「そいつの美的感覚はともかく、血が繋がっていないのは確かだね」
そう告げられたのは、僕が5歳のとき。
幼稚園で同じ組の子に、母の容姿を侮辱されたことがある。
母は、外出時はいつも仮面を着けていた。「人間の価値観って全然進化しないな」とぼやきながら。
でも、その子の父親がたまたま、仮面を外した母の姿を見てしまったらしい。
それが如何に珍妙で、滑稽で、醜悪な造形だったかを息子に語り聞かせたのだろう。
その子は、父親の言葉をそっくりそのまま、僕に伝えてきた。それなりの悪意を含んで。
『おまえの母ちゃん、すげえブスだってお父さんが言ってたぞ。本当にそいつからうまれたのかって。さらってきた子なんじゃないかって』
僕は許せなくて、彼を殴ってしまった。
大人たちは、「他人の見た目の悪口を言うのも、感情に任せて暴力を振るうのも、どっちも悪いよね」で収めたし、それは正しいのだろう。
母は、どっちが悪いとも善いとも言わなかった。
ただ冒頭の台詞を、淡々と述べた。
「ショックかい?」
「ほんとうの子どもじゃないってこと?」
「いいや。アタシは人間について詳しくないが、未成熟の人間と、その成長を監督する成体の人間がいれば、それは『親子』と認められるんだろう?」
当時の僕には、よく理解できなかった。母の言葉は、未成熟の人間に向けたものとして難易度が適切ではないだろう。
周りの大人も、絵本も、テレビも、妊娠と出産を経験した者のみを母親と呼んでいたから。それ以外は────つまり養子を取ったものなどは、必ず『本当の親ではないかもしれないが』、『血は繋がっていなくとも』などの枕詞が付く。
「解らないなぁ。どうして、酸素と二酸化炭素を運搬するための液体にそこまで信頼を置けるのかね。アタシなんて、妹と似ても似つかないのに」
「血じゃなくて、“いでんし”のはなしじゃないの?」
「そうだね。でも同じようなもんさ。上のやつらが余りカスで作った糸くずに、意味があるわけないのさ」
母は変わった人だった。今もそうだけど。容姿以上に、価値観とか、性格が他の人とは違っていた。
母は美術商を営んでいるらしい。世界中の珍しいものを、価値の有無に関わらず集める
いつも家を空けているけど、寂しいと思ったことはあまりない。
姿は見せないけど“先生”がいるし、母の甥っ子夫婦も来てくれた。
それに、こういう母で良かったと思っている。
テストで良い点を取れば褒めてくれるし、間違ったことをしたら、何がいけないのかを教えてくれる。何より、僕に手を上げたことが一度もなかった。
母は、誰が相手でも、暴力での支配は絶対に許されることではないのだと語った。
「……愚かなことだよ、全く。人を鏖殺する奴を英雄と呼び、神格化するなんて吐き気がする。アタシの容姿より、ずっと醜悪だ」
母は自分の容姿を物差しにすることが多い。己の中で整理がついているらしいのだ。
「腹を刺し、四肢をもぎ、命を奪うことはどんなことがあっても正当化されんよ。……でも、一番
何度か聞いたことがある。母の妹……僕の叔母は、夫からDVを受けて以来、仕事が出来なくなって引きこもっているのだと。
「存在を否定された。文化を簒奪された。『お前に幸福など必要ない』と、周囲から言い続けられた。……信じていた、愛しいものから罵倒された。そうやって生まれた心の傷は、二千年かけても癒えはしないさ」
────だからね、斑。善人になれとは言わない。健康優良児でなくてもいい。
────ただ、事情を慮れるようになれ。綺麗事を馬鹿にするな。排斥と暴力だけは、するんじゃないよ。
母はそうやって、いつも説いていた。
可愛い妹のことを、想いながら。
××××
遂に明日、母が日本に帰ってくる。
その日はちょうど、毎年恒例のお花見の日でもある。
僕はお弁当の献立の材料を買ったあと、洗濯物を畳みながらテレビを見ていた。
〈桜が散る時期が年々遅くなっているようですが、これは地球温暖化と何か関係があるのでしょうか?〉
〈現時点では何も言えませんね。ただ、桜に限らず、近年、あらゆる花の咲く期間が長くなっているのは事実です〉
〈我々にとって、桜を長く見られるというのは嬉しいことですが、そう手放しに喜べるようなことでもなさそうですね〉
〈桜といえばソメイヨシノですが、これは人為交配によるクローンとされ、起源は……〉
地球温暖化。大変な問題だと思う。その所為で、環境が変化して、パンダやホッキョクグマなどが住処を追われているのだそうだ。
個人に出来ることなんて、車ではなく自転車で移動するくらいしかないし、いきなり解決するようなことではない。
突然、二酸化炭素を排出しない、超すごいエネルギーでの発電方法が発明されるとかでもない限り。
「お塩さんは、春と秋がなくなったら困りますか?」
お塩さんは何も言わない。何も鳴かない。猫に四季の概念はあるのだろうか?
でも、お塩さんはさっきから、テレビの桜特集をまじまじと見つめていた。桜が好きなのかな。
「お花見、楽しみですね〜」
そう言ったら、白猫は一度振り向いて、うなずいたような仕草を見せた。そんな気がした。
ねこです。
ねこはどこにでもいます。ねこはどこにもいません。
ねこはさくらのとなりにいました。
さくらはねこをじゃまします。
さくらはねこをとじこめます。
さくらはねこをなぐさめます。
さくらはいなくなりました。
よろしくおねがいします。
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
SCP-1500-JP “和魂祭”
著者 29mo
http://scp-jp.wikidot.com/scp-1500-jp
SCP-777-JP “鶴の翁”
著者 tokage-otoko
http://scp-jp.wikidot.com/scp-777-jp