警察はこれを見ても何も感じないようにと伝えて来た。
我が兄は何故あのような凶行に手を染めたのか、私はこの手記で知る事になる。
この手記を親愛なる弟、羽賀恭介に贈る。
愚かな兄を許してくれ。
思えば、俺の人生は失敗ばかりであったのだろう。
俺の終わりはいつからだったのだろうか。そう考えると無数の光景が浮かんで来る。いや、もしかしたら初めから俺は終わっていたのかもしれない。
俺が小学生の頃、俺は剽軽な真似をして皆の興味を一心に受けていた。だが、今考えてみるとそれは後の俺の人生に於いてきっと重要な出来事だったのだろう。多分、そこから俺の道化のような人生が始まってしまったのだろう。
小学生の時代に最も印象的だったのは、体育の時間に俺は態と転んだり失敗したりしてドジを演じた。勿論好印象だった。小学生などそのような物だ。
中学に上がってからも、俺はまた道化として在り続けた。幼い俺はそれ以外に皆に受け入れてもらう方法を知らなかったのだ。だから、俺は小学生相手にするような剽軽な真似をした。だが、周りはもう充分大人であった。俺は所謂「変な奴」の烙印を押され、教師や生徒などから距離を置かれた。当然だろう。誰だって「いかれ」には手を出したくは無いだろう。そのまま俺は「いかれ」のまま高校へ上がった。
高校は楽しかった。俺のような奴が沢山いた。俺が入ったのは所謂「馬鹿学校」と揶揄されるような代物だった。だが、俺はそこで友を得た。黒沼という奴で、気が良く大胆で剽軽な奴だった。道化の俺と黒沼はすぐに仲良くなった。元々の気風が似ていたのだろう。あって1時間経てば旧来の友のように感じられた。
大学には黒沼と同じ東京藝術大学へ進学した。勉強は苦しく、辛いものではあったが唯一無二の友を失うぐらいならと考え、俺は死ぬ気で努力した。今思えば多分、そこで俺は燃え尽きてしまったのだろう。入学してから黒沼と共にアトリエに籠る毎日。俺の精神はとうの昔に参っていた。気分転換に講演会でも聴きに行くかと考え、黒沼と共に足立先生の講演会を聴きに行った。黒沼は珍しく俺に泣きながら感謝していた。どうやら、黒沼は足立先生の講演会のチケットを取れなかったらしい。
足立先生の講演会は俺に新たな発見を与えてくれた。浪漫主義の権威である足立先生は聴衆にこう言った。
「良いかね、芸術と言うものは魂の形なのだよ。魂を理解していない者は良い芸術を作ることなど出来ないものだ。」
俺はその言葉に衝撃を覚え、次第に「魂とはなんだろうか?」と考え始めた。黒沼に魂とは何かを訊いても、「厭、おれには分からないよ。今おれも考えているんだから」と言って取り合わない。十日程悩んだ挙句、俺達は気晴らしに女を買うことにした。俺は女を買うのは初めてだったので、四苦八苦していたが黒沼は手慣れた物らしく俺に買い方の作法や手順を事細かに教えてくれた。
初めて抱いた女は金がなく、仕方なく身売りをしているのだと語ってくれた。それを聴き、俺の価値観は大きく変えられた。俺はそれまで、性交とは子をなす為のどこか神聖じみた淫靡なニュアンスを持つものであると考えていた。だが、その女は金という俗世に塗れた物の為に身体を売っていたのだ。終わった後、黒沼は俺にスッキリしたのか確かめてきた。俺は黒沼に新しい知見を見させてくれた事への感謝をした。黒沼は不思議そうな顔をして笑った後、いいんだ。と言った。
それから一年程絵を描き小説を書いていたら、ある時黒沼の先輩の清水という男がやってきた。なんでも、清水は誰でも幸せになれる事を知っているらしい。愚かな俺はそれを疑う事すらせず清水について行った。結論から言えば、清水はカルト教団の宣教師だった。俺はまんまと騙されついて来てしまった訳だ。8時間に亘る説法を聴き、気分が滅入っていた俺は教会からの帰り道に一つの薬局を見つけた。具合が悪かったので、薬師の女に「何か具合を良くする物は無いかね。俺は頗る具合が悪いんだ」と言うと、その女は俺に「なら家で休んでいかれなさい。具合が悪いからと言って薬に頼ってはいけない」と言ってきた。俺は薬師が薬に頼るななんて不思議な事を言うもんだと思ったが、用意されていた布団の魔力に抗うことは出来ずに寝てしまった。
暫くして、俺は女に膝枕されている事に気づいた。何故俺にここまで良くしてくれるのか訊いたら、俺の雰囲気がかつての夫に似ているらしい。それから、ふとした時にその女の家に泊まりに行き夜を明かすという毎日を送っていた。ある時、黒沼も招待してやろうと女の家に誘った日の事だ。
「おい、見ろよ。あれは酷いぜ…あの人、お前が世話になってた女だろう?」
見ると、女は客に押し倒されてその尊厳を著しく穢されていた。その瞬間、俺の中で何かが切れた。突然俺は明後日の方向に向かって走り出し、雪の降る道を猛進していた。その時俺の胸中にあったのは怒り、悲しみ、そのようなチャチな言葉では表現できない程ぐちゃぐちゃとした感情が渦巻いていた。
俺は気が狂ったかのように雪の降る夜道を徘徊していた。その様子を見た黒沼は後に、隈をつけフラフラで今にも死んでしまいそうな程青白い顔をしていたと語っていた。俺が次に目を覚ました時、どこかの座敷に寝かされていた。どうやら黒沼の実家に運び込まれたらしかった。黒沼は俺が目を覚ましたのを見て安堵したような顔を見せた後、俺に「辛かったよな」と訊いてくる。俺が肯首すると、黒沼は泣きそうな顔になって「わかった。おれがお前に良い相手を探してやる。そいつにお前の心の傷を癒してもらえ」と言ってきた。そうして紹介されたのが、一回目の心中相手の南原女史だった。
南原女史は高潔な女性であった。何回か寝て、話した時彼女が自身に価値を見出せず、もう死んでしまいたいと願ってきた。俺はその時の南原女史の顔を脳裏に焼き付けた。そして東尋坊にて心中した。だが、俺も南原女史も死ぬ事は無かった。俺は無傷、南原女史は頸椎損傷だった。
俺は、脳裏に焼き付けた南原女史の顔を急いで写生した。俺はその時、人の魂の神秘に触れた気がした。そこから、俺は人間ではなくなったのかもしれない。警察の事情聴取で俺は無罪に、南原女史は自殺教唆で牢に入る事になった。南原女史は別れ際俺に「牢から出たら、必ず結婚しましょう」と伝えてきた。俺は勿論良いと伝えた。だがその約束は破られる事になる。他でも無い、俺の手によって。
俺が静岡に療養の為の湯治に来ていた時、その女と出会った。その女は白百合姫子という名の女学生で、学校制度が嫌で逃げ出してきたそうだ。丁度下宿先の家が近かったので白百合姫子を招待した。そこで俺は白百合姫子を抱いた。白百合姫子も俺をすんなり受け入れた。だが、俺の魂に巣食う醜い欲望は彼女の美しい顔を歪めろと囁いてくる。俺は、白百合姫子に「学校に行かなければ生きていく事などできやしない」と言った。白百合姫子は「騙したのね」と言い泣きじゃくった。俺の心は更なる快感を得ようと白百合姫子の首に手をかけ、そのまま殺した。事が済んだ後、俺は大層悩んだ。死体を隠さねばならないと思った。白百合姫子の鞄を漁ってみると、金と携帯が入っていた。俺は金を燃やし携帯で白百合姫子の恋人と友人を呼んだ。その時の俺は白百合姫子の死んだ美しい顔を誰かに見せたかったのだろう。縄で白百合姫子の首を括り、自殺に見せかけた。俺は地下室に隠れ写生した。暫く経って、白百合姫子の友人の男が来た。男は動揺していたようだが、一体誰がやったのかと疑り始めた。俺は存在を露見されると思い焦ったが、杞憂に終わった。すぐ後に白百合姫子の恋人が到着し、白百合姫子の友人が死体に触れているのを見てしまったのだ。白百合姫子の恋人はヒステリーを起こし蹲った。するとどうだろうか。白百合姫子の友人が白百合姫子の恋人の首を絞め始めたのだ。どうやら、口論の末許されざる事を言われたらしい。俺の心は更に満たされた。俺は密かに下宿先の家から脱出し通報した。通報された男は絶望感に満ちた顔を見せてくれた。そこで、俺の中の怪物が漸く目を覚ました。
怪物が俺にお前は人に在らずだと語りかけてくる。だが、俺は怪物を一蹴しこう考えた。「人の魂の本質とは他者の不幸を喰らう怪物である」と。
故に俺は悪事が発覚し刑務所に入れられても、拷問をされても人間でいる事が出来た。何故なら、俺の魂には南原女史と白百合姫子とその友人と恋人がいつもいるのだから。
ああどうか願わくば愛する弟よ。君が人間として覚醒できるよう。