空は雲一つなく、海は穏やかだ。
絶好の航海日和である。出撃しようか、と提督さんに言われたのは、今朝のことだった。
工廠爆発事件から一週間、提督さんが査問会にかけられたり鎮守府に査察が入ったりと大変な日々が続いていたが、ようやく一段落がついた。建造されてすぐこの鎮守府配属になったので、他の鎮守府のことはあまり知らないが、妖精さんによる似たような事件は結構あるらしい。妖精さん恐るべし。
流石に規模が大きかったので査察などが入ったそうだが、提督の解任などの措置は取られていない。お給金はがっつり減らされたそうだが。
工廠は妖精さんによって三日で建て直され、軍令部からの資材も続々と運び込まれている。なんとか艦隊を運用できるような体制は整いつつあるそうだ。吹雪も提督の仕事を手伝ってはいたが、搬入される資材の確認やお茶くみ程度で、書類仕事や鎮守府の運営に関わることはちんぷんかんぷんだ。早くそれらも手伝えるように勉強しないと、と吹雪は密かに決意する。
「鎮守府正面の海域を、ぐるっと哨戒してきてくれ」
二人して鎮守府の波止場に立ち、提督が指す指が水平線をなぞった。青空に映える真っ白な軍服。それに身を包んだ長身の女性。絵になる人だなあ、と吹雪は羨む。自身のことはれっきとした軍艦であるという認識はあったが、それと同じ地平に綺麗な女性に対する憧れもあった。いずれあんな女性になりたい。そんな人間の少女じみた憧れだ。なぜ、このような少女の姿と心に生まれ変わったのだろう。そもそも、なぜ自分は再び生まれた?何度も何度も考えて、答えを出すことはできていない。
「任せてください!」
艤装を背負い、胸を張る。
それでも自分は軍艦なのだ。少女の姿をしていても、敵を討つための兵器なのだ。一つの道具として、この人の役に立ちたいという思いがあった。
波止場に打ち寄せる波の上に、そっと足を踏み入れる。機関は暖まっているし、主砲も問題なく作動する。魚雷発射管にもばっちり魚雷が装填されている。準備万端だ、やれる。
「……怖くはないのか」
ぼそり、と提督が言う。意味が分からなかった。単艦での出撃が怖くないか?ということだろうか。
「大丈夫ですよ。提督の初戦果、お届けしてみせます!」
そう言って、笑う。言葉を話せること、表情を作れることのなんと素晴らしいことか。鉄の塊のままでは、不安がる指揮官を励ますことすら出来なかった。
本土近海の深海棲艦は、他の鎮守府の艦娘によって全て制圧されている。この鎮守府近海で深海棲艦と出くわすとすれば、哨戒網をすり抜けてきた一隻か二隻程度の艦隊だろう。それも、大型艦が近寄って来れるほど警戒も甘くないので、駆逐艦クラスであるはずだ。そんな相手に遅れを取るとは、吹雪は微塵も考えてはいなかった。
「……そうか。行ってくれ。なるべく戦闘は避けろ。危ないと思ったらすぐ帰ってこい」
「了解しました!吹雪、出撃します!」
するする、と吹雪が海面を滑り始めた。徐々に加速がついていくのに従って、心地よい風が吹雪の髪をたなびかせる。
久々の海だ。思うがまま駆けよう。
水平線までまっすぐ伸びていく航跡の先に、吹雪の姿が見えなくなった所でタバコを携帯灰皿に押し付けた。吹雪に思いっきり嫌そうな顔をされてから、彼女の前では控えていた。体が資本の軍人としてどうかとは思うが、戦うのは彼女たち艦娘だ。私が前線でできることは何一つない。なんとも、なんとも不甲斐ないことだ。
「怖くないか、か」
馬鹿らしい質問である。彼女たち――吹雪は艦娘だ。それがどういう存在か、明らかになってはいないが、少なくとも人間ではないのだ。そのことをここ数日間の共同生活で、すっかり忘れてしまっていた。
例えば、仕事では書類の処理の仕方を教わりにきたり。夕飯を作っていれば、味噌汁の入ったお椀を持ちながら盛大にすっ転んだり。羊羹を前に目を輝かせたり。
どこにでもいる『女の子』だと、勘違いしてしまった。
しかし、ほぼ危険がない場所とはいえ、戦場に赴く際の、あの笑顔。友達の家に遊びに行ってくると言わんばかりの屈託のない笑顔は、私には衝撃的だった。
艦娘は戦争を恐れない。
それが彼女たちのいわゆる前世の影響によるものなのかは、私には分からない。過去の戦争での記憶と、現代での人間のような生活が、吹雪の中でどのように混ざり合っているのだろう。どこにでもいるよう『女の子』のようで、不意に戦争兵器らしい側面を見せる吹雪とどう接すればよいのか。
――つまるところ、私はたった一人の部下の扱いすら、ままならないのか。
単純に考えてしまえば、それだけのことだった。吹雪がどういった存在で、それとどう接すればいいか分からなくなったからと不安になっているだけなのだ。
「馬鹿らしい」
くるりと踵を返し、鎮守府に向かう。通信室で、吹雪をモニタリングするのだ。
――初めての部下の、初陣だ。しっかり見守ってやろう。
なんかゆるくなくなってきた件