「うおおぉぉぉぉぉーーーーーーー!!」
ゼノンは左眼を両手で覆いながら喚いた。
仰け反る宮廷魔術師を隻腕の姫が無言で見ている。
二人の間には燃えさかる一冊の本が横たわる。
その炎のみが暗い部屋の灯りとなっていた。
白い頁にびっしりと書き込まれた魔術、呪術、魔方陣。
その頁と魔力が炎に焼かれ、黒い煙となって窓から、人間界から去ってゆく。
人間の手から移された炎は、白い頁から黒い革表紙に描かれた大きな一つの目に及んだ。
宮廷魔術師は左眼を押さえたまま大きく仰け反り、あらん限りの力で叫ぶ。
写本の断末魔の叫び声が一層大きく部屋に響き渡った。
「写本の契約の証も燃え尽きるわね。」
静かな声が波紋の様に広がった。
—隻眼の写本—
その名の通り、この本と契約した者はその片目を契約の証とする。
契約した者の瞳は、革表紙と同じ色に変化する。
右の眼と左の眼の色彩が異なる「異眼」。
ゼノンの魔力の源は、黒い左眼にあった。
「完全に操らず、契約した者の意思を残す。それが写本の写本たる所以だわ。
本物ではなく写しだからこそ、人間にも魔力の制御が可能となる。」
フィレスの両眼に燃えさかる本が映る。
ゼノンは自分の喚く声を聞きながら床をのたうちまわった。
「終わりね。宮廷魔術師も、ロゼッタも。」
聞く者に感情を悟らせない声が床に落ち、ゼノンの側から遠ざかる気配。
「・・・・・せ・・・・・・・」
足音は扉の前で止まった。
「聞こえないわよ。」
「ころせええぇぇぇーーーーーー!!」
両肘を床に付き、上体を起こしてゼノンは叫ぶ。
白いローブは闇で灰色に染まる。
フィレスは振り返り、「異眼」を見た。
乱れた前髪が宮廷魔術師の両眼を露わにしていた。
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「宮廷魔術師の左眼は炭の色をしている。」
右腕を斬る瞬間、姉は妹の耳元で囁いた。
ぼとり。
くぐもった音が二人を裂いた。
「あああぁぁぁぁぁぁーーーーー!!」
「自分の居場所に戻れ!!」
姉妹の叫ぶ声が戦場で重なる。
焼けつく痛みの中で、妹は姉の背を見た。
涙で姉の背が滲み、薄れた。
遠ざかる白銀に、妹の呻く声がぶつかる。
「炭は・・・燃やせば・・・。」
声は静かに弾き返された。
「灰となる。」
誰も聞いていない。アタシだけが聞いた。
それで、いいの。
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ゼノンの左眼は燃え尽きた灰の色となった。
瞼がその眼を永遠に覆わない限り、「隻眼の写本」との証は消える事は無い。
写本に限らず、魔力を秘めた物との契約は、その代償を求める。
代償は様々だ。命、金、地位、名誉、愛する存在。
宮廷魔術師に対して、隻眼の写本は契約の代償に命を奪わずに視力を奪った。
オーディンの考えそうなことだ、とフィレスは思った。
「そちらが本来の貴方、というわけ。」
「俺が憎いのだろう。この戦争を仕掛けた張本人だからな。」
狂気を顔と「異眼」に貼り付け、ゼノンは笑った。
「己の狂気の制御にあの本を利用したの。」
「多くの人間を死に至らしめた。死人が呪っても呪い切れぬくらいにな。」
「オーディンが目を付る訳だ。」
「だから、殺せ!!」
「何故、貴方に慈悲をもたらさなければならないの?」
「・・・慈悲だと?」
「全ての責を負って、命と引き換えに?寝言は寝てから言うものよ。」
「貴様、何を言っている・・・」
「自分だけさっさと苦しみから逃れようなんて。寝言以外の何なの。」
ゼノンの「異眼」から視線を外し、フィレスは扉に手をかけた。
「自分が仕掛けた結果を、自分自身の眼で見るがいいわ。
貴方の幕引きは貴方がこの世にもたらした現実が、する。」
言葉の終わりと同時に、隻腕の姫は扉の向こうへ消えた。
廊下を歩きながらフィレスは呟いた。
「群れからはぐれた狼は、いずれ死ぬわよ。安心しなさい。」
光の無い部屋。
その冷たい床でうずくまった隻眼の灰色狼は狂った遠吠えをした。
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そして月日は流れる。
ゼノンはサーマ砂漠を見つめていた。
視界一面に広がる夜の砂は灰色をしている。
「うちの妹に比べると、可愛いものよ。」
笑いながら言ったセレス。
「確かにそうですね。」
答えた自分。
「ちょっと!姉さんに言われたくはないわよ!!」
慌てて割ってはいるフィレス。
戦乙女に呼び戻される迄の僅かな時間のささやかな会話。
あの時、一緒にいたもう一人は誰だっただろうか。
「誰でもいいですけどね。」
両手で髪とフードをかきあげる。
砂漠の乾いた風が隻眼の灰色狼の顔を、通り過ぎた。