ヘルマプロディートスの恋   作:鏡秋雪

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第23話 私の太陽 【ジークリード10】

 コーが放ったメテオシャワーでダンジョン内が輝いた。

「ひるむな! これは見かけだけだ」

 ラフィンコフィンからそういう声が聞こえた。この声はPoHだ。私は気を引き締めた。

 確かにPoHの言う通りだ。メテオシャワーは派手なダメージエフェクトとわずかなノックバックがあるだけで、ダメージ自体は大したことがない。だが、そこに生じる隙が私たちにとって重要だ。

「コーとヴィクトリアはみんなの回復を!」

 私は動きを止めたラフィンコフィンの包囲網の一角に乗り込み、ヴィクトリアで数人を蹴り飛ばした。そして、ヴィクトリアから飛び降りるとラフィンコフィンのメンバーを盾で突き飛ばし、剣で薙ぎ払った。

 ユニコーンのヴィクトリアはヒットポイントの回復能力はないが、解毒能力がある。麻痺状態に陥っている風林火山メンバーの助けになるだろう。

 風林火山メンバーの回復はコーに任せて、私は目の前のラフィンコフィンに集中した。

 彼らの人殺しの宴をぶち壊そうと乱入した私は招かれざる客だ。彼らは怒りをあらわにして私を取り囲み次々と斬撃を浴びせてきた。

 一人一人は大したことはない。おそらく、デュエルで戦えば即座に倒せるほどの力の差がある。しかし、彼らの気迫と狂気は私との力量の差を埋めようとしていた。

 彼らを殺してしまうかも知れない。そんな思いが私の切先を鈍らせ、隙を生じていくつもの痛撃を受けてヒットポイントバーが黄色に染まってしまった。

(まずい!)

 気持ちを切り替えなくては。分かってはいるのにどうしても斬り結ぶ相手のヒットポイントを気にしてしまう。

「ヒール!」

 背中でコーの声が聞こえ、私のヒットポイントはたちまち満タンになった。同時にコー身体にいくつもの短剣が命中する音が聞こえた。「ジークの背中は僕が守るよ。勝負はこれから!」

 コーの言葉は私の心を奮い立たせた。私はクスリと笑って迷いを振り払い、目の前で切り結んでいたラフィンコフィンの男を斬り飛ばしそのヒットポイントを赤に染め上げた。そして、コーへ笑いかけようと背中に目を向けた。

「う……そ……」

 コーの絶句の声。コーの首に真一文字にソードスキルの光が走ったかと思うと、彼女の首が宙を舞った。

「なっ」

 今度は私が絶句する番だった。コーのヒットポイントは確かにイエローまで落ち込んでいたが、こんな事があるのか。

 切り離されたコーの首からダメージエフェクトがまるで血のように吹き上がった。そのエフェクトの向こうには口元にふてぶてしい笑みを浮かべた茶色のフード姿の男がいた。手にしている武装は≪友斬包丁≫だ。ということは彼がPoHなのか。

 どさっ。

 嫌な音を立ててコーの頭部が地面に落ち転がって視線が合った。同時に視界の隅でずっと愛してきた彼女の細い身体がポリゴンの欠片となって砕け散った。

「コー!」

 絶叫し、動きを止めた私の背中にいくつもの衝撃が走り、胸から剣が突き抜けた。

「さすが、ヘッドぉ~。血盟騎士団の幹部様ゲットぉ」

「ふっ。黒毛のほうか。どうせなら栗毛の閃光様を殺りたかったぜ」

 ラフィンコフィン同士の会話を聞いて私は呆然とした。

「ごめんね。ジーク」

 地面に転がっているコーの首から悲しげな声と涙が流れ私の何かを壊した。

「うわあああああああああああ! ヴィクトリア! こいつらを殺せ!」

 私は絶叫してPoHに猛然と駆け出した。

「そいつを止めろ! ヘッドに近づけさせんな」

 ジョニー・ブラックがそう言いながら私の前に立ちはだかった。そんな彼をヴィクトリアが憤怒のいななぎをあげながら蹴り飛ばした。

 入れ替わるように駆けつけるラフィンコフィンのメンバーを私はためらいなく斬り、突き殺した。そして私の剣はついにPoHを捉えた。

 数合剣を打ち交わす。

「すっかり、人殺しの目だな。お前もこのゲームを楽しもうぜ」

 クククと笑いながらまるでDJのような軽やかな口調でPoHが語りかけてきた。

 いつもであれば動揺したかも知れない。けれども、今はPoHの言う言葉が理解できない。私は怒りの感情に突き動かされたまま剣を振るった。

 再びラフィンコフィンのメンバーがPoHとの間に立ちはだかったが、私はそれを一蹴して再びに間合いを詰めた。

 あらゆる方向から短剣が飛んできて私の身体を突き刺し、私の視界は赤く染まりヒットポイントが危険域に入った事を知らせた。

「お前だけは!」

 殺す! そんな絶対の誓いと意識だけが私を殺人へと駆り立てた。

 私は振り下ろされてきた友斬包丁を盾で薙ぎ払って、生まれた一瞬の隙にヴォーパルストライクをPoHの心臓を狙って繰り出した。この間合いであれば討ちもらすことはない。そう確信し、私の口元が歪む。

 その時、踏み出した足先にいきなり、ポーションが転がった。その事で私の剣先がわずかにずれた。

 コーが死んだためにアイテムストレージからあふれたアイテム類が私のまわりに無造作に転がったのだ。

 わずかに心臓からずれた倶利伽羅剣がPoHの左胸を貫き、ヒットポイントを一気にレッドゾーンに追い込んだ。

 剣先が逸れなければ間違いなくヒットポイント全損に追い込むことができただろうが、運命のいたずらで逸らされた剣先のためにPoHの反撃を許すことになった。

「Suck!」

 PoHの短い気合の声で私の右手が斬り落とされた。彼の表情に勝利の確信の笑みが浮かんだ。

「まだだぁ!」

 私は盾≪マゲン・ダビド≫をPoHに投げつけた。マゲン・ダビドの裏に納められた≪ゴライアスソード≫を抜き出してシャープネイルを繰り出した。命中すればPoHのヒットポイント全損に追い込むことができるはずだ。

「ヘッドぉ!」

 私のシャープネイルはジョニー・ブラックのソードスキルによって弾き飛ばされた。

「ぬ!」

 そこへ容赦なくPoHの友斬包丁が私の左腕を切り飛ばした。

「死ねぇ!」

 ジョニー・ブラックの短剣がソードスキルで輝き、私に向けられた。

(ごめん。コー。私、君のために何もできなかった……。でも、これでコーと一緒にいれるね)

 両手を失った私は微笑みを浮かべて告死の刃を見つめた。

「うらぁ!」

 雄々しい絶叫と共にジョニー・ブラックの刃を跳ね上げたのはテンキュウだった。

「ヒール!」

 クラインの声で私のヒットポイントが全快となり、赤く染まっていた視界が一気に通常の風景に戻された。

 わたしとラフィンコフィンの間にたちまち風林火山の壁が築かれ、一気にラフィンコフィンを追い込んだ。罠のような不覚を取らなければ、ラフィンコフィンは風林火山の敵ではなかった。

「引け!」

 PoHが苦々しく命令を下した。

(行かないでくれ)

 私は撤退していくラフィンコフィンを呆然と見つめた。(私をコーの所へ送ってくれ)

「みんな……。みんな、すまねぇ!」

 突然、クラインが苦しそうに叫んだ。

「リーダー。使ってください!」

 テンキュウがラフィンコフィンのメンバーを蹴り飛ばしながら言った。

 あちこちから「いいです!」とか「使ってください!」という声がクラインに次々とかけられた。

 私の前でクラインはメインメニューを操作して美しい宝珠を実体化させた。

「蘇生。コートニー!」

 クラインの声で美しい宝珠は結晶アイテムのように砕け散った。

 ≪還魂の聖晶石≫。去年のクリスマスでたった一つだけ配布された奇跡のアイテム……。

「ああ……」

 私の目の前に光が集まり人型へ変わり輝いた。涙で視界が歪んでもその姿は見間違える事はない。

 初期装備のワンピース姿のコーが光をまとって現れて、呆然とした表情で一歩を踏み出してバランスを崩した。私はあわててコーを抱きとめた。

「あれ……。どうして?」

 コーの呟く声が私の胸の中から聞こえてきた。

「クラインさん。ありがとうございます」

 もう、私の言葉は泣き声まじりで途切れ途切れになっていた。

「いいってことよォ」

 ヘヘッというクライン独特の笑い声が聞こえた。「50層のボス戦で助けてもらった礼もしてなかったし、今日はみんなを助けてくれからな」

「そうそう。俺たちがお礼を言いたいぜ」

「よかった」

 他の風林火山メンバーからも安堵のため息と優しい言葉がかけられた。

「ありがとう。ありがとう」

 もう、それ以外の言葉が浮かんでこない。私はしっかりとコーを抱きしめた。両手を失っていなければもっとしっかりと抱きとめることができたのに……。

「テンキュウ。ジークリードの手が復活するまでここで二人をガードしてくれ。オレらは本隊と合流するぜ」

 クラインがそう命令を下すと全員から「承知!」と団結力のある返事がダンジョンに響いた。

「てめーら。これで残機ゼロだからな。死ぬンじゃねーぞ!」

「応!」

 風林火山はテンキュウと私たちを残してラフィンコフィンを追ってダンジョンの奥へ向かった。

 その後すぐにシュミットが率いる後続部隊が来てクラインたちの後を追って本隊の援軍に向かった。

 3分間の部位欠損ペナルティーが明けて、私は両手を取り戻すと地面に落ちたアイテムを拾い始めた。コーが復活した事でアイテムストレージが再び二人分になった。

 コーは死んだことがショックだったのか、白いワンピース姿のまま呆然と地面にぺたりと座ったままだ。その姿はまるで生まれたての妖精が初めての地上世界に戸惑っているように見えた。

 二人でアイテムを拾えばすぐに回収できそうだったが、さすがに今、それをお願いする事は出来そうもなかった。

「ジークリードさん。これ……」

 テンキュウが一つのアイテムを手渡してきた。それはヴィクトリアの角だった。

 アイテム名は≪ヴィクトリアの心≫。私の無謀な命令のためにラフィンコフィンに殺されたのだ。ヴィクトリアがいつ殺されたのか私はまったく覚えていない。私は本当にひどい主だ。

「ありがとうございます」

 私はそれを受け取ってアイテムストレージに入れた。使い魔の蘇生についてはすでに情報が出ている。3日のうちに使い魔の蘇生アイテムを手に入れればいい。確か、第47層のフィールドダンジョンだから私一人でも取りに行けるだろう。

「コー。そろそろ鎧を着たほうがいい」

 ほとんどのアイテムを回収し、私はいまだに呆然としてるコーに声をかけた。

「あ……。そうだね。あっちを向いてくれる?」

 コーは我に帰って左手でダンジョンの壁を指差した。

「ごめんごめん」

 私とテンキュウはあわててコーに背中を向けた。

 背後でメインメニューを操作する電子音が聞こえた。ひどくゆっくりだ。まだ、動揺が収まっていないのかも知れない。

「いいよ。ありがとう」

 その声で振り向くといつもの血盟騎士団姿のコーが立っていた。そして、はにかむように微笑んで左手で私を手招きした。「ちょっと、ジーク」

「もう、大丈夫ですね。私はリーダーの所に戻ります」

 テンキュウがニヤリと笑って手を振って踵をかえした。

「あ、待ってください」

 コーがテンキュウを呼び止めて深々とお辞儀をした。「ありがとうございます」

「気にしないでください。じゃあ。また後で!」

 テンキュウはそう言い残してダンジョンの奥へ走って消えた。

「ジーク。どうしよう……」

 泣き笑いの表情を浮かべてコーが私を見つめた。

「どうしたの?」

 私は優しく声をかけながら抱き寄せた。

「右手が動かない……」

 蒼白の頬に一筋の涙が流れた。

「え?」

 私は慌ててコーの右手を取った。ぬくもりはしっかりとあるが、まったく力が入っていない。

「感覚はあるんだけど、全然動かない」

 コーは自分の右手を見つめながら呆然と言った。

「そんな……」

 私はコーの右手を温めるように両手で包み込んだ。「でも、一時的なものかもしれないし、時間をおけばよくなるかもしれないよ」

「そ、そうだよね」

 コーは左手で両目の涙を交互にぬぐった。「ごめんね。僕、まだ、動揺してるのかも知れない」

「もし、ずっとこのままでも私がいるから」

「うん。信じてる」

 コーはにっこりと微笑んで私の手に左手を重ねた。

 

 

 

 コーが落ち着きを取り戻したところで私たちは奥に進んだシュミット隊と合流した。

 その時、本隊はラフィンコフィンの生き残りを武装解除に追い込み、黒鉄宮の牢獄へ送っている最中だった。

「いつか、必ず、貴様らを、殺す」

 最後まで残っていたザザが毒を吐き捨てて牢獄につながる光の門をくぐった。これで、ラフィンコフィン討伐は終了を迎えた。

 その後、ラフィンコフィン討伐隊は聖竜連合の中庭に戻り、点呼と戦果が確認され情報共有された。

 ラフィンコフィン討伐隊の犠牲者は11名。一方、ラフィンコフィンの死者は21名。武装解除に応じて牢獄に送られたのは12名。その中には幹部のザザ、ジョニー・ブラックも含まれている。

 逃亡を許したのはたった1名。ラフィンコフィン討伐隊はほぼその目的を果たしたのだ。しかし、逃亡を許した1名というのはあのPoHだった。その点は気になる所だが、ラフィンコフィンが討伐されほぼ壊滅したという情報は必ずプレーヤー達に波及するはずだ。今度はそう簡単にPoHに協力しようという者は現れないだろう。

「コー!」

 アスナが駆け寄ってコーを抱きしめた。「クラインさんから聞いたわ。大丈夫?」

「う、うん」

 コーは明るい笑顔を浮かべてアスナを抱きとめた。「クラインさんのおかげで助かったよ」

 血盟騎士団のメンバーと風林火山のメンバーがアスナの後を追ってゆっくりと歩いてきた。私はクラインに改めてお礼を言った。

「クラインさん。本当にありがとうございます」

「落ち着いたみてェだな」

 コーの明るい笑顔を見てクラインは微笑んだ。

「はい。おかげさまで」

「あれ?」

 アスナは突然コーから身体を離し、コーの右手を取った。アスナはすぐにコーの異常に気付いたらしい。「どうしたの。右腕」

「いやー。なんか、動かないんだ」

 コーは明るく笑いながら言った。

「笑い事じゃないでしょう!」

 アスナが声をあげてコーを見つめた。

 血盟騎士団と風林火山のメンバーから驚きと戸惑いの声が漏れた。

「マジかよ。なんかのバグか?」

 私の近くにいたクラインが吐き捨てるように言った。

「普通だったらGMコールしたいところですが、今は……」

 テンキュウが厳しい表情で首を振った。

「一時的なものかもしれないしさ。なにより、僕は生きてるんだよ。本当なら死んでたんだから」

 コーはにっこりとアスナに微笑んで、動かない右手を握りしめているアスナの手に左手を重ねた。

「でも……」

 そう言うアスナの手をほどいて、コーはクラインの前に立って深々とお辞儀した。

「クラインさん。本当にありがとう。僕なんかのために大切なアイテムを使ってくれて」

「い、いいってことよォ」

 クラインは照れるあまり言葉がどもっていた。「こっちだって2回も助けてもらってるからな」

「お礼はいつか、≪精神的に≫っね!」

 コーが首を可愛らしく傾け微笑み、クラインの決め台詞を口にした。

「お、おう」

 クラインは頬どころか顔全体を赤く染めて照れくさそうに頭をかいた。「期待してるぜ!」

「リーダー、どういう期待してるんですか!」

 テンキュウがため息をつきながらツッコミを入れると私たちの間に笑顔がこぼれた。

「ねぇ。コー」

 微笑んでいたアスナが表情を改めてコーに話しかけた。「団長に相談してみましょう。なにか解決策があるかも知れないし」

「おお。それいいね! ナイスアイディア!」

 コーは笑顔を輝かせてアスナに同意した。

「じゃあ、ギルドハウスに戻りましょう」

 アスナは血盟騎士団メンバーに視線を走らせた。

「了解」

「じゃあ、俺はキリの字とちょっと話してくらぁ」

 クラインは私たちに手を振った。そう言えばキリトは今回の討伐戦で二人を倒した。その事で相当ショックを受けているようだった。クラインとしてはそんなキリトを放っておけないのだろう。

「クラインさん。本当にコーを助けてくれてありがとう」

 アスナがお礼を言って頭を下げた。自然に私たち血盟騎士団全員がクラインに頭を下げて感謝の気持ちを表した。

「へへっ。それじゃあな!」

 クラインは照れくさくてたまらないのだろう。片手をあげて手を振るとすぐに踵をかえして歩き始めた。

「風林火山のみんな。またね!」

 コーが左手を大きく振って笑顔を振りまいた。

 コーの言葉と笑顔に風林火山メンバー全員がうっとりとした笑顔を浮かべて手を振りかえしてきた。

「行こう」

 ちょっと嫉妬に駆られた私は思わず、コーの肩を抱いてアスナの後を追った。

 コーはそんな私に微笑んでアスナの所に走って行って、耳元で囁いた。

「アスナ、クラインさんと一緒にキリト君の所に行った方がいいんじゃないの?」

「キリト君とはそんなんじゃないったら!」

 アスナが大声で否定したので血盟騎士団だけでなく、周りの攻略組の衆目を集めてしまった。「もう、コーのバカ」

 アスナが頬を朱色に染めて言うと、血盟騎士団メンバーから笑いがこぼれた。それを制するようにアスナは全員を睨みつけた。「帰るわよ!」

「了解」

 血盟騎士団メンバーの返事はいつもの厳しいものではなく、人間らしい暖かさがあるものだった。

 

 

 

 ギルドハウスの幹部会議室に戻った時には、空が白み始めていた。間もなく朝日がこの幹部会議室を明るく照らすだろう。

 幹部会議室で残っていたヒースクリフとセルバンテス、マティアスにアスナがラフィンコフィン討伐の顛末と被害と戦果について報告した。そして、コーが死にクラインの≪還魂の聖晶石≫によって生還したものの右手がまったく動かない事が伝えられるとさすがのヒースクリフも驚きの表情を見せた。

「団長。コーの右手はなんとかなるものなのでしょうか?」

 アスナが質問を投げかけると、ヒースクリフはゆっくりと手を組んでしばらく考えていた。

「コートニー君。右腕は動かないだけかね? 感覚とかはあるのかね?」

 5秒ほど考えていたヒースクリフは視線をコーに向けた。

「触ればちゃんと暖かさも感じます。ただ、動かないんです。自分のイメージではちゃんと動いている感覚があるのに力が入らない感じ……」

 コーは左手で右手を握りながら答えた。

 ヒースクリフは「ふむ」とつぶやくと再び考え始めた。

「団長……」

 アスナが心配そうに声をあげた。

「情報屋の話によると≪還魂の聖晶石≫が使用できる時間は死んでからわずか約10秒だったかな。つまり、この世界のアバターが消えてから10秒後に脳破壊シークエンスが走るのを止めるアイテムなのだろう。脳破壊はナーヴギアに搭載されているマイクロウェーブ発生素子がリミッターを外され高出力を発する事で行われる」

 ヒースクリフはそこまで言って、しばらく考えると言葉を継いだ。「考えられる可能性は3つ。脳破壊シークエンスが走り始めたためにナーヴギアの脳感覚受信素子が破壊された。または脳破壊シークエンスのためにコートニー君の脳の一部が焼かれた。あるいはその両方が発生したか。この3つだろう」

 『コーの脳の一部が焼かれた』そのヒースクリフの言葉に私は背筋に冷水が浴びせられたように震えた。

「脳が焼かれてるなんて、そんな……」

 アスナの今にも泣きだしそうな声が幹部会議室に響いた。「なんとかできないんですか」

「言い方が悪かったな。可能性で一番高いのは一番目に言ったナーヴギアの脳感覚受信素子の破壊によって右腕が動かないというものだ」

 ヒースクリフは組んでいた手をほどいてアスナに言った。

「なぜ、そう断言できるんですか?」

 私はヒースクリフに尋ねた。

「もし、脳破壊シークエンスによって脳が焼かれた場合、その影響は『右腕が動かない』などにはとどまらないはずだ。もっと深刻な事態になっているはずだ」

 ヒースクリフはそう言うと左手で頭頂部から左側面をなぞって教師のような口調で言葉を続けた。「このあたりに一次運動野という物があってナーヴギアはここで発生している微弱な信号を拾って我々のアバターを動かしているのだ。恐らく、コートニー君はナーヴギアのほんの一部に欠損ができただけだろう。いわゆる、入出力の……」

「団長。だから、それはなんとかならないんですか?」

 私は滔々と説明するヒースクリフにイライラしてその言葉をさえぎった。

「すまないね。つい、講義口調になってしまった」

 ヒースクリフは自嘲の微笑みを浮かべた。「そうなってしまった場合の対処方法はナーヴギアのリソースノートに記載があったはずだ。だが、それは今はできないだろうね」

 リソースノート。確かナーヴギアに添付されていたDVDメディアのマニュアルだ。セッティング方法などの簡単な説明書は紙だったが、トラブルシュートなど詳しいナーヴギアの使い方についてはDVDに記録されていた。見るのもうんざりするほどの量なので私は目も通していない。

 そんなリソースノートの内容を記憶しているとは……。ヒースクリフの記憶力はまったく途方もない。

「なぜですか?」

「なぜなら、ログアウトしてあの退屈なキャリブレーションをやりなおさねばならないからだ」

 ヒースクリフは静かに言った。「ログアウトなど現状できるはずがない。だから今、できる事はとにかく動かす努力をする事だ。そうすればいずれナーヴギアが自動補正してくれるかも知れない。確証はまったくないが」

「そんな……」

 コーの右手はもう動かないのだろうか? そう考えると私の目の前は真っ暗になった。

「団長。さっき言ってた3つの可能性の確率はそれぞれどんな感じですか?」

 コーの問いかけは感情が消えていた。動揺する自分を必死に抑えているのだろう。コーの心情を想うと私の心は張り裂けそうになってしまう。

「ナーヴギアのトラブルが九割、脳の損傷が一割、複合はほぼゼロだが可能性がある。と言ったところかな」

 ヒースクリフは手を再び組んだ。

「うん。わかった」

 コーはにっこりと微笑みを浮かべて周りの血盟騎士団メンバーを見渡した。「みんなに二つお願いがあるんだけどいいかな?」

「なに?」

 メンバーを代表するようにアスナが問いかけた。

「団長が言った説明は風林火山の人たちに言わないで。もしかすると、≪還魂の聖晶石≫を使ったのが遅かったせいだってクラインさんが自分を責めるかも知れないから」

 綺麗な透き通る声でコーが言った。

「わかったわ」

 アスナの言葉に重ねるように他の全員が頷いて、コーの言葉を了承した。

「もう一つはお願いというか、ごめんなさいなんだけど……。僕、しばらく攻略から外れるね」

「コー!」

 アスナが慌ててコーに駆け寄って手を取った。

「だって、これじゃ戦えないし、みんなに迷惑かけちゃう」

「でも……」

「誤解しないで、アスナ。僕『しばらく』って言ったよね。必ず帰ってくるよ! 楽しみにしてて、左手一本でアスナを瞬殺しちゃうぐらい強くなって帰ってくるから!」

 コーは明るくにっこりと笑って血盟騎士団メンバーを見渡した。「みんなもそんな顔しないで。こんなの、大したことじゃないんだから。ただ、ちょっとだけ、時間をください」

「団長。私も一時攻略から外れます。コーのサポートをしたいので」

 私はヒースクリフを見据えて言った。もっとも、否定されても従う気は全くなかったが。

「そうだな」

 ヒースクリフはため息をついて頷いた。「その方がよいだろう。貴重な一流プレーヤーの君たちを失うのは痛いが仕方あるまい」

「ありがとうございます」

 私は頭をヒースクリフに下げた後、コーに視線を向けた。

 コーは声に出さず「ありがとう」と口だけを動かして、私に微笑みかけてくれた。

「さっ。みんな。ラフコフ壊滅のめでたい日なんだから、ミニパーティーしよ!」

 コーが明るい声で提案した。

「ええ? 今から?」

 アスナが驚いて目を丸くしながら聞き返した。

「ちょっとだけ! きっと団長がいいドリンクを出してくれるよ!」

「いいだろう」

 コーの笑顔にヒースクリフは苦笑するとメインメニューを操作して何やらボトルを2本実体化させた。

「おぉ。酒だ!」

 ゴドフリーが身を乗り出して、ヒースクリフが手にしているボトルを覗き込んだ。

「こっちは未成年用。こっちは大人用だ」

 ヒースクリフはニヤリと笑みを浮かべてボトルをそれぞれ掲げながら説明した。

「あー! 年齢差別はんたーい!」

 コーが口をとがらせて抗議の声をあげた。

「おこちゃまはジュースな」

 ゴドフリーが哄笑しながらコーの頭をガシガシと力強くかきまわした。

「こら! 僕はアラン君じゃないぞ!」

 コーが笑いながらゴドフリーの手を払いのけた。

「コートニーちゃん。それはないよぉ」

 アランの情けない声で幹部会議室が笑いに包まれ、宴が始まった。

 

 

 

 コーが言う≪ラフコフ討伐記念パーティー≫はみんなが徹夜明けで居眠りする者が続出して、1時間も経たないうちにお開きになった。

 コーは宴の間ずっと笑顔を振りまき、私をほっとさせた。右手が動かない事を受け止め、これから未来の事を考えているその姿に私は尊敬の念を抱いた。

 ヴィクトリアを失っているので、私たちは歩いて自宅に戻った。

 玄関の扉を開いて中に入ると、私はほっと一息をついた。いろんな事があった。本当に長い一日だった。

 私たちは睡眠のため寝室に入り、パジャマに着替えた。

 コーがいきなり私の前に回りこみ抱きしめてきた。

「コー?」

「ごめん。頑張りすぎちゃった」

 コーは私の腕の中から私を見上げ、一筋の涙が頬を濡らした。「なんで、こうなっちゃったのかな。本当に僕の身体は大丈夫なのかな? こんなの嫌だよ。怖いよ」

「コー」

 私はコーを励ますように抱きしめた。

 震えるコーの体が心なしか、いつもより小さく感じられた。

 私はコーを誤解していた。彼女は右腕が動かないという事を受け止めきれてなどいなかったのだ。私は自分の愚かしさに苛立ちながら強くコーを抱きしめた。

「ジークをしっかり抱けなくなっちゃった」

 コーは左腕だけで私を抱きしめ、涙声で途切れ途切れになりながらそう言うと一気に泣き崩れた。

「私がコーの分まで抱きしめてあげる」

 私はコーを抱き上げてゆっくりとベッドに寝かせると隣に寄りそった。「今日はゆっくり寝て。ずっと私がそばにいるから」

「うん。ありがとう」

 コーはすがりつくように私の胸の中で泣き続けた。

 私はコーを抱きしめながら「大丈夫だよ」と囁きながら彼女が寝付くまで何度も頭を撫でた。

 

 目を覚ますと、私は白く柔らかい空間に包まれていた。コーを胸に抱いて寝ていたはずなのに、いつの間にか私が甘えるように彼女の胸の中で眠ってしまったらしい。

 私はいつもそうだ。この世界に来てからずっとコーに甘えて生きている。もっと、もっと強くならなければ。コーが安心して笑えるように、甘えられるように。

 私はコーが目を覚まさないようにそっと彼女の胸から抜け出した。そして、全ての素肌があらわになっている彼女に柔らかくタオルケットをかけた。

 時間は夕方になっているようだ。部屋の中が夕日でオレンジ色に照らされている。

 今は眠れそうもない。コーが目を覚ますまでそばにいよう。

 私はコーの隣で横になって、彼女の寝顔をじっと見つめた。とても安らかな寝顔に私の頬が緩む。コーが生きていて本当に良かった。たとえ、右腕が動かなくても言葉を交わせる。ぬくもりを感じる。彼女のためなら私は何だってできる。

 その時、玄関の扉がノックされる音がした。

(こんな時間に誰だろう?)

 私はコーが起きないようにゆっくりと身を起こして玄関に向かいながら、メインメニューを操作して室内着に着替えた。

「はい?」

 と、扉を開けるとそこにはアスナとリズベットとルーシーレイがいた。

「こんちゃー」

 リズベットが明るい声で微笑んだ。「コーにプレゼント持ってきたんだけど、いる?」

「こんにちわ」

 ルーシーレイは穏やかな笑顔で小さく頭を下げた。

「ごめんね。ジークリードさん。明日にしようって言ったんだけど、リズがどうしてもって言うもんだから」

 アスナが両手を合わせて言った。

「アスナだって早い方がいいって言ってたじゃん」

 頬を膨らませてリズベットはアスナの小脇をつついた。

「とりあえず、上がってください」

 私は3人をリビングに通して、コーが寝ている寝室へ向かった。

「コー?」

 私が寝室を覗くと、コーは右手を左手で支えながらメインメニューの操作をして着替えていた。

「アスナとリズの声が聞こえたけど」

「うん。あと、ルーシーレイさんも来てるよ」

 私はそう言いながらコーに手を差し伸べた。

「ありがとう」

 コーはにっこり笑ってわたしの手を取ってベッドから立ち上がった。そして、小走りでリビングに向かった。

「ごめんねー。起こしちゃって」

 リズベットがコーの姿を見て笑顔を向けた。

「ううん。ちょうど起きようと思ってたから」

 コーも微笑み返しながら左手を振った。そして、リビングのソファーを指差して言葉を続けた。「みんないらっしゃい。立ってないで座って、座って」

「じゃあ、私はお茶をいれるよ」

 私はそう言い残してキッチンに向かった。

「ごめんね。ありがとう」

「いいよ。コーも座ってて」

 私はお茶の準備をしながら言った。

「で、どうしたの? みんなそろって」

 コーがそう問いかけると3人は顔を見合わせた。

「えっと……」

 中央に座っていたリズベットがメニュー操作をして大きな箱を実体化させた。「アスナからコーの事を聞いたんだ。これ、試しに使ってみて!」

 テーブルに置かれたのは鏡が中央にはめ込まれた大きめの箱だった。

「何? これ」

 コーは机に置かれた箱を見つめて尋ねた。

「ミラーボックスっていうの」

 ルーシーレイが立ち上がってコーの隣に移動して座るとコーの手を箱に開けられた二つの穴にそれぞれ通した。「あたしのおばあちゃんが脳梗塞で倒れた時にリハビリでこういうのを使ってたのよ。効果あるか分からないけど、リズベットさんと二人で作ったの」

「へー」

 コーは興味津々で手を入れた箱を角度を変えながら見た。「どうやって使うの」

「こうして、鏡の角度を調節して映ってる左手と右手を重ねるの」

 ルーシーレイは鏡を動かした。すると、鏡の中の左手が箱の中に隠されている右手と重なるように見えた。「そして、左手を動かして右手がうまく動いているように脳に錯覚させるの」

「ああ! なるほど!」

 コーは明るい声で左手を動かした。「なんか面白い!」

「で!」

 ルーシーレイがお茶を並べ終わった私の手を取って、コーの右手に持って行った。「ジークリードさんはコートニーちゃんの動きに合わせて手を動かしてあげるの」

「なるほど」

「ゆっくり、グーパー。グーパー」

 ルーシーレイは優しい口調でリズムをとりながら促した。コーが動かす左手の動きに合わせて私は彼女の右手を動かした。「そう上手上手。あと、指折りとかやってみるといいかも」

「ありがとう。ルーシー」

「ううん。お礼を言わなきゃいけないのはあたしの方」

 ルーシーレイは頭を振ってコーの肩に手を乗せた。「ありがとう。コートニーちゃんのおかげであの人の死は無駄じゃなくなった」

「僕だけの力じゃないよ」

 コーは左手をミラーボックスから出して、ルーシーレイの手に重ねた。

「けど、コートニーちゃんの手が……」

 ルーシーレイの声が震え、ついに耐え切れずに涙を流した。

「泣かないでよ。こんなの、大したことじゃないんだから。……でも、ありがとう。こんな僕のためにこんな立派なものを作ってくれて」

 コーは泣いているルーシーレイの手を握りしめて笑顔を浮かべ、リズベットに視線を向けた。「リズもアスナもありがとう」

「いいって、いいって。コーにはいつも元気を分けてもらってるからさ!」

「うん。わたしもコーから元気と笑顔をもらってる。こんな事になっても頑張ってるんだから、コーはすごいよ」

 リズベットとアスナが優しい目でコーを見つめた。

「僕はすごくなんかない。僕は……」

 コーは二人からの視線をそらすようにうつむいて言葉を飲み込んだ。

 私はコーの右手をミラーボックスから出して彼女の膝の上にそっと置いた。

「コー。自分の気持ちを言っても大丈夫だよ。みんなコーの友達なんだから」

 私はコーの頭を撫でながら促すと、コーは小さく頷いた。

「ごめんね。みんな。僕はそんなに強くない。本当は怖い。自分の身体が今、どうなってるのか想像すると怖いんだ」

 コーの涙がぽつりぽつりと床に落ちた。「右腕が動かないなんて嫌だ。なんでこうなっちゃったのかな? これじゃ、戦えない。僕は生きてるだけの役立たずになっちゃった」

「コー! わたしたちはあなたがどうなっても離れていかないわ」

 いち早く動いたのはアスナだった。アスナは身を乗り出してコーの右手を取って両手で包んだ。

「うん。今度はあたしがコーに元気を分けてあげる!」

 さらにリズベットも身を乗り出してその手を包む。

「あたしも。コートニーちゃんから生きる勇気をもらったから」

 ルーシーレイがその手を重ねた。

「ありがとう。ありがとう」

 コーは声を詰まらせながら左手を重ねて額をこすりつけた。

 本当にコーは友人に恵まれている。今は打ちのめされて泣き崩れているけど、みんなに支えられていつかまたすべてを明るく照らすような笑顔を見せてくれる。

 コーはみんなにとっての太陽だ。今はちょっと沈んで夜になっているけれど、いずれ朝が来てまぶしい光とぬくもりを再び私たちに与えてくれる。

 私はコーの背中を撫でながらそう信じた。

 




第67層のボス攻略を前にコートニーは攻略組から外れることになりました。
第67層と言えばヒースクリフ曰く「苦しい戦いだったな。危うく我々も死者を出すところだった」と述べるほどの難関でした。コートニーがいればもっと楽になっていたのかも知れません(?)

血盟騎士団でなんとなくムードメーカー的役割になっていたコートニーが抜け、雰囲気が変わっていきます。
アインクラッドの残りカレンダーはあと3か月です。
今の構想では本編3話、後日談1話ぐらいを予定しています。(気分屋なので増減があるかもしれません)

あと、寝る前は寝間着だったのに、アスナたちが来た時になんで裸になってるんだい? 君たち……。R-18のにおいがするじゃないか(ぁ)

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