4話
孤独と孤高は違う。僕はそれを、この歳になってようやく理解した。
新兵器『ジェリコ』のプレゼンをしに遥々アフガンまで足を運んだはいいものの、現地のゲリラに捕まった僕は心臓に傷を負い、延命のために兵器開発を強要された。
今思い返せば随分と迂闊な真似をしたものだ。
スターク・インダストリーズは世界各地で恨みを買っている。
それこそ、わざわざ紛争地帯まで張本人がやって来るのだから狙わない手はない。奴らゲリラからすれば、悪の親玉が首を晒しにきたようなもんだろうに。
愛国心だのなんだのと都合の良いことを言ってきた僕だが、巡り巡って自分の身に不幸が訪れたことで初めて気づかされた。僕の作った兵器が、アメリカに心血を捧げた兵たちの命を奪っているという現実に。
いや、アメリカ兵だけじゃない。ゲリラに悩まされる現地の人々もそうだ。
僕は命からがら監禁場所から逃げ出すことに成功する。延命処置をしてくれたインセン教授が自ら犠牲となり、兵器を作り続けていた僕だけが惨めにも生きながらえた。
その事実が重くのしかかってくる。世界有数の大富豪も捕虜になってしまえば非力な人間だ。天才的な頭脳があっても命の恩人1人すら救えなかった。
(……まずいな)
命を無駄にするなと鼓舞されたものの、砂漠に横溢する熱気が肌を焦がすように突き刺してくるから堪ったもんじゃない。
捕虜だったから碌な衣服もないし、当然、飲料水だってありはしない。
良い意味でも悪い意味でも有名な僕のことだ。
軍だって今も僕を探しているだろうが、そう都合よく現実は回らないことを、ついさっき思い知らされたばかり。
「ああ、クソッ! 最悪だ……」
意識が遠のく。
こんなところで死んでたまるかと、意地を張る気力すら湧かない。
脳裏に浮かぶのは秘書であるミス・ポッツのことばかり。
ふしだらな交際をしてきた自覚が少なからずあったが、己が知る以上に僕というやつは一途で初心なティーンみたいだ。我ながら恥ずかしいったらありゃしない。
仰向けに倒れ、燦燦と降り注ぐ太陽へと身を投げる。まるで懺悔を待つ罪人だ。僕がしてきたことを思えば、信仰心が人並みには無かったのが救いだろうか。余計な罪悪感を感じないで済む。
そうして、閉ざされていく視界と薄れる意識へと、心身ともに流されようとした時のこと。
「血、血、血、血が欲しい────」
熱砂には似つかわしくない、鈴のように可憐な声音が聞こえてきたんだ。僕自身、流石におかしくなったのかって自嘲したね。
けど歌声は紛れもなく本物だった。サクサクと僕以外の誰かが砂を踏みしめる音も聞こえたから、意識が一気に現実へと引き戻される。
そして
カンカン照りの砂漠だというのに、日焼けの痕すらない白磁の肌と、裾が破けたベッドシーツみたいな独特のワンピース。ブロンドヘアはこの世のものとは思えず、美しさにはゾッと悪寒だって催した。
僕の汚れた体すら厭わずに、僕の頭を膝枕にして覗き込みながら、小首を傾げる少女はこう言った。
「あの、私を買いませんか?」
「……オーケイ、水があるなら買わせてもらおうか。生憎と倫理までは投げ売りしてないものでね」
その日、僕は女神に出会った。
◇◆◇
あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。
何をすればいいのやら。ニューヨークのサンクタム*1に門前払いを食らった私は、奇異の目に晒されながらタイムズスクエアを彷徨っていた。
お師匠様は破門と言うが、毎日のように『
現に、往生際悪くカマータージへとゲートを開いて侵入したら、すっ飛んできたお師匠様に呆れられながら小突かれたんだもの。もちろん強制送還されましたとさ。
(うーん、文明的な町は久しぶり過ぎてちょっと眩暈が……)
高層の建物群は見上げるだけで疲れてくる。
魔術師だって痴呆じゃない。困難な出来事に直面して魔術師を目指す者がほとんどだから、むしろ文明の利器に詳しい人ばかり。私だってスマホでブイブイ言わせてるもん……お師匠様名義だけど。
あれ? 結局お師匠様の本名ってなんなんだろ? まさかエンシェント・ワンって登録するはずないだろうし……。
そんな下らないことを考えていると、ビルに映し出されたスクリーンに緊急ニュースが飛び込んできた。
『続報です。スターク・インダストリーズCEOのトニー・スターク氏がアフガニスタンでゲリラに襲撃された件について。軍は新たな────』
と、私でも知っている有名人が出てきたのだからびっくり仰天。
はえ~物騒な世の中だなーとか感心するのも束の間、私の中でビビっと直感がひらめいた。
(お小遣いもらって衣食住を確保するチャンス!)
億万長者と言えばトニー・スターク。大富豪と言えばトニー・スターク。トニー・スタークと言えばトニー・スタークである。
いくら私が不老不死といっても、懐が寂しいのは、文明的な人間を自認する私自身が許せなかった。見返りにお駄賃が欲しいって打算があっても仕方ないよね。
というわけで早速スリング・リングでゲートを……開くことが出来ないんだよねこれが。
アフガニスタンには行ったことが無いからゲートを使えない。ドラ〇エのル〇ラのような縛りである。強い意思や明確な目的があれば、術者の潜在的な才能でゲートを開けたりするけど……甚だ残念ながら私には魔術の才能がめっきり無い。
つまるところ徒歩である。しかし侮るなかれ、新生マリィちゃんは今までとは一味違うのだ。
(イヤッッホォォォオオォオウ!)
そう! 私はついに人類の悲願である生身での飛行を可能としたのだ!
さながら気分はエド・フェニッ〇スである。白いスーツにゴーグルを着ければ更に完璧かもしれない。
マッハを超える速度でニューヨークはもう遥か彼方。大西洋の横断も天気が良好で実に爽快だ。
嗚呼、空を飛ぶのはなんて気持ち良いんだろう────これが自分の力なら素直に喜べたんだけどね。
(せいいぶつの ちからって すごい!)
ヘルメスの靴、通称タラリアが齎す飛行能力に私は感動しっぱなしだった。
お師匠様に強制送還される前、カマータージで埃をかぶっていたこの聖遺物を少しばかり拝借したのである。
私がどんなに南無三パワーでゴリ押しても、空中という3次元的な戦闘は不可能だった。
スリング・リングも、戦闘しながら悠長にゲートを開く暇はない。
そこで魔術師が魔術師たる所以の一つ、レリックに頼ろうと天才的なマリィちゃんは思いついたわけである。
魔術の才能が無くても、レリックはよほど相性が悪くない限り扱うことが出来る。なぜならレリックそのものに魔術が施されているからだ。*2
だから私の身体スペックと、タラリアの空中浮遊とは実に噛み合っている。
弟弟子のレリックであるヴァルトのブーツは空を蹴ることが出来、ニューヨークのサンクタムに保管されている浮遊マントは文字通り浮くのだが、タラリアはその中間と言ったところか。
良いとこどりをしているように見えて、ヴァルトのブーツほどシンプルではないし、浮遊マントみたいに取り回しが楽でもない。言わば中途半端なレリックである。
しかし人間を超越した私なら話が別だ。身体スぺックのゴリ押しで無理やり制御することが出来る。
「見つからないなぁ」
スマホのGPSで位置情報を確認しながら、数刻もせずアフガンには到着した。聖遺物さまさまである。
けれどそう簡単には見つからない。というか私なんかが見つけられるなら、その道のスペシャリストである軍人さんたちがとっくのとうに見つけてる。
近くには軍の基地もあるらしいし、もしかしたらレーダーに感知されたかな……いやいや、まずは人命優先だ。とにもかくにも社長さんを探すことから始めないと。
そんなこんなで探索すること数十分。転機となったのは、遠方の岩石地帯で起きた大爆発だった。
「うわっ、痛そう……」
一般的な人間でも気づくレベルの轟音で、爆発とともに上空へと打ちあがった人型の何かが、バラバラに四散しながら砂丘の向こう側に叩きつけられる。思わず私も目を閉じた。
生身の人間なら全身打撲で碌に動けないはず。
砂漠に足を取られながら、空を飛ばずに砂丘を超えると、金属の人形が分解されて横たわっていた。
残された足跡を目で辿った先には、覚束ない足取りで歩く人影がある。間違いない、この人形を作った人だろう。私は後を追った。
(う~ん初対面だと怪しまれるかな)
観光名所でもない砂漠で女の子が一人、しかも白無垢のワンピース。見るからに不自然な格好かも。流石の私もちょっと可笑しいとは思う。
なら良い方法は……思いついた!
「ちっちっち~ちがほしい~」
私の歌を聴けーっ! と我ながら妙案だと思う。
疲れた時や滅入った時こそ歌うべき。そうやって私は辛い修業を乗り越えてきた。お師匠様や弟弟子には微妙な顔をされたけど……。
鼻歌を時折混ぜながら、私は人影の後ろ姿を追う。
長くは持たないと思った通り、その人は1時間もせず仰向けに倒れてしまった。
そりゃ砂漠に叩きつけられたし体力も持たないよね……私は歌いながら近づいていく。
「ちっちっち~ちがほしい~、ぎろちんに~そそごう~」
間違いない。ニュースで見た写真と同じ顔をしている。
髭がちょっと濃くなった気もするけど、間違いなくトニー・スタークその人だった。
変わったことと言えば、胸に変な機械を付けてることだけど……今はそれどころじゃなかった。
「あの、私を買いませんか?」
「……オーケイ、水があるなら買わせてもらおうか。生憎と倫理観までは投げ売りしてないものでね」
プレイボーイは声までもイケてるのか、体調に見合わず余裕のあるセリフで、私の瞳をじっと見つめ返していた。