ヘルマプロディートスの恋   作:鏡秋雪

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第2話 最悪の日 ささやかな幸せ【ジークリード1】

 本当に今日はツイてない。思えば朝の占いでも最下位だった。

 バスケットの大会ではシュートがことごとくリングに嫌われてしまったし。

 その大会でシュートを打たずにパスをしたのがカットされ結果的に決勝点を相手に献上してしまったし。

 ソードアート・オンラインにログインする時に間違えてベータテストのデータを消してしまったし。おかげでアバターづくりに時間がかかってしまったし。六時にベータテストで出会ったフレンドと約束して焦っていた私はベータテストの時とだいぶ違うアバターの状態で登録してしまったし。

 ようやくログインしてみたら、不気味なGM姿の茅場がソードアート・オンラインはログアウトできない仕様であり、ヒットポイントがゼロになるとリアルの身体も死んでしまうと宣言をしているし。

 茅場のプレゼントの≪手鏡≫はたった今間違えて廃棄してしまうし。

 本当にダメダメだ。

 私がうなだれた時、茅場の手鏡を手にしていた回りのプレーヤーたちが光に包まれた。ざわめきと叫び声が響き、まぶしくて周りが見えない。まるで深夜寝ている時に明かりをつけられたように視界を白く奪われた。

 それが収まった時、周りの景色が……いや、プレーヤーたちの姿ががらりと変わっていた。みんな美男美女のヨーロッパ系の顔立ちだったのに、今はアジア系、いや日本人の顔になっていた。中には明らかに男なのに女性装備を身に着けている者もいる。

「これ、俺じゃんか!」

「お前、十七って嘘かよ!」

 そんな絶叫が聞こえた。

 もしかすると、みんな性別も含めリアルの姿になっているのか。

 ひょっとして私も?

 私は頭の後ろに手を伸ばした。リアルの私は長い髪だ。だが、そこには長い髪はなかった。視線を落として自分の胸元を見る。ぺったんこだ。これもリアルと違う。

 私はどうなっているのだろう?

 そう考え始めると、もう茅場の言葉は頭に入ってこなかった。

 私は中央広場を出ようとしたが見えない壁に阻まれた。

 一心不乱に私はその見えない壁を叩いた。

「どうなってるの?」

 自分の声が耳に届いた。男性の声だ。私は設定したアバターのままなのだろうか?

 茅場が消えると同時に見えない壁はなくなり、私は洋服屋に走った。確かあそこには姿見があったはずだ。

 途中、建物の窓に自分の姿が写っている事に気が付いた。

 私は足を止めて窓に近づいた。

 右頬をさわる。

 窓の中の男子は戸惑った表情で左頬をさわった。

 もう一方の手で左頬をさわる。

 窓の中の男子は右頬をさわった。

 間違いない。私は設定したアバターのままだ。

 手鏡を捨ててしまったために私は元の姿のままなのだろう。

 私はほっとした。正直なところ、私は自分が大嫌いだ。大きすぎる眼も、ちょっとバランスが悪い鼻や口も大きすぎる身長も。違う自分になりたくてこのゲームを始めたのだ。それなのに、自分に戻されたりしたらショックで何もする気……今日会うフレンドとも会う気もなくなるところだった。

 男性のアバターのままなのは私にとって好都合だ。以前の別ゲームでは女性アバターで遊んでいたのだが、色々と声をかけられて嫌な思いをしたものだ。

 もし、茅場が言うようにしばらくこの世界から抜け出せないのなら、そういったわずらわしさから解放されることになる。これは大歓迎だ。

 しばらく、私は窓に映る自分を見つめた。

 そう、これが今の私。私はSiegridジークリード。

 私は自分に暗示をかけるように何度も窓の自分に語りかけた。

「あ」

 私は視界の隅に表示されている時計を見た。すでに約束の六時から二分過ぎている。「やばい!」

 私のフレンドはCourtneyコートニー。可愛い小学生ぐらいの女の子だ。そんな小さい女の子だが私は何度もベータテストで助けられた。彼女は投擲スキルというソードアート・オンラインでは見向きもされないスキルを使っている。私はいわゆるタンク。盾と片手剣の重武装で戦うのできっちりとすみわけができて、パーティーを組んでも心地よかった。彼女は頭の切り替えが早く、いろんな戦い方を思いつく子だ。

 私は彼女を『コー』と呼び、彼女は私を『ジーク』と呼んでくれる。ベータテスト終了時、再会を約束してログアウトした時は別れがつらくて涙がしばらく止まらなかった。

 約束の時間を十分も遅れたら、短気な彼女はすぐにいなくなってしまうかも知れない。この世界で一番のフレンドと出会えなくなったらと思うと胸が締め付けられる。

 私は約束の井戸へ向かって力の限り走った。

 

 井戸の近くのベンチに天井をぼーっと見上げている女の子が座っていた。カーソル表示からしてNPCじゃない。でも、コーは小学生ぐらいだったはず……。座っている少女は私と同じぐらいの年齢に見えた。

 私はゆっくりと近づきながら考えた。

(あ、そうか、他の人たちはリアルの姿になっちゃったんだ)

 私のようにプレゼントの手鏡を間違えて捨ててしまう人間なんて他にいないだろう。

「コー?」

 と、私は意を決して声をかけた。

「ジーク?」

 私の声にビクンと反応して、コーは振り向いた。見る見るうちに彼女の表情が笑顔に変わった。

「よかった!」

 コーは立ち上がって私に駆け寄った。しかし、すぐに表情を曇らせた。「いや、良くないのか」

「え?」

 コーは何が言いたいのだろう?

「ちょっと待って! 言葉を整理するから!」

「大丈夫。待ってるよ」

 思わず、私は微笑んだ。コーは頭の回転が速すぎるのだ。だから、言葉がついてこない。

 待っている間、私はコーを見つめた。

  コーの身長は一六〇センチぐらいだろうか。私のアバターは身長一七〇センチ。これはほぼリアルの私と同じだ。コーは女性としては身長が高い方だ。私と同じバスケットやバレーボールをやっているかも知れない。

 長い黒髪は私より少し長い。ベータテストの時は活発な小学生のような容姿だったのに、今は逆に儚げな雰囲気を醸し出している。私と違って可愛らしい顔立ちは男たちが放っておかないだろう。この子はちゃんと私が守らなきゃ! そんな思いが私の心にあふれた。

「えっと。また会えて良かった。こんな時に一緒にいられるのはとても心強いよ」

 コーは整理がついたのかしゃべり始めて、そこで息を一つ吸った。「でも、ログインに間に合っちゃったんだね。大会で遅れるって言ってたから……。ログインしなければこんな事に巻き込まれなかったのに、アンラッキーだね」

「そうだね。こんな事になるならログインしなきゃよかったよ。今日はツイてないことばっかで、やっとログインしたらあの茅場のチュートリアルだよ。ホント、もう最悪」

 私は今日あった色々な出来事を思い浮かべてため息をついた。「でも、コーと一緒なら何とか生きていける気がする。こんな世界でも」

「うん」

 コーは私の言葉に小さく頷いた。「とりあえず、フレンド登録しよう!」

「そうだね」

 私は頷いて右手を縦に振ってメインメニューを呼び出して、コーにフレンド登録を依頼した。すぐにOKの返事がありめでたく私たちはフレンド第一号になった。

「これからよろしく」

 コーは敬礼した。その仕草一つ一つがとても可愛らしい。

「こちらこそ」

 私は微笑みながら頭を下げた。

「ねー聞いて。僕。一三時からずっとログインしてレベル2まで上げたんだよ」

「すごい! さすがだね」

「生き残るために一緒に強くなろ? だから次の村のホルンカに行こ」

「助けを待ってもいいんじゃないかな?」

 私はコーの提案を半秒ほど考えた後、そう答えてさっきまでコーが座っていたベンチに腰かけた。「こんなことがずっと続くはずがないよ。警察が動けはきっと私たちは解放されるんじゃないかな?」

 何しろ命がかかっているのだ。警察だってこの状況をずっと放置はしないだろう。一万人も閉じ込められているのだ。この事件を解決できなかったら面目丸つぶれだ。

 ここは助けを待つのが一番安全だ。私は自分が死ぬのはもちろん、コーが死ぬところなんて見たくはなかった。

「解放されなかったら?」

「え?」

 ぽつりと言ったコーの言葉を聞き返そうとした途端、マシンガンのようにコーが早口で続けた。

「ううん。もし、何カ月もかかったとしたら? ずっとはじまりの街で寝て暮らすの? 所持金が尽きちゃうよ。僕はそんなのは嫌だ」

「でも、死んじゃうんだよ? 死んだら終わりじゃない!」

「死なない! そりゃ、いきなりボスに向かって行ったら死んじゃうよ。だけど、強くなれば死ににくくなる。どんどん死ににくくなる。無謀な事をしなければ大丈夫だよ」

「でも。危険な事には違いないよ」

「ジーク。リアルでも同じじゃない。火事になって死ぬかも知れないけれど、僕たちはガスを毎日使っている。電車事故で死ぬかも知れないけど、通学で電車に乗ってる。確率が低いけれどそこには死があるんだよ? しっかり、管理すれば大丈夫。僕たち二人ならこの世界だって十分生きていけるよ」

(それはそうだけど)

 私はコーを説得するのは無理だと思った。

 コーは決めたら突っ走る。そうやって、時々こける。ベータテストはそれでよかった。

『いやー、死んじゃったよ』

 苦笑いを浮かべながらはじまりの街の黒鉄宮からコーが蘇生してくる姿を私は何度も見てきた。その時、私は笑ってそんな彼女を出迎えた。

 しかし、今度は違う。死んだらそれまでなのだ。終わりなのだ。

 私はさっき、なんて思った? 何を願った?

(コーを守りたい!)

 今、コーを守ってあげられるのは私だけだ。……いや、これは私の思い上がりだ。コーは死ななければどんどん強くなっていくだろう。いずれ、この世界のトッププレーヤーになって私の助けなど必要なくなる。多分、彼女の力になれるのは今だけ。だとしたら、やる事は一つじゃない?

「ごめん」

 私が考えを巡らせていると、コーはさっきとうって変って元気を失って、私から離れた場所に座った。

「ううん」

 私は大きく息を吐くと立ち上がった。「よし行こう! ホルンカに」

「え?」

「だけど、私はまだレベル1だからコーの足を引っ張っちゃうけど、すぐに追いついてコーを守れるようになるよ」

「あ、ありがとう」

「そう言えば、初めて会ったのはベータテストのホルンカだったね」

 私は初めてコーと出会った時を思い出した。

 ソードアート・オンラインになかなか慣れずに苦労していた私に彼女は声をかけてきて助けてくれた。今、その恩返しをしよう。もし、コーが無茶をするようなら全力で止めよう。私はそう心に誓った。

「そうだったね」

 でも、なぜだかコーの表情は浮かなかった。私は何か気に障る事を言ってしまっただろうか?

「早速、行こう!」

 そんな思いを吹き飛ばすため、私はコーの手を取らんばかりに近づいた。

「え?」

「ホルンカに行くんでしょ? 走って行けば九時にはつくんじゃない?」

 私は笑いながら、コーに元気を出してもらいたくて井戸の周りを走り回った。「ダッシュ! ダッシュ!」

「うん」

「出発!」

 私はコーが立ち上がったので全力で走り出した。すると、後ろからコーの叫び声が聞こえた。

「ジーク! そっち逆方向!」

「え?」

 私はあれ? っと首をかしげた。

 そんな私を見てコーは文字通り腹を抱えて笑っていた。私にも経験があるが、ツボに入ってしまったのだろう。彼女はそれから五分ぐらいずっと笑い転げていた。

 そんなコーの姿を見て、私は今日初めて心が幸せで満たされた。

 

 

 ホルンカに到着した時には夜九時半を過ぎていた。途中の危険なポイントを迂回しながらだったので予定より遅れてしまったのは仕方がない。

「どうする? 早速、狩りする?」

 コーが首を少し傾けて聞いてきた。私は首を振った。

「いや、今日の私、本当にツイてないんだ。朝の占いでも最下位だったし。大会でミスしちゃうし」

 こんな日は何をやっても裏目に出る。今日は最悪の日だ。こんな時はおとなしくするに限る。

「このゲームにログインしちゃうし」

 コーは微笑みながら私の言葉を混ぜ返してきた。

「うんうん」

 苦い表情で私は思わず舌を出した。「だから明日にしよう。明るい方がやりやすいだろうし」

 ホルンカは小さい村だが、ちゃんとガード圏内で安全だ。

 野宿しても大丈夫だと思ったが、私たちは念のため宿に泊まる事にした。

「今日は僕のおごりね」

 コーはそう言って、宿屋の主人に話しかけて部屋を取った。

 私はコーの後に続いて部屋に入った。

(ベータテストの時もよく二人でこうやって宿をとってログアウトしたなあ)

 私はベータテストの時を思い出しながら部屋の扉を閉めた。

 以前よく使っていたシングルの部屋だ。ベッドが一つ。ソファーが一つ。窓が一つ。いたってシンプルな内装でこれで五十コルはぼったくりじゃないかと思う。

 その時、私は重要な事実を思い出した。

 私たちはログアウトできないのだ。と、いう事は今夜は二人でこの部屋で過ごすのか?

 その考えに至った時、私は身動きを止めた。

「あ……」

 私の考えに気づいたのかコーは小さい声を上げて言葉を飲み込んだ。

「別の部屋を取ってくるよ」

 私は回れ右して閉めたばかりの扉を開けた。

「待って!」

 後ろから鋭いコーの声がした。

「でも……」

「もったいないよ。万が一の事があっても、ハラスメントでバンできるし……」

 振り返った私の手をコーは優しく握った。バンと言ってもアカウント削除の意味ではなく文字通りバンという音と共に引き離されることからきている言葉だ。「それに、僕はジークを信じているよ」

「コー……。ありがとう。信じてくれて」

 私にはわかる。どんなに心を許していても、たとえシステム的に守られているとしても同じ部屋に男性と二人っきりという状況はとても怖い。

 その上でコーは私を部屋に引き留めてくれているのだ。私はコーの気持ちがいじらしくて心がいっぱいになった。

 いっそ、私がリアルでは女性で、茅場の手鏡を捨てたから男性アバターのままだという事を話してしまおうか。でも、信じてもらえないかもしれない。それどころか逆に疑われて今の雰囲気を壊してしまうかもしれない。私がそんな考えを巡らせているとコーはすぐに言葉を続けた。

「あ、でも、明日はツインの部屋にしよ。二人で寝るにはベッドが狭いから」

「私は床で寝るよ」

「駄目。しっかり疲れを取らなきゃ」

 コーの手にギュッと力が入り、私は強引にベッドに座らされた。「明日、思いっきり狩りしてレベル5を目指そうね」

「5は無理でしょ」

 明るいコーの言葉に私はつい苦笑を浮かべた。

「でも、一日ゲームをやり続けるなんてすごくラッキーじゃない? 本当なら明日は月曜日で学校だよ?」

「そうだね。コーは前向きだな」

 コーのそういう切り替えの早さ、前向きさは見習わなければならない。どちらかというとすぐにマイナス思考になる私はそう思った。

「今のは突っ込むところだよ」

 コーはクスクス笑いながらベッドの反対側に移動した。

「そうなのか」

 コーの会話のセンスは難しい。今のはツッコミを入れるタイミングだったのか。覚えておこう。

「あっちむいて。着替えるから」

 柔らかく微笑んでいたコーの表情が急に硬くなった。

「ごめん」

 私はあわてて反対側に視線を向けた。そこには窓があり、コーの姿が写っていた。

(あ!)

 と、思った瞬間、コーはメニュー操作して着替えを行った。

 リアルと違って着替えは一瞬だ。しかし、切り替えのタイミングで一瞬下着姿になる。コーは革鎧姿から初期装備のワンピース姿になった。そのわずかな瞬間、私の目にコーの下着姿が焼きついた。

 窓に映ったコーの一瞬の下着姿を見て私の鼓動が跳ね上がった。私は女なのになぜドキドキしてしまったのだろう。思わず苦笑した時、後ろからコーが話しかけてきた。

「おやすみ。一応言っておくけど、襲ってきたら殺すからね」

 と、システム上できもしない事を彼女は言って寝返りを打った。

「はいはい。殺されないようにするよ」

 私の苦笑はコーの下着姿に胸が高まった自分に向けての失笑に変わって思わずクスリとこぼれた。

 いや、もしかすると今のはコーに「システム上、殺せないだろ!」ってツッコミを入れるところだったのだろうか? 指摘してこないところを見ると、今回はツッコミ不要だったようだ。

 私は初期装備のシャツと半ズボンに着替えてベットにもぐりこんでできるだけコーと距離をとった。

これでは寝ているうちにベットから落ちてしまうかもしれない。ゲームの世界でこんな事を経験するとは思わなかった。

 本当にツイてない一日だった。けれども、コーという存在が私の心を明るく照らしてくれる。世の中悪い事ばかりじゃない。

 目を閉じるとたちまち睡魔が襲い掛かってきた。柔らかいベッドの感触がとても心地いい。私はコーが隣で寝ているという事も忘れて睡魔に身を委ねた。




やっぱり、ツマンネーヨ! いえ、次かr(ry

何でもありません。お目汚しでした。貴重の時間を割いていただいたのにこのつまらなさ。なんとお詫びしてよいか……orz

セリフコピペで同じシーンを別視点で書いていますので、たまにコーの文が紛れているかもしれません。何度か読み返していますが、見落としがありましたら、ご指摘ください。

次はホルンカの村のお話です。
原作だと8巻に収録されている『はじまりの日』です。
もし、よろしければお付き合いくださいませ。

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