次回はホワイトデー特別編です。
“家族のよう”を、温かみあふれる形容詞として無邪気に脳内辞書に刻める人間が、果たしてこの世界にどれだけいるのだろうか。
少なくとも、今世のイオンはそう思えなかった。
ありふれた話である。
“男と女”が、“恋愛”をして、“結婚”をして、“家庭”を作った。まるでタスクをこなすように。
当人たちが満足していたのかは不明だ。それをすることが満足であると、先人に洗脳されていたのかもしれない。
だが、ここで躓きが起きた。
母親は聞き分けの良い子によって楽が出来るかと思われた。しかし、子を持つだけであらゆる負担を周囲から課せられ、憔悴した。
父親は自分の世話をしてくれなくなった伴侶に無関心になってゆき、人を慰める仕事をする女に惚れ込んだが、あくまで彼女は仕事だった。
もし生まれた子がイオンでなく、無知で無垢で手のかかる普通の子どもだったら、もっと早期に瓦解していただろう。
母親は日に日に歪んでいき、父親はますます家庭を避けるようになった。
コップのフチまでなみなみと注がれた水が、たった一滴の刺激で溢れるように、それは起きた。
イオンは当時7歳だったが、既に宿世での力を完全に取り戻し、操ることができた。
起きたことが終わったとき、イオンの家には2つのにくにくしいものが残された。
ありふれた話である。
子どもだけが五体満足、無傷で生き延びた、という一点を除けば、どこにでもある話だ。
前の世界でオジルモークの座にあった魔術師は、今世での肉親に恨みはなかった。あるのは憐れみだ。
2人がこうなったのは、社会の抑圧に原因がある。
イオンが何もしなくても、彼女と彼は破滅した。この平和で美しい国で、太陽の下で、ひっそりと。
数年後、イオンはある少年と出会う。
その瞬間、宇宙が紙屑のように握りつぶされるがごとき衝撃を受けた。
世界線を越えてまで誘惑と冷笑を喚き散らしていたアルコーンの口に、突如綿が詰められたのだ。
その綿は、イオンもアルコーンも害さなかったが、膨大な悪意を全て奴の肺に送り返し、善きものだけを通した。
これは不可思議だ。前の世界でも、メカニトですらありえぬ所業だった。
しかも本人は、イオンに発生したことを察知も出来ていない。メカニトの気配を感じたが、微小なものだった。
イオンはそのときより、井上斑の観察を始めた。
だが、その多くは大抵無意味に思えた。唯一有益と感じたのは、彼の育ての親と産みの親についてだ。
「うちの子に変なことしないなら、布教でも疫病でも好きにしてくれ。アタシはまだやることがある。アンタには殺されたくない」
神の列の一席に座る彼女は、それだけ言って、あとはイオンに干渉しなかった。
忌まわしいメカニトの指導者との再会は誤算だが、何も知らない井上斑の手前、互いに睨み合うだけで済んだ。
観察を始めて2年の月日が過ぎようとしたとき。
それは、イオンが経験したことのない文化の一つ。学を修めるための団体旅行だった。
行き先はヒロシマ、という都市だ。井上斑は鹿と水族館にはしゃいでいたが、程なくしてそれらが日程に組み込まれていないことが分かると、3日間気を落とした。
憐憫の情が湧いたので、イオンが教職員を“説得”し、計画を少しだけ変更させた。
旅行は単調なものだ。意思を持つ未熟な生命体を100人以上管理せねばならないため、全ては流れ作業で捌かれる。
ひとつに集めて移送し、ひとつを巡り、またひとつに集めて移送し、の繰り返し。
イオンはこのイベントに教育的な意義を全く感じられなかったが、井上斑は非常に楽しんでいたようなので、水を差すことはなかった。
力を使う場面もなかった。ないだろう、と考えていた。
崇高なるカルキスト・イオンは知らなかった。『家に帰るまでが修学旅行』の意味を。
2泊3日の作業を終え、楽しみ疲れた中学生たちは、大概がバスの車中で寝ていた。
当然のように、イオンは井上斑の隣に座っていた。本来そこには他の男子生徒が座る予定だったが、観察の為に少々“お願い”して譲ってもらったのである。
バスは高速道路を抜け、山の中に入った。
一本の標識が見えてきた。
それが示すのは『一時停止』。
それに気付いたのはイオンだけだ。運転手はその標識を通り過ぎようとした。
絵が
『放射能標識』へ。
道路標識が目覚めたのは、つい先刻。
ぼんやりした不満を抱えた酔っ払いの会社員が、上にはぶつけられない怒りを、それの胴体に蹴りつけた。
世界が滅んでも壊れなかった標識だが、それまでは静かに眠っていた。
そして、その攻撃で目覚めた。
目覚めてしまった。
驚きか、はたまた寝惚けてか、変化してしまった。
考える限り最悪の敵を乗せたバスの前で。
標識が再び眠らされることになるまで、10分とかからなかった。
「イオンくん?」
全てを壊して、再生させて、一旦全員
「……イオンくんで合ってるよね?」
今、彼にはイオンの姿が、何百もの目と口と手と足と████を持つ、3メートル超の肉塊に見えているはずだ。
常人なら正気を保てず、泣き喚いて悶えるところだが、相手は無貌の神を抑えた人間だ。
「運転手も先生たちもみんな寝てて……そしたらなんかバスの前で『我が名は崇高なるカルキスト・イオンである』とか名乗ってたので……」
「……」
「え、イオンくんですよね? 人? 違い?」
「何故そう見た?」
「本人が名乗ってるなら、現状ではそう扱った方がいいかなあって」
「恐怖はないのか?」
「────ぶっちゃけ……それよりもさっきから車酔いで吐きそうなんですけど我慢してます……ビニール袋持ってませんか?」
イオンは考えた。
考えた末、中学生イオンとして知られた姿を作り直した。
「あ……戻った……」
「……斑。汝は今、夢境の只中にある。目覚めたとき、汝はあるべきところにあるだろう」
「夢なのこれ? にしてはリアルだよな? 明晰夢?」
「
綿を詰められない限界まで手を伸ばし、魔術で彼の意識を沈めた。
道路標識は利用価値があったので、
見上げれば星があった。
ずっと昔、砂漠の真ん中で見たものとは違っていたが、同じ宇宙だった。
××××
後世の信徒が、サーカイトのための大学を設立したことは知っていた。しかし、自身が通ったことはなかった。
肉の魔術を教えないという一点を除いて、今在籍している大学は、それと同じなのだろう。
正直、勉学も交流もつまらない。だが、井上斑の研究と観察のためだ。
後をついてくる者も、あれから増えてきた。自分はこの国で、人々にさらなる救いを与えねばならない。
蠢動する肉と骨で造られた隠れ家で、イオンは緑茶を飲んでいた。斑の家に憑いている死霊から貰ったものだ。
ふと、スマートフォンから着信音が鳴る。
『今度ふたりで遊ばない? どこか行きたい場所とかある?』
魔術で再構成された道路標識の唸り声を聞き流して、カルキストは己の意思を端末に送信した。
強いて言うなら、今行きたいのは井上斑の家だ。どうやら彼は変なものを拾ってきたらしい。
……だが、現時点で優先しようとも思わない。
『汝の欲に従うがいい』
肯定の返事とスタンプがすぐに返ってくる。
「『ねこ』、『お塩』、『白虎』、又はSCP-040-JPと呼ばれる者。……ここにいて、私を視て得るものはない。
不恰好で薄っぺらい造形の怪異が霧散する。あれが井上斑の懐に入り込んでいることを考えると、久々に頭が痛くなった。
それでも、カルキスト・イオンの敵ではない。所詮は、ただの猫被りだ。
宇宙のはじまりとおわりが引き伸ばされ、圧縮され、ひとところに渦を巻いて煮立ち融解している光景を幻視する。
脳漿の泡ひとつひとつが、6柱の無貌の混沌による祝詞を唱える。煩い。煩い。ねこより聞き分けが悪い獣どもめ。
正体不明の力により口を塞がれたものの、簡単には退去しないつもりらしい。斑が近くにいると、夢のように静かになるのだが。
「……やはり、彼の者が手元に必要になる」
ねこです。
かるきすとのひとにおいだされました。ほろべ。よろしくおねがいします。
かるきすとのひとはねこをみないのでねこはやつをほろぶをのぞみます。
ねこはにくよりさかなです。ねこはねこなのでさかなをすきだといっておくます。さかなもにくですがさかなです。
ねこです。まだらはあそぶやつをえらぶべきです。ねこでした。
・イオン(崇高なるカルキスト・イオン)
身内に甘々の救世主。修学旅行で買ったもみじ饅頭をまだ保存している。本編を読めば分かる通り、かなり青春をエンジョイしていた。水中の死体は泣いていい。
・井上斑
修学旅行ではずっとイオンがくっついていた(周りは斑の方が付き纏っていると思っている)ので、観光中はまぁまぁ嫉妬の視線に晒されていたが、中学時代は今より天然だったので気づかなかった。
・SCP-910-JP
噛ませにしてごめん。でもイオンによって強化されてると思う。
・お塩(SCP-040-JP)
ねこの他者への呼び名一覧(本編でまだ呼んでないのも含みます)
井上斑・・・ねこをすきなひと→まだら
ブライト博士・・・はかせのひと→ぶらいと
SCP-3715・・・せんせいのひと
SCP-2316・・・ねこをじゃまするひと
SCP-2000-JP・・・いぬ
井上イワ・・・いわ
SCP-976-JP・・・あな
アナの飼い主・・・あなをすきなひと
エージェントバークレー・・・えーじぇんとのひと
SCP-973-JP・・・うし
イオン・・・かるきすとのひと
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サーキシズムハブ
著者 Metaphysician
http://scp-jp.wikidot.com/sarkicism-hub
SCP-910-JP “シンボル”
著者 tsucchii0301
http://scp-jp.wikidot.com/scp-910-jp