ねこです観察日記はじめました。   作:彩辻シュガ

30 / 56
サブタイ通り、ついにアイリスさん登場です。

鏡の国のアイリスの2巻を求む・・・・



SCP-105 “アイリス”

 

 

 一度だけ────本当に一度だけ、財団職員の誰かに露見すると自分の立場が危うくなりそうな、不謹慎な妄想をしたことがある。

 

 石棺から出てきたアベルが大暴れして、どんなに屈強な機動部隊も蹴散らして、財団はめちゃくちゃになる。

 

 でも、私だけは奇跡的に助かって、塀の外へ逃げ延びることが出来る。

 

 そうして、まずはお腹が空いたからフライドチキンでも買って、ショーウィンドウのマネキンをそっくり真似した服を一式揃えて、公園の鳩が飛び立つ瞬間を写真に撮るのだ。

 

 きっと、どんなに爽やかな心地だろうって。

 

 勿論、現実はそう上手くいかない。

 

 財団はそんなにヤワではないし、あの悪魔じみた元同僚が私を見逃すとは思えない。

 

 私は一生ここから出られないだろう、と諦めていた。

 

 それでも、もし、財団が本当にめちゃくちゃになって、私は生き延びたら、外に出られるんじゃないか。

 

 だから、それまでは希望を失わずに生きよう、強くなろうと決心した。

 

 しかし、ああ神様、私をお助けください。

 

 どうしてよりにもよって、アベルが私の部屋に踏み入ってくるのでしょう。

 

「……何をしに来たの? ノックくらい、してくれてもいいんじゃない?」

 

 シールでも剥がすみたいに壊された、自動ロック付きドアを見ながら言う。

 

 そこで私は気付いた。

 

 アベルの外見は、いつもと変わらなかった。兄とよく似た精悍な顔つき、不可思議な刺青、黒い大剣。

 

 ────でも、決定的に欠けているものがある。

 

 “血”が、ない。

 

 彼は大抵血を纏っていた。場合によって、相手のものだったり自身のものだったりしたが、それがアベルの惨い戦果の象徴だった。

 

 他人の部屋に入る前にシャワーを浴びようだなんて、一度でも考える人間ではないことは把握している。

 

「……私が最初の犠牲者ってことね?」

 

 頬のあたりから急激に血の気が引く。

 

 私の恐怖も焦燥も知らないアベルは、簡潔に答えた。

 

「いいや」

「なら、ここに来るまでに何人殺したの? あなたが収容されている場所からここまで、かなりの距離があるはずよ」

「誰もいなかった」

「────なんですって?」

「今日、ここでお前に会うまで、私は生きた人間に会っていない」

 

 何を言っている? ────そんなわけない。彼は残虐で憐れな怪物じみた人間だから、私に嘘をついている。

 

 本当に? そんな嘘をつくメリットがアベルにあるとでも? ────でも、彼の心理プロファイルに『相互理解不可能』と記された、その原因たる事件を私は知っている。彼の精神構造は、並の人間と同等じゃない。

 

 だとしても。

 

 いや違う。

 

 きっとそう。

 

『これから暫くの間、正式な決定が下りるまで、何があってもこの独房から絶対に出るな。脱走なんて考えたら、二度と写真を撮れない身体になると思え』

 

 そうよ、最後にやってきた職員はそう言っていた。

 

 財団は収容違反への意欲を持つ私を危険視して、前よりも厳重な警備を施した施設に移送した。

 

 それが、たまたまアベルの近くだっただけ。

 

『食事はこれでのみ摂取しろ。それから、このSCPオブジェクトの監視を遂行するように』

 

 ピザボックスとジョーシーを押し付けられたのも、そういう収容プロトコルだっただけ。

 

『この箱にはSCP-105-2と、これまで撮影された全ての写真が入っている。だが、誰かがこの部屋の鍵を開けるまでは、一瞬でも写真を閲覧することは許されない』

 

 わざわざ、重要なSCPオブジェクトであるポラロイドカメラを持ち主に返却したのも。

 

 ()()()()()()とは言っても、()()()()使()()()とは言わなかったのも。

 

 

『いいか? ドアの向こうから爆発の音がしても、誰かの悲鳴が聞こえても、血の匂いがしても、絶対にここから出ないでくれ』

 

 

『SCP-105……いや、アイリス・トンプソン』

 

 

『どうか、君だけでも────』

 

 

 上半身だけの猫が、前足だけですたすた歩く。

 

 アベルのことなんて、彼女は気に留めない。

 

 ただ、久しぶりに外へ出られる好機を見つけたことしか気にしていない。

 

「私を殺しに来たんでしょう」

 

 アベルの殺意の矛先は、人類だけだ。それ以外の哺乳類には憎悪を持たない。

 

 それを、ジョーシーは知っていたのだろう。だから普通に彼の足元を通り過ぎて、部屋を後にする。

 

 彼女に血を見せなくていいのは好都合だ。

 

「いいわ、もう終了させて」

「……」

「痛みがないようにしてね。私たちはそんなに健全な関係性じゃないけれど、そのくらいしてくれてもいいでしょう?」

 

 アベルは、4分半くらい私を見つめる。この世で一番心臓を圧迫した4分33秒だ。

 

 それから彼は、手も足も首すらも、ちっとも動かさずに告げた。

 

「いいや。お前を殺す必要性を感じられない」

 

 耳を疑った。

 

 何だって? 殺す必要性、だと? 

 

 アベルが、人間を殺す必要性について、考えたのか? 

 

 あり得ない。これは私の夢に違いない。

 

「私はここに来る前、外の世界を見てきた」

 

 彼はとびっきり残酷で冷酷で、永遠に尽きない薪を燃やし続けている。それは人類であり、傷つけられた平穏な性質であり、人類への怒りと憎しみだった。

 

 ずっと燃えている。ずっと苦しんでいる。

 

 それを心から楽しんでいる。楽しまなくては、燃え尽きて灰に戻ってしまう。

 

 彼は理解から遠い存在だった。しかし矛盾はないはずだった。

 

「草原は抉り取られ、人間の屍の畑が出来ていた。痩せ細った家畜の羊は、それらを食べることすら拒絶した」

 

 アベルの眼差しは、空虚だった。

 

 どうして、そんなにつまらなさそうにしているの? 

 

 憎い男の子孫が無惨に死に絶えていたのに。

 

「笑ってよ」

 

 乾いた声が溢れる。自販機が吐き出してくれた……もうどこにもないだろうコカ・コーラを飲んだばかりなのに。

 

「笑ってよアベル。やっと見つけた人間なんだから、爽やかに思い切り笑って、殺せばいいのよ。いつもと同じことをすればいい」

 

 アベルは首を横に振った。

 

「出来ない」

「あなたに容赦って感情があったのは知らなかったわ。でも、戦友だったのはもう随分昔の話」

「違う────ここにいたのが、例え財団の研究者たちでも、私の兄弟であっても、私は剣を捨てた」

 

 言った直後に、黒の大剣が床に落ちた。あんなに悍ましい武器なのに、音は普通の剣と同じなのだな、と思う。

 

「もういい。私は帰る。お前は好きに生きろ」

 

 帰るって、どこへ? 私が尋ねる前に、彼は行ってしまった。

 

 それから、どれくらい経ったのだろう。

 

 アベルによく似た顔立ちの青年が、ジョーシーを抱いて私の部屋に来た。

 

「遅かったようですね」

 

 ドアの残骸を見下げて、カインは泣きそうな表情をしていた。

 

 外はどうなっているの、と聞くと、カインは私にジョーシーを返してから伝える。

 

「……原子爆弾と毒ガス兵器が多用された、と聞きました。アベルはともかく、ジョーシーが生きていけるとは思えず、あなたのところへ戻すのが最適と判断しました」

 

 込み上がってくるドロドロした熱いものを、抑えることはできなかった。

 

 その間ジョーシーは、ずっと私の顔を舐めていて、カインは何も言わずにそばに座った。

 

 いつか外へ出られるんじゃないかって、夢見ていた。希望を失わずに生きていた。

 

 どれだけ頑丈な鍵を掛けられても、箱はいずれ壊れるんだ、と楽観視していた。

 

 それがどうだ。

 

 箱が壊れても、外の世界そのものがないなら、私はどこへ行けばいい? 

 

 フライドチキンもマネキンも公園も、私が取り戻す前に、外の人間が勝手に壊した。

 

 財団は危険なもの、異常なものを封じ込めていたんじゃないの? そのために私はここにいるんじゃないの? 

 

 こんな、SF小説みたいな、馬鹿馬鹿しい終焉は異常でも何でもないって? 

 

 写真の向こうを触れるだけの私は許されないのに、自然を犯して、文明を侵して、兄弟同士殺し合う虚しい世界大戦は全人類が容認したって? 

 

「ふざけないで……返して……私の日常を返してよ……」

 

 炎は誰のためにある? 

 

 人類の発展のためだ。

 

 けれど、プロメテウスの祈りを、人類は自分たちで踏み躙った。

 

 私の炎は奪われた。きっとアベルの炎も。

 

 明かりを灯して暗闇を遠ざけても、みんな松明を振り翳して争うなら意味がない。

 

 3日後、地下シェルターの出口でカインは言った。

 

「私は、弟を探しに行くつもりです」

 

 止めはしない。私にその権利はないから。止められる人がいたとしたら、それは財団職員か、彼のもうひとりの弟だ。

 

「アテはあるの?」

「ありません。しかし、必ず見つかるでしょう。私は大地に嫌われましたが、今は大地は失われ、その上に生えた文明もない」

 

 彼は最後に、「あなたの頭に触れてもよろしいでしょうか」と丁寧に乞う。

 

 私が頷くと、固い手が頭頂部を緩く撫でた。仕事に出る大人が、見送りに来た子供にするように。

 

「……戻ってきて。ここに私とジョーシーを残さないで」

「善処します。……私は、人類初の嘘つきで殺人犯ですが、あなたの約束は必ず守りましょう」

 

 結論から言うなら、彼は戻ってこなかった。

 

 戻ってくる前に、世界は真ん中から忽ち崩壊した。

 

 今回の戦争だけじゃない。それよりも前に蓄積された、様々な汚染、破壊、搾取により世界は限界を迎えていた。

 

 世界は混沌(カオス)に還元される。

 

 滅びに呑み込まれる中、心臓がゆっくり止まっていくのを感じながら、ただ上半身だけの猫を抱きしめながら泣いた。

 

 無力を痛感していた。私は、自分の涙すら止められないんだ。

 

 そのとき、どこかから音がした。

 

 何かをかき混ぜるような。

 

 ()()()()()()という、奇妙な音が。

 

 どうしたことだろう、混沌が纏まってゆく。森羅万象が渦を巻いて、一箇所に固められる。

 

 今生最期に聞いたのは、誰かの声。

 

 歯車が規則正しく回るように訴える声。

 

 

 

 ────なかったことにしないで。

 

 ────私たちを忘れないで。

 

 ────繁栄のルーチンワークは、これで、もう、最後に。

 

 

 私は意識を失った。

 

 その後目覚めて、それから20年近く経った頃。

 

 世間はゴールデンウィークを明かし、来たる梅雨に向けて憂鬱を抱えている。

 

 私はいつものように、家を出て、バスに乗って、校門をくぐり抜けた。

 

「もしもし……はい。帰りに買ってきますね! お塩さんのことよろしくお願いします。あとバークレーさんに伝えてほしいんですけど、布団はやっぱり客用じゃなくて新しいやつを……」

 

 ベンチに座って電話をする青年の前を通り過ぎる。

 

 鳩が飛び立つ音は爽快だ。

 

 平和で愛おしい、ずっと恋焦がれてきた朝。

 

 もう20年、同じような日を迎えているのに。

 

 どうして、私はこんなに泣きそうになるのでしょう。

 

 

 

 




Q. なんで怪奇存在がメインの世界なのに、人間同士の争いで滅びてるんですか?本当はなんか裏があるのでは?

A. ないです。どれだけ奇妙で残酷な怪異が登場したって、舞台を廻すのは人間じゃないですか。


この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。

SCP-105 “アイリス”
著者 Lt Masipag
http://scp-jp.wikidot.com/scp-105

SCP-529 “半身猫のジョーシー”
著者 Lt Masipag
http://scp-jp.wikidot.com/scp-529

SCP-076 “アベル”
著者 Kain Pathos Crow
http://scp-jp.wikidot.com/scp-076

SCP-073 “カイン”
著者 Kain Pathos Crow
http://scp-jp.wikidot.com/scp-073

SCP-2000 “機械仕掛けの神”
著者 FortuneFavorsBold
http://scp-jp.wikidot.com/scp-2000
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。