庭園水晶   作:moon

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三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい。
三千世界の烏を殺し、


 戦乙女であるシルメリアは、迷う一つの魂と出会った。

 

 それは本当に偶然の邂逅であった。問答無用で冥界行きになるほどではないその魂は、現世に未練があるらしく転生の輪に乗れないでいた。さ迷い続けるならまだいいが、ひょっとしたら冥界に引きずり込まれるかもしれない。エインフェリアとしての条件を満たしてはいないから選定の対象ではないけれども、輪廻への方向を指し示すくらいはしても問題ないだろう。そう判断して徐々に濃くなる宵闇の中をゆらゆらふらふらとさ迷う魂を追った挙句、ここブラムス城にシルメリアはいつの間にか来てしまっていた。

 

 直接見たことも声を交わしたこともない不死者王ブラムスとその居城。以前から噂は耳にしていたが、城を間近で見るのは初めてだ。見る者を恐怖に陥れる圧倒的な威圧が濃厚な闇そのものの様な城から放たれる。重厚な瘴気が城とその周辺一帯を覆い、林立する歪んだ樹木には番人よろしく烏が止まっている。烏はぶしつけな赤い目で来訪者を監視するかのように追い続ける。

 城の主の許可が下りぬ者は如何なる存在であろうとも一切を拒否する排他性。神界とは真逆ではあるが、孤高の姿が確かにそこにあった。

 エインフェリアとしての資格もない、たかだか平凡な人間の、魂。

 迷える魂を見放すことがどうしてもできなかったシルメリアは、意を決する。むせ返るほどの濃密な瘴気と押し潰されそうな圧力を持つ暗闇の中で一瞬の躊躇の後、拳を握りしめると睨む様に前を見ると一歩を踏み出した。ブラムス城の内部へ一歩そしてまた一歩と進む。引き摺り込まれるようにも見えるシルメリアの足音の代りに芳醇な闇がクスクスと笑った。

 

 

 

 シルメリアが追う魂は、城内をさっきはあちら今度はこちらといった風に相も変わらず迷い続ける。蝶のようヒラヒラと飛ぶ魂を追い続けることについつい夢中になってしまったシルメリアの足は、一つの場所で止まった。そこはブラムス城の中心で城の住人たちが玉座の間と呼ぶ場所で、中心に座するのは言うまでもなく不死者王ブラムス。闇が恭しく首を垂れて服従するこの城の主は、悠然と玉座に座っている。

 追っていた魂は、玉座の間に入った瞬間あまりの闇の密度に耐えきれなかったのだろう。あっという間に押し潰され消滅してしまった。その様子をつぶさに見ていたシルメリアは、咄嗟に我に返り、自分がどこに足を踏み入れたかを正確に理解した。「しまった」と思うよりも早く、彼女の背中の扉が音も立てずに閉まる。

 

 闇そのものが凝ったような、周りに否応なしに緊迫感を与える圧倒的な存在。前方のそれが誰か言わずもがなもがなで、シルメリアは辺りの気配をそっと窺った。自分と不死者王ブラムス以外は存在しないと知る。と同時に、相手の力量が計り知れないものだとも理解した。ここまでの相手は、オーディン以外は見たことが感じたことがない。そう思った途端にシルメリアの背中をひやりとしたものが奔った。

 こくり、と小さく喉を鳴らした瞬間に暗闇に鮮やかな真紅が二つ浮かび上がる。不死者王の双眸だとシルメリアは思った。闇に在りながら闇に呑み込まれないどころか、問答無用で闇を従えるその二つの真紅い刻印は無造作にシルメリアを見るが、別段興味を持ったようでもない。さりとて見逃してもらえるとは到底思えなかった。

 どうやってこの状況を打破するか、と思考を巡らすシルメリアの眼前に不死者王ブラムスはもう既に立ちふさがっていた。

 

「え?」

 桜色の唇が声を出すよりも早くシルメリアの前に立ったブラムス。不死者王の後から双眸の真紅の軌跡は追従するように、闇を駆け抜ける。黒い空間を奔る、鮮やかで禍々しくも美しい二筋の真紅の光跡がブラムスの双眸に追いついた、とシルメリアが認識した瞬間、拳が鎧ごとみぞおちにめり込んでいた。

 

「がはあっ!」

 重い衝撃の直後に激痛がシルメリア襲う。一瞬大きく仰け反ったあとに右足を大きく後ろに引いた。己の身を支えるのが精一杯の状況のシルメリア。俯いた緑の双眸が捉えたのは鋼の腕と、的確に急所を攻撃した禍々しくも凶悪なる拳。

「ほう、倒れぬか」

 面白がる声が頭上から降ってくる。低い声と同時にみぞおちの拳がぐりっと動き更に奥にねじ込まれた。シルメリアは耐えきれずに小さく呻く。同時に不死者王は手加減したのだと知る。不死者王からしてみれば足元にも及ばない、取るに足らない一神族なのだ私は。ならばさっさと殺してしまえばいいのに。屈辱で痛みで頭が割れそうになる勢いでガンガンと鳴り響く。

 

「……し、た…な……」

「聞こえんな」

 

 揶揄を滲ませた重低音がシルメリアの耳で暴れた。尚も拳はじりじりと動いて背中を突き抜けんとしている。

 拳で私の身体を貫くなど、不死者王ブラムスにしてみれは小指を動かす程度の造作もないことなのだ。現実を叩きつけられたシルメリアは、俯いたままで左手で不死者王の強靭な右手首を握った。到底不可能だとわかっていても、それでも今しがた思い知らされた現実を握りつぶしたかった。噛みしめた奥歯と手はギリギリと音を立てる。

 受けた屈辱に対する激しい怒りと鳴り止まぬ痛みで沸騰した頭を振り上げる。金色の髪が不死者王の眼前で美しい光跡を描いた。緑の両眼に高熱の焔が揺らめく。

「…手加減したな、不死者王!!」

 叫びながら緑の双眸がブラムスを睨みつけると同時にシルメリアの右手が動いて剣を握る。瞬時に不死者王の腕を落とすべく抜いた剣を振り上げた。

 

 ブラムスは自分の腕を掴むシルメリアの手ごと素早く跳ね退け、下から昇る切っ先を躱すと真正面で剣を構える相手を見た。目の前の相手の戦闘力がどの程度なのかを確かめるための加減した攻撃だったのだが、思ったよりも歯ごたえがありそうだ。この神族をさっさと始末しなくてよかった、暇つぶし程度にはなるだろうと思いながら言葉を返す。

「そうだ、手加減をしてやった」

 だから何なのだ、と言わんばかりの尊大な返事は容赦ない現実となってシルメリアを叩きのめす。痛みは体だけからではなく、心からもやってきた。決して強いとは言えないが、それでも今迄培ってきた努力と技量とそれらに対する僅かばかりの自負共々、あの凶悪な拳でものの見事に粉砕された。名残の破片が突き刺さった心が痛くてたまらない。奥歯でシルメリアは二つの苦痛を噛み殺す。

 激痛を少しでも抑えるためにみぞおちを庇う行動をとれば、その動き自体が相手に隙を与えることになる。だから構えを解くことは出来ない。攻撃を受けて弱った部分は剣を構えている内は、大丈夫だ。だが一旦戦いが始まれば弱った部分すなわちみぞおちを晒す事態になるだろう。負けを承知の上で尚も戦う意思が陽炎のように立ち上る。神気と闘気は混ざり合いながらゆら、と上昇する。それは金色の光を帯びていた。

 

 シルメリアから発されて立ち上る金色を認めたブラムスは、相対する神族が戦乙女であるという当初の予想を確信へと変えた。

 神族は侮蔑の対象である人間界に滅多に降りてこないので、神界と人間界の接触役を兼ね、なおかつ選定する魂を求めて日常的に人間界を闊歩する神族といえば、戦乙女と呼ばれる三姉妹しかいない。既に拳を交えていた戦乙女の二人とは違う神気。そういえば長女は黒、次女は銀だった。なので目の前で剣を構える戦乙女は未だ見なかった三女だ。

 

「許さぬぞ、不死者王…!」

 搾り出すような苦痛まみれの声が、ブラムスの耳になんとも心地よく響く。ちょっとした酔狂ではあったもののその命を繋いでやったのに、感謝どころかとんでもない屈辱だと言う戦乙女に興味を持った。だからブラムスはわざわざ応えてやったのだ。

「お前にそれが出来るのか?」

 ブラムスは辛辣な言葉で相手の血を流す傷口に容赦なく鉤爪を立て、ついでに深く鋭く突き刺してみた。するとシルメリアがすぅっと眼を細める。

 緊迫した空気の中、激昂して切りかかると思っていたブラムスは意外だった。激しさはあるが簡単に挑発に乗らない冷静さはあると判断する。成程、これは愉しめそうだと腕を組みながら相手を見やる。

 いつ終わるとも知れない沈黙が続いた。薄氷の上で対峙しているような今のこの空気は悪くないとブラムスが思っていたら、向こうがが仕掛けてきた。

 

 タン―――――

 

 小気味よい音を立てると同時に鋭く切り込んで来るシルメリア。豪奢な金髪はこの場所に不釣り合いな眩しい光をまき散らしながら空間を流れる。鮮烈な一閃を躱すブラムスは無駄が一切ない動きで手の甲で剣を抑え込みながらもう一方の拳を繰り出す。避けたシルメリアの肩当てを拳があっさりと吹っ飛ばした。

「確かめればいいだけだ」

 肩当てが立てる音と重なるシルメリアの声。彼女の凪いだ声音に潜むものを聞いたブラムスは、どうやら向うに引く気はないらしいと判断した。成程、相手の神族がその気であれば此方もそれ相応の対応をさせてもらおう。いつまでどの程度まで持つのか試すのも一興だ。ブラムスの口角が僅かに上がると同時に伸ばした指と鉤爪がシルメリアへと鋭く切りかかった。

 ブラムスの武器は拳による打撃だでけない。鉤爪は剣と同様、いやそれ以上に鋭利だ。神族をいとも簡単にズタズタに引き裂いたという話をヴァルハラで聞いたことがあるシルメリアは、鉤爪による攻撃も警戒していたからこそ避ける事ができた。避けた所為で体勢を崩したらすかさず足払いを仕掛けられる。多彩で隙が見当たらないブラムスの攻撃が連続してシルメリアに襲い掛かった。

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 玉座の間の音は、荒い呼吸だけとなった。ついさっきまで息もつかせぬ攻防を繰り広げていたブラムスとシルメリアは、互いに相手の隙を伺うようにピンと張りつめた空気に中で微動だにしない。

 

 シルメリアの攻撃は、全てブラムスに当たることなくものの見事に躱されてしまい、逆にブラムスの繰り出した拳を避けるのに必死だった。しかもよけきれなかったブラムスの拳が掠めた部分の鎧は当然破壊され、喉や肩等の身体の部分が剥き出しになってしまっている。打撃も幾度かくらった。当然みぞおちにも。火を見るよりも明らかな実力差を、これでもかと突きつけられた。

 肩で大きく息をしながら、どうにか剣を構えるシルメリアは体中が訴える痛みを耐えるのが精一杯だ。何故自分がこうして立っていられるのかすらも、よくわからない。それでも相手に隙が出来たら攻撃を仕掛けようと剣を強く握ったら、ずく、と更に鈍く重い痛みをみぞおちに感じた。不意打ちの痛みに思わず体が僅かではあるがふらついてしまい、逆に此方が隙を作ってしまった。それを不死者王が見逃してくれる筈もなく。

 

 もう一つの肩当てが床に転がる派手な音を、どこか遠くの場所の喧騒のようにシルメリアは聞いていた。次いで鈍痛が肩を襲う。崩れてしまった体勢を元に戻せず自身も床に転がりうつ伏せになってしまう。床とぶつかった衝撃で今迄手にしていた剣を離してしまったことに気付くと、即座に剣を探した。視界を巡らすと少し前の方にある剣が見えた。左腕を曲げてどうにか上半身を起こし、這いつくばる体勢で何とか手にしようと必死で伸ばした右手。

「ぐ、ぁあ!」

 そのシルメリアの手を、小手ごとブラムスは踏み潰した。鈍い音と苦痛の叫びが重なる。手を踏み潰した重いつま先が僅かに持ち上がると、シルメリアは左手で右手を握りしめてのたうち回りながらブラムスとの距離を取る。抱え込む様に丸めるめた身体で何とか呼吸で痛みを逃そうと、きつく目を瞑って小刻みに息を吸っては吐く。

 ようやく呼吸が徐々に落ち着きはじめ、体勢を解いたシルメリアは顔を横にして投げ出した痛む右手を見た。ああ、この手は当分使い物にはならないだろうと潰された我が手を眺めながらぼんやり考えていたら、取った距離をいつの間にか詰めたブラムスが使い物ならない手の平を再度足でじわりと抑え込むさまが見えた。

 

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