細石   作:moon

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星の褥に横たわる

遠い、遠い。

遥か彼方にあるけれども、もうこの手は届かない。

諦めとも、懇願ともつかない想いを胸に、カルスタットから離れた砂漠で落日をラシーカはじっと見つめていた。夕日が砂漠を赤く染めるのを無言で眺める。

砂漠の街の特産物に玉から作られた夜光杯と呼ばれるものがある。夕日の赤い色は、夜光杯に満たされた葡萄酒を思い出した。

頭の中に浮上した葡萄酒の色は血を連想させる。

そして眼前にはひたすらに赤く広がる砂の獏。

まるで血をぶちまけたかのようだ、とラシーカは思った。

身動きもせずに砂の上に立っていたが、右手を不意に目の前に翳してみた。指の隙間から真横に零れた陽の光は、無遠慮にラシーカの褐色の顔を切り刻む。

「私の手も、砂漠と同じ血の色なの」

ぽつり、と呟いた言葉を耳にする人は、今ここにはいない。後悔が滲んだ声を、こんな気弱な声を聞かれたくはない。だからラシーカは険しい顔で自らの声を、空になった夜光杯ごと躊躇なく踏み潰した。

 

残照が捨てられた言葉と砂の上に、名残惜しそうにとどまる

血が固まり赤から黒へと色が変化するように、ここの気温も徐々に下降して。

やがて黒くて透明な、冷めた夜が訪れるだろう。

 

 

 

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「砂漠の水は血よりも重い」とはカルスタットで一般常識である。

人間が生きるために水は不可欠であり、水が稀少な砂漠では言うまでもなく貴重品なのだ。

従って、水を巡っての小競り合いが戦に発展した例は枚挙に暇がない。

 

ラシーカとアルカナと二人の幼馴染を含めた三人はそのような砂漠で生まれ、物心ついたころからずっと一緒だった。

幼馴染は砂漠の貴重な水と同じ青い瞳をしていた。青い瞳はカルスタットでは非常に珍しく、水への縁起を担いで大切に育てられるのが一般的なのだが、幼馴染はおまけに魔力を持って生まれてきた。そして非常に稀な両性具有者でもあった。

幼馴染が成長するにつれて顕現する二つの性別。幼馴染を取り巻く大人たちから、やれ凶事の前触れだ、いや吉事の先触れだと散々に騒ぐ。

ともすれば嘲笑や侮蔑といった偏見にされされた上に疎遠に扱われて精神が潰されてもおかしくない環境なのだが、当の本人は周りの思惑などへっちゃらで三人はごくごく普通に育つ。

結構早い段階で、両親と幼馴染が弟子入りした魔術の師が身体の特異性を理解させ自覚させた、というのは勿論だが、ラシーカとアルカナの接し方が昔と何ら変わらなかったという事実もある。普通に育った理由は特に後者が大きかったといえるのではないだろうか。

時の経過と共に、ラシーカは剣、アルカナは弓、幼馴染は魔術、と三人が三つの道をそれぞれに選び取る。

 

二つの異なる性別を持つ一つしかない身体と、その身体と同じくらい。いや、それ以上の繊細な精神は、魔術を扱うに当たってうってつけであった。細やかに魔術を行うラシーカとアルカナの幼馴染は、主に水脈を探す為に魔術を使った。

炎の魔術と水の魔術、時には他の属性の魔術も使って水脈を検索する。

例えば炎の魔術であれば、一つの炎で熱が高い部分と低い部分や、複数の炎を同時に出現させて勢いよく燃える場所や炎が小さくなる場所といった具合である。

その上に魔術に強弱をつけたり異なる魔術を発動させ場所と絞り込むのだ。魔術の強弱あるいは方向であったりと、要求される微妙な調整を難なくこなした。

幼馴染の魔術の師曰く「繊細な精神と相反する性別を持つ身体。この二つを同時に持っているから出来る技」なのだそうだ。

 

クレルモンフェランとの戦いが有利に進められたのは、生まれ育った場所に精通していたラシーカとアルカナの知識は言うに及ばず、この幼馴染が水脈のある場所をピタリと当てそこを徹底して守ったのが大きかった。

厳しい環境で生き抜く為に必要な人間は、命の水を探し当てる事の出来る人であり、その人を命に代えても守るのは、褐色の戦士の責任と義務と。

そして誉。

 

 

 

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夜の寒さに耐えきれずに外套を着こんだラシーカは、飽きもせずに空を仰いでいる。

遮るものが何もない透き通った夜空には、踏み潰されて粉々になった夜光杯の破片が鬩ぎあいながら輝く。

命の破片かと見紛う光たち中にあって、ひときわ明るい星がみっつ。その三つの星が三角形を描く。

砂漠の大三角とも呼ばれる星々の描く形は。

「まるで私たちのよう」

自嘲気味に唇を歪めて発した声は、夜空に吸い込まれた。

ラシーカ、アルカナ、幼馴染の三人の想いの方向は一方通行で。双方向になることは決してなかった。

ラシーカは幼馴染を。幼馴染はアルカナを。アルカナはラシーカを。

 

 

風が運ぶものは砂。

風が模様を叩きつけるのも砂。

川も、山も、森も、道も、何もかもが砂で。

砂しかない荒涼たる風景。

そんな場所にも関わらず誰の手も届かない地中の深い場所に、滔々と流れる地下水がある。

 

自分の心の底に流れる地下水に気付いたのは、自覚したのはいつだったのか。

砂の世界を見渡しながら、自問するラシーカ。

「水の流れは常にひとつなの」

なんて残酷なんだろう。

小さな頃から一緒に育ち、友情も愛情もお互いにあるのに。

恋愛感情と呼ばれる大切な想いと同じものが、相手から向けられることは決してない。

でも、だからこそ―――――

「大三角、今日はすごく明るいね」

さくさくと砂を踏みながらラシーカへと向かってくるアルカナが言った。

 

三人の内、誰か二人の想いが通じ合ったのであれば、点と点を繋ぐ線にはなるけれども、三角形にはならない。

一人が二人に対して同じ想いを寄せても、それは同じだ。

三人が三人それぞれに切なくて苦しい感情を抱え込んだからこそ、あの三角が成り立つ。

時に自嘲し、時に己に陶酔し。虚しいとわかっているのに、どうしても手放せなかった。ひたすらに想い続けた。

 

アルカナはラシーカの前に立ち視界を塞ぐ。

外套ごと抱き寄せると、こつんと額を合わせた。

「一方的だから成り立つのよ、私たちは」

アルカナの言葉と視線はラシーカに向けられる。

 

ラシーカは受け止めた。

「だからこそ、守れたわ」

街も、水も。何よりも大切な存在を。

二つの視線は、ぶつかり弾ける。

 

ラシーカは理解っている。

アルカナは想う相手としてではなく同じ苦い感情を抱く者として、ラシーカに触れているということを。

決して応えてはもらえない感情を抱き続けるのは、苦痛だ。

一人では耐えきれなかったかもしれない。

でも、かつては「同じ感情を持つ者」が三人いた。現在は二人だけど。どうにもならない感情を抱いている存在が、自分以外にいるというのは、案外ほっとするものだ。

疎外感や孤独から解放され、安心する。

 

「傷の舐め合いだと、笑うかしら?」

アルカナの笑いに自嘲が滲んだ。

「舐め合う相手がいない奴の言うことなんか、放っとけばいいのよ」

ラシーカはアルカナの腰に手をまわしながら目蓋を落とす。

アルカナはラシーカが微笑んでいるのを確認すると、同じ表情をしながら瞳を閉じた。

傷を舐め合うなら、同情なら、憐憫なら、想いを共有する人と。理解してくれる人と。

その人から欲しいだけ。他の人のは、要らない。

 

 

「魔智から教えてもらった詩を思い出したの」

「あの不思議な言葉の?」

「うん。ラシーカはまだ覚えている?」

「島独特の言葉はもう忘れたちゃったけど、意味は覚えているわよ。砂漠の詩だったからね」

「葡萄酒に酔って砂の上に俯せて倒れても、笑わないでねって?」

「そう。古来より戦にかりだされ、故郷に帰れた者は少ないってやつ」

なのに、私は。いや私たちは帰ってきた。しかも一度は人間として命を落とした。

その後にエインフェリアとなり、解放され再び人間なって。

 

「でも故郷は変わっちゃった…」

「街はそうかもしれないけど、変わらないものもあるでしょ」

ふたりが立つ砂の上から遠く離れた地下で、誰にも知られることなく流れ続ける水のように。

アルカナ、と続いて囁くラシーカの声と手に力が籠る。

「そうね、ラシーカ」

アルカナの言葉と腕の熱が上昇する。

今いない一人を含めた三人の感情が罪だというのであれば、三人は艶然と微笑みながら私たちは共犯者だと言い切るだろう。

 

 

 

未来永劫交わることのない三つの想いは、昔も今も砂漠の夜空で大三角となり横たわり。

夜光杯の鋭い破片は夜が更けると共に輝きを増して、砂漠を静かに照らし続ける。

砂の海で抱き合う二つの影の輪郭を、巻き上がった砂塵が小さく揺らした。

 

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