元より魔王と真っ向から戦えるであろうと見ていたシンの力は把握していても、ピクシーがあそこまでの魔法の使い手とは思ってもいなかった黒ウサギは、そのデタラメ加減に舌を巻く。
もしかしてあの二人だけでそのまま倒せるんじゃないかなー、と考えるも、できる限りのことはしよう、と甘えを振り払う。事実、シンは指示を受けたとおりあくまで牽制に徹していた。ピクシーは遊んでいるだけかもしれないが。
黒ウサギはギフトカードから、三叉の槍が描かれた紙片を取り出すと、飛鳥に手渡した。
「……これは?」
「お静かに。これは〝叙事詩・マハーバーラタの紙片〟と呼ばれるギフトです──」
『叙事詩・マハーバーラタ』とは最も有名なインド神話の一つであり、十万の詩節からなる数々の伝承・神話を束ねた大長編叙事詩である。このギフトはインドラに縁のある強力な武具を召喚することができるが、それらはギフトゲーム中に
「──もしかして、それを私に?」
「YES! 飛鳥さんには帝釈天の神格が宿る槍──インドラの槍を使い、敵に直撃させてください! それでこのギフトゲームは勝利です!」
紙片を握る飛鳥の手を、包み込むように黒ウサギが握ると、紙片は雷鳴と共に投擲用の槍へと変化した。まるで雷そのものが槍に転じたように、眩い輝きを仄かに放つそれを、飛鳥は恐る恐る握り締める。
──槍はズシリと重い。
それに加えて、ギフトゲーム中に一度しか使えないという、必殺のギフトを託されたプレッシャーが、飛鳥の両肩に更なる重みを感じさせる。思わず表情を歪めていた飛鳥へ、黒ウサギは笑いかけた。
「大丈夫、ご自身をもっと信じてください。飛鳥さんにはギフトの力を十全に発揮する才能が御座います! 黒ウサギが保証いたしますよ」
「……でも、私は──」
──飛鳥は、
人を支配するのもなく、ギフトを操るのでもなく、悪魔を使役し戦う、魔なる道を飛鳥は選んだ。己の力を最後まで信じ切ることができず、他者から与えられた絶好の選択肢を──力を、選び取ったのだ。それは、黒ウサギの期待を裏切ったに等しい。
──そんな自分に、このようなギフトが扱える筈もない。
そう苦悩する飛鳥だが、黒ウサギは首を振って飛鳥を真っ直ぐな瞳で見つめた。
「どのような道でも飛鳥さん自身が選び、決めた道です。それをどうして攻められましょうか──」
飛鳥の焦燥を、黒ウサギは彼女が〝ヤタガラス〟へ向かったことでようやく気が付いたのだ。力伸び悩む同士を思いやることができず、そして自分たちのためにすぐに振るえる力を欲した。だからこそ自分たちに攻める権利は無いのだと言う。
「──それに、飛鳥さん。貴女には既に、神の槍を振るうに値する最高の仲魔がいるではありませんか!」
黒ウサギは傍に控えるセタンタに向かって手を広げた。美少女に真っ向から賞賛されたセタンタは、得意げに胸を張り、
「……そうなの?」
気の抜けたような飛鳥の言葉に、がくりと肩を落とす。黒ウサギは苦笑した。
「……もしかして、知らずに使役していたのですか?」
「とにかく悪魔を従える術と、戦う術を急ぎで叩き込まれたから……その辺り、教えてもらえる?」
恥ずかしげに飛鳥はこほん、と咳払いをし、改めて説明を求める。黒ウサギは頷くが、その前に、とセタンタに問い掛ける。
「ご確認させて頂きますが……セタンタさん。貴方はかのケルト神話の大英雄──〝クー・フーリン〟ご本人か、その縁者ということでよろしいのですよね?」
『その辺は少しややこしいんだが……まー、概ね合ってる』
セタンタは頭を掻きながら、面倒そうに頷いた。黒ウサギは首を傾げるも、人差し指を立てて説明を続ける。
「〝クー・フーリン〟とはケルト神話のアルスター伝説に謳われる半神半人の英雄であり、世界有数の槍使いとも言われているのです。そしてその幼名は〝セタンタ〟と言いました──」
〝クランの猛犬〟という意である〝クー・フーリン〟の名は、セタンタがクランという人物の番犬を絞め殺してしまい、己が代わりに番犬を務めると名乗り出た逸話から来ている。その後、クー・フーリンは数々の戦いや影の国での修行を経て、魔槍ゲイボルグを振るう槍の達人として名を馳せていく。
「そのクー・フーリンにインドラの槍を使用していただくということは、まさに鬼に金棒に等しいのです! というわけでセタンタさん、この槍を使って──」
『──悪いが、
へ? と黒ウサギは期待に表情を輝かせたまま固まる。セタンタは硬い声で、その期待を否定する。
『セタンタという妖精は、その番犬を絞め殺したという英雄の少年時代が語り継がれ、悪魔と化した存在だ。故に今のオレは、まだ英雄に至っていない少年の未熟と若さの具現そのもの──』
そのため武人としての技量や力はある程度あるが、それ以外は妖精と呼ぶに相応しい程度の霊格しか持っていない。
『──そういうわけで、とてもじゃないが、かの帝釈天様の槍を振るえるような霊格は持ち合わせちゃいないな』
そう言って、セタンタは首を竦めた。帝釈天と縁のある〝月の兎〟はともかく、妖精であるセタンタではその槍を使うには霊格が絶対的に足りないのだ。当てが外れた黒ウサギはたらりと冷や汗を流し、困ったようにウサ耳をへにょりと萎えさせる。
しかし飛鳥は、セタンタの発言の裏を正確に読み取っていた。
「──
『ハッ! 勘のいいサマナーで助かるぜ。アスカの技量じゃあ槍は振るえねえ。オレの霊格じゃあ扱い切れる代物じゃねえ。なら──サマナーと悪魔、両者の力を合わせるしかねえよな?』
セタンタは獰猛に笑いかけ、飛鳥が持っていたインドラの槍を掴み取る。掴んだ腕からバチバチと火花が飛び散り、セタンタの霊格を焼く。だがその程度、心地よい痛みとでも言うかのように鼻で笑い、重さを確かめるようにゆっくりと振り回し始めた。
その姿を見て、飛鳥は己のすべきことを理解する。正直に言って自信は無い。だが後はもう伸るか反るかなのだ。覚悟を決めた飛鳥がゆっくりと頷くと、セタンタは槍を振るうのを止め、背を向けて仁王立ちする。
その背に飛鳥は手を伸ばし、しっかりと触れた。
「黒ウサギ──頼んだわ」
「はい──お任せください!」
飛鳥の言葉を聞いた黒ウサギは頷き、戦場へ向かう。飛鳥はその後ろ姿を見送ると、セタンタへ真剣な声で告げる。
「──全力で行くわ。魔王を倒すわよ」
『──来いよ。受け止めてやるぜ』
主従は共に帝釈天の槍を振るうため──魔王を倒し、ゲームを終わらせるため、その身に宿る〝
*
魔王諸共、黒ウサギたちが姿を消した後の地上では、黒の風が止んでいた。ひとまず安全になったことを確認した捜索隊は、避難していた間の時間を取り戻すかのように、残りのステンドグラスの捜索に移る。
「──魔王が戻って来るとすれば、彼らが全滅した時! 後のことは考えず、今はステンドグラスを優先せよ!」
主力が全滅すれば、もはや残りの参加者に未来は無い。故にその場合を考える必要は無いと、マンドラは厳しい声で檄を飛ばす。
シンが放っていた先発隊は既に殆どが集結し、ステンドグラスを渡した後の悪魔たちはそれぞれ念の為の護衛として、散開する参加者たちのグループに付いている。ジンは己の傍にいるジャックフロストを横目で見ながら、奇妙な感覚を覚えていた。
──ステンドグラスの捜索は、シンさんが行方をくらました後に決定した作戦の筈。何らかの方法で聞いていた? しかし何故わざわざそんなことを……。
その視線に気が付いたジャックフロストは、ヒホ? と首を傾げる。ジンは苦笑し、何でもないと手を降った。
その瞬間、視線を何かが掠めていった。パチクリと瞬きをしたジンは辺りを見回すと、奇妙な黒い塊がジンに向かって飛んで来ていることに気が付く。ぶぶぶ、と大気を細かく震わせる音と共に、ジンの視界を黒い何かが埋め尽くした。
「うわ……! こ、これは……蝿!?」
『うひゃー! ばっちいホー!』
何匹かがジンの体に張り付いて、その正体を現した。それはジンが気が付いた通り、無数の蝿だった。赤い瞳を輝かせて、その足には何かを抱えている。
「何だろう……白い欠片……?」
もっとよく観察しようとしたジンだったが、蝿はまるで何かに操られているかのように一斉に飛び立ち、何処かへ去っていった。呆然とそれを見送っていたジンだったが、ジャックフロストは見上げていた空に何かを見つけ、声を上げる。
『ヒホ? 誰か飛んできたホ!』
「あれはアーシャさん? それに……十六夜さん!?」
十六夜を荷物のように担いで飛んで来たのは、アーシャだった。彼女は地上に降りると、ズカズカと歩いて来てジンへ尊大に声を掛ける。
「ほら、〝ノーネーム〟に届けモノだよ! 全く、この状況で寝てるなんて呑気なもんだよねえ……」
「あ、ありがとうございます……! よかった、目立った怪我は無いようですね……」
ジンは安堵の溜め息を付いた。しかしジンでは十六夜を運ぶには力も身長も足りない。ステンドグラスを探す参加者たちの手を煩わせるわけにもいかず、困っていると、ジャックフロストが手を上げた。
『オイラに任せておくホー! ニンゲン程度、オイラでも運べるホ!』
そうして十六夜を任されたジャックフロストだが、背負うには背が足りず、ずるずると足を引きずっていた。首を竦めたアーシャは、改めて十六夜を背負い直す。オイラはまだやれるホー! とジャックフロストは騒いでいるが、アーシャは無視する。
「それじゃあ、こいつは宮殿に運んでおくよ。……それで、春日部耀は無事なんだな?」
「はい、先に宮殿に戻って頂きました。特に怪我もありませんでしたから、大丈夫だとは思いますが……」
「……ま、アイツなら大丈夫だろ。アイツは私が倒すんだから、こんなところで脱落されても困るしね」
特に訪ねていない筈の言い訳をジンは行儀良く聞き流し、アーシャに十六夜のことを頼んだ。アーシャは一旦背を向けるが、肩越しに振り返り、ジンを睨み付ける。
「──で、あいつらは勝てるんだよな?」
「──勝ちます」
即答するジンにアーシャは薄く笑うと、宮殿の方へ飛び去っていった。
ジンは天を仰ぎ、いつの間にか街の真上に移動していた月を、真剣な表情で見つめる。
「……そう、きっと勝てる──彼らなら」
もしジンが十六夜のような視力を持っていれば、気が付いていただろう。
──月の地表で輝く、極大の雷光に。
*
『──オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォッ!!』
飛鳥が触れた背から、セタンタへ膨大なマガツヒが供給されていく。セタンタは雄叫びを上げ、紅いオーラを纏いながら暗黒の紫電を発する。
飛鳥のギフトの力を受け、悪魔はその霊格を引き上げられようとしていた。少年は青年へ、未熟者は達人へ、妖精は──上位の存在へ。
セタンタから迸る魔なるエネルギーに飛鳥のその掌は焼かれ、激痛が貫く。しかしその痛みを噛み殺し、不敵に笑う。己から出て行く何かを感じ取りながら、その感覚を覚え、更に引き出そうと力を込める。
「英雄よ!
──そして、雷鳴と共に、セタンタの身体を光が包み込んだ。
「──今度は何なの……!?」
攻撃を必死に躱し続けるペストは、その輝きに不吉なものを見た。
時間を稼いでいた黒ウサギとサンドラは、その輝きに希望を見た。
そしてシンとピクシーは、その輝きを見てニヤリと笑った。
──光が収まると、そこには英雄が立っていた。
鴉の濡れ羽色の長髪を持つ美青年である。藍色の紋様が走る白銀の鎧を着込み、真っ白なマントを羽織っている。藍色のガントレットが握るのは、片方は黒ウサギから借り受けたインドラの槍。その霊格に負けることなく、しかと握りしめている。そしてもう片方で握るのは、魔術的な紋様が刻まれた、美しくも禍々しい白銀の長槍だった。
『私は、幻魔クー・フーリン──』
青年──クー・フーリンは閉じていた瞼を開くと、誇り高く宣言する。
『──我を喚ぶ者に応じ、ここに見参す!』
ケルトの大英雄が、このギフトゲームの最後の戦いに降臨した。
*
『師範様には少々悪いですが、かの帝釈天の槍を扱わせて頂けるとは光栄の極み──必ずや、魔王を討ちましょう』
クー・フーリンは白銀の槍を己の主に預けると、インドラの槍をゆっくりとペストに向かって突き付け、必勝を誓う。その純粋な殺意が込められた視線を受けて、魔王の思考は己が何を間違えたのかと遡って行く。
──〝人修羅〟への警戒が足りなかったのか?
──人材とタイムリミットに目がくらみ、相手の提案を呑んだのがいけなかったのか?
──時間を稼ぐことに執心し、攻めることを選択肢から排除したのが悪かったのか?
こうして思い返してみれば、全てが悪かったようにも思う。決意も、思慮も、覚悟も、何もかも足りていなかった。その結果側近を全て失い、ゲームは攻略され、こうして倒されようとしている。
深く後悔する魔王の視線の先で、英雄はみしりと身体を捻り、投擲の体勢に入る。神の槍は極大の雷光を発し、轟音を立てながら雷の力が収束していく。
──あの槍を受ければ、魂すら残さず砕け散る。
ペストに帝釈天についての詳しい知識は無いが、絶えず己の身を襲う悪寒が、その推測は正しいと告げていた。
もはや、魔王に勝利の目は潰えた。座して槍をその身に受ければ敗北する。その前に、シンの攻撃を無防備に受け続けても同様だろう。ならば潔く諦め、敗北を受け入れるべきなのか?
「──巫山戯るな……! 私はまだ、何も成していない……!!」
否、魔王は諦めない。
幾千万の怨嗟の声と黒い風を束ね、一人でも道連れにしようと死の鎌を振るう。
「往生際が悪いですよ、魔王──!」
黒ウサギが〝マハーバーラタの紙片〟を掲げると、太陽の光にも似た神々しい黄金の鎧がその身を包む。太陽の光を弱点としていた黒死病の功績によって、死の風は溢れる黄金の輝きの前に霧散していく。
だが──消えない。ギリギリの所で、拮抗している。
「──そんな……まさか……!?」
「──どうせやられるなら、お前だけでも道連れにしてあげる……!」
ペストは、己の霊格を砕いてまでその力を振るっていた。手足の末端から徐々に崩れていき、口元からはドス黒い血が零れている。しかしだからこそ、弱点でありながら
だが、これは好機。動きを止めたペストを見て、黒ウサギは叫ぶ。
「今です飛鳥さん!」
黒ウサギの声に応じて、飛鳥は右手を翳して命を下す。
「撃ちなさい、クー・フーリン!」
『──オオオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ!!!』
英雄が怒号を上げて、インドラの槍を撃ち出した。
飛鳥の言葉と英雄の意志に応じ、槍は天の千雷を束ね、ペストを襲う。
魔王は黒ウサギと対峙しており、動けない。誰もが勝利を確信していたその瞬間、魔王は思いも寄らない行動に出た。
「──アアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!!」
──魔王が、その攻撃を己自身に向けたのだ。
「な、何ですって……!?」
己自身の霊格を削ってまで強化した攻撃を、自ら受けたペストは吹き飛び、更にその霊格を砕いていく。もはや満身創痍。数分と待たずその魂は崩壊するだろう。
──だが、槍を避けることはできた。
迸る千の雷はペストがいた地点を通り過ぎていく。黒ウサギとサンドラは、その結果に目を見開いて硬直し、決定的な隙を晒してしまう。
「死ね……!」
その無防備な姿に、ペストは死を叩きつけようとして、
「────え?」
その身を、インドラの槍が貫いた。
被弾した勢いのまま月面を空高く打ち上げられ、迸る天雷が魔王の魂を焼いて行く。
「ど、どうして──」
魂が焼き尽くされる前に、ペストは最期の力を振り絞って、振り向く。
──そこには、シンが片手を掲げたまま、己を睨み付けている姿があった。
シンは──
「──ひ、人修羅アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッ!!!」
槍から放たれる轟音と轟雷を超える、魔王のおぞましい断末魔に似た怨嗟の声が響き渡る。生まれた衝撃波は周囲一帯へ波紋し、月面と彫像群を粉砕して行く。
だが、全てが破壊し尽くされる前に、一際激しい雷光が月面を満たす。
軍神の神格を持つ必勝の槍は、圧倒的な熱量を撒き散らしながら魔王と共に爆ぜたのだった。
対〝