ヘルマプロディートスの恋   作:鏡秋雪

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第1話 はじまりの街 はじまりの時【コートニー1】

 二〇二二年一一月六日の一三時はもうすぐだ。僕はナーヴギアをすっぽりとかぶってベッドに横たわった。

「リンクスタート」

 僕がボイスコマンドを呟くと視界が切り替わり、シンプルなデスクトップが浮かび上がった。

 自己診断のウィンドウが次々と開いて視界の右へ流れていく。認証コードを入力するとキャラクター登録のウィンドウが開いた。

『βテスト時に登録したデータが残っていますが、使用しますか?』

 僕は『YES』を選ぼうとしたが、思いとどまった。

(容姿をベータの時と変えてみるのもいいかも知れない)

 僕は『NO』を選んで、ベータテストの時と同じ名前を入力。性別も前回と同じ女性を選択した。

 男性の僕が女性キャラを使うのは、やはり女性に興味があるからだろう。ゲームの中で鏡を見る時に現れる自分の姿が可愛いと思う。他人をじろじろそのような目で見るのは犯罪だが、自分の姿……というより自分のアバターをじろじろ見るなら誰も咎めないだろう。……こんな考えをする僕は異常なのだろうか?

『Courtney(F)』

 キャラクターネームと性別の確認ダイアログにOKを出し、次はアバターの選択画面になった。

 ソードアート・オンラインのキャラメイキングは再現できない顔はないと言われている。輪郭、髪型体格などのパーツはそれぞれ五十パターン以上が用意されている。一からひとつひとつ顔パーツを選んでいくのはさすがに煩雑なので、テンプレートが百ほど用意されており、それをベースに変更できる。

 ベータテストの時は幼女キャラでやっていたが、現実世界の身体と違いすぎてログインしてからアバターの感覚に慣れるまで時間がかかり、よく転んだりオブジェクトにぶつかったりしていた。そこで今回は自分と同じ年齢ぐらい……十五歳の身長と体格のテンプレートを選んでそこから微調整していった。

 背中まで伸びた黒い髪。やや大きめの茶色の瞳。やや低い鼻。小さい唇。

 僕は次々と顔パーツを選んで純日本人風の姿を作り上げた。なんとなく儚げにみえる表情が萌えだ。

 ソードアート・オンラインもこれまでのゲームと同じように西洋風の容貌のキャラが多い。こういう日本人風の顔はなかなか見かけない。こういうキャラメイキングもいいだろう。コートニーという名前で日本人顔というギャップも面白いだろう。

 キャラクターメイキングを終えると、目の前の風景が中世風の石畳と建物に変わった。≪はじまりの街≫の中央広場だ。そこはすでに多くの人々であふれていた。

 ベータテストの時には二カ月で五層までしか行けなかった。今度はスタートダッシュを決めよう。

 僕は走り出した。まず、道具屋で初期装備を売り、初期資金をつぎ込んで槍とスリングと革鎧、そして少々の回復ポーションを購入した。

 レベル1のスキルスロットは二つしかない。僕は≪投擲≫と≪索敵≫の二つのスキルを選んだ。これで、準備完了。早速、スリングを装備して狩場に走って向かう。

「おーい。そこの美少女ちゃあん!」

 途中、額にバンダナをした赤髪の男に声をかけられたが、その脇を無視して駆け抜ける。

 僕が急ぐのには理由がある。ベータテストで出会ったフレンドと今日の夕方六時に再会する約束をしていて、その時にレベル2になって驚かせてやろうと思っているのだ。そのために一秒のロスも惜しい。何人かに声をかけられたが、僕はことごとくそれらを無視してはじまりの街から飛び出した。

 

 僕が選んだ狩場は始まりの街から少し離れた草原に湧くティンバーウルフ(通称、青オオカミ)だ。

最適レベル帯はレベル2から3だが、それだけに経験値と金がうまい。

 見晴らしのよい草原に青オオカミがポップした。青オオカミはこちらに気づいていない。これが索敵スキルの利点だ。このスキルを持っていなければ青オオカミは僕のもっと近くで湧いてすぐに攻撃してきただろう。

 僕は手ごろな石を拾い、スリングにセットして身体側面でぐるぐると回す。いわゆるアンダースローだ。投擲スキルは癖があるスキルで命中率が高くないが、威力が高くクリティカル率も比較的に高い。スキルが上がってくれば弱点である命中率もそれなりに改善される。まあ、『それなり』なのだが。

 魔法が存在しないソードアート・オンラインでは遠距離攻撃の手段は投擲と弓の二つしかない。だが、これらを選ぶプレーヤーは少ない。理由は攻撃手数の少なさだ。例えば、剣で十回殴る間にスリングによる投擲は五回いければいい方だろう。弓にいたってはそれ以下だ。それに細かい所で妙にリアルなソードアート・オンラインは投げた武器や矢が自動的にプレイヤーまで戻ってこない。槍を投げたら拾いにいかなければ再び使えないし、矢は失われることが多いのでコストパフォーマンスが良くない。このため、存在はするもののこれらの武器を選ぶ者はよっぽどの天邪鬼しかいない。ゲームタイトルを考えればこのバランスは仕方がないのかもしれない。

 青オオカミが咆哮を上げるとカーソルが黄色から赤に変わった。そして、猛烈なスピードでこちらに駆け寄ってくる。

 スリングの回転が早くなっていき、青色に輝き始めた。投擲スキルが立ち上がった証拠だ。僕はじわりじわりと青オオカミに近づいた。投擲スキルが上がればもっと飛距離が出て向こうが気づく前に先制攻撃ができるのだが、スキル値ゼロでは仕方がない。こちらに気付いて唸り声をあげながら走ってくる青オオカミに狙いをつけスリングから石を放った。

 青い流星のようなエフェクトをまといながら石はまっすぐに青オオカミの額に命中した。

 ≪Critical hit!≫と小さい表示が現れて青オオカミに吸い込まれていく。一瞬のうちに青オオカミのヒットポイントバーが減り、青オオカミの体がガラス細工のように爆散した。

 目の前に獲得した経験値と金が表示された。初勝利だ。思った通り、はじまりの街周辺の野ブタを狩るより経験値も金もおいしい。ここらへんの仕様はベータテストから変更されていないようだ。

「よし!」

 僕はぐっと小さくガッツポーズをしてすぐに次の戦闘に備えて石を拾った。

 

 アインクラッドには時間の設定がある。僕が夢中で戦っているうちに太陽が沈み始め、周りの風景は夕焼け色に染め上げた。

 軽やかなファンファーレが耳元でなった。レベルアップしたのだ。

 時計を確認すると一七時三〇分を示していた。インしてからもう四時間半経っている事になる。投擲スキルが上がって青オオカミの戦闘圏外から先制攻撃できるようになってから狩りの効率は格段に上がった。これで、次の村≪ホルンカ≫に行っても余裕を持って対応できるだろう。

 僕は一つ増えたスキル枠に≪槍≫スキルを設定する。これはスリングによる投擲がミスって距離を詰められた時の保険だ。これで、基本的な僕のスキルビルドはできたことになる。索敵スキルでいち早くモンスターを察知し、投擲スキルで先制攻撃、混戦時は槍スキルで応戦。スキル枠はレベルが上がって行けば徐々に増えていくが、次はスキル上げというマゾい作業が待っている。

 後のスキルビルドはフレンドと相談しながらやって行こう。

 僕は目標達成した満足感に満たされながらはじまりの街に戻ろうと踵を返した。

 その時、ゴーンと低い不気味な鐘の音が響き渡った。

 途端に自分が光に包まれるのを感じた。ついで周りの風景が光の中にとけていく。まるで、転移結晶を使った時のようだ。

(え? なんだ?)

 と思う間に僕は始まりの街の中央広場に戻されていた。

(巻き戻ったのか? 今までのレベルアップの作業が水の泡?)

 僕はげんなりしながら右手の二本の指を縦に払ってメインメニューを呼び出してステータスを確認した。

 レベルは2のまま。巻き戻ったわけではなさそうだ。周りを見渡すと、次々とプレーヤーが転移してきた。途方もない数だ。システム的に全プレーヤーがこの中央広場に集められているようだ。何か、オープニングイベントでも行われるのだろうか?

 ざわめきがどこからともなく広がり始め、そのボリューム高まっていった。

「なんだ! あれ! 上!」

 その声と同時に一斉に中央広場の人たちが顔を上げた。

 第一層の天井の石畳が赤く染まり、どろりと溶け落ちると中央広場の上空に集まって深紅のローブ姿の巨人が現れた。

 そのローブ姿はGMのものだが、顔に当たる部分は闇に覆われており途方もない不気味さを醸し出していた。

「プレーヤー諸君。私の世界へようこそ」

 低く穏やかな声がその巨人から発せられた。「私は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の存在だ」

 いったい、何を言ってるのだろう? わけがわからない。何かのクエストの冒頭部分なのだろうか?

 僕は呆然とその巨人を見上げた。

 茅場と言えばナーヴギアを開発してこのフルダイブMMOという新しい世界を作った人物だ。オープニングイベントに顔を出して、場を盛り上げようというのだろうか?

「プレーヤー諸君はすでにメインメニューからログアウトボタンが消滅している事に気づいていると思う。しかし、これは不具合ではない。本来の仕様である」

 感情がまったく感じられない淡々とした言葉だった。事実をただ単に伝えている。そんな印象だ。

 僕は先ほど呼び出したメインメニューを確認した。確かにログアウトボタンがない。ずっと狩りっぱなしだったから気付かなかった。ログアウトできないなんておかしいだろ。なんというクソゲーだ。

 茅場は言葉を続けた。

「また、外部の人間によるナーヴギアの停止あるいは解除もあり得ない。もし、それが試みられた場合……ナーヴギアの発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる」

 高出力マイクロウェーブ? 生命活動の停止? 脳の破壊?

 ぐるぐると単語が頭の中をめぐった。それらがぶつかると『死』という文字が浮かび上がった。まさか、そんな事が……あるわけがない。

「具体的には十分間の外部電源切断。二時間のネットワーク切断。ナーヴギアの分解。これらが行われた場合、脳破壊シークエンスが実行される。この事はすでにマスコミを通じて告知されているが、残念ながらプレイヤーの家族友人などが警告を無視してナーヴギアを外そうとして二百十三名のプレイヤーがアインクラッドおよび現実世界から永久退場している」

 そんな僕の想いを打ち砕くように茅場の言葉が追い打ちをかけた。

「だが、安心してほしい。すでに政府が中心となって二時間の回線切断猶予時間のうちに病院などの施設に移送される計画が立てられたようだ。諸君は心置きなくゲーム攻略に励んでほしい。そして、第百層の最終ボスを倒した時、このゲームは終了し生き残った全員が安全にログアウトされる事を約束しよう。しかし、十分に留意していただきたい。今後、ゲーム内における蘇生手段は存在しない。ヒットポイントがゼロになった時点で諸君のアバターは消滅し……同時に現実世界の諸君の脳はナーヴギアによって破壊される」

 ヒットポイントがゼロになったら本当に死ぬ……。そんなアニメか小説のような事がまさか自分の身に降りかかってこようとは。

 信じられない。でもこれは真実なのだろう。ここまでやっておいて、実は嘘でしたとか言ったら訴訟になりかねない。

「それでは、最後に私からのプレゼントを諸君のアイテムストレージに用意してある。確認してくれたまえ」

 僕は再び右手の二本の指を縦に払ってメインメニューを呼び出して、アイテムストレージを確認した。青オオカミとの戦闘で手に入った≪毛皮≫や≪オオカミの牙≫などの中にそれはあった。

 ≪手鏡≫

 僕は猛烈に嫌な予感がした。こんな事件を引き起こしている茅場からのプレゼントなど何かの罠ではないのか。

 僕は意を決して≪手鏡≫を廃棄した。確認メッセージも読まずに≪OK≫を押した。茅場との接点など何一つ持ちたくなかった。

 そう考えたのは僕だけだったらしく、周りの人々は次々とその手鏡を実体化させて手に取っていた。

 横目に見るとそれは四角いなんの変哲もない鏡のようだった。

「なんだこれ……」

 そんなつぶやきが聞こえた途端、周りの人たちが光に包まれた。

 次々と鏡を持ったプレーヤーたちが光に包まれ、中央広場はまるで太陽が現れたように輝き僕の視界を奪った。

 ほんの二、三秒。光に視界を奪われ、まぶたを開けると周りの雰囲気が一変している事に気づいた。

 美男美女の集まりだったこの中央広場が現実のコミケのコスプレ会場のような状態に変わっていた。男女比率も大きく変わっている。女性に見える人は明らかに少ない。

「うわっ! 俺じゃん!」

「お前、男だったのか!」

 そんな声が聞こえた。

 僕は自分の姿がどうなっているのか分からなかった。かといって、ほかのプレーヤーの鏡を覗き込む勇気はなかった。

「諸君は今、『何故』と思っているだろう。私がなぜ、こんな事をしたのかと。……私の目的はすでに達せられている。私はこの世界を創り出し観賞することが最終目的なのだ。すべては達成せしめられた」

 今まで淡々としていた茅場の言葉が弾んでいるように聞こえた。心からこの状況を喜んでいるのだ。まるで、子供が新しいゲームを与えられて夢中に遊ぶように……。そう、まるでさっきまでソードアート・オンラインを楽しんでいた僕のように……。

「……以上でソードアート・オンライン。正式サービスのチュートリアルを終了する。諸君の健闘を祈る」

 再び、淡々とした口調に戻った茅場はそう言い残すと煙のように消えて行った。

 しばらく、中央広場を静寂が包んだ。

「嫌ぁ!」

 ヒステリックな女性の声が聞こえたのを皮切りに中央広場は怒号に包まれた。

 運営会社のアーガスを罵ったり、いなくなった茅場に向かって抗議の声を上げていた。

 そんなことより僕は自分の姿がどうなっているのかを知りたかった。

 騒然としている中央広場からさっさと出て、NPCの武器屋に転がり込んだ。ここには購入した装備を確認できる姿見があるのだ。

 恐る恐る僕はその鏡を覗き込んだ。

 鏡の向こうからは長い黒髪のか弱い少女が僕を見つめていた。

「よかった……」

 ほっと溜息をついて僕は呟いた。どうやらボイスエフェクトも変更されていないようだ。ちゃんと女性の声に聞こえる。

「商品を見せて?」

 僕は自分の声の確認とNPCからどう見られているか確認するために武器屋の店員に声をかけた。

「お嬢さん。なにか、ご入り用で?」

 にこやかに店員が返事をすると目の前に店で売られている商品が目の前にウィドウ表示された。

 どうやら、システム的にも僕は女性と認識されているようだ。声も女性のものである事がはっきりした。

 改めて僕は胸をなでおろした。

 コートニーなんていう女性名でこの世界で男として生きていくなんて羞恥プレイ以外の何物でもない。

ソードアート・オンラインでどれほどの男性が女性アバターでログインしていたのかは知らないが、今彼らは相当に気まずく感じているだろう。

「やっぱ、いらない」

 僕がそう言うと店員は残念そうな表情になった。

「次は何か買ってよ。お嬢さん!」

 僕は元気に受け応えるNPCに違和感を感じた。

(そうか……このNPCは死なないんだ)

 会話を終えて待機状態になった店員を僕は見つめた。店員はかすかな営業スマイルを浮かべながら店内を巡回している。

 プレーヤーたちが突然デスゲームに叩きこまれ絶望に沈んでいるのとはまったく対照的だった。この光景がまた日常に思える日がまた来るのだろうか?

 僕はふと時計を見た。六時をほんの少し過ぎていた。

「しまった!」

 僕はフレンドとの約束の場所に急いだ。

 

 僕は約束の場所。はじまりの街の南にある井戸に駆け寄った。周りにはNPC以外誰もいない。どうやら、フレンドはまだ来ていないようだ。

 中央広場の方角からまだざわめき声や悲鳴が聞こえた。

 僕のフレンドはSiegridジークリードという男だ。ベータテストで一層の時から一緒に行動し、お互いを『コー』『ジーク』とフランクに呼び合う仲だ。彼は盾持ち片手剣という構成でいわゆるタンクだ。ゆえに僕との戦闘の相性はよかった。

 性格も礼儀正しくてそれでいて冗談も面白いいい奴だ。

 彼なら多少時間に遅れたとしても待っていてくれるだろう。もしかしたら彼の性格からして一日二日待ち続けるかもしれない。

 確か今日は部活の大会があってログインするのが夕方になってしまうと、ベータテスト最後の日に言っていた。あまり、リアルの事を聞くのは失礼なのでそれ以上の事は知らない。

 もしかしたら、大会が長引いてソードアート・オンラインにログインしていないかも知れない。

 もしそうなら、ジークにとってものすごくラッキーな事だろう。こんなデスゲームに参加せずに日常の生活を送れるのならそれ以上の幸せはない。

 でも、もしこの世界に囚われてしまっているなら、彼と一緒に行動する事で生存率は格段に上がるだろう。できればログインしていてほしい……これは僕のエゴか……。

 僕は井戸の近くのベンチに座って空を見上げた。リアルの世界では星空が広がる所だが、ここでは第二層の床しか見えない。

 ジークがログインしていて欲しい、でも彼自身の事を考えるとログインしていない方がいい。そんな相反する思いが僕の中でぐるぐるとめぐった。

「コー?」

 僕の背後から男の声がした。こんな呼び方をしてくれるのは一人しかいない。

「ジーク?」

 僕はほっとしながら声がした方向に振り向いてその姿を見た。

 やはりベータテストの時と姿がまったく違う。ベータテストの時はムキムキマッチョ体型だった彼はひょろりとした身長一七〇センチぐらいの短い黒髪の特徴がないテンプレートのような顔になっていた。茅場の手鏡によって元の姿に戻されてしまったのだ。

「よかった!」

 僕は立ち上がってジークに駆け寄った。「いや、よくないのか……」

 僕の言葉にジークは表情をこわばらせた。

 言葉足らずだ。僕はよく考えずに言葉にして相手を傷つけてしまう。

「ちょっと待って! 言葉を整理するから!」

 僕はしっかり言葉を頭で作る時間を作るために思わず叫んでしまった。

「大丈夫。待ってるよ」

 ジークは優しく僕に微笑んだ。ジークはまったく変わっていない。まったくいい奴だ。

「えっと。また会えて良かった。こんな時に一緒にいられるのはとても心強いよ」

 僕はそこで息を一つ吸った。「でも、ログインに間に合っちゃったんだね。大会で遅れるって言ってたから……。ログインしなければこんな事に巻き込まれなかったのに、アンラッキーだね」

「そうだね。こんな事になるならログインしなきゃよかったよ。今日はツイてないことばっかで、やっと、ログインしたらあの茅場のチュートリアルだよ。ホントもう最悪」

 ジークはため息をついた。「でも、コーと一緒なら何とか生きていける気がする。こんな世界でも」

「うん」

 僕は小さく頷いた。「とりあえず、フレンド登録しよう!」

「そうだね」

 ジークは頷いてメインメニューを操作して、僕にフレンド登録を依頼してきた。もちろんOK。

「これからよろしく」

 僕は微笑んで敬礼した。ベータテストの時はよくこうやったものだ。

「こちらこそ」

 ジークは微笑みながら頭を下げた。

「ねー聞いて。僕。一三時からずっとログインしてレベル2まで上げたんだよ」

「すごい! さすがだね」

「生き残るために一緒に強くなろ? だから次の村のホルンカに行こ」

「助けを待ってもいいんじゃないかな?」

 僕の言葉に半秒ほど考えた後、ジークはそう言って、さっきまで僕が座っていたベンチに腰かけた。「こんなことがずっと続くはずがないよ。警察が動けはきっと私たちは解放されるんじゃないかな?」

「解放されなかったら?」

「え?」

「ううん。もし、何カ月もかかったとしたら? ずっとはじまりの街で寝て暮らすの? 所持金が尽きちゃうよ。僕はそんなのは嫌だ」

「でも、死んじゃうんだよ? 死んだら終わりじゃない!」

「死なない! そりゃ、いきなりボスに向かって行ったら死んじゃうよ。だけど、強くなれば死ににくくなる。どんどん死ににくくなる。無謀な事をしなければ大丈夫だよ」

「でも。危険な事には違いないよ」

「ジーク。リアルでも同じじゃない。火事になって死ぬかも知れないけれど、僕たちはガスを毎日使っている。電車事故で死ぬかも知れないけど、通学で電車に乗ってる。確率が低いけれどそこには死があるんだよ? しっかり、管理すれば大丈夫。僕たち二人ならこの世界だって十分生きていけるよ」

「……」

 ジークは黙り込んでしまった。怒らせてしまったかも知れない。僕は後悔した。

「ごめん」

 僕はどうしていいか分からなくなってジークから離れた場所に座った。

「ううん」

 ジークは大きく息を吐くと立ち上がった。「よし行こう! ホルンカに」

「え?」

「だけど、私はまだレベル1だからコーの足を引っ張っちゃうけど、すぐに追いついてコーを守れるようになるよ」

「あ、ありがとう」

 その言葉に何故だか僕は胸を締め付けられた。ジークは僕を女の子だと思っている。だから、こんな風に守ると言ってくれたのだろう。もし、僕が手鏡で男の姿になっていたら……。きっと僕たちは違う結論になっていただろう。

「そう言えば、初めて会ったのはベータテストのホルンカだったね」

 そんな僕の思いを知らないジークは優しい笑顔で僕に語りかけた。

「そうだったね」

 僕は少し罪の意識に駆られて俯いた。

「早速、行こう!」

 ジークは勢いよく近づいてきて僕に言った。

「え?」

「ホルンカに行くんでしょ? 走って行けば九時にはつくんじゃない?」

 ジークは笑いながら、井戸の周りを走り回った。「ダッシュ! ダッシュ!」

「うん」

 僕は心の整理がつかないまま、立ち上がった。

「出発!」

 ジークが走り始めた。

 あ……そっちは……。

「ジーク! そっち逆方向!」

「え?」

 ジークは腑抜けた表情になった。

 僕はそれがおかしくて文字通り腹を抱えて笑った。こんなに笑ったのはリアルを含めても久しぶりだった。

 

 ホルンカに到着した時には夜九時半を過ぎていた。途中、危険な湧きエリアを回避したために遠回りになったが、無事に到着することができた。

「どうする? 早速、狩りする?」

 僕がジークにそう尋ねると彼は首を振った。

「いや、今日の私、本当にツイてないんだ。朝の占いでも最下位だったし。大会でミスしちゃうし」

「このゲームにログインしちゃうし」

 と、僕が混ぜ返す。

「うんうん」

 苦い表情でジークは舌を出した。「だから明日にしよう。明るい方がやりやすいだろうし」

 ホルンカは小さい村だが、ちゃんとガード圏内で安全だ。

 野宿しても大丈夫だと思ったが、僕たちは念のため宿に泊まる事にした。

「今日は僕のおごりね」

 僕はそうジークに言って、宿屋の主人に話しかけて部屋を取った。

 いつものようにシングル部屋をとって五十コルを支払った。青イノシシ十匹分の料金だ。最初のうちは結構厳しい出費だが安全のためなら仕方がない。

 二人で部屋に入って、ほっと溜息をついた。

 後から入ってきたジークの表情が固まった。

 なんでだろうと少し考えて、僕も固まった。

「あ……」

 いつもの癖でシングル部屋を取ってしまった。いつもなら、ここで二人ともログアウト。アバターが消えるまでの一定時間の安全をこの部屋が守ってくれる仕組みなのだ。

 けれど、今、僕たちはログアウトできない。つまり、ずっとここで二人で過ごすのだ。

「別の部屋取ってくるよ」

 ジークは踵を返して扉を開けた。

「待って!」

「でも……」

 五十コルと言えば回復ポーション二本分、解毒ポーションなら一本買う事が出来る金額だ。序盤でこのポーションがあるかないかで生死を分ける場合があるかもしれない。それをここで使うのは合理的じゃない。

 それに圏内でプレーヤーが他のプレーヤーを襲うのは不可能だ。もし、仮にジークが変な気を起こして僕に襲いかかってきたとしても、ハラスメントコードを発動させて強制的に引き離すことができる。

「もったいないよ。万が一の事があっても、ハラスメントでバンできるし……」

 僕は部屋から出て行こうとしたジークの手を掴んで引き留めた。バンと言ってもアカウント削除の意味ではなく文字通りバンという音と共に引き離されることからきている言葉だ。「それに、僕はジークを信じているよ」

 僕はジークの性格からしてそんな事にはならないと信じた。

 彼は超がつくほどの紳士だ。ベータテストの時に他のプレーヤーのシモネタにも乗っからずに無視していた。それでも話しかけてこられると『そういう話は苦手だからやめてくれないか』とはっきり言っていた。

「コー……。ありがとう。信じてくれて」

「あ、でも、明日はツインの部屋にしよ。二人で寝るにはベッドが狭いから」

「私は床で寝るよ」

「駄目。しっかり疲れを取らなきゃ」

 僕はジークをベットに座らせた。「明日、思いっきり狩りしてレベル5を目指そうね」

「5は無理でしょ」

 ジークは私の冗談に苦笑を浮かべた。

「でも、一日やり続けるなんてすごくラッキーじゃない? 本当なら明日は月曜日で学校だよ?」

 本当は目覚めたら自分の部屋であってほしい。ヒットポイントがゼロになったら死んでしまうこの状況をゲームとして楽しむことなんてできない。

「そうだね。コーは前向きだな」

「今のは突っ込むところだよ」

 僕はジークを座らせたベッドの反対側に移動した。

「そうなのか」

「あっちむいて。着替えるから」

「ごめん」

 ジークがあわてて視線を逸らした。

 アイテムを選ぶだけで着替えは一瞬だ。けれど、その一瞬に下着姿になる。ジークに余計な刺激を与えない方がいいだろう。まあ、十分与えすぎている気もするが。

 革鎧姿から初期装備の何も飾りがない白のワンピースに着替えると僕はベットに潜りこんだ。

「おやすみ。一応言っておくけど、襲ってきたら殺すからね」

 と、冗談で釘を刺しておいて、僕はジークと反対側に寝返りをうった。

「はいはい。殺されないようにするよ」

 ジークのクスリという笑い声を聴きながら、僕は目を閉じた。今日はいろんなことがありすぎた。目を閉じた暗闇にいざなわれて僕はすぐに眠りに落ちた。

 今日がすべて笑い話になればいいなと思いながら。




なんだよ。ツマンネーヨ!
そんな言葉が聞こえてきそうです。
いや、次から面白くなりますよ。多分。

それはともかくソードアート・オンライン。面白いですね。私は不幸にしてweb版を全く知りません。文庫の1巻を初めて読んだ時、ぜったいアニメ化すれば売れるのになんでやらないの! と思っておりました。個人的にはアクセルワールドより好きでした。 過去形になってしまったのはアクセルワールドも面白くなってしまったからです。
両方大好きです。

川原礫先生の話は王道ですが、最後まで飽きさせない話の持っていきかたがすごいと思っています。どんでん返しで何度エーって思ったことか。

今回のお話はアニメのソードアート・オンライン第1話を見て思いついたものです。
原作を読んでいましたが、アニメとして映像として、手鏡を渡されて元の姿に戻っちゃうシーンは衝撃です。
ニコニコ動画では≪茅場「姫プレイは許さん!」≫という書き込みを見て苦笑したものです。
もし、ここで元の姿に戻らなかったら? そういうコンセプトで今回のお話はできています。
いえ、わかってますよ。手鏡のせいで元の姿に戻ったわけじゃなくって、元の姿に戻った事を手鏡によってプレーヤーに自覚させていたってことは。
ifとしてこのお話を楽しんでいただければ幸いです。

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