赤光将軍エーレンの視線先には、人間が無言で横たわっていた。エーレンの足元で倒れている人間の女性はクレセント。彼女は白光将軍とも呼ばれている。
不意に現れた不死者や魔物によって攻防戦は混戦の様相を呈してきた。混乱する自軍の立て直しの真っ最中、伝令がエーレン報告した内容は、白光将軍の戦死。
赤光将軍という立場上、エーレンは全てを放り出してクレセントの許へと行く訳にもいかない。叱咤激励して何とか軍の混乱を収めてようやく身元の確認という名目でクレセントと対面することが可能となった。それは将軍という立場の同僚というよりは、長年行動を共にしたクレセントの保護者という立場が強かったからに他ならない。
白光将軍の副官からクレセントが絶命に至るまでの経過報告を受けながら、一言も言葉を発せずに大きな歩幅で前へと歩く。少し先の木々の間に小さな体を見出した時、エーレンの眉間が険しくなった。
「ほぼ無傷でいらっしゃいます。外傷はほとんど見られません」
エーレンは何も言わない。ただいつもより心持ちは早めに足が進む。
「魔物に払い飛ばされた際、かなりの速さで木にぶつかった模様で」
「その時に頭を強打した、のか」
クレセントを見下ろすエーレンの声がほんの僅かに震えたのを知るものは、今この場には誰もいない。唯一知り得る人物は、大地の上で沈黙を守っている。
しばらくの間、無言で足元の人物を見ていた赤光将軍は、白光将軍の副官を下げ自分の副官を呼ぶと、あれこれと命令を下し始めた。
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「換魂の法?」
守備範囲から随分と離れたものを知っているんだね、とロゼッタの宮廷魔術師は面白そうに口角を上げる。しかもこれって秘法だよとご丁寧に言い添えた。だがどこで知ったのか、誰から教えてもらったのか等を追及しないところが、実にこの宮廷魔術師らしい。
「私でも発動は可能か?」
「無理だ。あれは余程の魔術師でも扱いかねる代物だ」
「だが、ゼノンなら扱えるのだろう?」
言質を取ったと言わんばかりに、エーレンはにっこりと笑う。つられるようにゼノンが苦笑した。
「否定はしない」
「門外漢の私が扱うのを可能にすることは、出来るか?」
「……全く、赤光将軍を引き受ける代償が『換魂の法』とはね」
「他は何も要らないからな」
「そんなもので残された方が喜ぶとは思えないが…」
ゼノンが言い渋るのは非常に珍しい。そんな彼をまっすぐに見据えたエーレンはゆっくりと口を開いた。
己の命と引き換えにすることで彼女が助かる、と胸の内でそっと呟いた後に、口をひらいた。
「保証が欲しいんだ。それも確実なものが」
エーレンが生き抜いて欲しい存在。その人のプラチナブロンドが、三日月の光に照らされて白く輝いていたのをゼノンは不意に思い出す。
全く、白光将軍とはよく言ったものだ、と心の中で小さく呟きながら親指と中指で輪を作る。ゼノンは目の前にある硝子の杯と杯の中身を凝視しながら、弾いた。
ピン、と張りつめた音が部屋に響き渡る。
「承知した」
とてもいい笑顔でゼノンが答えを出す。エーレンはゼノンに負けず劣らずいい笑顔で言った。
「そう言ってくれると思った」
ゼノンは手を出しながらエーレンの額輪を預かりたいと言葉を続けた。
エーレンとクレセントが額輪を握り、二人が握った額輪を媒体として換魂の法が発動するように術式を仕込むのだと言う。
「自己中心的だな、あなたは」
額輪を受け取ったゼノンの科白にエーレンは肩を竦めて小さく笑うだけだった。
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額輪を外しながらエーレンは後の事は頼む、と副官に言った。
赤光将軍の副官は宮廷魔術師から推薦を受けた者で、エーレンが今から何をするのかを知っている数少ない人物の一人だ。
エーレンはしゃがむとクレセントの頭をゆっくりと撫でた。開いたままの目蓋。見開いた瞳は無機質なガラス玉のようにただ風景を映すだけで。
ただ、僅かばかりの体温が名残惜しそうにクレセントの身体を包み込んでいる。そんなちっぽけな現実が、エーレンにとっては救いだった。
まだ、間に合う。
死後硬直が始まったら術は発動しないと、ゼノンはそう言った。
「すまんな、クレセント」
助かるという安堵と、置いてしまう申し訳なさが入り混じるほろ苦い声。大きな手がクレセントの目尻に、頬に、優しく触れながら想いを落とす。
愛おしい者の感触を忘れまいとするかのように、エーレンは殊更ゆっくりと指先でクレセントを確かめた。
死んだ人間を自分の魂と引き換えに生き返らせるという換魂の法という存在を知った時、何が何でも知りたいと思った。
だがゼノンが言ったように、換魂の法で生き返ったクレセントが喜ぶかと問われたならば、そうではないと言い切れる。逆に、絶望するであろうことも承知の上だ。
それでも彼女には生きて欲しい。
いや、違う。彼女がクレセントがいない世界で私は生きられないんだ。
一緒に旅を始めた頃は、正直離れたいとしょっちゅう思っていた。孤児院に預ける事も考えた程だ。
月日の経過と同時にお互いの存在も重みを増す。
何よりも誰よりも大切な。
それ程までにクレセントの存在は私の中で大きなものになってしまった。
換魂の法を絶対に知りたいと思うと同時に、自分の中の感情を突きつけられ、自覚した。
ゼノンではないが、これはクレセントにとっては有難迷惑な、私の独りよがりの感情だ。それでも彼女を死なせたくはない。どんな形でもいい、壊れてでも、それでも生きて欲しいのだ。
エーレンは額輪を外す。換魂を拒むかのように微動だにしない、まだ温かいクレセントの手に無理矢理押し付け握らせた。
身体を裏返しにするようなざらりとした不快感が全身を覆う。次の瞬間猛烈な勢いで裏返った体から何かが引き出される感覚。
それがエーレンが最期に感じた全てであった。
「いやあああーーーーー!!」
クレセントの声が木々の間を駆け抜ける。
全てを知る副官が何とか宥めてこの場から引き離そうとするが、クレセントは泣き叫だけ。
エーレンの遺体を動かすことでようやくクレセントが立ち上がる。遺体と共にふらふらと移動をはじめた。
正気の部分が残ったから、誰が死んだかを理解出来たの。
いっそ全部喰らえばよかったのに、何故残したの?
優しさなの?それとも意趣返しなの?
答えてよ、エーレン。
木々の木霊が面白がって何度も何度も繰り返す。
「エーレン、エーレン」
喰いちぎられて地上で叫ぶ三日月の真似事を。
三日月を残酷に喰いちぎったのは。
―――――誰?