、本気でそう思っているわけではない。自分たちの力になってもらう以上、相応の礼儀は払うつもりだったからだ。些か思慮に欠けてはいるが、手綱を取って見せると豪語している。それらは当然、問題児たちに弄ばれることで頓挫することになるのだが、この時点では知る由もない。

 

 だが、玩具にされる程度──この先起こる最悪の事態に比べれば児戯に等しい。召喚の術式を利用され、最悪の存在を招いてしまったことに比べれば些事に過ぎない。

 

──魔王にコミュニティを叩き潰されたことなどまだマシだと思えるような地獄が、この先に待ち受けているのだから。

 

 最後に呼び出されたあり得ざる四人目。駒でもなく、問題児でもなく、はたまた救世主(メシア)でも英雄(ヒーロー)でもない。

 

──人修羅(ひとしゅら)

 

 ミロク経典に記されし魔人が、箱庭に降り立った。




一章終了まで書き溜めてありますので、毎日20時に更新いたします。

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