「エインフェリアになるか?」
蒼穹の鎧を纏う神族に問われた一つの魂。その魂が意思表示をする。
「遠慮させていただきます。」
即答であった。
問うた戦乙女の唇が笑いの形を作り、微笑みながら声を出した。
「それは残念。フィレスの願いが叶ったかもしれなかったのにな。」
エインフェリアにならなければその人物には逢えないから、仕方ないか。そう続く戦乙女の言葉に引っかかりを覚えた小さな光。
フィレスの魂はめまぐるしく思考を回転させた。
逢いたいひと?———
シフェルとは別れを済ませたばかりだから、彼が死んでいるはずが無い。
そのシフェルと自分の血を分けた一人娘クリスティはとうの昔ににパルディアを出奔していて、随分と時間が経っている。
自分の意思でこの国を後にした娘に逢いたいといえばそうだが、その娘もうとっくに自分の人生をしっかり歩んでいる筈だし、おそらく行動を共にしていた二人もそうだろう。
今更だわね———
自嘲気味に呟いた言葉は音にはならずに、想いとして零れた。
そして魂が思い浮かべたのは自分と同じ血が流れている兄と姉であった。
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兄さんに会ったのは、何年前だったかしら?
パルティアに嫁いで随分と年月が経ってから、ディパンを訪ねた。
パルティア王妃として最初で最後、一度きりの里帰りだったわ。
王妃が国外に出る訳だから訪ねるのは一国のみではないし、当然手ぶらはありえない。
外交目的は複数あったけど、個人的な目的もあった。それは姉さんが匿われていた場所を兄さんに教えてもらうって事だった。
その場所が記された地図を広げ苦笑するアレス兄さんが言った一言。
「もう時効だから、いいか。」
そして兄さんは姉さんの眠る場所以外の事も、色々教えてくれたっけ。
「セレスが何でお前の片腕落としたか、ちゃんと解ってるのか?」
アレス兄さんは私の無い腕から顔へと視線を移動させながら言った。
「姉さんは『射なさい』って言ったから、そのつもりで矢を番えたの。」
「自分の命を手土産にしてディパンに戻れっていうセレスの思いに、気付いたか。」
「矢を放つ直前に気付いた。だからセレス姉さんの願いを私は叶えられなかった。」
気付かずにいたなら、姉さんの命を手土産にディパンへ帰還した。それでセレス姉さんの願いは叶う。けれど起きた現実は違ってしまった。
私は小さく唇を噛んだ。そして思い起こすあの言葉。
「姉さん・・・、すごく怒った顔で『自分の居場所に戻れ』って・・・。叱られちゃった・・・」
「当たり前だ。セレスにしてみれば、腕一本で戦場からフィレスが離れるものなら迷わずにそうするぞ。」
戦場は命のやり取りをする場所だからな。兄さんの言葉を聞きながら私は俯いて茶器を見た。
姉さんは実際そうしたしね、と言ってから残ったお茶を口に含む。
「守る立場になって、気付いた事、気付かされた事が沢山あるもの。」
顔を上げて兄さんの色素の薄い灰青の瞳を見ながら私は言葉を続けた。
兄さんの瞳が優しく細まっていく。
「フィレスがそれに思い至る様になったか。俺達も年を取る訳だ。」
—兄妹で約一名、年を取ってないのがいるがな—
続いた兄さんの言葉に二人で笑って、それから沢山話をして。
アレス兄さんはディパンの国王として今もその地位に在る。
だから、逢いたい人はあと一人だけ。
まさか———
まさか———
まさか———
・・・姉さ・・ん・・・・・なの・・・・?———
私は時が止まったかと思った。
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フィレスは存在としての神族は知っていたが、実際に相対するのはこれが初めてであった。
その神族が事も無げに声を出す。
「斬鉄姫セレスは確かにエインフェリアとして召喚した。」
・・・う・・・・・そ・・———
「私は嘘は言わない。」
緑の瞳が強く光った。そしてシルメリアは両手を自分の両膝に当て、身体を折って視線を下げる。
その強い双眸と同じ高さに一つの魂があった。
密度の濃い金の髪はうねりながら蒼穹の肩を包み込んでいる。
フィレスと対峙している存在。それは彼女にとっては決して容認することのできない神族だ。が、目の前の戦乙女の存在感とそれを取巻く眩しいまでのオーラはいかばかりであろうか。
油断したら呑み込まれる———
そんなフィレスの感情を察したかの様に戦乙女は微笑んだ。
「エインフェリアになったら、フィレスの願いが叶う。」
なにを、一体———
「姉に逢い、その背中を守る事が出来る。」
それはあまりにも短い、だが決定的な一言だった。
小さな光となった魂が震える。
剣を持ち軍籍に身を置いた姉と違い、妹は弓を持ったのみだった。軍に属さないという事は戦とは無関係であり、二人が共に戦う事は決してないとう事実を意味する。
弓を手にしてから生まれた願い。しかしいくら腕を磨いても、ずっと自分を守ってくれた姉の背中を守りたいと思ってもそれは叶わぬ願いでもあった。
だがエインフェリアとなればそれが叶うというのは、フィレスにとって随分と魅力的である。がしかし、天界にしてみれば敵対行為としかならない生前の自分の行動。
様々な思いを巡らせながらフィレスは考え込んでいた。
そんな中で戦乙女が言った言葉は。
「だから、私に釣られてくれないか?」
小さな笑いが含まれたその声を聞きながらフィレスは無意識に返事をしていた。
よろしいのですか?———
心中はともかく、目上の存在に対して徹底的に礼儀を守るその返事は、骨の髄まで王族としての教育を叩き込まれたと思わせるものであった。
「私はシルメリアだ。」
シルメリア様、私は———
改めて名乗ろうとしたフィレスと全く同じ言葉を嘗て対峙した魂から聞いた事があったシルメリアは、その時と同じ返事をする。
「シルメリアでいい。」
・・・・・・・———
沈黙するのも同じだ、とシルメリアは思った。
「言いにくいのであれば、フィレス『戦乙女』と。」
承知しました———
随分と印象は違うものの、やはり姉妹だ。良く似ている。
姿勢を正しながらシルメリアがそんな言葉を口にするとフィレスの嬉しさを隠さない想いが零れ落ちる。
ありがとうございます———
零れた想いは四方八方に霧散して消えていく。それは人間の一生にも似た儚さであり、そして強さでもあるのだろう。
「しかし、そのままでは片腕だ。・・・年齢を遡るか。」
シルメリアの呟きに反応したフィレスが怒涛の勢いでなにやら伝えてくる。
苦笑しながら「是」と答えるシルメリアは、やはり人間という存在の強かさを思わずにはいられなかった。
「フィレス、私と共に在れ。」
ミッドガルドやパルティアあるいはディパンを守る為に召喚されるのであれば、絶対にそれを受けなかった。それはヴァルハラの、神族の、大義名分。
そして何より大義名分の為に生きた私の人生はもう終わったのだから。
でも、戦乙女は私の個人的な願いを餌に「釣られてくれるか?」と言ってきた。
私の王族としての矜持を傷つける事無く、個人的な願望も満たされる。何より姉さんをエインフェリアとして召喚している。
優しげな外見とは裏腹に大した手腕だわね。ま、実際私も釣られた訳だし。
遠のく意識の中でフィレスはそんな事をつらつらと思っていた。
零れ落ちた強さと儚さの中で、召喚の言葉と共に舞い上がる金色の髪と蒼穹が一つの魂を包み込んだ。
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戦闘が終わり、若草色の衣を身に付けた弓闘士が見る光景はバラバラの肉片となり地面に転がっている魔物。
その手前に居る剣を構えた戦士の背中は鎧で覆われており、赤錆色の髪の毛と同じ色の兜飾りが血の様にその上に流れていた。
守られるだけでなく守りたかったと、ずっと追いかけていた背中をじっと見つめるフィレス。
万感の思いを胸の秘め、今この時、振り返った姉に妹は手を振りながら満面の笑顔で声を掛ける。
「やっほー、姉さん!」
「恨み言の一つもないの?相変わらずね。」
「そりゃあ多少は不便だったけど、今有るし、おかげで若い姿で復活できたしねー。」
さざめく様に笑いながらその姉妹は自分達二人を召喚した戦乙女の方へと並んで歩いて行く。
二人の先に屹立する戦乙女は光の中で微笑んでいた。