細石   作:moon

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水上神殿

勢いよく落下する水音が聞こえる。辺り一面を支配する水の音と共に水滴が光を弾きながら空間に舞う。嘗て荘厳であったであろう石造りの神殿はゆるりと死を迎え月日と共に水が流れ、風化し、今や遺跡と成り果てた。尊大な骸を大地に横たえる。

 

水上神殿と呼ばれる遺跡の中にアリーシャ達はいた。

 

探索の最中ではあるが、疲労がそろそろ溜まってきた亊と魔物もある程度は退けたので安全を確保した後、一度休憩を入れようという話が持ち上がる。確かにこの神殿がどこまで広いのかを知る者は誰もいない。先を考えれば休める時に休んでおくべきだ、と意見がまとまり休憩する運びとなった。

 

神殿内を縦横無尽に駆け巡る水路とその中を流れる水。成程、確かにここは水上神殿のなに相応しい場所だなとアリーシャは感心しつつ流れから逸れて水路の中でも動かない水を見つけた。無言で風景を映り込ませている水の表面はまるで鏡だ。アリーシャは膝を折り手をついて水路を覗き込む。

静かな水面は何も言わずに絵画のようにアリーシャを写した。自分の顔を見て今迄思いもしなかった感情が鎌首をもたげる。

 

―――――ドラゴンオーブを追って、こんなに遠くまで来てしまった。

 

アリーシャはわが身を振り返った。いや違う。彼女は振り返ってしまったのだ。

 

何故、こんな時に我に返るような思考をしてしまうのだろうか。ドラゴンオーブはまだ見つかっていないのに。使命はまだ終わっていないのに。道半ばなのに。後悔ではなけれども、少なくとも前向きではない。思いっきり後ろを見てしまったわが身をアリーシャは呪った。

一つの思いが呼び水となり、アリーシャは芋づる式に幽閉生活を思い出してしまう。それは快適とは言い難かったけれども、こうして離れてしまった今となっては何故だろう。つい最近までの些細なあれやこれやがとても懐かしく感じられた。

寂しさや切なさや望郷の念といった感情がアリーシャの胸中でとぐろを巻く。自分の感情を直視したくなくてひたすらに水面を見つめた。

 

水面に映るのは亜麻色の髪と薄緑の目をした、口をへの字に引き結びきつく前を睨む自分の顔。泣くのを我慢している表情そのままでアリーシャはアリーシャをじっと見つめていた。避けて通れないのだ、と自分の弱さを他の誰でもない自分自身がが容赦なく突きつける。石畳の上で広げていた手をぎゅっと握りしめた。

 

ハタ、とこらえ切れなかった涙が一つ落ちた。涙は波紋を呼び起こし水面を揺らす。そのお蔭で写っていたアリーシャの顔が歪んでしまった。

 

私は泣く事さえも我慢できないのね。

 

羞恥と自嘲と無力を噛みしめながら、それでもこれ以上は泣くまいと決心する。零れそうな涙を拭こうと動かした手が自分の意志とは関係なく、水面へと伸びた。

「え?」

疑問は一瞬でアリーシャはすぐに納得した。

そうだ、昔から私の中には私以外の存在がいたわ。

 

アリーシャの意志とは無関係に動く彼女の指先がそっと水面を撫でる。指先は水面に写ったアリーシャの目元に触れていた。

 

 

「泣き顔も可愛いけど、笑った方がもっと可愛い」

 

 

アリーシャであってアリーシャでないひとが囁く。

 

ああ、このひとは、ひとではないけれど、ずっと私を見ていてくれた。

私の身に降りかかった様々な出来事の原因は間違いなくこのひとだけれども。

アリーシャは思う。自分以外の存在があったという事実は、私は一人ではないんだと教えてくれた。孤独から救ってくれた。今も、そう。だって泣いてしまった私を責めたり否定したりしないもの。

だから、アリーシャは頑張って微笑んだ。涙もちゃんと我慢した。

水面もアリーシャの表情をその通り写して微笑んでいる。指先が触れている水は冷たいのに何故だか温かい感触を伝えてくれた。

気付いたアリーシャが、あれ?と思った瞬間。

 

 

水鏡の中のもう一人のアリーシャが、とても嬉しそうに微笑んだ。

 

 

アリーシャは今迄見たことがないシルメリアの表情に驚き、つい声を上げた。

「え?」

思わず身を乗り出したせいで手を半分ほど水中に突っ込んでしまった。水面が揺れて鮮やかな瞬間は立ち去る。

 

しばしの間、体勢そのままで水面を覗いていたアリーシャは両手で自分の頬をぺちぺちと軽く叩く。小さく頷いた後、静かに立ち上がった。耳に自分を呼ぶルーファスの声が飛び込んできた。声のする方へ、笑顔で振り返る。

満面の笑みを向けられたルーファスは思わず手で口元を覆った。エルフの血を感じさせる整った顔の目尻が少し赤らんでいたのに気付いたのは、アリーシャの中のに存在するひとだけ。

 

 

「ね?言った通りでしょ」

 

水の上の神殿。神聖なる場所の水鏡が映すものは、相変わらずの風景と、やさしい女神の独り言。

 

 

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