ヘルマプロディートスの恋   作:鏡秋雪

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第13話 欲求の三重奏【ジークリード6】

 第二六層のボス攻略戦は佳境を迎えていた。最後のヒットポイントバーが黄色から赤色に変わる時、どの階層のボスも凶暴化する。昨日のボス偵察ではここまでたどり着くことなく撤収に追い込まれていたらしいが、今日のボス戦には七二名が参加しているのでここまで安定した戦いを繰り広げる事が出来た。

 私が昨日、途中で帰らなければ偵察の最後まで見届け、今日の戦いに生かせたかも知れない。

(でも、昨日の精神状態では無理か)

 私は苦笑しながらゴライアスソードにソードスキルを乗せてイフリートに三連撃を食らわせた。

 コーから一足先にもらった誕生日プレゼントのこの剣は今まで使ってきたどの剣よりも手になじんだ。きっと、コーの気持ちが詰まっているからだろう。

 今回のボス戦の指揮は聖竜連合のレンバーだ。MTDが前線から去った今、攻略組最大ギルドとなった聖竜連合のギルドマスターが指揮を執るのは暗黙の了解であった。

 血盟騎士団は二つのパーティーで参加している。

 アスナ指揮のパーティーはタンクのマティアスとマリオ、短剣使いのアラン、そしてコー。

 ゴドフリー指揮のパーティーは団長のヒースクリフ、タンクのプッチーニと私、槍使いのセルバンテス。

「来るぞ!」

 レンバーが全員に注意を促した。同時にボスの最後のヒットポイントバーが赤に染まった。

 武器変更か、凶暴化か、次のボスが現れた層もあった。果たしてこの層は……。

 ボス攻略メンバー全員が次の瞬間に起こるであろう変化を待って息をのむ。

「ウガアアアアア!」

 イフリートは絶叫しタルワールを一週振り回して体を輝かせた。イフリートを中心とした炎の爆風が波紋となってボス部屋に広がった。

 全周囲に放たれた炎ブレスに攻略メンバー全員が吹き飛ばされ、炎のダメージで全員のヒットポイントが一割削られた。ボス部屋の壁の一部がばちばちと音をたてて焼け落ち、そこからファイヤーエレメンタル十二体が姿を現した。ボス攻略メンバーはボスとファイヤーエレメンタルに挟み撃ちの状態になった。

「前衛はボス、後衛はファイヤーエレメンタルに対応!」

 レンバーが声を上げる。

(それって、指揮放棄だろ)

 私はハイポーションを飲みながら思わず心の中で毒づいた。

「ゴドフリー! ファイヤーエレメンタルからやるわよ! 二人頂戴!」

 後ろからアスナの指示が飛んだ。

「ジークリード、セルバンテス。行け!」

 ゴドフリーがボスと切り結びながら叫ぶ。

「了解」

 私は一撃をボスに食らわせた後、セルバンテスと共にアスナのもとへ走った。

「コー。スリングで全部のファイヤーエレメンタルのターゲットを奪って」

 アスナが細剣でボス部屋に展開しているファイヤーエレメンタルを示した。

「了解!」

 コーがスリングを輝かせ鉄球を次々と放った。≪ダブルショット≫と≪ペネトレーションアタック≫を組み合わせているのだろう。ボスの陰で見えないファイヤーエレメンタルにもダメージを与えている。やがて、ヘイトが高まったファイヤーエレメンタルたちはコーをめがけて集まってきた。それに伴い、ボス攻略メンバーのほとんどがボスのイフリートに集中し始めた。

「コーを中心に円陣組んで!」

 アスナの指示で全員がコーの周辺をかためる。どうやら、アスナはコーにスリングを使い続けさせるつもりらしい。「コーが仕掛けたものから倒してく。順番はコーに任せるわ」

「はい!」

 コーがスリングで攻撃を仕掛けたファイヤーエレメンタルに全員が攻撃を合わせ次々と葬る。回復はスイッチではなく円陣の中央にいるコーが隙を見て回復結晶を使用しておこなった。

 すべてのファイヤーエレメンタルを倒す頃にはイフリートのヒットポイントバーは消滅寸前だった。

「全員で攻撃開始!」

 レンバーが叫ぶと、ラストアタックを狙ってボス攻略メンバー全員がイフリートに群がった。イフリートにソードスキルで輝く刃が無数に降り注ぐ。

 イフリートは末期の絶叫を上げ、砕け散った。『Congratulations!!』の文字がそこに浮かび上がった。

「やったぜ!」

 あちこちから歓声とお互いを称える声が上がった。

 私はコーと視線が合うと笑顔でハイタッチを交わした。私たちの関係はもうすっかり元通りだ。

 戦死者ゼロ。そして第二五層攻略から一二日目という期間は最大ギルドMTDが抜けても攻略組に十分前進できる力が残されている事を示していた。この事は、はじまりの街や下のボリュームゾーンで戦っている人たちを勇気づける事だろう。

 血盟騎士団のメンバーはヒースクリフのもとに集まった。

「みんな、お疲れ様」

 アスナが全員を見渡して言った。「今回も誰一人欠けることなくボス戦を終える事が出来ました。みんな、ありがとう」

「ジークリード君。コートニー君。血盟騎士団としての初めてのボス戦だったが、なかなか良い動きだったよ。早く慣れてくれたようで我々としてとても助かる」

 真鍮色の瞳で私とコーを交互に見ながらヒースクリフは言った。

「今日は安心して戦えたよ」

 セルバンテスがニヤリと笑って私の肩を叩いた。

「ごめん」

 昨日までの私はとても迷惑をかけていただろう。全員に謝って回りたいぐらいだ。見回すとゴドフリーと視線が合い、彼はニヤリと笑った。

「いいって、いいってー」

 セルバンテスが笑いながら私の後ろに回り込むと肩をもんだ。

「明日はオフとします。では、解散」

 アスナがそう言うと全員で敬礼し、第二七層へつながる扉にばらばらと歩いて行った。

「アスナ! 祝勝会の時、食事、いっしょにどう?」

 コーがアスナの所へ走って行って誘った。

「ごめんね。祝勝会は団長と一緒に攻略組でフリーの人をウチに勧誘しなきゃいけないんだ。明日の朝食でよければ」

 アスナが笑顔で返事をした。

「うん。わかった。頑張ってね」

「それじゃ」

 アスナは手を振って、ヒースクリフとゴドフリーと共に歩いて行った。

「じゃ、いこうか」

 私がコーに話しかけると「うん!」と元気に返事をして私の左腕を取った。

 

 

 

 第二七層の転移門がアクティブになると職人クラスのプレーヤー達が次々と現れ、主街区の広場に露店を開いていく。そして、レンバーの挨拶から祝勝会が始まった。第二五層攻略の時と違い、今回は被害者ゼロという事もあり、はじめから大いに盛り上がった。まさにお祭り騒ぎという感じだ。あちこちから笑い声が聞こえ、調子にのった攻略組同士で遊びのデュエル大会なども始まっていた。

 私とコーはプレイヤーメイドの料理に舌鼓をうち食欲を満たした後、露店を巡った。

「ちょっと、いいかな」

 コーが足を止めたのは洋服がたくさん並んでいる露店だった。

「いらっしゃいませ」

 店主であろう、貴族の社交パーティーから抜け出してきたようなドレスを着た女性プレーヤーがにこやかに挨拶してきた。鮮やかな茜色に染め上げられたドレスは初めて見るものだった。そのドレスの出来栄えからして、かなり裁縫スキルを上げている事が伺えた。

(うわ、素敵なドレス!)

 私の女性としての部分が反応してまじまじとそのドレスを見つめた。女店主は年齢が二五歳ぐらいだろうか。赤い髪をアップにして口紅やアイシャドーなどばっちりキメたお化粧をしている。その容姿はなかなかどうしてドレスに負けていない。

(でも、私がこれをリアルで着たら似合わないだろうなあ)

 自分が着た時の姿を頭の中で想像する。顔を見たら終わりってやつだ。それに今は男なのだから、こんな服は着れないと自分を慰めた。

「いろいろ見せてー」

 コーが明るく言いながらベンダーズ・カーペットの前にしゃがみ込んだ。

「どういう服がご入り用ですか?」

「普段着とパジャマ」

「もし、試着するならテント作っておくけど」

 彼女は首を傾けてコーにニコリと微笑んだ。普通に試着すると一瞬下着姿になるので、テントの中で着替えさせてあげようという女性らしい心遣いだった。

「うん。ありがとう」

 コーがにこやかに答えると、店主は頷いて一人用の簡易テントを建てた。

 コーはひょいひょいと二、三着選ぶとテントの中にもぐりこんだ。

 実際の試着コーナーと違って、このゲームの着替えは一瞬だ。

 すぐにライトピンクのチュニックを着てコーが出てきた。胸元から自然に広がるタックがワンポイントになっていてなかなかいい。

 そういえば、こういう服を着ているコーを久しぶりに見た気がする。というか、女性らしい恰好をしていたのは初期装備のワンピースぐらいだったろうか。今までのオフの服装は男女共通装備のパンツスタイルが多かった。こういう姿を見てドキッとしてしまう私は徐々に男子の思考になってきてるのだろうか。

「とても似合うね! まだ、ちょっと寒いからレギンスと合わせてみたらどうかしら?」

 女店主がテントから出てきたコーの足元にデニムレギンスを合わせてみた。

「うんうん」

 コーの声が楽しそうに弾んでいる。

 その後、あれやこれやとコーディネートされてコーは帽子やらベストやらも購入候補に入れていった。この女店主はなかなかの商売上手だ。もっとも、コーは素材がいいので何を着ても似合うのだが。

「決めた、これでいいよ。買うね」

 すっかりキメたファッションを姿見で確認しながら、コーは購入手続きを取ろうとしてベンダーズ・カーペットのメニューを開いた。

「あ、待って」

 女店主は手を広げて、コーを止めた。「あなた、コートニーさんよね?」

「うん、そうだけど……なんで、僕の名前を知ってるの?」

 コーはちょっと警戒した表情で尋ねた。

「新聞に載ってたもの。二五層のボス攻略で活躍したんでしょ」

 女店主はメインメニューから新聞(というか号外)を実体化させて、一面の写真を指差して見せた。その写真の下には『第二五層ボス攻略で活躍したMTDのコートニーさん(右)』と書いてある。そのコーの左には私が写っていた。

 いつの間に撮られていたのだろう。第二六層で行われた第二五層突破祝勝会の時の写真だ。私の左腕が復活する前で写真の中のコーは心配そうに私を見上げていた。

「いつの間にこんな写真が……知らなかった……」

 コーはまじまじとその新聞を見つめた。

「フレンド登録してくれないかな? それと、オフの時、その服を優先的に着てくれないかな? あたしとしてはいい宣伝になるし。そしたら、半額でいい」

「僕なんかで宣伝になるの?」

「なるなる。閃光のアスナさんの次に有名人だもの」

 『次に』と言われてちょっと私はむっとしたが、当の本人はまったく気にしてないようだった。

「アスナの次なんて照れるなあ」

 コーは照れながらちらりと舌を出した。「分かった。フレンド登録します」

 コーはメインメニューを操作して女店主にフレンド申請した。

「ありがとう!」

「これからよろしくね。えーっと、ルーシーレイさん? でいい? この読みかた」

「うんうん。じゃ、値段再設定するからちょっと待ってね」

「ちょっと待って、お金はちゃんと払うよ。その代わり、なにかいい服ができたらメッセージちょうだい」

「それでいいの?」

「いいからいいから」

 コーは弾む声でそう言って服を一式購入した。「これからもよろしくね。ルーシーレイさん」

「ルーシーでいいよ」

 ルーシーレイはにっこりと微笑んでコーに握手を求めた。コーも笑顔で握手を交わし手を振って別れた。

 ルーシーレイのコーディネートした服を着て歩くと、血盟騎士団の制服を着ていた時よりコーは明らかに視線を集めるようになった。制服を着ている時は凛々しいイメージになるが、今着ている服だと彼女の可憐さを存分に引き出されて衆目を集めるのだろう。

 広場の露店めぐりをしているとコーの姿を見て息をのむ男性の多い事。コーが私の左腕を掴んでいなければ何十人も声をかけて来たのではないだろうか。私は何ともいえない優越感を味わった。

「ジークリード」

 私は後ろから呼び止められて振り返った。そこにいたのは聖竜連合のレンバーだった。

「貴様は……」

 レンバーが口を開いたとたん、コーが私とレンバーの間に割り込んだ。

「レンバーさん。僕は強くなるように頑張るよ。もし、僕が弱いってレンバーさんが感じるならそれはジークのせいじゃない。僕が弱いだけです」

 凛然とした態度でコーはレンバーに言い放った。

「わかったよ」

 レンバーは降参と言わんばかりに両手を広げて肩をすくめた。「血盟騎士団に飽きたらウチに来てくれ」

「お断りします」

 コーは明るく可愛いらしい声でひどい返事をした。

「じゃあな」

 さすがのレンバーもこれには苦笑するしかなく、彼は片手を振って雑踏に消えた。

「一緒に強くなろうね。レンバーさんが降参するくらいに」

 コーは私に振りかえって笑顔で言った。

「そうだね」

「そろそろ、宿取って寝ようか」

 コーは走り寄ってきて、定位置の私の左腕に戻った。

「うん」

 時計を見るとすでに九時を過ぎようとしていた。そろそろ休んで今日の疲れを取るのもいいだろう。私たちは宿屋に向かった。

 

 

 

 私たちがツインルームに入った時、ヒースクリフからメッセージが届いた。

『もし、君たちの都合がよければ、今からギルドハウスで会えないだろうか?』

 君たち? 私が左を見るとコーと視線が合った。

「団長からメッセージが来た?」

 コーが微妙な表情で訪ねてきた。

「うん」

 という事は私とコーに用事があるのだろうか。ひょっとすると、ギルドメンバー全員にメッセージを送っているのかも知れない。血盟騎士団は祝勝会の後、ギルドハウスで二次会をやるとか……。

「どうする?」

 コーが首を傾げて尋ねてきた。

「行こう」

「そうだね」

 コーは頷いて、血盟騎士団の制服に着替えた。着替えの一瞬の下着姿に私は息をのんだ。

「ちょっとコー」

 私は頬が赤くなっている事を感じながら視線を逸らした。

「いこ」

 コーはクスクス笑って私の手を取って宿屋から出た。

 

 

 ギルドハウスに到着してみると、そこで待っていたのはヒースクリフだけだった。どうやら祝勝会の二次会ではなさそうだ。

「来たか。私の書斎で話そうか」

 私たち二人が部屋に入ると、ヒースクリフは立ち上がって二階にある書斎へ私たちを招いた。という事は私たち以外にメッセージを送っていないという事だ。私たちに何の用だろうか? 否応なしに緊張感が高まった。

 ヒースクリフの服装はボス戦の時とは異なり赤を基調としたローブ姿であった。その後ろ姿は当代一の戦士というより、学者というのがふさわしい。そんなヒースクリフは書斎に入って私たちに振り返って意外な一言を放った。

「君たちはハラスメントコードの消し方を知らないのかね?」

「はい?」

 ヒースクリフは何を言いだすのだ。私は彼の意図が読めず、ヒースクリフの微笑を見つめた。

「消し方というか、出さない方法を知っているかね? と言った方がよいか」

 ヒースクリフは私たちを手招きして、書斎の窓を指差した。「この窓から外を見てみたまえ」

 私たちはヒースクリフに促されるまま外を見てみる。

 窓から見下ろすと裏庭と呼ばれる公園が正面にあってよく見えた。ひょっとして……。私は恐る恐るヒースクリフに視線を移すと、彼はニヤリと笑みを浮かべた。

「ハラスメントコードは他人の目から見ても、とてもよく目立つのだよ」

 ヒースクリフは昨日の私たちのやり取りをここから見ていたのだ。ひょっとして、私が強引にコーの唇を奪ったところも? そう考えると羞恥で頬が熱くなった。隣を見るとコーも同じように頬を赤く染めて俯いていた。

「その事について咎めようとかそう言う事じゃないんだ。ただ、君たちには知っておいた方がいいんじゃないかと思ってね。いちいちこうやってハラスメントコードを消すのは大変だろう?」

 ヒースクリフはそう言いながら、ハラスメントコードを消すように左手を振った。

「そんな事が出来るんですか?」

 コーが赤面状態でうつむいたまま尋ねた。

「うむ。方法は三つある」

 ヒースクリフはメインメニューから何やら操作をして、私にメッセージを三つ送ってきた。恐らく、コーにも同じメッセージが届いているだろう。

『ハラスメントコードの適用除外について』

『結婚システムについて』

『倫理コード解除設定について』

「どれもプレイニングマニュアルに書かれているのだがね。そのメッセージに手順を抜粋しておいた。活用してくれたまえ。今でもプレイニングマニュアルは更新もされているようだからたまに確認する事をお勧めするがね」

 ヒースクリフは微笑みながら私たちにソファーに座るように手で促した。

 私たちは勧められるままソファーに座った。

「ハラスメントコードの適用除外はそこに名前を登録すれば、その者が抱きつこうと何をしようとハラスメントコードは発生しなくなる。これが一般的な方法だな」

 ヒースクリフはソファーに座りながら言葉を続けた。「あと、結婚すれば、様々な特典と共にお互いがハラスメントコード適用除外となる」

「結婚って……。団長。私たちが何歳か知ってて言ってるんですか?」

 私はヒースクリフの言葉をさえぎるように言った。彼のようないい大人がなぜこのような事を言うのか理解できなかった。

「まあ、君たちは……一五、六歳といったところかな。ひょっとしたら一七かね? いやいや。答えなくていいよ。そういう詮索をするつもりはない」

 ヒースクリフは肩をすくめて言った。「この世界ではリアルサイドの法律は無効なのだよ。ゲームシステムが法律だ。このアインクラッドでは年齢による差別は一切ない。それに一層一二日ペースで攻略を続けて行ったとして、ゲームクリアにはあと二年半かかる。その頃には君たちもいい大人だろう。結婚システムについて知っておくのも悪くないだろうと思ってね」

「そりゃ、そうですけど……」

「倫理コード解除って?」

 コーが私の言葉をさえぎってヒースクリフに尋ねた。

「ソードアート・オンラインは人間の三大欲求を満たすようにデザインされている。君たちは三大欲求を知っているかね?」

 学校の教師のようにヒースクリフは私たちに問いかけた。

「食欲、睡眠欲……」

 私はそこまで答え、次の欲求を口に出すのをためらった。

「性欲だ」

 ヒースクリフはニヤリと笑って、私が口にできなかった事をさらりと言ってのけた。「倫理コード解除によって、いわゆる性行為が可能となる。当然、ハラスメントコードは表示されなくなるというわけだ」

 『性行為』。私はその単語を聞いただけで恥ずかしくなって、ちらりとコーに視線を向けた。頬を赤らめたコーと視線が一瞬合って、私はあわてて視線を逸らした。

 このヒースクリフという男、とんでもないエロオヤジだ。あるいは私たちを大人扱いしようとしているのか、それとも子供だと思ってからかっているのか……。

 せめて、『情を交わす』とか『肌を合わせる』みたいな奥ゆかしい表現を使ってくれないだろうか。そんな私の思いなどお構いなしにヒースクリフは話を進めた。

「茅場という男がどんな奴か私は知らないが、最初に手鏡を渡してアバターをリアルの姿に変えたのは正解だと思っている。何しろ結婚どころか性行為までできてしまうシステムだからね」

 私はその手鏡を捨てて男性アバターで生きているのだ。待てよ。私の場合はどうなってしまうのだろうか? やはり、男の身体のまま……そういうことに?

 まさか、そんな事をヒースクリフに尋ねるわけもいかず、私は沈黙を続けた。

「自分と異なる性別でプレイするのは八時間以内にするようにソードアート・オンラインのマニュアルの注意事項に書いてあった事を知っているかね? あれには面白いエピソードがあるのだよ」

 ヒースクリフはゆっくりと手を組んで言葉を続けた。「雑誌で読んだのだが、ベータテストに先立ってアーガス本社でクローズドアルファテストとして四八時間連続ダイブテストを行った。その際、自分と異なる性別でダイブしていた者のほとんどは精神的に不安定になり二四時間以内にギブアップしたそうだよ。このデスゲームは四八時間どころではないからね。茅場はそういう点も考慮してアバターをリアルの姿、性別に戻したのだろう」

 そう言えば、先週、私はかつて経験したことがないほど精神的に不安定だった。言われてみれば心と体の性の不一致もその要因の一つかも知れない。もっとも、コーの不在というのが一番大きかったわけだが。

「だが」

 ヒースクリフは組んでいた手をほどいてソファーの背もたれに深く寄りかかった。「私は思うのだ。あのままアバターがリアルに戻されず、本来とは違う性別のままだったとしたら、それはそれで面白い事になったのかも知れないなと」

「面白いって……なんか、嫌な言い方ですね」

 私はちょっと厭味ったらしく言った。正直、不快だった。ただでさえ、嫌々こんなデスゲームに参加させられているのだ。それを仮定の話とは言え面白いなどという神経が信じられなかった。

「おっと、表現がまずかったかな。私はこう思ったのだ。人の魂というものは生まれながら男性女性に分かれているのだろうか? それとも肉体や周りの環境によって男女の役割を受け入れていくのだろうか? とね。興味深いテーマだと思わないか?」

 こういう時のヒースクリフは本当に学者のようだ。ひょっとすると、リアル世界ではどこかの学校の教師か教授をしているのかも知れない。

「それって」

 沈黙を守っていたコーが口を開いた。「団長は最初女性キャラでアバターを作ったという事ですか?」

「「え?」」

 私とヒースクリフはコーのとんちんかんな問いかけに絶句してしまった。

「あれ?」

 コーは首を傾げて私の方を見た。

「どうしてそうなるの?」

 私は苦笑してコーの顔を見た。

「そのままだったら面白かったのにって言ったから、団長はずっと女性キャラでプレイをしたかったのかなって……あれ? おかしい?」

「コー、それはぶっとびすぎ」

 私がため息をつくと、ヒースクリフは高らかに笑った。

「コートニー君。残念ながら、私は最初から男性キャラでログインしているよ。なかなか面白い発想をするね。君は」

 ヒースクリフはそう言った後もまた笑い声をあげた。「面白い発想と言えば、投擲をメインにしているプレーヤーも君ぐらいではないかね?」

「そうですね」

 コーはそう答えて、少しはにかみながら私の顔を見た。「ジークがいてくれたから、使えたスキルですね。もし一人だったら、別の武器にしたと思います」

「確かに、一人では上げづらいスキルだが、あまりうまみがないスキルではないのかね?」

 ヒースクリフはコーの投擲に興味を持ったのかやや身を乗り出して尋ねていた。

「茅場という人がどういう思いでこのゲームをデザインしたのか分かりませんけど、どんなスキルにも利点が隠されてるんじゃないかなって……そんな気がするんですよ」

 コーは私からヒースクリフに視線を移して顎に手を当てて考え込んだ。

「ほう」

 ヒースクリフは手を再び組んでコーを興味深めに見つめた。

「単純に剣だけを使わせたかったらこういう武器を用意しなきゃいいだけですし」

 コーはそこまで言ってから舌を出して笑った。「あ、でも、今のところ何のメリットもないですよ。ホント、遠隔攻撃できるってぐらいで。お金はかかるし、攻撃回数は少ないし。本当にネタスキルですよ」

「それでも使ってるのはなぜかね?」

「投擲しかできない事があるじゃないですか。それに、みんな剣だといずれ対応できない場面がいつか用意されそうな気がするんです。ううん。違うな」

 コーは首を振ってヒースクリフにしっかりと視線を合わせた。「僕は使いたいから使ってます。それじゃだめですか?」

「いや、結構。それが一番良いかも知れんな」

 ヒースクリフは満足げに頷いた。「今日は時間を取らせてしまったな。もし、君たちが良ければ開いてる部屋で泊まって行ってもよいが。どうするかね?」

「あ、二七層で宿を取ってしまったので」

 私は手を振って答えた。

「そうか。では、何か疑問点があったら何でも相談してくれたまえ。このゲームの事であればたいていの事に答えられると思うからね」

 ヒースクリフはそう言って、立ち上がった。「呼び出してしまってすまなかった」

「いえいえ。失礼します」

 私たちは立ち上がって深々と一礼すると、ヒースクリフのもとから辞した。 

 

 

 私たちは宿に戻って、背中合わせになって着替えた。

 私は振り向いて息をのんだ。コーの服装が白のノースリーブシャツと青のショートパンツという露出度過多な服装だったのだ。今まではほとんど露出がない服を着ていたのに……。

「服」

 私はようやくその単語だけを口から絞り出した。

「うん……。似合わない? かな……」

 コーはシャツのあちこちを整えながらちょっと俯いた。

「似合うけど、目のやり場に困る」

「迷惑?」

 コーはうつむいたままで表情が読み取れなかった。

「迷惑じゃないけど、理性が保てるか自信がない」

 私は正直に自分の気持ちを答えた。すると、コーは顔を上げて私に満面の笑みを見せた。

「迷惑じゃないならよかった!」

 コーは呆然とする私の横をすり抜けてソファーに座った。

 さて、どうしたものか。『理性が保てるか自信がない』に対応するコーの答えを貰っていないのだが、彼女にとって私が理性を失っても問題ないという事だろうか。そう言えば、昨日、強引なのも嫌じゃないみたいな事も言っていた。

 リアルでは恋愛というものに一切縁がなかった私には分からないが、相手を好きになってしまったらここまで大胆になれるものなのだろうか? それとも、コーが特別なのだろうか?

 わからない。

 私はコーのそばにいたいと願っているが、コーが男性として私を求めてきたら、女性の私はどうしたらよいのだろう? ああでも、昨日の私は無理やりコーの唇を奪っていたか……。

 私は自分の気持ちが定まらないまま、コーの隣に座った。

 コーは隣に座った私に笑顔を見せるとメインメニューで何やら忙しく操作をしていた。どうやらヒースクリフが送ってきたメッセージを読んで設定をしているようだった。

「ねー。ハラスメントコードの適用除外をやっておこうよ」

 コーは座って何もしようとしない私に首を傾げて言った。

「あ、ああ。そうだね」

 私はメインメニューの操作を始めた。ヒースクリフのメッセージ通りの場所、システム設定のオプション設定の所にハラスメントコードの適用除外設定があった。そこへ、≪Courtney≫と入力した。

 これでよし。目的を果たした私は再び考え始めた。

 これから、コーと私はどういう関係を築いていけばいいのだろう? 昨日、私はコーと一緒にいたいと願ったが、具体的にはまったくのノープラン。ヒースクリフが示してきた結婚とか、ましてや倫理コード解除とかまったく考えられない。でも、ちゃんとこれからの事を考えないと。

 しかし、ぐるぐると考えが巡るだけでまったく結論は出ず、頭の中をもやもやしたものがずっと占拠し続けている。

「終わった?」

 唐突に声をかけられ、左を見るとすぐ近くにコーの顔があった。

「うん」

 少しドギマギしながら答えるとコーは私に両手を伸ばして肩のあたりを抱きしめてきた。

「どう?」

「うん。確かに出ないね」

 ハラスメントコードの赤いダイアログは確かに表示されなかった。

「ほら、ジークも」

 コーにせかされて私はコーの背中に手を回して抱きしめた。

「おー。ホントに出ないね!」

 コーが元気な声を上げたので私は腕をほどいて、また結論が出ない事を考え始めた。

「ジークってさ。親とか先生とかから、おとなしくていい子って言われてるでしょ?」

 しばらくの沈黙の後、コーが小さくため息をついてから言った。

「なんで?」

「だってさ、いろいろ真面目に考えすぎ!」

 コーは「よっ」という声で私の膝の上に座って視線を合わせてきた。「何を考えてるの?」

「これから、コーと私はどうしたらいいのかなって。団長に言われるまで結婚とか……」

 私はそこまで言って、これから出す単語が恥ずかしくなり視線を逸らした。「倫理コード解除とかそんなこと考えたこともなかったからさ」

「ホント、真面目なんだね。ジークは」

 コーは優しい笑顔で私の頭を撫でた。「えーっと。僕はね。その二つはおまけみたいなものかなって考えてる」

「え? おまけ?」

「うん。おまけ」

 コーはにっこりと微笑んで言葉を続けた。「昨日も言ったけどさ、僕はジークとずっと一緒にいたいと思ってるんだ。それができるなら、後は全部おまけ」

「コーはすごいな」

 そういう考え方があるのか。確かに私は細かい事ばかりを気にしすぎたのかも知れない。発想の違いが本当に面白い。真面目に考えてた自分が馬鹿らしく感じて心が軽くなった。

「一緒にいるためにジークが必要だって言うのなら結婚もするし、倫理コード解除だって」

 コーはそこまで言うと自分の気持ちを確かめるように目を閉じた。そして、ゆっくりとまぶたを開いて優しい瞳を私に見せた。「うん、大丈夫。僕は何でもやるよ」

 私はそんなコーがとても愛おしく思った。おまけなんて軽く言っているけれど、コーは覚悟を決めて正面から受け止めているのだ。そして、私を信頼して全てを委ねてきてくれた。

 私は自分が女性である事を言い訳にしていたと思った。まっすぐと気持ちを伝えてくれるコーに私はちゃんと応えてあげたくなった。

 私は両手を伸ばしてコーの頭を掴んで強引に唇を奪った。抵抗するコーの身体の力が抜けるまで男らしく、力強くコーを抱き寄せて唇を重ね続けた。ちょっと、違うと思ったけれど、私の想いとコーの心に応える方法がこれ以外に思いつかなかった。

 頭の中がコーへの愛しさで埋め尽くされ、鼓動が激しく脈打ち私は何も考えられなくなった。

 やがてコーが小さく震え、身体の力がすっかり抜けたので私は彼女を解放した。

 コーは私の唇から抜け出すと頬を赤く染め夢うつつのような表情で甘い吐息を漏らした。

「もう、いつも不意打ち」

 コーはうっとりした瞳で私の胸を優しく二回たたいた。

「嫌だった?」

「意地悪なジークには答えてあげない」

 コーはそう言って私の左肩に顎を乗せてぐったりと体を預けてきた。

「私もコーと一緒にいれればいい。後はおまけだね」

 私はコーの背中に流れる黒髪を撫でながら言った。

「うん。おまけの事はその時に考えよ。……でもホント、ジークって鈍いよね」

 コーはクスリと小さく笑うと一瞬体を震わせて大きくため息をつくと、寝息をたて始めた。

「コー?」

 呼びかけてみたが返事がない。昨日は私のレベル上げのためにほとんど寝ていないし、そのままボス戦だったから疲れ果ててしまったのだろう。

 私もコーと一緒にいれればいい。彼女のためにこの世界で立派な男を演じよう。帰れるかどうか分からないリアルの事を思ってコーとの間に壁を作るのはやめよう。だって、私はコーがこの上なく大好きでずっと一緒にいたいと願っているのだから。

 私はコーの長い黒髪を弄びながらそう考えた。コーのぬくもりに温められて私も睡魔にいざなわれていった。




壁殴りすぎて、夜風が冷たいです。

構想の中では濡れ場を用意していたのですが、コートニーもジークリードも拒否りまして、今回のようなお話になりました。

そんなわけで、番外で野性R-18バージョンを予定してますが、当然ここに上げるわけにはいきません。(R-15ですからね)予定は未定で上げないかもしれません。
タイトルを変えてR-18で上げるかも知れませんので、気が向いたら活動報告を見てみてください。
そんなの読みたくもねーよっていう人はメッセージか感想で意見を寄せてください。
逆に読みてーよっていう人がもしいたら、同じくメッセージか感想で言っていただけると励みになります(ぉ)

さて今回、可愛いコートニーに騙されてジークリードさんは男として生きていこうと決意しました。
これからはお互いのすれ違いというより日常生活の物語になっていくので、この話をもって≪第一部完≫っていう感じです。
今後は方向性が変わり、ツマンネーヨって事になるかもしれませんが、引き続き読んでいただければ幸いです。


回収されるか分からないので、ちょっとネタばれを……
コーがヒースクリフに「女性キャラでプレイしたかったのかな」と言ったのは天然ボケではなくて、この話を終わらせたかったためにわざとボケた。なかなかの演技でした。
ヒースクリフさん。二人の本当の性別を知ってますねこれは……。二人を観察対象にしたようです。罪な人だ。
もう一つ、コーの事で伏せてありますが、これは回収されるかどうか……頑張ります。

一言評価だけでも、くださるととてもうれしいです。特に☆5以下の評価の時「アホ」「チネ」「馬鹿じゃないの?」でも結構ですけど、ここが気に食わんというのがあると直せるかもしれませんし。
今後ともよろしくお願いします。

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