この晩、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルは不機嫌だった。先日に麻帆良学園女子中等部の卒業式を
彼女は無表情で、しかしいかにも不機嫌そうな雰囲気を
この男ども2人は、エヴァンジェリンが不機嫌な理由を重々承知している。エヴァンジェリンは
そしてそのエヴァンジェリンだが、彼女は12年前にある魔法使いに敗北し、呪いを受けてここ麻帆良学園都市に封印された。それ以来彼女は、様々な魔法的機密が多く存在する麻帆良学園の、裏ではその警備員として働き、表では女子中学生として就学する事になったのである。その魔法使い曰く、3年後にこの呪いを解いてやる、との事だったのだが……。
「……ナギの馬鹿者め」
エヴァンジェリンは呟く。エヴァンジェリンに呪いをかけた魔法使い、ナギ・スプリングフィールドは、3年経っても麻帆良に再来する事は無かった。あげくに数年後、ナギの訃報が裏の世界に流れ渡る。そしてその呪い『
そして彼女を呪いによって麻帆良学園に縛り付けたナギと言う魔法使いが、エヴァンジェリンの想い人であったという事実が、なおさらに事を複雑にする。エヴァンジェリンにとっては、二重三重に酷い仕打ちであろう。想い人との戦いで敗北し、魔力も大半が封じられた上で麻帆良学園女子中等部に強制的に就学させられ、裏では警備員としてこき使われ、しかも3年で解放される約束も果たされず、あげくに何故か、中学生を今年で13年目のやり直しだ。
「……のう、エヴァ。おぬし……。あ、いや」
近右衛門が口を開きかけて、しかし言葉を飲み込む。理由は彼らの行く手に、1人の少女の姿があったからだ。魔法という物は、一般に対して秘匿される事になっている。一般人に魔法の存在をバラしてしまえば、バラされた一般人は記憶を消去され、バラしてしまった魔法関係者は原則として魔法でオコジョに変えられてしまう事になっているのだ。それ故に近右衛門は、口を
その少女はブツブツと愚痴を呟きながら、道を歩いていた。少女がかけたフレームレス丸眼鏡の奥の目が、苛立たし気に吊り上がっている。だがもし彼女の愚痴の内容を聞き取る事ができたなら、近右衛門も高畑もエヴァンジェリンも、おそらくはギョっとしたであろう。少女は、麻帆良の地における様々な異常について、そして誰もそれを気にしない事について、苛立たし気に愚痴っていたのだ。
この土地、麻帆良学園都市には世界樹と呼ばれている不自然に巨大な樹木、神木蟠桃を中心にして、巨大な結界が張られている。この結界は、幾つかの能力を持っているが、そのうちの1つに認識阻害能力と言う物があった。
麻帆良の土地では、神木蟠桃が存在していることもあって、それにより様々な魔法的現象が容易に発生する。だがこの地に根を張っている魔法使いたちの組織、関東魔法協会からすれば、それは致命的であった。魔法使いからすれば、魔法は秘匿するべきものなのだ。これには中世における魔女狩りなどの影響や、あるいは一般人たちを魔法関係のトラブルから隔離する目的など、さまざまな理由があるのだが……。
そのためもあり麻帆良の魔法使いたちは、麻帆良結界を張り巡らせる際に認識阻害の機能を盛り込んだ。この機能により、麻帆良の土地では多少異常な現象が起こったとしても、一般人からすれば『ああ、いつもの事だ』と見過ごされてしまうのである。例を挙げるならば、格闘家が『気』を使って『遠当て』をしようとも、4~5mものジャンプをしようとも、パンチで10mばかり吹っ飛ばされたりしても、『ああ、いつもの事だ』と思われてしまうのだ。
だがこの少女は、麻帆良の地における異常について愚痴っていた。そして他人がそれを気にしない事についても、盛大に愚痴っていたのである。これは関東魔法協会理事である近右衛門にとっても、魔法先生たる高畑にとっても、吸血鬼エヴァンジェリンにとっても、気付いてさえいたならば放置しておけない程の異常だったのだ。
どの様な理屈でこの少女が、麻帆良結界の認識阻害の影響を排除していたのか。そしてその事により、この少女がどれだけのストレスを抱えていたのか。しかしそれは、判明することは無い。エヴァンジェリン、近右衛門、高畑の3人の魔法使いとエヴァンジェリンの従者である茶々丸にとって、この少女はただの一般人としか認識されていなかったのだから。
*
そして、事件は起こった。
*
「わあああぁぁぁ!?」
「「「!?」」」
突如響いた悲鳴に、エヴァンジェリン、高畑、近右衛門の目が見開かれた。ちなみに茶々丸は無表情であったが、万が一の事態に備えてエヴァンジェリンの前方へと立ち位置を変え、いざと言うときは盾になろうとする。
彼らの眼前で、先ほどブツブツと愚痴を呟きながら夜道を歩いていた少女が、突如空間に出現した暗黒の球体の中へと飲み込まれようとしていた。少女の下半身は既に闇に飲まれ、上半身もまた胸の上まで暗黒の中に沈んでいる。いや、こうしている間にも暗黒の球体は、急速に少女を飲み込みつつある。既に残されているのは、首から上と右腕だけだ。
高畑は急ぎ瞬動術と言う『気』による移動術を使い、少女を救出せんと7mばかりの距離を跳び越える。だがあと一歩足りない。
「たすけ……」
トプン……。
水に何かが沈むかの様な音を立てて、少女は暗黒の球体の中に消える。そして高畑が差し伸べた手は、数瞬前まで暗黒の球体が存在していた空間を突き抜けた。少女も闇の球体も、そこに何も無かったかの如く消滅してしまっていたのだ。
高畑は、差し出したその手を握りしめ、歯を食いしばる。目の前で、ほんのわずかの差で少女を救えなかったという事実は、彼の精神を激しく
*
こうしてこの少女、『長谷川千雨』は麻帆良学園都市から消失した。だがこれは、終わりでは無い。これから続く騒動の、ほんの始まりに過ぎなかったのだ。
さて、いきなり千雨、消失・消滅いたしました。ちなみに彼女は、この時点で麻帆良どころか日本、いや地球の何処にも存在しておりません。でも大丈夫です。主役は彼女『たち』なのですから。