アナタは誰よりも美しい   作:Я i И

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トニー・スタークを曇らせ隊


7話

「申し訳ありません()()。取り逃がしました」

 

「こちらでも確認した。目標はニューヨーク上空、高度約300メートルに出現。幸いネット上に拡散された様子はない。そのままカリフォルニアへと一直線、奇遇だな」

 

「やはりスターク絡みですか。私見ですが、()()とはまた別の異能のようです」

 

「恐らくな。軍には緘口令を敷かせる。コールソン、君は引き続きスタークと接触しろ。ハメを外しすぎるなよ?」

 

「『消防士の家族の為の基金を募る会』でしたか。知識に呪われた男にしては中々にファンシーな────」

 

「その表現はやめろ。目が疼く」

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「時には歩くより、まず走れだ」

 

 J.A.R.V.I.S.の制止を振り切り、完成したばかりのパワードスーツでトニーは空高く飛び上がった。

 屋敷を出て海へ。海を越えてロサンゼルスの都市部へ。

 闇夜を切り裂く銀の流星は、トニーだけの力で完成させた渾身の力作だ。

 軍のような、国のしがらみに囚われた抑止力ではない。エゴを貫き通すために創り出した理想にして高慢そのもの。

 トニーは魅せられていた。様々な苦悩・葛藤を乗り越えて作り上げたスーツと言えど、眼下に広がる文明の光と自然の調和は、何物にも代えがたい美しさを誇っていた。

 次第に気分が高揚していく。今この世界で、この興奮を味わい尽くせるのは自分ただ一人だけだ。その優越感は留まることを知らず、トニーのプライドは刺激されていく。

 飛行制御は完璧だ。リパルサーの調子も良好。

 ならば試さずにはいられない。この玩具(オモチャ)で一体どこまで飛ぶことが出来るのか。知的欲求にすっかり絆されたトニーは、結露を危惧するJ.A.R.V.I.S.の警告を無視して、自分を奮わせるかのように叫んだ。

 

「行け! もっと高く!」

 

 アラートがエマージェンシーを告げる。マスク越しの視界が氷結して、鮮明だった月明かりが朧げになっていく。

 しかしトニーは止まらなかった。止まることが出来なかった。

 湧き出て止まない探究心は、まるで何かに蓋をするように。

 突き動かす衝動は高みを目指せと、無力に怯えるトニー自身へと囁いてくる。

 結露によって脚部のリパルサーが停止しようが、トニーは上を向くことをやめなかった。徐々に上昇慣性を失い、命の危機が近づいても時の流れが緩慢とさえ思えてしまう。

 虚無感が身を支配していた。

 果たして、この玩具(オモチャ)がトニーの理想に届きうるのだろうか。真に己の意思でスタートを切ったからこそ、今までの自分がどれだけ無駄な時間を過ごしてきたのか理解してしまう。

 謂わば、空飛ぶ猿だ。どれだけ空の上ではしゃごうが、地上には指先一つで瞬間移動する奇術師が跋扈している。その現実を知っているのに浮かれることができようか。

 柄にもなくネガティブな考えに支配されながら、遂にトニーは推進力を失ってしまった。しかし空中遊泳のようにもがこうともせず、脱力して自由落下に身を任せる。

 いっそ、このまま落ちていくのはどうだろうか。不意に(よぎ)る破滅願望が、この瞬間だけは甘い果実のようだった。

 そうして、どこまでも墜ちていく。絶望も、死も、何もかもが煩わしくて投げ出しそうになった時、

 

「トニー!」

 

 誰かが、自分の名を呼んだ気がした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 ひどく、冷たいと思った。

 金属のスーツじゃなくて、ぐったりとした中身の方。

 数日会わなかっただけでこうも変わるんだ。ううん、社長の心労に私が気付けなかっただけ。

 私なんかが社長の考えを理解できるはずがない。でもJ.A.R.V.I.S.が教えてくれた。

 

「もうっ! 時間外労働はしないって決めてたのに!」

 

「……なぜ此処に居る。ローディはどうした?」

 

「気になるならローディとしっかり向き合って。それよりもちゃんと寝なきゃダメだよ……」

 

()()()()? 寝なきゃだって? J.A.R.V.I.S.だな? ……おいJ.A.R.V.I.S.! 随分と遅い反抗期じゃないか」

 

 社長もローディも、私を子供扱いしときながら裏ではこう。

 軍需産業から撤退した社長とローディの仲は冷え込み中。

 会見をしてから社長がホテルに現れなかったのは、なにも人形遊びに忙しかったからじゃなさそう。軍人であるローディは、今更になって怖気づいた社長に呆れてしまったらしい。

 愛国心も大事だ。綺麗言だけでも世界は回らない。しかし横流しされていたとはいえ、スターク・インダストリーズの兵器は、確かにアメリカの自由意志へと貢献している。

 ローディには甘えに見えたのかもしれない。今まで現場を知らずに兵器を作り続けてきた男が、現実を知って子供のように臆してしまう。そう見えてしまったのかも。

 悲しい友情だ。けれど原因は社長にだってある。

 社長はローディを信じ抜くことが出来なかった。こうして一人、機械に疎い私からしてもぶっ飛んだパワードスーツを作り、使命感に駆られて貪欲に力を求めている。自分の作り上げた力を自覚しているからこそ、周りを頼ることはしなかった。

 

「J.A.R.V.I.S.は悪くないよ。悪いのは心配させた社長だもん」

 

「心配だと? おセンチ*1なことで。そうプログラムされてるだけだ」

 

「ご主人様に嫌われてでも助けるように?」

 

「……そうさ。僕は人道主義に鞍替えしたものでね」

 

 そう言って、社長は私の背中から飛び降りた。

 ……すごい。最新鋭のジェット機すら骨董品に見える。まさかFAXが現役の時代にSFファンタジーが実現するなんて。

 社長の減らず口のように笑い流せればどれだけマシか。目の前で単独飛行するパワードスーツは、いつもの冗談なんかじゃなかった。

 

「武器は、もう作らないって────」

 

「君が言うか? よりにもよって君が」

 

 逆鱗に触れてしまったのか、社長の感情が発露した。

 

「私?」

 

()()()()()()んだよ。ゲートだとか、魔術だとか。そんな非科学的なものが世界中に溢れているとして、僕が数日かけて作り上げたのは空飛ぶ寝袋だ。弾避けになればマシだろうが、君たちマジシャンは指先だけでフットボールの決着*2がつく。いつまでも普通でいられるわけがない」

 

 らしくない、実にらしくない。社長はうわごとを繰り返しながら、マスクの奥でスリング・リングやタラリアを睨みつけていた。

 私も今更になって気づいてしまう。社長をここまで追いつめていたのは、私が軽い気持ちで見せていた神秘だということに。

 正直、私ですら社長の会見は正義感が先走ったものとばかり思い込んでいた。まさか帰国してすぐ、今日までずっと世界の不条理に悩まされていたなんて想像が及ぶはずもない。

 その在り方は危うかった。愛国心が行き過ぎているとか、そんな次元の話じゃない。平和に狂った殉教者と一体どんな違いがあるのかな?

 

「ねえ社長」

 

「なんだ」

 

「社長はさ、ヒーローになりたいの?」

 

 ロサンゼルスの夜景を背に、マリブの自宅へと帰路につく社長を追う。

 情緒は平静を取り戻していた。社長は私の言葉へと確かに逡巡して、いつものジョークよりも返す言葉に窮していた。

 

「……柄じゃない。ヴィランどもより女のケツを追ってた方がマシだろ?」

 

「そうかな。今の社長ならちょっとカッコいいかも。ちょっとだけね。でも女の子にセクハラは駄目なんだよ?」

 

「訂正しろ、『今の』じゃない『いつも』だ。君は年の割に……ケツも胸も追っかけ甲斐があるかもしれないが、オツムの方がまだまだだな。大人になってから立候補してくれ。兵器根絶よりも先に捕まる気はないんでね」

 

「社長のえっち」

 

 ……うん、もう大丈夫。

 一通り感情を吐き出してスッキリしたのか、いつか見た減らず口が飛び出してきたことに安堵する。

 普段通りの社長に戻ると、相変わらず少しお茶目なユーモラス・トニー劇場の開幕だ。

 社長がカッコつけて屋根の上に着陸しようとしたら、スーツの重量を忘れて地下の駐車場まで真っ逆さま。咄嗟に私もスカートの裾を抑えたから問題なし。マリィちゃんはガードが固いのである。

 

「おいダミー、冗談はそのトロさだけにしてくれ」

 

「ダミーって?」

 

「コイツだよコイツ。我が家のペットだ。じゃれつきには気をつけろよ、消火剤を塗りたくられるからな」

 

「そうなんだ。じゃあ社長はすっごく懐かれてるんだね」

 

「慧眼どうも。マジシャンにしては目が悪いみたいだな。今度良い眼科を紹介してやる」

 

 と、社長んちのペット? なロボットアームは健気にお辞儀をしてくれた。その隣で寝そべる社長は消火剤を撒かれて粉を吹いてたけどね。

 たんこぶを作った社長は、大富豪には似つかわしくないビニール袋の氷水で頭を冷やす。後でSNSに上げてみよう。滅多に見られないと思う。

 私はというと、ソファーに寝そべってファッションカタログを読んでるけど……何も言わないのかな。流れで豪邸にお邪魔したけど、誰かからの贈り物を嬉しそうに開封する間は、社長の邪魔をする気になれなかった。

 

「『トニー・スタークにもハートがある』……か」

 

「これって、前に使ってた胸の機械?」

 

「その通りだフロイライン。大人の女性ってのは気が利くものなんだよ。わかるか?」

 

「そうだね。社長にはもったいないかな」

 

「おいおい。僕以上の男を探す方が難しいだろ」

 

 分かってないな、行くぞJ.A.R.V.I.S.────すっかり反抗期を忘れて社長は作業机へと戻っていった。

 ここに居ていいのかな? ちょっとだけソワソワしつつ、カマータージで修業に明け暮れていた頃には見ることのできなかったファッション雑誌へ夢中になってしまう。

 そうして時間を潰していると、社長はながら見していたテレビの音量を突然上げた。

 

『さあ今夜はこちらのコンサートホールのレッドカーペットからお送りします。トニー・スターク主催のチャリティーイベント、消防士の家族のための基金を募る会……』

 

「J.A.R.V.I.S.、招待されたか?」

 

『招待された記録はありません』

 

「私もないよ」

 

「そりゃ可哀そうに。親は消防士だったか……」

 

「ううん。密輸斡旋業だよ」

 

 私の申告をジョークとでも思ったのか、社長はセンスが無いと一刀両断。本当のことなんだけどね……。

 テレビに映るリポーターが、社長の不参加を拉致されたトラウマだとか言ってるけど、当の本人は怪訝そうに眼を細めていた。これは厄介そうな匂いがする。私の軽い口もチャックする時かもしれない。

 

「ちょっと派手じゃないか?」

 

『失礼。貴方は控えめな方でしたね』

 

 何かのコントなのだろうか。

 雑誌から視線を滑らせると、見るからに派手な車を指してパワードスーツの色を指定する社長の姿があった。しかも()()()()()()変な飲み物まで飲んでる始末。スムージーよりも毒々しいから碌な代物じゃなさそう。

 

『完成まではおよそ───5時間です』

 

「先に寝てていいぞ」

 

「うん。おやすみ」

 

「君に言ったんじゃない。J.A.R.V.I.S.に言ったんだ。今夜は寝かせないぞ?」

 

「ええ~……」

 

『恐縮です。良い夜をお過ごしください』

 

 ブラックジョークも色男が言えばネタになる。嫌そうな顔をする私に、社長は数冊のカタログを放り投げるようにして寄こした。

 どれもが女性向けのファッション雑誌で、高級・有名ブランドばかり。

 

「買収したホテルが無駄になったんだ。タダ働きで帰らせるほど僕もお人好しじゃあない」

 

「話が見えないけど……」

 

「つまりだな、その前衛的なファッションをどうにかしてくれ。僕は嫌いじゃないがね。これから事業()忙しくなる。まずはスポンサー選びから始めようか、就職祝いは3着まで。ああそれと」

 

「それと?」

 

「外で『トニー』は禁止だぞ? いいな、記憶したか?」

*1
センチメンタル

*2


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