学園祭が終了したしばし後の日曜日の事である。千雨、希雨、氷雨の3人は森の中にある自宅の1室に集まり、試験勉強をしていた。まあ彼女たちとしては、勉強の内容そのものはあまり難しくは無い。だが彼女たちの知識は、基本的に異世界に根差した物である。それ故に、歴史や地理など社会科系科目はまるっきりであるし、国語、英語なども微妙な違いがあった。
一番ましなのは、理数系であった。ただしこれも、例えば『オームの法則』などは千雨にとっては『ザカリア電気抵抗法則』であるし、希雨の知識では『電気学第一法則』、氷雨に至っては公式だけ存在していて名前がついていなかったりする。数学においても似たようなものだ。
なので3人娘は、試験でいい点数を取るためには、自分の知識とこの世界の知識をすり合わせ、一致させる必要があったのだ。まあそれでも、彼女らが訪れた
何にせよ、彼女らは来る学期末試験に向けて、みっちりと勉強をしていたのである。まあしかし、暗記物であれば彼女らには基本問題無い。ちなみに希雨は
「ま、こんだけやっときゃ、悪い点数は取らねえだろ」
「そう思うぜ。ただ、一番苦労したのが担任教師の担当してる英語だっつーのは、ちょっとな」
「そう言うなよ。高畑先生はしずな先生よりか確かに教え方上手くねえけどよ。それよりもあの無茶なクラスを辛うじてまとめてる事を称賛すべきじゃね?」
「「あー……」」
まあ高畑は、『表』の教師と『裏』の魔法先生という二足の草鞋を履いているどころか、NGO団体『
何はともあれ、3人娘は勉強に使った道具や書物を片付けると、昼食の準備に入る。ちなみに今日のお昼は、千雨謹製のスープパスタだ。希雨と氷雨もそれを楽しみにしつつ、下ごしらえなどを手伝う。
と、3人は急に顔を上げる。
「この反応は……」
「わたしの魔法結界の反応だと、人間2人、半魔1人だな」
「監視カメラにも今しがた引っ掛かった。古と長瀬、龍宮だな」
千雨、氷雨、希雨はそれぞれ顔を見合わせる。そして千雨は冷蔵庫から追加の食材を取り出す。希雨、氷雨も分量が倍に増えた肉や野菜を丁寧に下ごしらえし始めた。
*
古、楓、真名は唖然としていた。
「長谷川たちの家って、これアルか? 日本の一般家屋とは、こういう物だったアルか……」
「違うぞ古。これは断じて日本の一般家屋じゃない」
「どう見ても、科学の要塞でござるな。おそらくは希雨殿の趣味でござろうが……」
そしてとりあえず彼女らは、門前でインターホンを鳴らす。すると、即座に返答があった。インターホンでは相手の髪型が分からないので、千雨か希雨か氷雨かは不明である。
『はい、長谷川です』
「わたしアル、古菲アルね。楓と真名も居るアルよ」
『ああ、カメラで見えてる。入れよ』
その言葉と共に、門扉がモーター音を立てて自動的に開いて行く。古、楓、真名はちょっとばかり圧倒されつつも、敷地内へ入って行った。
*
そして今、古、楓、真名は必死になってスープパスタを食べていた。黙々と、もぐもぐと。声を立てるヒマすらも惜しい。万が一冷めてしまっては、あまりに多大な損失である。この美味さは、千金にも値する。
「どうだ、味は? って、その様子を見りゃわかるな。ははは。美味しく食べてもらえて、作った側としちゃ嬉しいよ」
千雨が、まんざらでも無さそうな顔で言う。と、古がスープを最後の一滴まで飲み干して、ようやく声を上げた。
「んぐ、んぐ……。ふー……。凄い美味しかったアル! 何というか、言い現わす言葉が無いアルよ!」
「そいつは、どうも。それで今日は、何の用事で来たんだ? なんか食事時を狙って来たような時間帯だが」
「それは誤解アル。なんかタイミングが悪くて、なかなか長谷川たちとの手合わせが出来ないので、ちょっとばかり悶々としてたアルよ。それでとうとう、直接長谷川たちの家に来ようと思い立ったアル。思い立ったのがもうお昼近くなってたのは、本当に偶然アルよ」
「えっ?」
そう疑問符を付けて言ったのは、楓である。真名が笑みを浮かべて、それを揶揄するように言葉を発した。
「楓とわたしは、古が気合を入れて寮の廊下を歩いているのを見てな。何処に行くのか興味を駆られて聞いてみたんだ。そうしたら、長谷川たちの家に行くそうじゃないか。お昼時にちょうど良く行くと言う事で、もしや昼ご飯をたかりに行くのでは、と思ったんだがな。
それでわたしたち2人も、千雨の料理が食べられるかと思って無理を言って古について来たんだ。だが、特に楓の食いつきは凄かったな。どれだけ食い意地が張っているのか」
「な! い、いやしかし……。真名もこのスープパスタを食べたのだから分かるでござろ? 恥も外聞も無いでござるよ。これが食べられる機会を逸しては、残念無念にござれば」
「まあ、それはな」
楓と真名の掛け合いを眺めていた長谷川3人娘だが、やがて氷雨が古に声を掛ける。
「んで、どうする? 今は腹いっぱいだからな。少し休んだら、あっちの別棟にある広間でやるか?」
「おお! いいアルか!? ではそうするアルよ!」
「ただ、わたしら3人と古が3連戦っつーのは、いくら古でも大変だろ。今日は誰か1人とやって、残り2人とはまた日を改めてって事でどうだ?」
希雨の言葉に、古は頷く。
「わかったアル」
「んじゃあ、今日は誰と
「んー、じゃあ千雨にお願いするアル!」
「「げ、よりによって白兵・格闘戦が一番強え奴に」」
希雨と氷雨の顔が引き攣る。一方で千雨は、なんか急に真面目な顔つきになって、古に語った。
「わかった。んじゃ食休みの後で、ちょこっと
「何アルか?」
「わたしは、いや、わたしだけじゃなく希雨も氷雨もなんだが。『暗器術』とか『毒』とか、そう言った『裏』の技術を数多く修めている。そう言う感じの『裏』の技は出さねえからな? あと、『表』の技でも『奥義』やそれ以上のレベルの技は、勘弁してくれ。そんなわけで、わたしは手札を半分以上封じて
だけど、これは手加減じゃねえからな? 例えて言うならば、ボクシングの試合で、蹴り技を出さなかったり、武器を使わなかったり、そんなもんだ。理解してくれるか?」
「……わかったアル。胸を借りるつもりで、お願いするアルよ」
古は、重々しく頷いた。
*
そして1時間後、千雨と古は別棟の広間で向かい合っていた。審判は希雨。その様子を氷雨、楓、真名が見つめている。氷雨に伊達眼鏡を預けた千雨が、
「ウォーミングアップは充分か? とりあえずしばらくは、暖機運転って事で軽く打ち合いして、それから本格的に
「了解アル」
「んじゃ、行くぞ」
無造作に、千雨が拳を放つ。古は軽くそれを避けた。いや、避けたつもりだった。だが千雨の拳は、パン! と軽い音を立てて古の胸元に命中する。古は意外な衝撃に、思わず後ずさった。
「!?」
「いや、『奥義』以上は使わねえって言ってもな? 基本技や中級、上級技は、遠慮なく使うからな?」
「今のは……」
「古も『気』を無意識には使ってるみたいだけどな。意識的に意図的に使える様にしないと、ほんとに強い奴相手にはつらいぞ?
今のは、『気』の初歩的な使い方の1つだな。『拳』から『気』を分離させて、それで相手を殴るんだ。『気』だけの『拳』は、攻撃の気配がバリバリするからな。そこそこの達人だと、騙されてそっちを
「おお……」
「まあ、初歩の基本技だと『気』の抜けた実体の拳で殴るだけの威力しか無いから、あまり大きなダメージは与えられないんだが。中級技や上級技になると、『気』を囮の非実体の『拳』と、本命の実体の『拳』に分けて、本命の方の気配は上手く隠したりもする事で、本命の実体の『拳』にも充分な破壊力を持たせるとか。
あるいは本命の実体の『拳』を、『気』に頼らずに威力を増す技術とかもあるなあ。方法は、色々だ。さて続きだぜ」
「うむ!」
そして今度は、古が八極拳の活歩という歩法でいきなり千雨の懐に飛び込む。そして崩拳を千雨の胴体に叩き込んだ。だが古は一瞬目を見開くと、すかさず後退する。
「!?」
「なかなかの威力だな」
「いや、そちらの硬気功も凄まじい防御力アル。完全に威力が殺されてるアルよ」
「これも『気』のちょっとした応用だ。意図的に『気』が使えれば、硬気功も格段に防御力を増す」
「むむむ……」
「何、古もあと一歩だ。既にてめえの『気』はかなりの物だ。あとは何度も言うが、ソレを意識できるかどうかって話だけだからな」
そう言いつつ、千雨は古に襲い掛かる。古は必死でそれを迎え撃った。
*
古は、わずかな間にズタボロになっていた。致命的なダメージは無い模様ではあるが、そろそろ体力的に限界であろうことは目に見えている。一方の千雨はかけらもダメージを負っていない。
楓が呟く様に言う。
「ちょっと千雨殿は、古にはまだ早すぎた様でござるな……」
「千雨はまだ、欠片も本気を出していないしな」
真名もこっそり魔眼の力を開放しつつ、千雨の一挙手一投足を観察しつつ言った。だがそれに突っ込みを入れる者が居た。氷雨である。
「いや、本気を出してないのは当たり前だろ? だって千雨は言ってたろうが。暖機運転で軽く打ち合いしてから、本格的に
「「!?」」
「まだ暖機運転は、終わっちゃいないぜ? あ、いや。そろそろ終わるかな?」
そして千雨が古に語り掛ける。
「どうだ?
「うむ! 感謝するアルよ!」
「じゃ、見せてみろ」
「了解アル!」
「「!?」」
楓も真名も、一瞬本気で驚いた。古から爆発的な『気』が噴き上がったのである。その量も質も、練達の2人を以てしても心底驚くべき物であったのだ。
その『気』の噴出は、衰え切った古の体力をも一瞬にして回復させていた。まあ体力だけで、負傷までは治っていない。負傷治療には『気』の量だけでなく、それを操る技量と医療知識が必須であるのだ。
千雨は微笑んで言葉を紡ぐ。
「んじゃ、暖機運転終わりって事で。ここからは
「
そして2人はぶつかり合う。次の瞬間、やはりと言うか古が崩れ落ちる。同時に千雨の斜め後ろの壁に、何か大砲でも命中したかと言う程のクレーターが開いた。
千雨は苦笑しつつ、口を開く。
「やれやれ、打撃を逸らさなかったら、ちょっと痛かったかもな」
「あー、古は敢闘賞だが、それでも勝敗は千雨の勝ちだな」
「って言うか、この壁の修理、大変だぞ?」
審判役の希雨も、観客として見ていた氷雨も、苦笑しつつ言った。楓と真名は壁に開いたクレーターを、目を丸くして見つめる。
「この威力を古が出したでござるか。『気』を意識的に使う様になったばかりで……」
「いや、待て。この壁、この建材、普通の物じゃないぞ。わたしの『眼』に間違いが無ければ、尋常じゃない耐久力を持っているはずだ。それにこれだけの穴を開けたとなると、並の建物とかを古が練習のつもりで打ったりしたら……」
「え゛っ……。となると、戦闘技術はまだまだなれど、威力的には……」
「やばいな」
「やばいでござるな」
「千雨のやつ、なんてことしてくれたんだ」
「千雨殿、まずい物を解き放ってしまったでござるな」
楓と真名の言葉に失笑しながら、千雨は古に『気』を送り込んで意識を覚醒させる。これも気功治療の一種であった。
「う……。あ? ……わたし負けたアルか」
「まあな。ただ、あの壁を見ろ。さすがのわたしでも、古の一撃を直接受ける気にはなれなくてなあ。『奥義』とまではいかないが、上級技の打撃を逸らす技で、逸らさせてもらった」
「なるほど、
「ああ、無理すんな。今、治してやるから」
そして千雨は改めて『気』を練ると、それを古の身体に流し込む。すると古の身体の傷が、一瞬にして、とまでは言わないが目に見える速度で治って行った。楓と真名が目を見開く。真名は少々慌てた様子で言った。
「お、おい。それは古や楓の前で見せていいのか?」
「ああ、構わない類の技術だ。数は少ないけど、世間一般で行われてる気功治療師の中に、達人にはこのぐらいの事やれる奴も居るんだそうだ。これは『裏』の技術じゃないから、安心していいぞ」
「ほう。となると、長谷川殿たちや真名は『裏』とやらと繋がりがあるんでござるな」
「まあ、その辺は黙っててくれると嬉しいが。黙ってないとあらば、口封じしないといかん。まあ、『表』の技術でも、催眠暗示かけてソレに関する事を喋れない様にするとか色々できるし」
「じょ、冗談でござれば」
その後、千雨たちは古に色々と『気』の運用についてアドバイスを送る。その中には、一般人の格闘家に対する時は、本気を出さないのは確かに失礼かも知れないが、本気を出したら相手が死ぬので手加減する様に、との一言もあった。
そして古、楓、真名は長谷川邸を辞する事になる。古は着ていた服がズタボロになっていたため、適当な衣類を長谷川3人娘から借りて着用していた。
「今日は本当に感謝アルよ。何かまた一歩、『上』へ登れた気がするアル」
「いや、一歩どころじゃないだろう」
「古はこれから先、力を振るう事に十全に注意が必要でござるよ? 肝に銘じて置くでござるよ?」
「わかったアル! ではまた来るアルよ、千雨、希雨、氷雨」
古の元気いっぱいな言葉に笑いながら、3人娘は応える。
「ああ。ただわたしらも少々忙しくなるかも知れないからな。今度はあらかじめ連絡してから来い」
「都合が合えば、いつでも相手してやるのは構わないからよ」
「んじゃまた明日、学校でな」
そして古、楓、真名は女子寮へと帰って行く。やがて千雨が口を開いた。
「うん、お茶の時間には間に合ったな。奴らには悪いと思ったが、作っておいたケーキが3つしか無かったからなあ」
「仕方ねえさ。事前連絡無しに来たんだからよ」
「とりあえずお茶にしてから、広間の壁の修理をしようぜ」
氷雨と希雨も肩を竦めて言葉を発する。そして3人は門扉を閉じると、邸宅の中へと戻って行ったのである。
と言うわけで、今回は古菲編でした。あと早目にやっておきたいのは、アレかなあ。刹那と木乃香編。