新世紀エヴァンゲリオン for Mothers ~母親達の戦い~ 作:朝陽晴空
<特務機関ネルフ 個室病室>
「知らない天井だ……」
シンジが気が付いたのは、ネルフの病室のベッドの上だった。
「痛たっ!」
自分のお腹が刺されるような痛みを感じて、シンジは使徒と戦っている時に激痛に耐えられずに気絶してしまった事を思い出した。
シンジは当然のことながら陣痛など体験していなかった。
盲腸も、お腹を誰かにフルボッコで殴られるような経験も無かった。
今でも激しい腹痛で苦しい。
リツコから聞いた話だと、エヴァのとシンクロ率でエントリープラグに乗るシンジが感じるフィードバックも違うそうだ。
仮にシンクロ率が50%ならば、シンジが感じた2倍の痛みを初号機は感じた事になる。
シンジはリツコから初号機とのシンクロ率35%程度だと聞かされていた。
自分が受けた3倍もの痛みをユイは感じていたのかと、シンジは母親に改めて尊敬の念を抱いた。
「碇君、目を覚ましたの?」
花束を持って病室に姿を現したのは、両腕の包帯がすっかり取れていた制服姿のレイだった。
「綾波、腕の怪我は治ったの?」
「ええ……あれから一週間経ったから」
レイの話によると、シンジは一週間眠り続けたとの事だった。
それでも腹部にこれほどの痛みが残っているのかと、シンジはエヴァに乗る事の恐ろしさを改めて実感した。
「綾波は零号機に乗っていて、両腕を大怪我したみたいだけど、痛くなかった?」
「大丈夫、私はシンクロ率が15%位しか無かったから……」
シンジの言葉にそう答えたレイは、悔しさをにじませた。
痛みが少なかった事は良い事なのに、なぜ綾波は辛そうな顔をしているのだろうとシンジは不思議に思ったが、次に発せられたレイの言葉で疑問は氷解した。
「私のシンクロ率が高かったら、使徒に負けなかったのに……」
「でもシンクロ率が上がると、もっと痛くなるんだよ?」
シンジとしては慰めの言葉だったが、レイは厳しい目でシンジを睨みつけた。
「碇君は、エヴァに乗るのが嫌になったの?」
「当たり前だろ! こんなに痛いなんて、思ってもみなかったんだから!」
レイの問い掛けにシンジがそう叫ぶと、レイは失望が混じったため息を吐き出す。
「それなら、初号機には私が乗る。零号機は修理中だもの」
零号機に赤木ナオコの実の娘でないレイが乗る事になったのには、MAGIの管理はリツコにしか出来ない事や、レイがエヴァに乗るために作られた子供、『ブースト・チルドレン』だと言う事情がある。
ゲンドウやユイは、シンジには真実を明かさず、レイはシンジの従兄妹だと説明していた。
レイはそう言って病室を去ろうとする自分を引き留めないシンジに、さらに悲しさを覚え、ゲンドウの所へと報告に向かった。
シンジはレイを呼び止めて自分が初号機に乗ると言う気概を見せることが出来なかった。
「……そうか、シンジはエヴァに乗りたくないと言っていたか」
レイの報告を聞いたゲンドウはデスクワークをこなしながらそう答えた。
21世紀になっても日本はハンコ社会、総司令のハンコが必要な書類が山ほどあるのだ。
代行してコウゾウに押してもらっている場合もあるが、中にはゲンドウ自ら判断しなければいけない事案もある。
『ダミープラグ・システム』もその一つだ。
「分かった、初号機のパイロットは君に変更しよう」
ゲンドウがそうレイに告げると、コウゾウが口を挟んで来た。
「諜報部からの報告だ。シンジ君が一人で病室から姿を消したそうだ」
「……逃げたのね」
レイがポツリとそう呟いた。
シンジはエヴァに乗らなくても良いと言われても、平然として居られる性格ではない。
後ろめたさに耐え切れずに、ネルフ本部から出て行ったのだ。
もちろんネルフの諜報部が平凡な男子中学生に撒かれるはずも無い。
シンジの居場所は逐一把握されている。
家にも帰れないシンジの行動はゲンドウにも予測できた。
ネルフの手が届かない場所で野宿をするしかない。
野宿と言えば、頼れる相手は……。
<第三新東京市郊外 ケンスケのテント>
家に戻ったシンジは、リュックサックに自分の着替えなど必要と思われるものを詰め込んで、ケンスケを頼った。
サバイバルマニアのケンスケならば、野外で生き延びる方法を知っているとシンジは考えたからだ。
「シンジが家出するなんて大胆だな。分かった、じゃあ俺もしばらく付き合ってやるよ」
「えっ、でもケンスケに迷惑を掛けるわけにはいかないよ」
サバイバルのコツのようなものを教わるだけのつもりだったシンジは、ケンスケの申し出に驚いた。
「遠慮するなよ、俺たちは友達だろ? ……それに、シンジが俺を頼ってくれたのが嬉しいんだよ。だって、使徒を倒してもらった恩が返せるからな」
「僕は何もしていないよ……」
暗い表情で呟くシンジの言葉の意味がケンスケには理解できなかった。
シンジはエヴァのパイロットして使徒を倒したのではないのか。
しかし今のシンジを質問攻めにするのはケンスケにはためらわれた。
シンジとケンスケは第三新東京市の街から離れた箱根の山奥に行き、テントを張った。
観光客も滅多に踏み込まない場所だ、ネルフの人間に見つかる危険は少ないだろうとシンジは思った。
逆に野生生物に襲われる危険性は増している、ツキノワグマが箱根の町内で目撃される事もあるくらいだ。
しかしケンスケは、自分たちの居るこのテントはネルフの諜報部員によって取り囲まれていると分かっていた。
中学生が歩いてネルフから逃げるなんて、しょせん無理なのだ。
「シンジ、これはファイヤースターターって言って、初心者でも簡単に火を起こせる道具なんだ」
「へえ、僕はてっきり棒を回転させて板に火を付けるのかと思ってた」
「きりもみ式で火を起こすなんて、かなりの根性が無いと難しいよ」
「でも父さんはキャンプでそうやって火を起こしていたよ」
「とんでもないな、シンジの親父さんは」
ケンスケからキャンプの基本、火を起こす方法を教わったシンジは、エヴァから逃げた事も忘れてしばらく興奮していた。
次にケンスケはシンジに飲み水の確保する方法を教えた。
ペットボトルの底を切り、石や砂、布を詰めれば泥水を濾過させる道具の完成だ。
沸騰させて菌を殺せば安全に水が飲める。
タオルを体に巻き付けて、草花の水分を集める方法もあるそうだ。
さらにシンジはケンスケに、第三新東京市の近くでも食べられる野草がある事を教えてもらった。
「絶対にキノコだけは食べるなよ。キノコは毒を持っている事が多いから、それで死んだ奴もいるんだ」
ケンスケはシンジにそう忠告した後、『ガチンコ漁法』で川を泳いでいるアユを獲った。
「凄いや、ケンスケは自然の中で生きて行けるね!」
シンジは尊敬の眼差しでケンスケを見つめた。
「綾波が話していたんだ。人類は使徒にアダム樹にされるか、文明を捨てるしかないって」
「綾波が……?」
ケンスケの言葉を聞いたシンジは驚いた表情になった。
「あいつは不思議なヤツだよな。まるで神のように何もかも見通している。シンジも親父さんから使徒が俺達を樹に変える目的を聞いたのか?」
「いや、僕は何も……」
ケンスケの問い掛けに、シンジは首を横に振った。
「小田原に居た人達はほとんど樹になってしまったけど、エヴァが使徒を倒してくれたお陰で助かった人達も居た。あのまま使徒が第三新東京市に来ていたら、俺達も危なかった。凄いよな、シンジにはエヴァに乗ってみんなを助ける力がある、羨ましいよ」
それならケンスケがエヴァに乗れば良いじゃないか! と思いをぶつけるのは幼稚だとシンジも自覚していた。
「俺はシンジにエヴァに乗ってくれと強要する事は出来ない。だけど、大切な物を守れなかったと後悔する事は辛い事だと思うんだ」
ケンスケの言葉を聞いたシンジは目の覚める思いがした。
自分は目の前の辛い事から逃げる事ばかりを考えていた。
これでは綾波に失望されるのも当然だ。
そして、自分のやりたい事は分かっていた。
「シンジ君、ネルフに戻ってくれる気持ちになった?」
そんなシンジの心を見透かしたように、木陰から姿を現したのはミサトだった。
「はい、僕はエヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジです」
シンジは引き締まった表情でミサトにそう答えると、ミサトの4WD車『ランドクルーザー』に乗り込んだ。
「相田君、私からもお礼を言うわ。シンジ君の事、ありがとう」
「俺はシンジの気分転換に付き合っただけですよ」
ミサトは何としてでも説得してシンジを連れ戻すつもりで居たが、ケンスケがその役割を果たしてくれた。
ゲンドウから碇家でトウジとシンジの仲裁に入った事も聞いていたミサトは、ケンスケは聡い子なのかもしれないと思ったのだった。
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