「私の名はジャック・ブライト。────その『ねこ』の、“元”飼い主だ」
電灯がまたたく、ほんの短い間、僕はその言葉を理解できないでいた。
「あっ……と、その、え? 飼い主の方なんですか?」
「“元”だがね。何せ、つい最近まで病気で寝ていたんだ。気がついたら世界は様変わりしていて、『ねこ』はいなくなり、こち亀は連載終了し……」
そのとき。
猫が喉を鳴らす音をトンネルに放り込んだような音が、どこかから聞こえた。
そして直後に、ジャック・ブライトなる人がこっち向きに倒れてきた。
「うわっ!?」
咄嗟に『ねこ』を左腕に移し、右腕でブライトさんの肩を支える。首飾りを引っ張ったら逆に首を絞めそうだったので、上手いこと避けて立たせた。
「大丈夫ですか、え、その、病院とか」
「いや、なんてことはない……言い忘れていたが首飾りは絶対に素手で触らないでくれ、せっかく040-JPが……」
後半の言葉は、どんどん先細っていって聞こえなかった。
さっき病気で寝込んでいたと言っていたから、もしかするとそれの所為なのかもしれない。
ようやく目が覚めて、なのに愛猫が忽然と消えていて、知らない人間に連れられているのを見たら……そりゃあ、ショックを受けるだろう。
すると、またあの音が振動する。
具体的に言うと、ブライトさんから。
「……」
「財布にまだお札が入っていると思ったら……なんと馬券だったのさ……ハハハ」
つまり、家に食べられるものがなく、外へ出て何か買おうとしたらお金もなかったと。
「ご家族とかは……」
「スマホの連絡先見る? こんな真っ白なの、見たことないね。バンクシーに何か描いてもらおうかな」
「す、すみません、無神経でした……」
ブライトさんは、まるで他人事のように語っている。
そうだよな、周囲にまともな人間がいたら、こうはなってない。一体周りの奴らは何をしていたんだろう。病人を放置して、お金も与えず、しかも飼い猫を預かることすらしないなんて。信じられない。
「一旦、僕の家で話しましょう。そんなに遠くないですから」
「それはとても助かるよ」
どうしてか、左に抱いた『ねこ』が顰めっ面をしているように見えた。何でだろう?
××××
「今すぐ出せるもの……コンビニ弁当しかないんです、ごめんなさい」
「構わない」
“先生”にメモでブライトさんのことを伝えてから、僕は弁当と割り箸をブライトさんに差し出した。
『ねこ』は先ほどから、ブライトさんをずっと見ている。やっと再会した飼い主なんだから、そりゃあ気になるか。
「……そういえば、君の名前を聞いていなかったな」
「井上斑です。『まだら』は、斑点の斑。……ブライトさん、は、その」
「井上くん、その『ねこ』が何に見える?」
「え」
何を唐突に。意図がわからない。
だから、正直に答える。
「白い猫に見えますけど……」
「そうか」
ブライトさんは、割り箸を割って、ゆっくり弁当を食べ始めた。病み上がりなのにいきなり唐揚げから手をつけていて、ちょっと不安になる。
「なら良いんだ。……『ねこ』のことを誰かに言ったりは?」
「“先生”とバイト先の人には……」
「それで変わったことは?」
「変わったこと……?」
不思議な質問をする人だ。
もしかして、この『ねこ』は、天然記念物だったりするんだろうか。国家機密的なアレなんだろうか。
首を捻っていると、白米を頬張りながらブライトさんは言う。
「なに、ただ聞いただけだ。私にとっても、君にとっても、『ねこ』は猫以上でも以下でもないってことを確認したくてね」
「はぁ、なるほど」
『ねこ』が膝に乗ってきた。そして、ブライトさんを見つめる。
妙に礼儀正しいと思ったら、やはり飼い猫だったんだ。久しぶりに飼い主を見たんだろうな。やっぱり寂しいのかな。
そうだ。飼い主と引き合ったんだから────もう、この家にいる必要はないんじゃないか?
「井上くん」
「はい」
「……その『ねこ』以外に、動物をもう1匹飼う余裕は?」
「え?」
いきなり何なんだ。
「……それは、種類によりますけど。犬ですか? 猫ですか? うさぎ、熱帯魚、文鳥……いろいろありますよ?」
「んー、大きめのサル1匹」
「サル……ですか」
日本で個人が飼育できるサルは、リスザルやマーモセット、ニホンザルなんかだ。飼育が難しい、上級者向けの動物とされている。
「金銭的・スペース的には……母が許可を出してくれれば、まぁ。でもサルは知能が高いですから、脱走……したりとか……」
「しないさ。起きたばかりで餓死と凍死はごめんだよ」
「……ん?」
なんだろう、僕の頭の中がモヤモヤする。あちこちで警告音が鳴り響いている気がする。
ブライトさんは食べ物を口にして元気が出たのか、余裕そうな笑みを浮かべた。
「……と、いう訳で。今日から『ねこ』共々よろしく頼むよ、井上斑くん」
ごちそうさま、と付け足す。
米粒ひとつ残らず、空っぽになった弁当箱を見た。今の僕の思考回路みたいだ。
『ねこ』は、相変わらず黙って、ただただ目線で何かを訴えかけていた。
××××
ねこです。
はかせのひとがきました。
はかせのひとはねこをつかってねこをすきなひとをつかまえようとしてます。
ほろべ。
よろしくおねがいしません。
・『ねこ』(SCP-040-JP)
コイツよくこんな堂々と本猫の前で嘘つけるよな、玄武より怖いわ、と思っているミーム災害系SCP。
・ブライト博士(SCP-963)
19歳大学生の一般人の家に住み着こうとしているのは、我ながら流石にマズイのでは?とは思っている冗談じゃないぜ博士。
・井上斑
またしても何も知らない主人公。
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
ブライト博士の人事ファイル
http://scp-jp.wikidot.com/dr-bright-s-personnel-file
SCP-963 “不死の首飾り”
http://scp-jp.wikidot.com/scp-963
SCP-040-JP “ねこですよろしくおねがいします”
http://scp-jp.wikidot.com/scp-040-jp