アナタは誰よりも美しい   作:Я i И

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9話

 懐古する。

 兵器を作っていた自分。テロリストに捕まり現実を知った自分。そして偽善の赴くままグルミラで武力に怯える人々を救った自分。

 贖いなんて高尚なことを言うつもりはなかった。

 鋼鉄の着ぐるみを纏い、現実への悲憤はマスクで隠し、目の前に蔓延る不条理を覆したいと願っているだけ。

 自分には力があった。しかし今までは、有体に言えば信念が無かった。

 資本主義の権化。愛国を騙る死の商人。そんな揶揄を下らないと一蹴していた過去の自分からは、決して逃げることなど出来はしない。

 たとい鋼鉄のコスプレ男が自分だと表明しても、トニー・スタークという男が流した夥しい屍山血河の前には救った命など塵にも等しい。そもそも彼自身、そんなことで()()()()()などと微塵も思ってはいなかった。

 ───懐古する。

 命を救ってくれたインセン教授。孤独から拾い上げてくれたマルグリット。代えがたい日常を与えてくれるペッパー・ポッツには、また苦労をかけさせてしまった。

 けれど、もう道を違えることはない。迷うことはあるかもしれないが、自身が生み出した力で何を成すべきなのか。トニーはひとまずの答えにたどり着くことができた。

 

「正しい道だと信じている……か」

 

 独り()ちてから、トニーはグラスに残ったウイスキーを飲み干した。

 自分らしくない。こんなヒロイックなセリフを真面目な顔で口にした自分が、今になって浅ましく思えてきた。

 それでも余韻は心地よかった。酒のせいで自己陶酔をしているのかもしれない。高揚するような刺激的なものではなく、大切な人々との邂逅が想起される穏やかな気分だった。

 過去は血みどろだ。でもそれだけじゃない。ペッパーと歩んできたこと。ローディと友情を交わしたこと。マルグリットに揶揄われたこと。インセンが絶望の淵で手を差し伸べてくれたこと。それらは確かに、トニー・スタークを変えてくれたのだから。

 小さく嘆息して、思考の海から浮上したトニーは、着信の届いている携帯を手に取った。相手は秘書のペッパー、兵器の横流しを突き止めるために動いてくれている。その進展があったのだと容易に推測できた。ペッパー相手に先のセリフを口にしたのは記憶に新しい。

 

『マルグリットから聞きました。貴方の覚悟も、苦悩も、そのスーツのことも。だからこそ、貴方のお手伝いは出来ません。……お願い、自分を殺そうとしないで』

 

『アイツめ。やってくれたな』

 

『彼女だって、社長を心配しています。でなければ私を巻き込んだりはしないはず』

 

『……()()()()()。どちらにせよ、僕はコレを着続ける。でなきゃ生き返った意味が無い』

 

『あります! 絶対に! ……仮に、生き返ったことに意味が無くても、その()()()()(なげう)つなんて────』

 

『無駄なんかじゃないさ。僕にしかできないことだから。やっと気づけたんだよ、何をすべきかね。それが正しい道だと信じている……信じることが出来る』

 

 少々……いや、かなり卑怯な告白だったとトニーは自覚している。

 脅し文句と何ら変わりはしなかった。手伝ってくれなかったとしても、死地へと赴く覚悟はとうにしていた。だから命を無駄にしてほしくないなら手伝ってくれと、トニーの述懐はペッパーとの決別になってもおかしくはない。

 だがそうはならなかった。手に取った携帯には、確かにペッパーからの着信が届いている。

 危険な頼みごとをしてしまった。それでも彼女は見事務めを果たしてくれた。

 次こそ、スターク社が裏で働く悪事を根本から是正できるはず。そう逸る気持ちのままにトニーが応答ボタンを押下した瞬間、

 

「トニー、身内とはいえ顔パスはいかんなぁ。私もついさっき、スターク社のセキュリティの甘さ*1を再認識したところだよ」

 

 キーンとした音とともに、オバディアが邪悪な笑みを浮かべてトニーを見下ろしていた。

 

「……ッ!」

 

「おっと動かん方がいい。政府に認可こそされなかったが、作り上げた君自身がコイツの性能をよく理解しているだろう?」

 

 オバディア本人は特殊なイヤホンを付け、ソニック・テイザーから放たれる高周波を防いでいた。忘れもしない。ただ粛々と兵器を作り続けていたかつてのトニーからしても、最悪と呼べるものの一つ。それをどういうわけか、叔父であるはずのオバディアはトニーに使用していた。

 中枢神経が麻痺し、トニーの首元が血色を失っていく。およそ人道的な兵器とはいえず、苦痛を与えることに特化したソレは、かつてのトニーですら見向きもしなかった代物だ。

 脳へのダメージは人体機能そのものの低下を招く。身体が思うように動かないどころか、五感まで奪われかねない状況にトニーは焦燥に駆られた。

 

「ああ、そんなに急いでどうしたんだトニー。想い人より自分の心配をすべきじゃあないのか? アフガンで捕まった時のように」

 

「……っ!」

 

「おかしいと、ありえないと分かっていたはずなのに。お前は真実からいつも逃げてきたな? 愛国だのなんだの……兵器は兵器だ。頭の出来が良い君が、どうして兵器の横流しを見逃す? なぜ偶然、要人でもある君がアフガンで野蛮人共に捕まった? 謎解きをするまでもない。お前はずっと、理想を求めるあまり現実から目を背けていたのだよ。ハワードが死んだあの日からずっとな」

 

 恍惚とした表情で語るオバディアの視線が捉えるのは、たった一つの真実だけ。

 

「だが────このアーク・リアクター(真実)だけは、私が語り継いでやろうじゃないか」

 

 トニーが帰還した時から狙っていたのだろう。摘出するためだけに作られた装置で、オバディアはトニーの胸に埋め込まれたアーク・リアクターを抜き取った。

 動悸が早まる。しかし不思議なことに、自らの命の危機よりも、ずっと抱いていた疑念が氷解したことへトニーは心の中で自嘲していた。

 

(……ああ、そうだろうさ。僕はずっと逃げてきた)

 

 父であるハワードと仲が良いわけではなかった。むしろトニーからの印象は最悪と言っても過言ではないが、それでも母を含めて実の家族だった。

 両親を亡くした時、トニーと父親であるハワードの関係は冷え込んでいた。そのまま今生の別れを経てしまったトニーは、無意識に叔父であるオバディアを疑うのは避けていた。

 だがアフガンで捕まった時のように、原因が叔父のオバディアだったとしても、そこから目を背けていたという事実を、現実はトニーへと容赦なく突き付けてくる。起因はどうあれ、これが自嘲せずにいられるだろうか。

 

「なに、安心するといい。君の愛人もすぐそちらに送り出してやろう。忌々しい捜査官どもと一緒にな。……あー、君が連れてきた小娘がいたか。端金にでもなれば解放してやるとも。()()()の面倒までは見てやれないがな」

 

 何を馬鹿な、と言おうとしても舌は回らない。

 アーク・リアクターを失ったトニーへと嘲笑を送ったオバディアは、ペッパーの焦燥を響かせる携帯電話を踏みつぶして、足早に去っていった。浮わついたその姿は、兵器へと魅入られたマッドそのもの。かつて、嬉々として兵器を作り続けていたトニー自身の映し鏡だ。

 ()()()()()()()。昔のトニーでさえ越えなかった一線をオバディアは越えている。強奪されたアーク・リアクターによる脅威だけではない。文字通り死を振りまく天災となってしまっていた。

 ならば、止められるのはアーク・リアクターを創造した自分だけ。その使命感に突き動かされ、胸の金属片*2が心臓へと迫る中、トニーは覚束ない足取りで地下の作業場へと向かった。

 

「……あった」

 

 独り言を零すトニーが捉えたのは、ペッパーがインテリアとして飾りつけをしてくれた旧型のアーク・リアクターだった。

 つくづく悪運に恵まれている。アフガンで致命傷を負った時と同じく、トニーを救ってくれたのはインセン教授との縁だった。

 

(『命を無駄にするな』……まだ死ぬには早いらしい)

 

 発破をかけられた気がする。空虚な妄想だし、スピリチュアルで荒唐無稽でも、朦朧とする意識を気力でこらえるには十分だった。

 血色は死人のように青白くなっていたが、トニーの眼光は鋭く尖り、ただアーク・リアクターだけを見つめていた。

 ペッパーが繋ぎ止めてくれた奇跡を、この時ばかりは必然とすら思える。

 気力はあれど、立って歩くほどの力すら失ってしまった。ならば這いつくばってでも生き延びてやる。この命を無下に投げ出すなんて、トニー自身が許せなかった。

 あと少し。伸ばした手の、指の先からアーク・リアクターまで一寸もない。

 『トニー・スタークにも(ハート)がある』……ペッパーから贈られた言葉が、今は何よりも心強かった。

 

「届け……!」

 

 数センチ。数ミリ。そして爪の先が触れる。

 だがそこまでだった。リアクターが納まるガラスケースを掴むには及ばず、遠ざかってしまったことで振り絞っていた気力も一瞬にして萎えてしまった。

 鼓動が弱まる。気力すら湧かない。今こうして無力に喘いでいる最中、ペッパーに危険が迫っているというのに、意思だけで理不尽を覆せるはずもない。誰よりもトニーがそれを知っている。

 

「ダミー、いい子いい子」

 

 深く息を吐いて、最期に全てを賭けよう。トニーが残るすべての力を全身に込めたようとした時、ここに居るはずのない声がした。

 

「ほら。やっぱり社長にはよく懐いてる」

 

「……みたいだ。ダミー、寄贈するのはまた延期だな」

 

 可憐な声音でダミーの付け根を撫でるマルグリットが、いつもと変わらない無垢な笑顔でトニーを見下ろしていた。

 ダミーはといえば、掴み損ねたリアクターのケースをトニーへと差し出している。

 普段ぶきっちょなダミーだが、この瞬間だけは間違いなく救世主だ。

 受け取ったトニーは力強く地面に叩きつけてケースを割り、命ともいえるアーク・リアクターを手にすることに成功した。

 すかさず空っぽとなった胸へと雑に突っ込む。舌に尽くし難い圧迫感と、突き抜けるような衝撃に襲われるも、弱まっていた鼓動が次第に安定していった。

 ひとまずの危機は乗り切ったと言えるだろう。後は、この場にいるはずのないマルグリットへの猜疑心だけ。

 

「ペッパーはどうした?」

 

「今日はお休みだからお留守番って言われたの。なんだかコールソンたちと一緒に忙しそうだったよ」

 

「コールソン? ああ、無駄に長い役所の捜査官か。……待て、何人いた?」

 

「えっと、確か5人くらいだったかな?」

 

「5人じゃ足りない……!」

 

 ああ、少しでも疑った自分がバカバカしい。マルグリットという少女の頭のネジが外れているのは、今にして始まったことではないだろうと、トニーは頭を振った。

 マルグリットの異常性と言うべきか、気が触れている側面を何度も目の当たりにしていた筈なのに。トニーはすっかり失念してしまっていた。

 構うだけ、考えるだけ無駄である。何故か気に入られているトニーだからこそ会話が成立するものの、マルグリットが寄せる好奇の埒外にある存在なんて、彼女の認識の範疇には全く存在する余地が無い。すなわち、ペッパー・ポッツやフィル・コールソンの命は、マルグリットが何ら危惧するところではないのだ。少なくとも()()()()そう考えている。

 今すぐにでも助けに行かなければならない。しかし旧型のリアクターで立ち向かうのは無謀が過ぎる。

 それでも厭わずにスーツを着ようと、装着用のアームが並ぶスタンドへ向かおうとしたトニーの前へ、マルグリットは遮るように立ちふさがった。

 

「ダメ」

 

「どくんだ。二度は言わないぞ」

 

「でも死んじゃうよ」

 

「死なないし、死なせない。なんなら君がオバディアを止めてくれるとでも?」

 

()()()がそう望むなら」

 

 コクン。小さく呟いて、瞑目するマルグリットは告げる。

 語り部のように。独白のように。

 

 ────『形成(イェツラー)

 

 詠唱に()()()()()。イメージの具現、マルグリットにとってはギロチンに血をくべるという宣誓に過ぎない。

 黒く滲んだ右腕。そこから生えるギロチンの刃。幾人もの血を吸い続けた悍ましくも凄艶なる究極の美である。

 破壊すべき永劫回帰の牢獄(ゲットー)はない。だからこれは、願掛けのようなおまじないだ。魔術的な意味は一切なかった。

 演出には十分。初めて見るマルグリットのギロチンに、決意を秘めていたトニーでさえも目を見張ってたじろいだ。

 

「望むならオバディアだって止めてあげる。世界中の紛争介入にだって付き合うよ」

 

「そんなこと望まない」

 

「なら、どうして危険に身を晒すの?」

 

 誓いだの、望みだの、着飾った言葉でなくてもいい。

 吸い込まれるようなマルグリットの()()を毅然と見つめ返して、トニーは答えた。

 

「女の前でカッコつけたい。男にそれ以外の理由が必要か?」

 

「……なにそれ」

 

 ぱちくりと瞬きして、マルグリットは脱力しながら溜息を漏らした。

 無垢ながらに剣呑だった双眸も、いつもの能天気なマルグリットに戻っている。

 それでいいと、トニーは思った。

 いまだ脈動するギロチンの刃は若干グロテスクなものの、見てくれだけは可憐なマリィという少女に、あんな冷淡な瞳は似合わない。優しい新緑のような今の()()のほうが余程────

 

「ちょっとこっち向け」

 

ふぇ()? ふぉおふぃふぁふぉ(どうしたの)?」

 

「……いや、なんでもない。急がないとな」

 

 ふと、見間違えかと思い、頬を抑えてマルグリットの顔を正面に向かせると、そこにあったのは翠色の宝石二つ。

 ということは、最初に見た碧色が見間違えだったとトニーは結論付け、今度こそスーツの装着台へと足を踏み入れた。

 大した理由はない。物騒な腕の刃を生やした時に見た碧眼へ、ある意味でギロチンよりも嫌厭すべき何かが映っていたような気がしたから。そう、螺旋に絡み合った二対の()()()()()────

 そんな漠然とした不安をトニーが募らせていると、何か聞こえたのか、マルグリットが顔を上げてキョロキョロと辺りを見回した。

 

「社長。やっとデリバリーが来たみたい」

 

「デリバリーだって?」

 

 スーツを装着しながら、トニーが胡乱げに両目を細めると、階段から荒々しい足音が近づいてきた。

 

「トニー! おいトニー!」

 

「ね?」

 

「……なるほど。デリバリーにしておくには勿体ないな」

 

 ラフな格好をしているが間違えようもない。

 切羽詰まった表情でやって来たのは、トニーの親友であるローディその人だった。

 仲違いをしていたのも遠い昔。グルミラでトニーが武力介入をした際に、ちょっとしたトラブルを経て、両者のわだかまりもすっかり解消していた。

 

「トニー、大じょ……なんだよ、今日はコスプレ大会でも開く気か? それにマリィ、ゲート(そんなもの)はもうコリゴリだ。移送命令からはもう庇わないぞ」

 

「────ですって、社長」

 

 スーツを着たトニー。腕から刃を生やしたマルグリット。ダメ押しに現在進行形でマルグリットが開くゲートを見て、ローディは安堵と苛立ちを綯交ぜにして言う

 他人事のようなマルグリットを気にしても仕方ない。トニーとて、ローディがここに来た理由をちゃんと理解している。ペッパーの優秀さには助けられてばかり。

 スーツを着ながら、トニーはおどけたように言葉を紡いだ。

 

「聞いたぞローディ。仮装(コスプレ)パーティに悪者が出たらしい。現役軍人、謎のスーツ男、最後は悪趣味ギロチンガールで即席バンドの結成だな」

 

 渾然とした感情へ蓋をするかのように、トニーは鋼鉄のマスクをかぶって、オバディアが待ち受けるゲートを睨みつけた。

*1
ペッパーによる横流しの突き止め

*2
ゲリラに襲撃された際に突き刺さった


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