「おいおいおい。僕は確かに派手好きだが、B級ファンタジー映画は勘弁願いたいね。秘書がオファーを断ってるはずなんだが」
「秘書さん? でも今は
「ステイステイ。言わなくても分かってる、ちょっとした再確認さ。その、なんだっけ? エルドリッチさんの何たらかんたら」
「エルドリッチ・ライトだよ。ほら、ゲートを潜ればセントラルパークが」
「……現実なのか」
ヘナヘナと砂の上に尻もちをついて、僕は呆けたように口を半開きにしていた。
彼女がゲートとやらを作ってる間は、胡散臭く思って眉を顰めていたものの、開いたゲートから入り込む涼しい風が灼熱でひりついた肌に現実感を齎した。
信じがたかった。小型化に成功したアークリアクターとは違う意味でカルチャーショックを覚えてしまう。
けれど少女は放心する僕のことなど気にも留めず、能天気に言い放った。
「でもちょっとだけお小遣いがほしいの。今手持ちが心許なくて……」
「通行料は僕の
「学校? 行ったことないけど」
「……なら家族か知り合いにでも教わらなかったか? 困ってる人がいるなら助けてあげようボランティア精神!ってね」
「ボランティアかぁ。それで有名になれば、もっといっぱい兵器を作れるもんね」
「君というやつは……」
指で髪を弄りながら、少女は悪意なく小首を傾げた。
そうだとも。兵器製造に反発する連中は旧アーク・リアクターの科学実験で黙らせたし、その名声で経営は軌道に乗って、スターク・インダストリーズは今や世界トップの大企業さ。平和の宣伝が兵器産業を豊かにしてくれたのだから皮肉なもんだね。
……まあ、その皮肉のツケを支払ったのが今の僕ってわけだ。肩書も、資産も、愛国心も。僕が重ねてきた愚行の数々と天秤にかければ、軽々しく薄っぺらなものだった。
少女の皮肉に返す言葉を窮してしまったのは、そういった自覚が少なからずあったから。
「あっ、
「いや結構だ。これ以上は吐いてしまいそうだよ、それもとびっきりの文句とセットで。どこかの意地悪なお嬢さんが虐めてくるから」
「お嬢さんじゃなくてマ・リ・ィ! 資本主義マンなのにケチ」
「そうだったなマリィ。ペットボトルはしっかり分別してくれよ。我が社は再生エネルギーも取り扱っているんでね。こんなことで秘書に怒られるのはうんざりだ」
そう言いながら、飲み終えたペットボトルをマリィへと押し付ける。
ゲートには通行税を設けるのに、飲料水はタダで譲ってくれる理解しがたい線引きをする少女だ。
建前でしかない再生エネルギー云々を疑いもせず、ゲートの向こうでペットボトルを捨てに行く姿も、痛快な皮肉を飛ばしたのとは裏腹にオツムの方があまり宜しくないように見える。天然なのか? それともイカレなのか判断しかねるな。
まあゲートなんて非常識を見てしまったら、砂漠で汗一つかかないことも、日焼けをしそうにないことも、超然としている姿が
「で、結局ゲートは通るの?」
「
「そっかぁ……なら!」
名案ではなく珍案が思いついたのか、マリィは僕に向かって両腕を差し伸べた。
正直、意味が分からない。僕の天才的な頭脳をもってしても彼女の意図することが推測できなかった。もっとも、悔しくないどころか、理解できないことに安心したのは人生で初めてかもしれないが。
まだまだ僕は常人だ。目の前のハチャメチャガールに比べれば、週刊誌を騒がせるプレイボーイなんてちっぽけなもんだろう?
「……済まないが求愛ポーズか何かか? 悪いね、流石の僕も君は守備範囲外だ。四番
「残念だけど
「ああ、あのXper〇aか。日本製にしてはまあまあだな。カスタマイズOSの最適化が甘い、そのせいでレスポンスは最悪、実動作はSoCのカタログスペックに程遠くて────」
「うーるーさーいー。つべこべ言わないの! そこまで私が
めっ! と子ども扱いをしてくるマリィは、強引に僕を両腕で抱き上げた。
そういうプレイかと冗談めかそうとした僕は、一瞬何が起きたのか理解するのに遅れてしまう。
さながら僕は囚われていたプリンセス。迎えに来た
「ちょ、ちょっと待て!?」
「だーめ! 社長は社長らしくドンと構えてなきゃ」
「そうじゃない! というか今は無職だ! いやそれも違う! とにかく、半日もあれば今の僕でも十分に歩ける。いい子だから辞めてくれ」
現実を思い知って僕が改心したといっても、漢のプライドまで捨てた覚えはない。
一回り以上も年下であろう少女にお姫様抱っこをされるなんて、捕虜を経験した僕でも羞恥心がこみ上げてくる。
そんな僕の胸中を知ってか知らずか……この反応だと知らないんだろうな。或いは
マリィは鼻歌を歌いながら、ゲートを閉じて基地の方向へと歩き出した。
「残念。私は良い子じゃなくて、罰当たりな悪い子なの」
花が咲いたようにはにかむ相好は、どこか狂気的な様相を孕んでいた。
◆◇◆
私を買収して! 作戦は呆気なく撃沈した。
ニューヨークにゲートを開いて、なけなしの小銭で飲み物を恵んであげるまでは計画通り。絆された社長は、はした金だとか何とか言ってお小遣いをくれると思ってたのに……どうやらゲートウェイを潜らない理由があるみたい。
口は達者に動いていたけど、ゲートへと名残惜しそうに視線を送る表情は、どこか決意めいた覚悟があったから強引には帰せなかった。
「最悪だ、全く最悪だ。生き残ったかと思えば辱められるなんて。女神さまはとんだ疫病神だったわけだ」
「役得役得」
「それは君がだろプリンス・マリィくん。プリンセス・トニーちゃんの尊厳はズタズタさ」
「男女差別は禁止でーす」
「それは失敬。しかし我が社ほど多様性豊かな会社は世界を見回しても存在しないはずだ」
「社長さんが個性の塊だもんね」
軽快に減らず口を叩いているものの、身体は時折痙攣して冷や汗も滲んでいた。
社長が気付いているか分からないけど、私が触れることで砂漠の暑さは遮断されているから、これは社長自身の体調が著しくない証拠だった。
半日歩けば辿り着けるなんて強がりが過ぎる。水分補給とちょっとしたカロリー摂取をしたからと言って、すぐに体力や体調が回復するはずないのに。
私でも知ってるくらい有名な軍需産業のトップにしては、随分とお人好しなんだなっていうのが初印象。
自称リベラル派が支配するメディアで『死の商人』だなんて揶揄されていたけど、囚われの身になったことで心境の変化でもあったのかな?
けれど私が尋ねることはなかった。捕虜となっていた頃の出来事を掘り返すのは、いくら私でも不謹慎だって理解してるからね。
それに社長だって嫌々言いつつ、私がお姫様抱っこすることを自然と受け入れているもの。普通ならこんな細腕で成人男性を抱えて砂漠を歩くことなんて出来ない。
ゲートの
そんな無職コンビで歩くこと数刻。米軍駐屯地まであと半日くらいの距離になると、私たちの下に数台の軍用と
「あれは?」
「……どうやら、本物の女神さまが微笑んでくれたらしい」
警戒を解いた社長を降ろし、砂漠の上で一緒に座り込んで数台のジープを迎える。
見事なドラテクで砂丘の高低差もなんのその。
軍人さんって凄いなーと暢気に待ち構えていると、ジープから現れた兵隊さんたちが私たちを取り囲んだ。
当然、彼らは銃を持っている。中にはスターク・インダストリーズ製の火器だってあるかもしれない。
皮肉もここまで来ると面白いと思う。軍人さんたちが銃口を向ける先は、製造元の社長であり、任務で捜索してるであろうトニー・スタークその人なのだから。
「ねえ社長。やっぱり自決するなら自分の銃の方がよかったりするの?」
「んなわけないだろ! というか彼らは僕じゃなく君を狙ってるんだ!」
「動くな、手を挙げろ!」
軍人さんの一人に一喝され、反射的に私と社長は揃って両手を挙げた。まるで漫才コンビみたい。
なんで社長まで手を挙げてるんだろう? 不思議に思って首だけ隣に向けると、社長自身もキョトンと放心していた。
よくよく観察すると、今の浮浪者っぽい社長は、遠巻きだと怪しい人物に見えなくもない。軍人さんがそもそもトニー・スタークだと気付いてなくて、私自身も砂漠には似つかわしくない恰好から、娼婦か何かかと勘違いされてるのかも。
甚だ心外だった。盲点である。
砂漠のど真ん中で浮浪者と娼婦が二人。旅の記録は年下にお姫様抱っこをされる中年男性という、碌な思い出が無い旅路はここで終わりのようだ。
「待て! お前たち、銃を降ろせ」
かくして、マリィとトニーの千夜も一夜も明けてない愉快な物語に終止符が……打たれることはなかった。
私達が呆けていると、ジープから遅れて黒人さんが現れる。
重役出勤かな? 相応に階級が高いのか、取り囲んでいた軍人さんも一声で銃を降ろしてくれた。
私はともかく、心臓の具合が悪そうな社長の負担が減ったことで少し安堵する。
大丈夫かなと気になって社長を窺うと、私と出会った時よりも喜色を浮かべていた。
「ローディ! 君の子飼いに言ってやれよ。その
「未成年の女まで引っ掛けて、随分と愉快なドライブだったみたいだな? 次があるなら
「よせよ、人聞きの悪いことを言うな」
ローディと呼ばれた軍人さんは社長の知り合いらしい。
男の友情とやらか、互いに軽口を言い合いながらも社長とローディは固く抱きしめ合う。
完全に私は蚊帳の外。待ちぼうけをくらって少し気まずさすら感じていた。
これで無職の浮浪者は晴れて社長に復職だ。残ったのは勘当されて無職の罰当たりな娘だけ。
この場におけるヒエラルキーの最底辺である。悲しいなあ……。
「それでトニー、そこのお嬢さんは一体何者なんだ? 一緒に逃げてきたのか?」
「あ~……バターとマーガリンの違いをご年配に説明するくらい面倒なことがあってだな」
「なんだそりゃ。済まないが話を聞かせてもらう。安心しろ、手荒な真似はしない」
「は~い」
「見ての通り、ちょっと
アレとは失礼な。社長をここまで送ってあげたのは他ならぬ私だろうに。
ムッとする私に対し、社長は肩を竦めてこう言った。
「安心しろ。彼は僕の友人、軍でなら僕以上に顔が利くさ。チーズバーガーくらいは差し入れをしてあげよう」
※この物語はフィクションです。作中の製品は実在の企業と多分関係ないです。