そんな本作ですが、よろしくおねがいします。
井上家に来てから数日。特に何も起こらない。
食事は美味い。布団も温かい。屋敷の主人は親切だ。
不可思議な存在がたまに訪れることもあるが、カインやアベルが押しかけることはまだなかった。
────だからこそ、恐ろしい。
あまりに、自分に都合が良すぎる。こんな平和な暮らしが与えられることが疑わしくてならない。
遠い昔、己だけの星を望んでしまった。それが原因で、災厄が訪れた。一番目の兄は呪われ、二番目の兄は狂い、都市は衰退した。
それからというもの、自分が何かを望むことが、それが他者によって叶えられることが、恐ろしくなってしまった。
2人の兄を最初に見たとき、彼らはとても幸せそうだった。新たな友を連れて、陽光の下静かに過ごしていた。
もし、俺が、兄との再会を、もう一度言葉を交わすことを望んでしまったら、
だから、逃げた。
俺は愚かだ。人間は欲望からは決して逃れられぬと言うのに。
今、俺はここで静かに生きることを望んでしまっている。
もしかしたら、今度不幸になるのは────
「────アンタ、そういうのはブライト博士とかに話せばいいだろ。アイツ人生経験豊富だぜ? オレみたいな若造がアドバイスなんて無理だ」
「……」
寝苦しくて、台所でお茶でも飲もうと思ったら先客がいて、其奴の独白に付き合わされているバークレーである。
カイン、アベルの縁者と面と向かって話す日が来るなんて、クローゼットの中でくたばったときには想像もしていなかった。
「……お前のような子に解決させることは期待していない。ああ、違う、勝手に口から感情が出るのだ。抑え方を忘れてしまった。この記憶、この罪科、長らく他人には話せなかったのでな」
そういえば、セスはこの国で生まれ直したそうだ。
知らない国、知らない人間。前世の記憶、だなんてスピリチュアルでプライベートな話は出来っこないだろう。
「じゃあさ、アンタ、自分語りに若者を付き合わせたんだから、オレの話も聞いてくれる?」
「眠らなくてよいのなら、構わないが……」
とはいえ、目の前の精神だけ老成した知識多き男を楽しませられる武勇伝なんて持っちゃいない。
でも、人間の話なんて、実際そこまで波瀾万丈でもないし、価値も意味もなくていいのだ。
「オレが財団のエージェントってのは聞いてるだろ。と言っても、Dクラスでないってだけで、末端も末端だが。“少年聖歌隊”って部隊の一員でさ」
「何と。お前は歌に長けていたのか。素晴らしい」
「違うわそういうチーム名だ。信心深い奴だけで構成されてたから」
「……待て、少年? お前、まだ成年に達していなかったのか。器だけで判断してしまった。どうか許してくれるか」
「話、進めていいすか?」
「いいぞ少年」
どうにも話が噛み合わないというか、此奴、とんだ箱入り息子である。そりゃ何年も地元に引き篭ってたんだから仕方ないが。
「それで、その機動部隊が与えられた任務ってのが、とあるクソ田舎で起こった怪奇現象の調査だ。平屋の農家を調べろってんで……ま、この財団じゃありふれた初動だよ。何事だってそうだ、最初に試みた者は相当の覚悟がなきゃいけない。オレも死ぬ覚悟はしてた。してたんだけどな?」
けれど、人間の感情なんて、プログラミングされたってそれの通りには動かない。
「────見捨てたんだよ、オレは、アイツらを。クソッタレな状況に、身も心も耐えられなかった。足が勝手にそこを離れたんだ。仲間を裏切って独りで抜け出すヤツが死ぬのは映画のセオリーで、結局オレも死んだよ。ま、あそこでは何やっても死ぬんだけどな」
セスは何も言わなかった。新鮮であり老獪な光を湛えた眼差しを据えるだけだ。
兄とやらも同じような目をしているんだろうか、とバークレーは脳の隅で考える。
「ブライト博士は、オレとDクラスのタフ野郎のお陰で、SCP-1983が弔われたって伝えてくれたよ。でもな、まだ会ったことのないソイツはともかく、オレは英雄として名前を残すべきじゃなかった。オレの祈りが届くまでの過程には、生きた人間の屍が積み重なってる。皆呼吸してた、名前があった。アイツらは……アイツらは、オレの悲劇的な英雄譚を作るための、犠牲になりたくて生まれたんじゃない」
喉が渇くが、それでも話し続ける。お茶を飲む気分にはなれなかった。ああ、そうさ、最初から水分なんて欲してない。ただ眠りたくないだけ。
「今でも夢に出るんだよな。あの最悪の地獄から、どうしてお前だけがって怨む声がする。神様はなんでオレだけ蘇らせたんだろうな、それがオレへの罰なのかな」
泣くつもりはなかった。ましてや、相手は得体の知れない人型実体である。
これがブライトなら、理解不能のジョークで笑い飛ばしてくれたんだろう。
イノウエマダラに聞こえていないといい。あれが泣いている人を放っておくビジョンが浮かばない。
「────なぁ、アンタ、でもアンタは、まだ相手生きてるんだろ。良かったじゃん、アイツらが不死身で。財団は血反吐はくほど嫌だろうけどさ」
結局アドバイス紛いのことを言ってしまうな、と頭の中で自分の愚かさを笑った。
「罪のない人間なんていない。なら、死ぬ前に良いことしようぜ。罪は消えないが、
あれ、コイツらにとっての創造主と一般人にとっての創造主って捉え方が違うんだっけ。まぁいいか。
バークレーがやっと湯呑みに手をつけると、セスが隣に立った。
「……夢を見たくないと言うのなら」
「ん?」
「まだ俺の昔話を聞いてくれるか。朝が来るまで語っても満足しないかもしれない」
「ええ、喜んで。アンタらSCiPの対処すんのがオレの仕事なんでね?」
そのとき、台所のテーブルに、ひらりと一枚のメモ。
『コーヒーの方がいいでしょうか? 今起きてきたのですが、どうでしょうか?』
誤魔化し方が下手な幽霊だ。別に聞かれて困ることなんてないのに。
「あと、アンタさっき、この暮らしが壊れるかもって心配してただろ。とっくにこの世界は壊れてんだから、そんくらい誤差だ誤差」
「……だが、お前はとても楽しそうだ。特に、ブライトが白い『ねこ』に攻撃されているとき」
「え? 嘘だろバレてんのかよ」
「ところでお前の聖歌が聞きたい。音楽なんてしばらく振りだ」
「話聞いてました?」
××××
「────といった感じみたいだが、長男の君として、何か感想は?」
『弟の肉声が聞けただけで、私は幸福ですよ』
「取り繕っちゃって。本音はすぐにでもこの家に凸撃して謝り倒したいくせに。あ、実行してくれるなよ。この家はタタミだから」
『肝に銘じましょう』
通話状態のスマートフォン片手に、ブライトは台所からそっと立ち去った。
幽霊のマイルズは許されるだろうが、自分が盗み聞きなんて確実に怒られる。
「あの調子なら、秋までにはどうにかなりそうだね。財団再建より先に、君たちの複雑なシナリオが一段落着くなんて最高だよ」
『……ブライト博士。我々に足りないものは頭脳でも技術でも、収容する中身でもありません。財力です。財がないのなら財団とは呼べません』
「急に現実を突きつけるなよ……泣くぞ?」
SCPオブジェクトの報告書を全て暗記しているカイン、最凶の人型SCPであるアベルと同等に優秀な人材であるアイリスがいれば、財団再建も夢ではない────と希望を持っていた。
生憎、あの兄弟も自分たちも、市井の大学生に養われているのが悲しい現実だ。
『そのため、私は自分の腕と足を売ろうと思うのですが』
「Oh……頭のネジを売ってしまったのか……?」
『冗談です』
冗談に聞こえない。本気でやめてほしい。
「だが、君の言う通りだ。世の中は金で動いている。貧しさの中に豊かさがある、なんていうのは金持ちが優越を感じるための幻想だ。資金集めは火急の要件だな」
『ベリリウム銅は』
「体を売るアイデアから離れてくれ」
電話を切る。
カインとアベルが同居なんて、どんなSCPオブジェクトを利用したって、そんなことが発生するものだろうか。
前の世界から生きている彼らは、エピローグの一部始終を目撃したのだろうか。
何がどうなっているのやら。それを解明するのは、明日起きてからでもいい。
ブライト博士は、自分のものではないが自分のものになってきているスマートフォンを枕元に置いて、布団に潜り込んだ。
ねこです。ねこはふとんのうえにいます。よろしくおねがいします。
「あれ、まだこんな時間……お塩さん〜? えー、お塩さん布団で寝たいんですか〜?」
そうですがなにか。まだらはききわけのいいにんげんでらくです。
「じゃあ僕、隣の部屋で寝るのでごゆっくり……」
そうじゃねえ。
・井上斑
ねこと一緒に寝てみたい気持ちはあるが、圧死させそうで怖い。
・ブライト博士
スマホの料金やら何やらは、井上斑の母親が何とかしてくれているようだ。それでいいのか?
・エージェントバークレー
まだ引きずってるエージェント。この人のTaleないんですか?本当に?Google先生が隠してませんよね?
・セス(SCP-4840-A)
そんなこんなで井上家に住み着くことになった三男。昔2人の兄から逃げていたときも、某国に匿ってもらっていた。多分人に甘やかされる才能がある。
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
SCP-4840 “魔性のランスロットと空中都市アウダパウパドポリス”
著者 djkaktus
http://scp-jp.wikidot.com/scp-4840
SCP-1983 “先の無い扉”
著者 DrEverettMann
http://scp-jp.wikidot.com/scp-1983
SCP-073 “カイン”
著者 Kain Pathos Crow
http://scp-jp.wikidot.com/scp-073