「お久しぶりですなぁ、姉上。あぁ、そういえば、兄はどうしてますか?」
フードの下から光るアルムの竜眼を見つめながらフィレスが返事をした。
「あー、えーっと、どうも選ばれてないみたいなのよねぇ。」
苦笑と共に出た声にパルティアの第二王子は皮肉という名の笑みを顔に貼り付けた。
「そうですか。まぁ、我が兄ながら人が良いだけの無能な男でしたからね。」
あの人を無能と言い切るアンタのその竜眼は何を見ているのよ。口に出そうになった言葉をフィレスは苦笑と共に飲み込んだ。
フィレスの夫であるシフェルは美丈夫と名高いパルティアの第一王子である。
癖のある淡い金髪にすっきりとした鼻筋、長い睫毛が覆う青い瞳は少し下がり気味で中性的な顔立ちだ。
が力強さを感じる顔の輪郭や表情の端々、そして「竜鱗のジグムント」と呼ばれた父であり、国王である人物より直伝の槍術が彼を男性だと主張するのだ。
そのシフェルの明るい笑みや相手を退屈にさせない会話、時にくだけ時に上品になる振る舞い等々は宮廷内には止まらず、一般国民にも大層な人気であった。
容姿と性格が極上とくれば流した浮名も数知れず、ディパンの姫たるフィレスとの婚姻前に既に庶子が複数いた。
「王子様なら仕方ない。」笑いながらパルティア国民はその事実を受け入れる。
国民の支持というのは、次代の国王として何より得難いものである。
アルムにとってその事実は「全てを手中に収めた兄」への憎悪でしかなかったのか。それはフィレスの目の前に立つ人物しか知る由も無い。
シフェルと似た風貌を持つ義理の弟をフィレスは見ていた。いや正確にはその「竜眼」を。
夫であり国王が求めた「竜印」をその双眸に持つアルムを。
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パルティアの建国にまつわる竜伝説。
その伝説によりパルティアの王位継承者は「竜印」と呼ばれる印を身体のどこかに持ってこの世に生まれるといわれている。
「竜鱗のジグムント」はその名の通り右手の甲に鱗の様な痣があった。
アルムに至ってはパルティア王統の全てを追っても三人しかいない「竜眼」の持ち主の一人である。
だが、シフェルに「竜印」は顕現していない。
過去にそういった人物が王になった例はいくらでもあるし、「竜印」を何かしらの形で人工的に宿した者だっている。
だが父と弟の両方が「竜印」を持ち、自身はそれを持っていないという事実はシフェルにとって重い現実であった。
「王たる資格無し、という事か。」
とある春の日の昼下がり、王宮の中庭を二人で散歩していた時にシフェルが小さな声で呟いた。
横を歩いていたフィレスは立ち止まったがシフェルはそのまま歩みをつづける。その背中がいつもより小さく見えた。
夫であり、次期国王たる人物を取巻く華やかな人間模様。
頭では理解出来るし何より王家の姫としてそう教育されたフィレスは側室や庶子に関しては一切口を差し挟まなかった。
一人で泣いた夜は数知れず。八つ当たりで枕を布団に叩きつけた事だってある。
けれど、シフェルが全てを包み隠さずに話すのは自分だけだとフィレスは知っている。
だから支えていけるのだ、だから側にいれるのだ。
—だから守りたいの—
シフェルの華やかさに目を奪われて誰も彼の内面には目を向けない。いや、向けないのではない。
シフェルは唯一人しか内面を見せていないのだ。その華やかさを隠れ蓑にして。
彼の髪は肩甲骨の下ほどまでの長さがあり、それを首の後ろで一つに括っている。
きらきらと輝く淡い金髪を見ていると涙が溢れそうになる。涙を堪えようとして空を見上げたフィレスは目を瞠った。
「シフェル!」
驚きと歓びの混じった声がシフェルの耳に飛び込んでくる。
歩を止め声のする方を振り返ると涙を流したフィレスが駆け寄ってくる姿が視界に飛び込んできた。
シフェルの片方の腕を掴み、相手の肩より頭一つ低い背をうんと伸ばすフィレスは笑いながら言った。
「空を見て!」
シフェルは自分と同じ色をした空を見上げる。
見上げた空には、細くて白い雲が青い空に緩やかな弧を幾つも描いていた。
「竜印ね。」
フィレスの嬉しそうな言葉は青い空をゆっくり渡る白い雲となり、そしてシフェルの心を翔ける。
腕に暖かな体温を感じながら空を凝視していたシフェルは口を開いた。
「・・・そうだな・・・・・・」
その声は僅かに震えていた。
「シフェルは竜印を持つ者ではないの、だって必要ないんだもの。」
竜印を持たないシフェルの顔は上から下へと向かい、静かな視線は妻を真っ直ぐに見つめた。
「パルティアと共に竜印は在る。シフェル、貴方はその竜印を呼ぶ者なのよ。」
シフェルは泣きながら微笑むフィレスを腕の中に囲い込み、その頭に美しい顔を埋めた。
「・・・だからお前にぞっこんなんだ、私は。」
熱い吐息と共に囁く声を聞いたフィレスはゆっくりと残った手をシフェルの背中に廻した。そして背中でうねる淡い金髪をつんつんと引っ張る。
「ここに竜の尻尾があるわよ。」
更に強く押し付けられた厚い胸を頬に感じながら、未来の王妃様はくすくすと笑った。
シフェルが国王として統治する間、国が或いは国民が竜印を求めた時にそれを顕現させる。
だからシフェルは竜印を持たなかった。
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「人が良いだけ」とアルムが評したシフェルの「人を惹きつける魅力」というのは国内は勿論の事だが対外的、特に「外交」に於いては強力な武器だ。
それは下世話な言い方をすれば「人たらし」(フィレスにとっては「含む女たらし」という意味もあるが)である。
しかし、その武器を自覚し、無意識にあるいは意図的に用いたシフェルは王になるべくして生を享けた人物といっていいだろう。
先天的な資質と後天的な努力。
生まれた時から側に居て、誰より何よりそれを知る義理の弟を見ながらフィレスは言った。
「まあ、あの人はエインフェリアなんて興味ないだろうから、誘われても断ってたわよ。」
「確かに無頓着な我が兄ならばそうでしょうな。」
シフェルが父親譲りの槍術を振るう時、首の後ろで一つにまとめられた癖のある淡い金髪が小さな竜の様に眩しい軌跡を描く。