帰宅すると、お塩さんがクッションを踏み踏みしていた。かわいい。
そんなこと言ってる場合じゃない。
「セスさん、でしたっけ……追われているってその、どういうことか聞いてもいい感じですか?」
「……家庭の問題が拗れていて」
それだけ答えると、セスさんは押し黙ってしまう。
マイルズ先生宛てに『セスさんという人を匿っています』とメモを書きながら、僕は話題を変えた。
「お腹減ってませんか?」
「……先も言ったように、俺に施しは」
お塩さんが喉を鳴らしたのか、と思った。
しかしセスさんが顔を覆って俯いたので、僕は冷蔵庫に何が残っていたかという考えを巡らせた。
「食べられないもの、苦手なもの、ありますか?」
「………………それを判別できるほど、俺は今の時代の食事情に詳しくないのだ」
「じゃあ……冷凍の焼きおにぎりは食べられますか?」
「……頼む」
××××
「概ね、あなたたちと……その、井上斑という人の関係と、同じようなものです。私と、アベルとカインは」
アイリス・トンプソン────かつてSCP-105として知られた彼女は、久方ぶりの全力疾走でヘトヘトになっている2人の財団職員をソファーに座らせてから語り出す。
「気が付いたら私は、アイリス・トンプソンとして生まれ直していました。時間が巻き戻ったのかとも思いましたが、なんだか違う。……このカメラを貰ったのも、日本に引っ越してからです」
「ふむ。SCP-976-JPの飼い主と同じパターンか」
「アベルとカインに出逢ったのは、大学に進学し、ひとり暮らしを始めて間もないとき────アベル! お茶を淹れてくれるのは嬉しいけど、新しく買ったものじゃなくて古いのから使ってね」
「喧しい……今やろうとしていたのが解らないのか、お前は」
キッチンの方から、お湯を沸かす音と、不満そうな声が飛んでくる。
あのアベルを顎で使うだなんて、財団職員の半数が卒倒するだろう。SCP-105がSCP-076-2を圧倒して負かした、という報告書の記述は真実らしい。
アイリスはひとつ咳払いをしてから続きを話した。
「近くに廃墟があって……もちろん立入禁止になっていたから、侵入はしませんでした。外から撮影していただけ。そしたら……後からその写真を見たら、敷地内で佇むアベルの姿が見えて、10分もしないくらいで屋内に戻った……」
「それが出会いのキッカケかい?」
「一方的には、です。顔を合わせたのは3日後。あの廃墟の取り壊しが決まったと、町内広報誌に載っていたので、それを伝えるために訪ねました」
2人とも、変わらず元気でした。私とは違って、
アイリスは昔を思い出すして微笑み斜め上に一瞬目線をやって、また現在の話に戻す。
「2人とも賢いので、この監視社会から20年以上隠れ通していました。しかし、それも限界がある。あの2人に限って、私に情欲を向けることはないでしょうから、家に匿ったんです」
「私はそんなことは頼んでいない」
「その割に、新しいホットプレートをジョーシーよりも可愛がっているじゃない」
「にゃあ」
バークレーがふと見下げると、下半身の存在しない灰色の猫が、我が物顔でソファーに上がろうとしているところだった。
SCP-529。SCP-3715並みに平穏な性質のアノマリーである。
「他にも、例のピザボックスが冷蔵庫に保管されているんです。ゴミ捨て場にあったので、こっそり持ってきてしまいました。異常性に変化はありません」
一口どうですか? と促されたが、ブライトは首を横に振った。夕飯が食べられなくなる。
バークレーは今まで一度もSCP-458に触れたことがないので、非常に興味と関心を抱いていたが、ブライトと同様の理由で泣く泣く断念した。
「……ええっと。それで、井上斑の関わっているSCPオブジェクトが……何でした?」
「弱体化済みの認識災害系SCiPが2つ。SCP-2316とSCP-040-JP。それから、SCP-3715、SCP-2000-JP、SCP-976-JPの飼い主である現実改変能力者はこちらに協力的。後は日常的に全国の大会を荒らしまくるSCP-973-JP。それから、えー……」
「何を聞いても驚きません。あなたにも、かのエージェントバークレーにも逢えたのですから」
「そうかい、そいつは助かった。崇高なるカルキスト・イオンと神の構築者ロバート・ブマロが斑くんの幼馴染だったよ」
「────ジョーシーを吸って落ち着きたいところですが、やめておきます」
吸える猫がいる、というのは強力なアドバンテージだな、と元財団職員現ヒモの2人は思った。
残念ながら、我が家のねこは実体がない上に週3でブライトを殴るDV野郎である。
アイリスは、暫く頭を抱えていた。アベルがお茶を持ってくるまでそうしていた。
「話を変えようか」
「助かります」
他人の家のお茶も悪くないな、とブライトは呑気にカップを傾ける。
「カインはどこに? 少なくとも半径20mの範囲にはいないだろう」
「一番奥の部屋にいます。そうしないとピザも腐ってしまうので」
「今から話せるか?」
するとアイリスは、布製のかばんからノートパソコンを取り出した。井上家にあるのとは型が違う。
「……案内するより、こっちの方が早いでしょう。授業で使うので覚えました」
少しの間膝の上でキーボードを操作してから、彼女はこちらに画面を向けてきた。
そこに映っていたのは、オリーブ色の肌に黒髪、額にシュメール語のシンボルが刻まれた男性。
『……息災のようですね、ブライト博士。そちらの方は、これが初めましてになるのでしょうか』
声は単調だが、青い瞳をほんの少し泳がせて、ぎこちなく微笑んだ。
「SCP-076に、SCP-073……御伽噺じゃなかったんだな……」
「バークレー、著名なSCPオブジェクトが出る度にそれをやってたら身体が保たないぞ?」
目眩がするような思いのバークレーに、ブライトは軽い調子で声をかける。
そして、真剣な顔になって所感を呟いた。
「……しかし、雰囲気が変わったな。君も────アベルも」
『そうでしょうか?』
「とぼけない。アイリスと私はともかくとして、交通事故の野次馬たちをスルーして逃げるだなんて、アベルらしくないじゃないか」
ねぇ? と、本人の顔を見やる。
SCP-076-2は、かつての凶暴さを忘れたかのように────否、忘れるわけがない。此奴が、人類への怒りを失うなど有り得るはずがない。
だというのに、何故だ。エージェントバークレーどころか、憎き兄にすら剣を振るわないで、静かにアイリスの隣に座している。
「兄をゆるした? 理解あるパートナーでも出来た? 猫と暮らして癒された?」
「……減らず口は変わらないな」
「やめろブライト博士、オレの銃には弾入ってないんだぞ」
「ここは私の家です」
ピシャリと言い放つアイリスを、画面の中の贖罪者と、隣の半身猫がスッと見上げた。
「銃撃も、刃傷沙汰も、Kクラスシナリオだって、ここで起こすことは許しません。……ようやく手に入れた、平和な生活なのに」
かつてSCP-105として知られた少女は、立ち上がって、何事か口の中で言ったあと、再び座ってジョーシーを抱き上げる。
「あなたに協力します、ブライト博士。優秀な居候がいても防げない異常はあり、この暮らしがいつまでも続く保証はありません」
「アイリス。お前は────」
「言いたいことは理解できるわアベル。でも、私たちの特性を『そういう人もいる』で終わらせてくれる人が何人いると思う? 超能力がなくたって生きづらい世の中なのに」
アベルはアイリスを睨んでいたが、やがて無駄と悟り、自分が淹れた茶を飲んだ。
『アイリスの言うことは最もです。実際、私とアベルの異常性が一般市民に暴かれかけたこともありましたから』
「いつの時代、どこの人間も、オカルトが好きだからね」
それを受け入れるか、許すか、認めるかどうかは置いといて。
『……ただし、ひとつ要求してもよろしいでしょうか』
カインは海より深い青色をした目を伏せて、請い願う。
『私とアベルは永遠の肉体を持っていますが、
────あの天空の古代遺跡が、最後にどうなったのかはブライトも分からない。空と同様、火薬で粉々に焦がされて壊れたのかもしれない。
『最早、私たちが懐かしい故郷に帰ることはないでしょう。……ですが、私たちは、彼は
「……あぁ、なるほどね。SCP-976-JPの飼い主も、滅亡以前に死んでいたが蘇生されている。可能性はあるだろう」
「可能性の話ではない。実際に顔を合わせたことがある……逃げられたが」
「アベルを撒くなんて……馬鹿げてる。そいつは何者なんだ、一体」
ただのエージェントゆえに、いまいち話が読めていないバークレーも、穏やかでない経緯に臆する。
アベルは悔しそうに舌打ちした。そして、茶を挟まずに話し続ける。
「奴は最も愛された子だ。全ての元凶である冠を贈られた者。知も力も私たちには及ばなかったが、奴は父から愛されていた────そういう存在だった」
『かつて、彼の名は失われていましたが、新たな世界と共に戻ってきました。冠と槍と都の行方は不明です。……しかし、彼はこの国にいます。確実に生存している』
彼らのバックボーンは壮大だ。とても一つの巻物では語り切れない。
その一部である、今も昔も兄たちに追われる運命を背負った、お尋ね者の“彼”もまた。
『どうか私たちの末弟、セスを探していただきたい』
ねこです。ねこはひとのなかにいます。とらっくはしずかですがひとがうるさいです。
「もー!! フラダンス選手権で負けたー!! ちくしょう今度はフラメンコの大会に出てやる……」
うしもきました。うしはひとよりうるさいのでうるさいです。
「あ、もしもしブライト? え、何もしかして
うしはでんわでもうるさいです。なぜうるさいですか。そんなにしなくてもきこえていますというのに。
「人間のための労働なんてもう懲り懲りなんだよな。ちぇっ。乗りかかった“馬”だ、最後までやるしかないか……あー!! 白虎!! お前いたのかよ手伝ってよー!!」
うぜえ。ので、ねこはにげます。さようなら。
・井上斑
ここのところ人を拾いがち。自分でもちょっとおかしいと思っているが、それよりブライトさんたちの帰りが遅いなぁ。
・セス(SCP-4840)
訳有りの末っ子。公式で一人称が『俺』。
・アイリス(SCP-105)
同じ大学生でも、主人公やイオンとはまた異なるクセの強い来歴を持つ女性。アベルたちには思うところがある様子。
・カイン&アベル(SCP-073、SCP-076)
お馴染み大人気人型SCP。世界滅亡前、彼らとアイリスに何があったのかについては、本編30話にて一端が語られている。
F■teのパクリではない。
・暗星豪(SCP-973-JP)
緊急時のため、未解明部分の多いSCPオブジェクトを記憶処理に使うのもやむなしと判断したブライトは、コイツを馬車馬のように働かせることにしたのであった。ねこははたらきません。ねこなので。
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
SCP-4840 “魔性のランスロットと空中都市アウダパウパドポリス”
著者 djkaktus
http://scp-jp.wikidot.com/scp-4840
SCP-105 “アイリス”
著者 Lt Masipag
http://scp-jp.wikidot.com/scp-105
SCP-529 “半身猫のジョーシー”
著者 Lt Masipag
http://scp-jp.wikidot.com/scp-529
SCP-076 “アベル”
著者 Kain Pathos Crow
http://scp-jp.wikidot.com/scp-076
SCP-073 “カイン”
著者 Kain Pathos Crow
http://scp-jp.wikidot.com/scp-073