名状し難き烏賊と人類種の天敵な山猫は呪いなんて信じない 作:犬(ゆきいろ)
狩人は、さてどうしようか、と両腕に抱いたぬいぐるみの『人形』をぎゅっと抱きしめ思考する。
フリをした。
本心で言えば、どうなったっていい、というものだが忠実に人間として再構築された身としては、こういった場合『どうしよう』と考えるのが普通であろう、と結論を出しそれらしく戸惑い、頼りの『人形』に縋りつく幼気な少年の動作を取って見せた。
例えるなら、過干渉極まりない『親』元から逃亡し、ひっそりと隠れて居たら見知らぬ人間に連れ去られた様なもの。
そのような場合なら、現在子供を模倣した私も少しばかり困惑し、途方に暮れるべきかとも考えたのは正しいのだろう。だがやはりどうでもいい、という思考が勝り人形へ頬を寄せたままに瞼を下ろす。
上位の存在へ、人類の新たなステージへと至った狩人からみれば、彼らの世界など何の興味も沸かない。起伏のない平らな次元だ。
首輪の付いた、意思薄弱な仔猫を引き取ってさえくれれば良かったのだが、残念な事に完璧に人間を模倣し過ぎたせいで自分自身まで『保護』されてしまった。
全く、面倒な事だ。
本物の幼子のように手を引かれ、狩人が人として生きた時代からは随分と進歩のある車に乗せられてしまった。
別段全てに興味がないので『セレン』、『セレン』と燥いだ声を上げる仔猫と否定する事を止め、適当に相槌を打ち続ける女の声を聞きながら、眠ったフリをした。
自分の殺した女を幻視し疑いもせず呼びかけ続けるとなんて随分と狂った獣だ。
ヤーナムの外にも頭のおかしい連中は大勢いるらし。赤子の次は母を求める声がする。狩人には関係ない話だが。
暫く乗り物に揺られ、眠った様な形をとっていた狩人の目玉が瞼の下でピクリと動く。おや、と口の中だけで呟いた。
シートベルト無しのままに転寝した子供が転げ落ちないかと、ちらちら視線を向けていた隣の男が起きたのかと覗き込むが、瞼は閉ざし『人形』に頬を寄せたままだ。
狩人はただ、何かを覆い隠すモノを見ただけだ。あの白痴の蜘蛛の様な。
仔猫は獣でしかないのでそんなモノ気づいた風もなく相変わらずだ。狩人と仔猫を連れて来た男と女は見えているのか気にして居ないのかは分からない。
人間の頭の中身を見ることは、赤子の狩人には難しい。勿論、物理的に頭蓋の中に詰まった物を外気の中にぶちまけるのは大得意だが。
そもそもこう成ったのは、殆ど仔猫のせいだ。
狩人は仔猫の望んだ通り、人が人らしく低次元で甘んじて存在する場所に放してやろうとやって来た。だがどうもここの人間は珍妙だった。
獣性(の様なもの)を垂れ流している。隠す事なく垂れ流して、内に獣などいないといった顔をして生きている。それがあまりに滑稽だったものと、(成り代わられた癖に)いつまでも支配者気取りで見つめてくる魔物がうっとおしかったので、しばらくここでぼんやりと低次の生物を眺めていた。
子供が一生懸命に水たまりに落ちた雨粒の波紋や、蟻の行列を見ているようなものだ。
そうやって狩人が幼子らしいひとり遊びをしている間に、意思薄弱な獣も好きな場所に行くだろうと思っていた。だが狩人が考えた以上に仔猫の意思は耗弱だった。蒙昧ないきものを観察する狩人の後ろをついてくるだけだ。
狩人はひとり遊びで忙しいので、つまらない獣に何をするべきかなんて『答え』を与えてやる気はなかった。記憶を無くした唯の病人でしかなかった自分だって、殺し続けて狩り続けて辿り着いたのだから、仔猫だって自力で辿り着くべきだ。力そのものは有るのだから。
そう考え放置していた結果、いつのまにか『獣』になっていた。
どうやらこの子猫は人類の怨嗟憤怒敵意等々を集める質らしい。
人類に敵視されている。
まあ、行いに即した順当な結果だろう。知ったこっちゃないが。
なのでそれも放置していた。
放置した結果、人類が多少削減されたり正気を失ったりしても狩人には関係ない。後者の要因が狩人だったとしてもだ。
今回だって勝手にやって来た人間が、仔猫に集る人類の怨嗟にあてられるか、狩人を見詰め続けるモノに気づいて正気を失うかで終わる筈だった。
だが実際は、意思薄弱に壊れた感覚で『母親』を誤認し、引っ付いて行ってしまった。それに狩人まで巻き込まれた。
その腑抜けた獣だけ連れて行ってくれという言葉は受け入れられず、この有様だ。
まるで子供のようなあつかい。赤子ではあるが。
セレン抱っこ!
「しないわよ?ほら、自分で歩くの」
あの蜘蛛が覆い隠した様なモノの内側で、進行は停止した。
目的地に着いたようで、仔猫の甘ったれた発言が聞こえる。獣の脳は残念な仕様らしく、周りの人間には上手く伝わらないことが多い。どっかの誰かが頭を開いて脳に細工でもしたのだろう。ヤーナムで頭の中に瞳を探した連中は、仔猫のそれを見て、一体どんな反応をするだろうか。
兎も角も、真実を見詰める目的とは真逆の用途で切り開かれた仔猫の脳は、言語化能力が著しく低いらしい。
だが今回は、ぱっと満面の笑みで両腕を伸ばす事でその意図は伝わった様だが。そして素気無くあしらわれている。それでも伸ばした片手を握られ、手を引かれれば嬉しそうに横を付いていく。
私は相変わらずの眠ったフリを続行する。
横で終始様子を伺って居た男が、遠慮がちに肩を揺する。それが起こそうとしての挙動なのは理解しているが、寝たふりを止める気はない。
戸惑った空気を感じ取ると同時に、その空気は発砲音に揺れた。
間髪入れずに6発分、火薬の爆ぜる音がしたが、獣狩りに使う銃とは比べ物に成らない程に軽く慎まし音だ。
肩に手をかけていた男に緊張が走ったのは分かったが、狩人にしてみれば大した脅威は感じない。
世の中には骨髄の灰を使った大砲を、対人でぶっぱなすキチガイもいる。あんなちんけな銃弾に狼狽える方がどうかしているのだ。