誰か、新生活が始まったからと投稿をサボってた僕に石を投げてください。
『わたしのママは二人います』
一番前の列の右端の席の女の子が、作文用紙に目を落として朗々と作文を読み上げる。
お母さん譲りの赤茶色の髪を揺らして、緊張しながらも懸命に声を上げている。
その必死な姿がとても可愛らしい。
甘奈は教室の後ろで、その子の——娘の様子を見守っていた。
甘奈と同じように他の親御さんたちも、小声で話し合いながらも自分の子供へチラチラと視線を送っている。
今日は授業参観の日。
子供たちが自分の家族について書いた作文を発表する、特別な場だ。
『テレビではいゆうのお仕事をしている甘奈ママと、わたしたち姉妹のお世話をしてくれる甜花ママです。二人ともパパのことが大好きで、パパも二人のことが大好きだったから、どっちか一方といっしょになるかを選べなかったと言っていました』
甘奈や甜花ちゃん、——さんからインタビューした内容もちゃんと取り入れている。
なんかあの子の成長を見れた気がして、なんだかとても嬉しい。
多忙なスケジュールを無理矢理調節して、この時間に余裕を作れて本当によかった。
『パパはママたちと出会った時はママたちのプロデューサーさんでしたが、今は他のプロデューサーさんたちのサポートをするチーフさんをしています。仕事が忙しくて家に帰ってるのは遅いけど、仕事が休みの日は一緒に遊んでくれます』
本当は——さんも来たがっていたけど、チーフの仕事が忙しくて中々時間が取れなかったらしい。
それでも緻密にスケジュールを調整して、甘奈と甜花だけでも観に来れるようにしてくれたのは凄い手腕だと思う。
きっと今頃、隣の教室で甜花ちゃんも同じようなことを感じているはずだ。
甜花ちゃんも家事や育児のために芸能界からほとんど身を退いているが、時折雑誌の取材などの小さな仕事が舞い込むことがある。
本当は今日も育児系雑誌のインタビューの仕事が入っていたが、——さんが無理を言って明日へスケジュールを変更したのだ。
そのことを昨日の夕ご飯の準備中に聞いた時の、甜花ちゃんの嬉しそうな顔は今でもハッキリと覚えている。
(でも、今日は本当に来れてよかったな……!)
今日は甘奈も甜花ちゃんも我が大崎家が誇る二人娘の発表を観に来ている。
クラスが違い、出席番号も同じため発表のタイミングが重なってしまう。
本当は甜花ちゃんと一緒に一人ずつじっくり発表を聞きたかったが、泣く泣く二手に分かれる羽目になってしまったのだ。
昔から発表の時はこんな風に二手に分散してしまうから、甜花ちゃんと一緒にじっくり片方ずつ発表を観たことはない。
でも、こうやって愛娘の成長を感じられるだけで甘奈は幸せだった。
最愛の夫。娘たち。そして妹。
これ以上何を望むというのだろう。
『わたしの家は少し変わっているけど、わたしは家族のみんなが大好きです』
ああ、会いたいな。
もう一度、あの子たちに会いたい。
もう一度、あの子たちの成長を見届けたい。
だから。
仕方ないから——。
「襲っちゃおっか、——さん」
「……へ?」
甜花ちゃんはキョトンとした顔をして、ゲームのコントローラーを床に落とした。
ゴトリという音と共に、甜花ちゃんの操作キャラが画面の中で蜂の巣にされて大きな箱になった。
甜花ちゃんはあちこちに視線を泳がせて、コテンと首を傾げた。
「……えっと、なんで……?」
「——さんを甘奈たちのものにするため」
「……え?」
「最近の千雪さん、——さんを卑しく誘惑してるんだよ? 自分のお婿さんが他の女にデレデレして鼻の下を伸ばしてるのを黙って見てる訳ないじゃん!」
「そ、それはそうだけど……」
「この前なんて甘奈たちのいない隙を見計らって、あのライトピンクとかいうお店に行ってたんだよ!? これって浮気だよね!? うん、そう、きっとそう、絶対にそう! 甜花ちゃんも許せないよね!?」
「ひ、ひぃん……」
全身が熱くなって、口だけが感情のままに勝手に動いて、言葉が濁流みたいに止まらない。
こんなこと、今まで無かったのに。
不安、焦燥、恐怖。
そんなドス黒い感情が渦巻いて、甘奈の背中を押す。
「今すぐ動かないとダメだよ! ——さんはとっても素敵な人だから、早く甘奈たちのモノにしないと! 誰かに奪われちゃう前に!」
運命は絶対的なものじゃない。前世の出来事をそのまま辿っている訳じゃない。
現に前世で甘奈たちが事務所に入った頃と比べて、明らかに千雪さんと——さんとの距離が近い。
万が一。
億が一。
千雪さんにあの人を奪われちゃったら?
そんなことを考えるだけで頭がどうにかなりそうだった。
もしもの事が起こる可能性もある。
だから一刻も早く、プロデューサーさんを甘奈たちのものにしないと……。
そんな思いが先走って、更に甘奈の口調はヒートアップしていく。
「甜花ちゃんは何も思わないの!? 目の前で——さんが、あんな風に誑かされてるのを見て嫌な気持ちにならないの!? あんな——さんを見たら、あの子たちもきっと悲しんで……!」
その時、視界がふわりという柔らかい感触と共に暗闇に包み込まれた。
「……あ……」
甘奈と同じ芳香剤の香り。
その時、ようやく自分が甜花ちゃんの胸に抱かれていると気付いた。
「落ち着いて、ね……?」
「…………うん」
「……なーちゃん……焦ったらダメ。『二周目』での甜花たちはまだ新人アイドル……それに、——さん……いや、プロデューサーさんも……甜花たちのことをあんまり知らないから……」
そう言われて、甘奈は思わず息を飲んだ。
そうだった。
この二回目の人生で甘奈たちはまだトップアイドルになってない。
プロデューサー さんとも結婚してない。
そして、子供たちも産まれてない。
今、現在進行形で歩んでいるはずの人生。
それとは別にもう一つの——甜花ちゃんがゲームみたいに『二周目』って呼んでいる——幸福と安寧に満ちた完璧な人生の記憶。
同じ人間として生きて、同じ出来事を辿っている、とてもよく似た二つの人生。
一周目の記憶に目覚めた瞬間から、甘奈と甜花ちゃんはそれを頼りに動き出した。
歌やダンスを二人で一緒に練習してスキルや身体能力を思い出し、アイドルとしての実力をトップアイドル時代に匹敵するまで叩き上げた。
だから今、新人アイドルとして受けているレッスンも簡単にこなせるから、学ぶことなんて何も無い。
スマホの予測変換を使って、指を動かすだけで勝手に文章が出来るみたいに、この二周目の人生でも、一周目の記憶を辿って前と同じ結末を迎えるつもりだった。
つまり、アルストロメリアとしてトップアイドルに成り上がって、甜花ちゃんと一緒に——さんと結婚して、幸せな家庭を築く。
でも、この人生ではまだ甘奈たちはスタートラインに立ったばかり。
予測変換も、一文字打ち込んだだけでは単語を繋げられない。綺麗な文章を紡ぎ出すことなんてできない。
「それに、プロデューサーさんは……甜花たちと結婚する未来を知らない。急に知らない人から昔からのお友達みたいに接されても……イヤでしょ?」
「……うん」
甜花ちゃんも、甘奈たちが結婚することを疑っていない。
「だからね……今はまだ我慢、しよ……? 今はまだ、千雪さんを牽制しながら……アイドル活動を頑張って……その後プロデューサーさんを射止める……これでどう、かな……?」
「でも、それじゃあ遅いよ……——さん、昔から色んな子に好かれてたから……」
「今はアルストロメリアの三人しかいないよ?」
「だからだよ! 今のうちに——さんを甘奈たちのモノにしておかないと……」
そう言いかけたところで、甜花ちゃんが静かに尋ねてきた。
「……なーちゃんは何のために、もう一度アイドルになりたいって……思ったの?」
「へ……?」
「アイドルになる理由って、色々あるよね……? お金が欲しいとか、楽しそうだからとか、ちやほやされたいとか、自分を変えたいとか……なーちゃんにも、アイドルをする理由はあるでしょ……?」
「そ、それは——さんと一緒にいたいから……」
「それは二周目での理由……でしょ? 一周目では違ったよね……?」
「……甜花ちゃんと一緒にアイドルになりたかったから……」
甘奈が搾り出すように言うと、甜花ちゃんはそっと甘奈の頭を撫でた。
「『アイドルになった』から『プロデューサーさんと結婚した』……『プロデューサーと結婚した』から『アイドルになった』……この違いは分かる……よね……?」
「うん……」
「結果と、そこに行くまでの手段が入れ替わっちゃってるんだよ……。だから、アイドルとして頑張るためのモチベーションが……まるっきり違う……。ファンのために頑張るか……プロデューサーさんだけのために頑張るか……。どんなにダンスと歌が上手でも……その心構えの差は……必ず出る……!」
「……!」
それはトップアイドルとして芸能界の頂点に立っていたからこそ分かる真理だった。
「もう一度トップアイドルになりたいなら……プロデューサーさんと幸せになりたいなら……全力でアイドル活動に取り組むべきだと思う……!」
「じ、じゃあ——さんは……」
「徹底的に囲い込む……! 毎日お話しして、さりげなくアピールして好感度を稼ぐ……!」
「甜花ちゃん……!」
「甜花も頑張る……! だから、なーちゃんも……たくさんアピールしよう……! また……三人一緒にいられるように……!」
甘奈たちはお互いの気持ちを確かめるように強く、強く抱き締め合った。
やはり甜花ちゃんは甘奈と同じ血を分けた双子。志は同じだった。
甜花ちゃんと一緒なら、二人ならきっと大丈夫。
また三人で幸せに過ごす未来に辿り着ける。
甘奈は甜花ちゃんの体温を感じながら、明るい未来を確信していた。
~~~~~~~~~~~~
「うーん……」
俺は今、事務所のオフィスで頭を悩ませていた。ボールペンと赤ペンを手元に置き、文字で埋め尽くされたメモ用紙と睨めっこしている。
時刻は午後10時。
今日予定されていたアイドルたちのレッスンや仕事も終わり、はづきさんと天井社長もとうの昔に退社した。
今事務所にいるのは俺だけだ。冷え切った空気に染み込む沈黙が不思議と心地良い。
ついさっき淹れたばかりのブラックコーヒーを啜り、買い溜めていたカ口リーメイトを頬張る。コクのある苦味と人工的な甘味が口腔の中で混ざり合い、なんとも言えない風味が口から鼻へ駆け上った。
(……そういえば、最近まともなご飯食べてないな……)
仕事が終わって事務所へ帰る途中で千雪や大崎姉妹と一緒に外食する時以外は、大方このような貧相な食事ばかり摂っている。
最近食べたまともな食事といえば……二日前に大崎姉妹と一緒に食べたフレンチだろうか。
何かもっと健康的でバランスの良い食事を摂らないと、という思考が巡ったが、すぐに霧散した。
(まぁ、何をするにしても、まずはこの作業を終わらせてからだな……)
今は自分のことなどどうでもいい。千雪たちアイドルのことを考えるのが最優先だ。
カ口リーメイトの空き箱をデスク下のゴミ箱に捨て、気を取り直してペンを手に取ろうとしたその瞬間——
「プロデューサーさん?」
突然、背後から声が聞こえた。
「うわぁっ!?」
椅子を蹴飛ばすように立ち上がって、咄嗟に後ろを振り向く。
そこには困ったように眉根を下げた千雪が立っていた。
「ち、千雪……いつの間に来てたんだ……?」
「たった今です。雑貨屋さんのお仕事が終わって、事務所の前を通りかかったら灯りが点いてたので来ちゃいました」
千雪はいじけるように頬を膨らませる。
「ちゃんと挨拶もしたのに、返事が無かったから心配したんですよ? もしかしたら倒れてるんじゃないかって思って……。不安になるから、ちゃんと返事はしてくださいっ」
「ご、ごめん……」
慌てて頭を下げると、千雪は破顔して優しげな笑みを零した。
「ふふっ、冗談ですよ。でも、本当に仕事のしすぎには注意してくださいね? プロデューサーさんが倒れたりするのは嫌ですから……」
「分かった、善処するよ……」
そう言われて改めて思い返せば、最近ロクに休んでいない。
平日は勿論のこと、土日だろうと一日中営業先を駆けずり回っているし、事務所にいる時も書類作業やレッスンの付き添いで休む暇も無い。
夜中に帰宅した後も、流行の最先端をキャッチするために芸能雑誌やファッション雑誌を読み漁っている。
日付を跨ぐこともザラだし、中には一時間程度の仮眠だけを取って朝食も摂らずに出社する日もある。
疲労や眠気はリカバリーソーダというエナジードリンクを飲んで誤魔化す。
ここ最近は、そんな風に魂を擦り減らすように仕事に明け暮れていた。
少なくとも千雪たちの前では疲れた様子は見せていないように心掛けていた。
だが、千雪に見られていると、そんな隠し事も簡単に見透かされそうな気分になる。
どこまで倒れずに保つかな。
そんなことを頭の片隅で考えていると、突然千雪が驚いたように目を見開いた。どうやらデスクの上のメモ用紙に気付いたらしい。
「あの、プロデューサーさん。それって、もしかして……」
「ああ、これか。千雪と大崎姉妹の三人で結成するユニットの名前の候補なんだけど……中々いい感じの名前が無くてな……」
千雪は顎に手を置いて暫く考え込むと、チラリと俺の方を見た。
「あの、ちょっとこれ見てみてもいいですか?」
「あぁ、いいよ。どうせ最終的には三人に決めてもらおうと思ってたから」
ありがとうございます、と一言添えて千雪はメモに書かれたユニット名候補に目を通し始めた。
いつもは柔らかな光を湛えた目が鋭く尖り、その真剣な眼差しに思わず俺は怯んでしまった。
「……えっと、どうだ? 結構頑張って考えたん、だけ、ど……」
恐る恐る尋ねたが、返事はない。
「お、おーい? 千雪ー?」
不安になって名前を呼ぶと、
「……ふふっ」
突然、千雪が楽しそうな笑みを溢した。
呆気に取られていると、彼女は俺の方を振り向いて、眼前にメモ用紙を突き出してきた。
「私、この名前がいいです」
そう言って、千雪が華奢な人差し指で差した名前は——
「……『アルストロメリア』」
それは偶然にも、俺が真っ先に思い付いたユニット名候補だった。
「私と甘奈ちゃん、甜花ちゃんの三人で『アルストロメリア』。とっても、とーっても素敵なユニットになりそうじゃないですか?」
「あ、あぁ。確かにそうだな。アルストロメリア……うん、三人にピッタリな
ユニット名だ!」
三人のルックス、そして雰囲気はアルストロメリアの可憐さ、優美さに通じるものがあるだろう。考えれば考えるほど、千雪たちにピッタリなネーミングだ。
永劫に続くかと思っていた仕事にようやくゴールが見えてきたからか、 思わず少し興奮気味になってしまう。
「それにしても、こんなにあっさり決まるなら最初から千雪と一緒に考えていればよかったな……。沢山考えたのが無駄になっちゃったよ……。そこには書いてないけど、『イルミネーションスターズ』とか『アンティーカ』とか『ノクチル』とか……」
ゾワリ。
突然、全身に悪寒が駆け巡った。
「ぅぁ」
思わず呻くようにくぐもった声が喉奥から漏れる。
錆びかけのブリキ人形のようにぎこちない動きで顔を上げると——
「ち、千雪……?」
感情を削ぎ落としたかのような無表情を顔に貼り付けた千雪と目が合った。
心の底まで見透かすように真っ直ぐで、それでいて酷く冷たい眼光。
(……今の千雪、この前の甘奈に似てる……)
頭の片隅にそんな思考が過ぎった。
有無も言わさぬ威圧感、極寒の眼光、重苦しい沈黙。それはまさに、俺に店の定休日のことを知らせた時の甘奈のそれに酷く似ていた。
「ねぇ、プロデューサーさん」
抑揚のない千雪の声が静寂を切り裂いた。
「
予想外の問いに、一瞬で思考がフリーズする。
「…………え?」
どれだけ頭を悩ませても、千雪の質問の意味が分からなかった。
「い、一体何のことだ……?」
なんとか言葉を搾り出すが、千雪からの返答は無かった。
そうして、俺たちの間に息が詰まるような沈黙が降り注ぐ。
胃がキリキリと締め付けられ、激しく痛み出す。
蛇に睨まれた蛙以下の気分だった。
永遠にも感じるような静寂の後、再び時計の針を進め始めたのは千雪の細い溜め息だった。
「……そう、ですか」
千雪は少しだけ肩を落とすと、目を伏せて一歩退いた。
それと同時に、ずっと双肩に掛かっていた押し潰すような威圧感が霧散する。
その瞬間全身の力が抜け、俺は倒れるようにドサリと椅子に座り込んだ。
「……ごめんなさい、急に変なことを訊いて」
「……いや、大丈夫だ」
「……私、もう帰りますね」
「それじゃあ車で送っていくよ」
「今日はタクシーで帰ります……!」
そう言って千雪は踵を返すと、俺に背中を向けて逃げ出すように駆け出した。
「えっ、ちょっ、千雪!?」
咄嗟に声を上げたが、千雪は振り返ることなく事務所から出ていった。
慌てて半端に伸ばした手が虚空を掴む。
「…………どうしたんだ、千雪……?」
閉まったドアを眺めながら、誰にも届かない問いをぐちゃぐちゃになった頭で紡ぎ出す。
その声は深夜の冷たい空気に木霊し、残響は薄闇に吸い込まれていった。