1話
始まりはギロチンの音だった。
夕焼け色の
時代は1793年。フランス革命の勢いのまま非キリスト運動が広がる
当然のように混乱したし、ろくに身動きができない赤子の身体は言うまでもなく不便だ。衛生面での嫌悪感も筆舌しがたく、
だから必死に生き抜いた。情報を得る手段も無ければ、家系による伝手もない一般人だから、当時は不安ばかり抱いていたのを覚えている。そうして神経質になっていく私を、両親が段々と疎ましく思うようになったのもね。
でも自分が何者であるかを知ることで不安は全て無くなった。文字通り一片の「不安」も残すことなく消えていった。だってそうでしょ? 恐れる対象が明確になったのなら、不安の全てが「恐怖」に変わってしまうわけでして。それも解決の糸口すらつかめない恐怖だと一層明確に。
「マリィ、はやくこっちに来てちょうだい」
「はーい!」
だなんて両親に愛想よく年相応を演じても、恐怖が晴れることはない。だって目の前の母親が相変わらず胡乱げなんだもの。心の奥底で私を白痴だって思ってる。今こうやって
嗚呼悲しきかなマルグリット。貴女は数年後に処刑されて亡くなるのよと、
腫物みたいに私を扱う母から目をそらし、意識を奥へ、奥へ、奥へ……。
「……ああ、やっぱり夢じゃないや」
一人称小説のように、誰もいない空間で独り言を口にする変わり者だなんて自虐もできず、私は目の前の光景にうんざりとした。
片方は、無窮に続く
「ちっちっち~……」
今生の名はマルグリット・ブルイユ。心象世界に引きこもり、
マルグリット・ブルイユという少女は神様の交代劇を描くノベルゲームで、「全てを抱きしめたい」という渇望を抱き、生まれながらにして神格である特異な存在だ。
『渇望』とは要約するとF○teの『起源』みたいに能力の方向性を定めるもの。まあ要するに狩人×狩人の『制約と誓約』みたいに能力のデフレを促すもの。そんな感じでふわっと思い出せたのはこのくらい。話が適当? 私自身も自問してしまうが、『渇望』自体は文字通り渇望そのものだとしか言いようがない。
ただ、私が目先の恐怖として見据えているのは、愛称マリィちゃんはキ○ガイとしてギロチンで首ちょんぱをされてしまうということだ。
砂浜と海しかない世界で永遠に生きるなんて精神が持つ気がしないし、お友達も武骨なギロチンだけ。当然、現実世界で生きていくにはギロチン刑を回避しなければならない。
けれど一番に私を悩ませたのは、私に宿るはずだったギロチンの呪いだ。原作では自らに触れる者の首を強制的に切り落とすという物騒な呪いのせいで、「全てを抱きしめたい」という『渇望』を抱くようになっていく。けれど私にはそんな呪いもないし、身体能力も少女相応、無限の魔力とか知識とかの特別性もない。あるのは『黄昏の浜辺』だけ。
この時点で記憶にある原作とは乖離しているから、この先どうなるのか全く想像ができなかった。
(どうすればいいんだろ……)
この時代、十歳にも満たない一般少女の肩身は狭い。ファンタジーだとか以前に、情勢の変化が激しいこともあって日々を生きるのにさえ必死だった。
そんな最中に前世の記憶が舞い込もうものならさあ大変。何もかも無い無い尽くしの私が焦るのも当然だった。そして両親は、私の焦りを気が触れているのだと誤解してしまう悪循環である。
(それで、結局こうなりましたとさ)
ベッドシーツのような布一枚を纏い、私は目の前のギロチンを無感動に見上げる。記憶通り、マルグリット・ブルイユは両親から煙たがられて処刑台へと送られましたとさ。めでたしめでたし……なわけがない。
なんでも、私は魔女だと密告されて両親は擁護もせず引き渡したみたい。魔女狩りなんて今の時代から見ても百年以上前の馬鹿らしい遺物なのに、すっかり民衆は熱に浮かされてしまっていた。確か密告者はアグネスとかいう近所のおばさんだったかな。実に悪そうな顔をしていたのを覚えている。
「嗚呼、かわいそうなマルグリット。でも安心なさい、貴女のことはきっと
「うん、おばさんも元気でね」
それがおばさんとの最後の会話。悪役っぽい笑みを浮かべて私を煽るように手を振ってくれた。
けれど私は純真無垢なマリィちゃん。純朴少女を演じて煽りを受け流すと、アグネスは形相を顰めて踵を返してしまった。少しだけやり返した気分である。まあギロチンに首ちょんぱされるんですけどね。
そうして、処刑台の上に立ちながら最後の光景を目に焼き付ける。悲しき哉、記憶にある至高の魂には程遠いマリィちゃんの前に、カリオストロと名乗る不審者が現れることはありませんでした。どこもかしこもアグネスおばちゃんに惑わされた民衆ばっかりでうんざりする。
「殺せー!」
「やっちまえー!」
「首は俺がもらうぜ、高く売りさばけるからな!」
(民度が悪すぎる!? あっ、そりゃ近世だもんね……)
最後の奴、どう考えてもアグネスに売るつもりでしょ。うーん、このまま死ぬのは本当に癪でしかない。
でも私には何の力もなかった。あればこうして処刑台に立ってないもの。
『黄昏の浜辺』に引き籠ったとしても、この宇宙の私はそのまま処刑される。意識がリンクしているだけの異なる存在でしかない……というより、浜辺に存在する私やギロチン、砂浜や海といった森羅万象が宇宙そのものであり『私』だった。
つまるところ、処刑台に立っている私が死ねば、二度とこの宇宙には戻ってこれなくなる。私の記憶にある求道神という存在ほど隔絶した力は持ち合わせていなかった。
そうして、無力を味わいながら首と手を固定された時のこと。つい先ほどまで民衆の中にいたアグネスの姿が見当たらないことに気づいた。
(てっきり処刑されるところを嬉々として見るものだと思ってたけど……ん? なんでフランスにお坊さんがいるの?)
あの性悪女が私の処刑を見ずにどこかへ行くとは思えない。
気まぐれなのか、或いは何かアクシデントでもあったのだろうか。そう小首を*1傾げながらキョロキョロと辺りを見渡すと、ヨーロッパでは見かけない僧侶の袈裟のようなファッションをしたお坊さんが、私に向けて手で円を描いていた。
すると私を縛り付ける断頭台の下に、火花のような輪郭の穴が開く。重力に従ってギロチンごと私は穴へと落下していき、坊主頭の女性も新しい穴を開いてその中へ飛び込んだ。
「えっと、初めまして? 素敵なヘアースタイルですね」
「初めましてマルグリット。今の貴女の格好も奇抜で素敵ですよ」
「えへへ……あれ? 私の名前をどうして───」
目が覚めるとそこは異世界……というわけではなく、どこか懐かしい東洋風の広場にいた。
そんな広場の中心にいるのはギロチンに縛られたこの私。周囲にいる様々な人種の人々が奇異の目で見てくるも、目の前で佇む坊主頭の女性だけは静謐に私を見下ろしていた。
「ようこそカマータージへ。少なくとも私は歓迎します。貴女が望もうと、望むまいと」