ある年、URAによるジャパンカップのCMに「皇帝」シンボリルドルフが起用された。重厚な音楽と当時のレース映像と共に、ナレーターは皇帝を語る。
「勝利より、たった三度の敗北を語りたくなるウマ娘」
と。
当時からシンボリルドルフは「勝って当然」と思われるウマ娘だった。ルドルフのトレーナーは、当時重賞を勝ったウマ娘のトレーナーにと望まれた時にこう言った。
「私はルドルフのトレーナー以外になるつもりはありません」
まだデビュー戦を勝っただけのルドルフに対するこの評価は、後に皐月賞を勝った時にあらゆるファンに共有される事になる。その後日本ダービー、菊花賞を勝ち、史上初の「無敗の三冠ウマ娘」となった時、誰もがこのウマ娘が負ける姿を想像できなかった。「皇帝」シンボリルドルフ。彼女ほど「勝って当然」という形容が似合うウマ娘は居ないだろう。
では、ルドルフの三度の敗北とは何か。
ひとつは引退直前、海外遠征の時だ。この時、皇帝初の海外遠征という事でURAはルドルフに可能な限りのバックアップを約束した。しかし、遠征の方針においてURAとルドルフのトレーナー陣で意見が対立。最後は遠征レース中にルドルフが繋靭帯炎を発症、6着に敗れそのまま引退という最悪の結果に終わった。批判の嵐に晒されたURAは、以後ウマ娘の海外遠征においてトレーナー陣の方針に意見しない事を約束する。
ひとつはクラシック期、ジャパンカップ。菊花賞を取り無敗の三冠ウマ娘となったシンボリルドルフは、前年の三冠ウマ娘ミスターシービーへ挑戦すべく参戦する。しかし、ジャパンカップは菊花賞の2週間後という超ハードローテーションであり、無理があるとして生涯最低の4番人気に甘んじる。結果はカツラギエースの3着。しかしこのローテーションでミスターシービーよりも順位が上である事、勝ったカツラギエースは宝塚記念を取った実力バである事などを加味して、ルドルフの評価は落ちなかった。
そして、最後のひとつ。シニア期、天皇賞(秋)。
それは、皇帝がただ一つ取り逃した勲章。絶対があると言われたシンボリルドルフが、生涯でただ一度だけ名も無きウマ娘に敗れた伝説のレース。
ある解説者は言った。
「皇帝シンボリルドルフといえども不可能はある。彼女は怪我からの復帰で半年ぶりのレース出走で、当時の府中レース場でもっとも不利な大外17番で走り、それで1着とタイム差無しの2着に入った。彼女が弱いのではなく、不幸な条件が重なっただけだ」
あるファンは言った。
「勝ったウマ娘は日本レコード(当時)で走り切った。確かに皇帝も強かったが、彼女はもっと強かった。それを運が良ければ皇帝が勝ったなどと言うのは彼女に対する侮辱だ」
あるウマ娘は言った。
「……それで、勝ったウマ娘って、どんな娘なんですか?」
これから語るのは、その名も無きウマ娘についてである。