ヘルマプロディートスの恋   作:鏡秋雪

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第5話 私のお気に入り【ジークリード3】

 アニールブレードを手に入れた翌日の朝。ツインルームのベッドに並んで座りながら私たちはスキル枠について話し合っていた。

「≪薬学≫?」

 私はそのレアなスキルの名を聞き返した。

「うん。レベル5になってまた一つスキル枠が増えたじゃん。ちょっと迷っているんだけど、どーかなーって思って。相談」

 コーは私の左隣から私を見上げながら聞いてきた。

 美女は三日で飽きるなんて言葉を聞いたような気がするが、あれは嘘だ。ソードアート・オンラインに囚われて今日で三日目だが、近い距離でコーと視線がぶつかると同性の私でも不整脈になりそうだ。私は気持ちを落ち着かせ、考えをまとめるために視線を前の床に落とした。

 今のスキル枠は四つ。次にスキル枠が増えるのはレベル10。ということは第一層か第二層の前半まではこのままのスキルで戦うことになる。だからここでの決定はかなり重要だ。

 私のスキルは≪片手剣≫≪盾≫≪鍛冶≫≪戦闘時回復≫。≪戦闘時回復≫は戦闘中にヒットポイントが自動的に回復するスキルだ。スキルが低いうちは回復ポーションにはるかに及ばないが、スキルが上がって行けば結構バカにならない回復力になる。前衛必須のスキルだ。コーもこの構成に賛成してくれた。

 一方。コーのスキルは≪投擲≫≪索敵≫≪槍≫。もう一枠をどうするかだ。

 無難に行くなら≪戦闘時回復≫だろう。今は効果が薄いが早いうちからスキルを上げて行けば生存率を高めてくれる。ヒットポイントがゼロになったら現実でも死ぬと言われているこの世界では何よりも生き残る事が先決だ。だが、スキル上げに時間がかかる。今から修行を始めても目に見えてその恩恵にあずかれるのはレベル10以降だろう。

 ≪薬学≫を取るメリットは自分で回復ポーションや解毒ポーションなどの各ポーション類が自作できるようになるという所だ。スキルが低いうちはそれほど効果が高いポーションは作れないが、NPCが販売しているポーションレベルぐらいは少し修行すれば作成できるようになる。ポーションの材料はNPCも売っているし、フィールド上にも自生している。これらを使って自作すると店売りの半分以下のコストで作る事ができる。

 昨日の戦闘でもそうだが、回復ポーションは序盤では結構痛い出費になるため、ヒットポイントがイエローゾーンに入った時に使用することになる。ポーションは効果が表れるまで時間がかかるため、最悪の場合、手遅れになる可能性がある。けれども、自作できるとなればヒットポイントが少し減った時点でポーションを気軽に使うことができる。という事は生存率が格段にアップすることになる。

 一方、デメリットもある。

 ここアインクラッドの二層以降では回復結晶というアイテムが売られるようになる。これはポーションと違って効果がすぐ現れ、回復効果も高い。死にかけててもいきなりマックスまで回復させる回復結晶も存在する。値段も高いが、四層以降の収入が安定した時期になればそれほどの出費に感じなくなる。この時、≪薬学≫はいわゆる『死にスキル』になるのだ。

 ベータテスト当初は≪薬学≫は流行したが、そういった事情が明らかになると誰も取らないソードアート・オンラインの死にスキルの一つに数えられるようになった。

 どうせ使わなくなるスキルならこの先ずっと役に立つ≪戦闘自動回復≫スキルを選んだ方がいいかもしれない。だが、序盤の≪薬学≫のメリットも捨てがたい。

「どう……かな?」

 思考の大海で泳いでいた私を引き戻すようにコーが聞いてきた。

 コーも同じように考えたのだろう。だから悩んでいる。これがデスゲームでなければ『とってみれば?』の軽い言葉で決められるが、今は命がけだ。

「私には……決められない。ひょっとしたら、コーの命を左右する事に口出しなんかできない」

 私はその重荷から逃げ出した。真剣に聞いてきているコーに応える事が出来なかった。

 卑怯者。と自分を罵った。

 ぽんぽん。と、コーが私の左膝を叩いて立ち上がった。

 私が視線を向けると、コーは明るい笑顔を私に向けた。

「ありがとう。ジーク。真剣に考えてくれて」

 コーは向かいの自分のベッドに腰掛けた。「決めた! 僕、≪薬学≫取る! 今日ははじまりの街に行ってNPCに教えてもらうよ」

 生産系のスキルは該当するNPCに100コル渡すとスキルの熟練度20まで教えてくれる。熟練度のマックスは1000だから微々たるものだが、修行のコストを考えると20とはいえNPCに教わった方がいい。

 だが、この小さなホルンカの村には薬学を教えてくれるNPCはいない。薬学を教えてくれるNPCがいるもっとも近い場所は始まりの街だ。

「わかった。今日ははじまりの街にいこう」

 私は頷いて右手を下に払ってメインメニューを呼び出して準備を始めた。

 

 はじまりの街に戻る途中、私たちは途中の毒バチが大量に湧くポイントに寄ってみた。

 もし、レベル1で戦えば即死級のダメージがレベル5になった今、まさに『蚊にさされた程度』のダメージだった。相手はハチだけれど……。

 二十分ほど毒バチと戯れた後、一時間かけて私たちははじまりの街に到着した。

「だいぶ、強くなってるね。僕たち!」

 コーはクスクス笑いながらはじまりの街の門をくぐった。

「油断は禁物だよ。さっき、毒ダメージで一瞬、イエローまで行ってたじゃない」

 本当にその時はビックリした。

「あれは実験だよ、実験。毒でどのくらいヒットポイントが減るかの」

 クスクスと笑いながら勝手知ったるはじまりの街の中を駆け足で移動し、薬草屋の扉をあけた。

 コーはメインメニューで薬学をスキルスロットに設定した後、薬剤師に話しかけた。

「薬学を教えて」

「いらっしゃいませ。お嬢さん。薬学の初歩は100コルで学べますよ」

 コーはNPCに100コルを支払った。

 私の目には変化は分からない。

「どう?」

 と尋ねると、コーはスキルウィンドウを確認して頷いた。

「OK。ちゃんと20になってる」

「これからどうする?」

「ジーク。僕のアニールブレード、欲しい?」

「んー」

 アニールブレードは初期としては優秀な武器で第三層の迷宮区まで使える優れモノだ。結構、耐久度も高い。鍛冶スキルを取って自分で耐久回復ができるようになった今、二本目は必要ないだろう。「いらないかな。今持ってるので三層までいけそうだし」

「だよね。売ってお金にしようかな」

「いいんじゃない。NPCに売っちゃっても」

「プレイヤーに売ってみようかな。その方が高く売れるかも」

 コーはそう言うや否や走り出した。

「ちょっと、コー」

 まったく、閃いたら一直線の子だ。そんなコーが可愛らしくて思わずクスリと微笑んでしまう。

 コーの後を追うと、彼女は武器屋に入って行った。私が武器屋の扉を開けるとコーが出てきた。

「NPCに売っちゃったの?」

「ううん。NPCに売った時の金額を確認したんだ。2000コルだった」

「結構大金だね」

 私はその金額の高さにちょっと驚いた。2000コルと言ったら初期の所持金と同じである。

「じゃ、4000コルで売ろうかな」

「え? そんな金額で売れるの?」

「高いかな?」

「だって、今日で三日目だよ。そんなに稼いでるプレーヤーっているのかな?」

「大丈夫だよ!」

 コーは力強く頷いた。だが、直後に自信がなくなったようだ。「多分……」

「まあ、銀行前に行ってみる?」

 私がそう聞くとコーは頷いて走り出した。そう言えばベータテストの時も、コーはいつも移動はダッシュだった。ものすごくせっかちな性格なのかもしれない。

 私はコーを見失わないように後を追った。

 

 コーは銀行前に座って、バザー表示を頭の上に出した。頭の上に鮮やかな色で『売ります!』の文字がゆっくりと回る。

 これは結構、恥ずかしい。私はこの時、バザーで物を売るのはやめようと心に誓った。

 コーと少し離れた場所に座って、私は周りを観察した。

 銀行は中央広場とNPCの商店街をつなぐ位置にあり、人通りが多い。はじまりの街周辺の青イノシシ討伐のパーティー募集の掛け声があちこちから聞こえた。

 茅場の宣言から私のように危険を嫌って街の中に閉じこもろうという人ばかりではないのだ。人間は思ったより楽天的で逞しい存在なのかもしれない。

「ねージーク。なんで、そんなに離れて座るのさ」

 『売ります!』表示をくるくる頭の上で回しながら、コーはいたずらっぽい笑みを浮かべて話しかけてきた。

 わかってるくせに。

 私は声に出さずにため息で返事した。

「ねーねー」

 コーはクスクス笑いながら、私の隣ににじり寄ってくる。

「わかってるくせに」

 今度はちゃんと言葉にしてコーから離れようと私は立ち上がった。

 そんな私を見てコーはケラケラと笑った。

「ちょっと、買い物してくる」

 私は行くあてなどなかったがコーを置いていくことにした。

「待ってー。置いてかないでー」

 コーが私の足にしがみついてくる。

 周りのプレーヤーたちが奇異の目で、あるいはクスクスと笑いながら私たちを見始めた。

 いけない。これではいい晒し者だ。私は観念して腰を下ろした。隣を見るとコーは満足したのか今度は天井を見上げて……いや、一人のプレーヤーを見上げていた。

「お嬢ちゃん。その剣。見たことがないんだが、どういうものなんだ?」

 上から降ってきたその声の出所に目をむけると、日本人とは思えない体躯の男がいた。

 身長はゆうに180センチを超えているだろう。筋骨隆々で浅黒く、スキンヘッドに豊かなあごひげを蓄えており一昔前の悪役レスラーのような顔立ちだった。年齢は二五歳ぐらいだろうか? 私以外のプレーヤーが元の姿に戻されたこの世界にこんな姿のプレーヤーがいる事に驚いた。おまけにその巨体にふさわしい斧まで背負っている。このままモンスターとしてフィールドに湧いてもまったく違和感がない。

「これはねー」

 コーはそんな姿に臆することなく、アニールブレードの説明を始めた。

「なるほど。でも、4000コルは高いんじゃないかな? 2000コルでどうだ」

 その男はふんふんとコーの説明を聞いた後、鋭い視線で値切り交渉を始めた。

 私はハラハラしながらコーを見た。彼女はまったく表情が変わっていない。肝が据わっているというか、胆力は大したものだ。

「冗談でしょ。2000コルならNPCに売った方がマシだよ。買う気がないなら帰って、帰って」

 うわー。強気だ。こういう交渉事が苦手な私にはバザーはできないと再認識した。

「そうかい。でも、ここのプレーヤーはほとんど初期資金しか持ってないぜ。4000コルじゃ、売れないだろう。3000コルと……そうだな。お嬢ちゃんはなんか生産スキルを持つ予定はないかい? 多少原料を融通できるかもしれねぇ」

 斧男はグイッと顔をコーに近づけて言った。眼力50%アップ。私だったら泣いて逃げ出すレベルだ。

「4000コルだよ。はい、残念」

 コーは涼しい顔で軽く受け流す。「でも、今、薬学を取ったんだ。おじさん薬草の人参持ってる?」

「人参か。さっき、木材収集のついでに拾った奴が500ぐらいある。2500コルと500の人参でどうだ?」

「なんでさっきより金額が下がってるのさ。3500コルと500の人参なら考えてもいい」

「おいおい。500の人参は結構NPC売りでもいい値段が付くんだぜ」

 斧男は500の人参を実体化させながら言った。

 二人はそれから五分ほど交渉を続けた。結果、3050コルと500の人参で交渉が成立した。500の人参はNPCに売れば1000コルになるだろうからコーも納得したのだろう。それでも3000コルから3050コルに引き上げさせたコーの手腕は大したものだ。

「お互い、いい取引だったな。また頼むぜ」

 斧男はそう言うと、メニュー画面を操作した。すると、コーの目の前に何やら表示が出た。

 コーはそれを見て考え込んでしまった。

「どうしたの?」

 私が覗き込むとそれはフレンド申請の確認ダイアログだった。

「お嬢ちゃんはベータテスターだろ? これからもなんかいいアイテムがあったら売ってくれよな」

 斧男はニヤリと笑いながら、さあ≪OK≫を押せと顎で促した。

 フレンド機能は個人あてのメッセージが送れたり、相手の現在位置が分かったり、何かと便利な機能だ。だが、迷惑メッセージを送ってこられたり、ストーカー行為をやられたりする可能性がある。その時にフレンドを切ればいいが、どうせなら最初からフレンドにならず、そういうトラブルを避けたいと思うのは自然だ。

「フレンド登録は私としませんか?」

 私は無意識のうちに立ち上がって、コーと斧男の間に入って言った。「コーと……。この子と私はずっとパーティーを組んでますから私とフレンド登録しても一緒ですよ」

 斧男は私の申し出に『おっ?』という顔を見せた。

「こりゃー失礼。専属のナイト様までいらっしゃったのか。俺はそれでもかまわんぜ」

 斧男はぺたりと自分のスキンヘッドをひと撫ですると、高笑いをして私にフレンド申請をしてきた。どうやら、彼の名前はエギルというらしい。即座にOKを押すと私の肩をバンと叩いた。「これからもひいきにしてくれよな! 兄ちゃん!」

 高笑いをしながら、エギルは銀行に入って行った。

「ありがとう。ジーク」

 コーは私を見てにっこりと微笑んだ。

「いえいえ。どういたしまして」

 照れくさくなって、私はコーから視線を逸らせた。「売れたね。この後どうする? ホルンカに戻る?」

「そだね」

 コーはぴょこんと立ち上がった。「その前にこのお金を銀行に預けて来るね」

「うん」

 銀行の入り口で先ほどのエギルとすれ違った。視線が合ったので、私は頭を少し下げてお辞儀を返した。

「あ、そうだ。兄ちゃん」

 すれ違いざまにエギルが私に話しかけてきた。「あんた、初日からそのホルンカの村とやらに行ってたのかい?」

「うん」

「じゃあ、黒鉄宮にいってみるといい。ベータテストで≪蘇生者の間≫だったところに石碑が置かれたんだ。知ってるかい?」

「石碑?」

「ああ」

 エギルは苦虫をかみつぶしたような表情で言葉を継いだ。「全プレイヤー名簿さ。死んだ奴にはご丁寧に横線を引いてくれる」

「なんですか、それは」

「百聞は一見にしかず」

 エギルはいい表情でニヤリと笑って手を振った。「それじゃあな」

 

 私とコーはエギルが言っていた石碑を確認するために黒鉄宮の蘇生者の間に入った。

 教会の大聖堂のような広間。窓からこぼれる柔らかくかすかな光が神聖さを増幅し荘厳な雰囲気を醸し出す空間の中央にその石碑があった。

 ベータテストの時に私もコーも幾度となくお世話になった場所だ。ベータテストの時はその名の通り、死んだプレーヤーはここで蘇生し再びフィールドへ走って行った。それが、今では巨大な石碑が鎮座していた。

 高さは150センチほど。幅は20メートルはあるだろうか。その表面にプレーヤーの名前がアルファベット順にぎっしりと刻まれている。

 私たちは無言のまま少し離れてそれぞれの名前を探した。

 あった……。『Siegrid』もちろん、横線は入っていない。しかし、すぐ近くの『Siegmund』の名には二本の横線が横切っていた。そこに視線を合わせると『11/7 11:34 打撃属性ダメージ』という文字がポップアップした。どうやらご丁寧に日時と死因を表示してくれるらしい。

 私は石碑全体を眺めた。ちらほらと横線がみうけられる。ゆうに二〇〇は超えているだろう。たった三日でこれだけのプレーヤーがすでに命を落としているのか……。この横線の引かれた名前の中には昨日のMPKもいるのだろう。

 いつか、これが私の墓標になるかもしれない。ぞくりと背筋に言いようのない悪寒が走り抜けた。

 私は不安になってコーの姿を探した。

 コーは自分の名前『Courtney』をそっと撫でていた。蘇生者の間のささやかな光がただでさえ儚げな彼女の姿を今にも消してしまいそうな、そんな妄想に私は捕らわれた。

 消えないでほしい。そんな思いでコーの右肩にそっと左手を乗せる。しっかりとしたその感触に私はほっとする。

「ジークの名前に線なんて引かせない。絶対」

 コーはそう言いながら、私の左手にそっと自分の左手を重ねてくれた。

 ほのかな温もりが私の左手に灯る。全身を駆け巡っていた不安がその温もりに溶けていく。

「いこ」

「うん」

 小さく微笑むコーに私も微笑みを返しながら、蘇生者の間の扉を開けた。

 血相を変えた初期装備の男が開けた扉から飛び込んできた。

 思わず振り向いてその男を視線で追うと、コーが私の左手を握って強引に蘇生者の間から引っ張り出した。

「なに?」

 と、聞いてみたがコーは小さく首を振った。

 閉じていく扉の向こうから慟哭が聞こえた。また、一人。恐らくあの男の仲間が……。

 私たちの間は重い沈黙に支配された。

 

 黒鉄宮を出て中央広場を抜けると、先ほどアニールブレードを買い取ってくれたエギルが『売ります!』表示を出しながら剣士と話し合っていた。恐らく、商談をしているのだろう。

 近づいて売ってる商品を見ると『アニールブレード 5000コル』と表示が現れた。途端にその表示が消えた。

「ありがとな。また頼むぜ!」

 エギルはガハハと笑いながら相手の剣士の肩を叩いた。剣士はため息をつきながら片手を振って去って行った。

 5000コルで売れたんだ……。すごい。

 その交渉能力に感心していると、私の隣にいたコーがどすどすとエギルに近づいていく。何となく、暗黒のオーラを身にまとっているような……。

「このハゲオヤジ! なに、転売してんだよ!」

 コーは今にも掴みかからんという勢いでエギルに突っかかった。

(えーーーーーっ! これでキレちゃうの?)

 確かに転売はあまり気分がいい物じゃない。特に自分が売った値段より高く売り抜けてるとあれば怒りも理解できるが、ここまでキレる事ではないと私は思った。

「おいおい。安く仕入れて、ちょっと利益を乗せて売るのは商売の基本だろ?」

 エギルはあまりのコーの勢いに辟易したようでその巨体に似合わずおろおろしていた。

「ちょっと? 2000コルも儲けるなんてぼったくりだよ!」

 人参分をすっかり横に置いて、コーは激しく抗議した。

「そんな事言ったってよお。お嬢ちゃんも納得して俺に売ってくれたんだろ? さっきのあいつも納得して俺から買ってった。問題はないだろう?」

 エギルは困ったように綺麗に剃りあげられた頭を撫でながら、ちらりと私に視線を向けた。

(助けてくれよ)

 その視線はそう訴えていた。

 この場合、エギルの方が正しい。転売自体は違法行為じゃないし、彼のような商人プレーヤーは限られたアイテムストレージの中でやりくりして売買するのだ。私たちのようなフィールドプレーヤーとは違う苦労がある。利ザヤは彼らにとっての生命線だ。

「コー。落ち着いて」

 私はコーの後ろから腕を回してエギルから引き離した。

 するとコーの目の前に『ハラスメント行為を受けています。≪引き離す≫≪監獄エリアへ送る≫』の表示が赤いダイアログで表示された。

 コーの白い指が迷いなく≪監獄エリアに送る≫へ伸びる。

 エギルはコーのその行動を見て目を剥いて驚く。

(えーーーーー!)

 私は思わず目を閉じて、監獄エリアに飛ばされる衝撃に備えた。

 だが、その衝撃はやってこなかった。

「ジーク。離して。もう大丈夫」

 そういうコーの声に抑揚がない。まだ、怒っているのだ。それも、相当……。

 目を開けてみるとコーは左手をぶんと左に払ってハラスメントコードの表示をキャンセルで消していた。

「離してって、言ってるでしょ」

 コーが再び平坦な声で言った。暗に次はないよと告げている。あわてて私は手を放した。

 すると、コーは何も言わずにすたすたと歩き始めた。

 私は心の中で深いため息をつくとその後を追った。

「兄ちゃん」

 歩きだした時、エギルが声をかけてきた。すると目の前にトレード表示がポップアップした。そこには人参50が表示されていた。

「え?」

「俺のおごりだ。サンキューな。この人参はあんたらの関係修復に使ってくれ……これくらいじゃ足りないかもしれないけどな。グッドラック」

 エギルはニヤリと笑って親指を立てた。見かけによらず結構、いい人だ。

「ありがとう」

 私はその好意に甘えてトレードを受託した。

「兄ちゃんとフレンド登録してよかったぜ。またな」

「はい。私もです」

 私は小さい笑顔で手を振って、すぐにコーの後を追った。

 

 街の出口でようやくコーに追いついた。

「えっと……コー?」

 恐る恐る声をかけてみる。

「ホルンカまで話しかけないで」

 コーの声は冷たい。まだ怒りは収まっていないようだ。けれど、『ホルンカまで』と言った。きっと、それまでに気持ちを落ち着けるつもりなのだろう。

 私は小さく息を吐いて、コーの後について行った。

 コーがこんなにキレる事はベータテストでも何度かあった。

(PKに襲われた後なんてすごかったな)

 コーはPKに殺されて、蘇生すると、怒り狂ってそこらじゅうのモンスターを倒しまくった。それでも収まりがつかなかったのか、その日のうちに件のPKに戦いを挑み、PKを道連れに大量の爆弾で自爆した。その後、蘇生した時の彼女の笑顔と言ったら……。

 私はクスリと心の中で笑った。

 ベータテストの時、彼女のアバターは小学生ぐらいの女の子だった。あれはやんちゃで気分屋の彼女にぴったりのアバターだったかもしれない。当時の私はその姿と行動に母性本能くすぐられまくったものだ。

 私は少し足を速めてコーの右隣に並んで、その表情を見た。

 奥歯をかみしめて前をじっと見つめている。私と同じぐらいの年齢だと思っていたが、よく見ると幼さも残している。一つか二つ年下なのかもしれない。

 とても整った恐らくアインクラッド一の美少女なのに、心の中はやんちゃで気分屋で少年のような心を持っている。そんな彼女に私の心は魅了されている。

 こんな彼女の心を私はこのアインクラッドで唯一理解してあげられている。ひょっとすると現実世界を含めても彼女の心を理解してあげられてるのは自分かも知れない。

 そう思うと、心がはずんだ。

 怒りを秘めながら歩くコーの隣にいるというのに私は幸せいっぱいになっていた。

 

 ホルンカの村に入ったのはゆっくり歩いたため、夕方だった。視界の隅に安全圏内に入ったというシステムメッセージが流れてすぐに消えて行った。

 コーは突然立ち止まると、私に深々と頭を下げた。

「ごめん!」

「え?」

 ずっと幸せいっぱいで歩いていた私はコーが何を謝っているのか理解するまでに数秒を要した。「あ、ああ。大丈夫。気にしてないよ。私」

「怒ってない?」

「全然。全然」

 私は手をぶんぶんと振る。

「ごめんね。頭に血が昇って突っ走っちゃって……」

 コーは目を伏せた。「怒ってジークがどこかに行っちゃったらどうしようかと思った」

「どこにも行かないよ。だって、私はコーを……」

 私はそこまで言って言葉を飲み込んだ。

 危ない危ない。雰囲気に飲まれて言ってしまいそうになってしまった。

「コーを?」

 コーは伏せていた目をキラキラと輝かせながら私を見つめてきた。

(ドキューン!)

 私のハートを撃ち抜かれる音が聞こえたような気がした。コーの瞳は破壊力抜群だ。顔全体が熱っぽい。多分、今、私の顔は真っ赤に染まっているだろう。

「コーを……なに?」

 私が固まっている間にコーは真剣な表情で容赦なく追い打ちをかけてくる。

 私は頭の中の貧相な国語辞典を全力でめくった。『愛してる』『大好き』『恋してます』『抱きしめたい』そんなNGワードばかり頭にめぐる。

 だめじゃん、私!

「えっと……。私はコーを気に入っているから……」

 ようやく、出てきた無難な言葉を口にするとコーはにっこりと微笑んで、私の両手を握った。

「僕もジークを気に入ってる!」

 叫ぶように言った後、コーは私の両手を握手のようにぶんぶんと上下にふった。「ありがとう!」

 私の手を放した後、コーは上機嫌で歩き始めた。

「今日の夕食と宿は僕が全部おごるね!」

 弾むような楽しげな声でコーは宣言した。

「じゃあ、いっぱい食べちゃおうかな!」

「おう! 任せとけー!」

 コーはぽんと胸を叩いて笑った。

 私はコーを気に入っていて。コーも私を気に入ってる。

 私はコーと一緒にいたくて。コーも私と一緒にいたいと思ってくれてる。

 なんて恵まれているのだろう。こんなデスゲームの中、初日からこんなに私を信頼してくれる人がすぐ隣にいる。

 今日はコーの真似をして食事前に神様に感謝してみようかな。そう思いながら私は食堂の扉を大きく開けた。




リア充め! 爆発しろ!#”$!”

すみません。取り乱しました。
今回の≪薬学≫については原作に全く出てきません。完全に私の妄想スキルです。
川原礫先生がどういうゲームをイメージしてソードアート・オンラインの世界を作り上げているか存じ上げませんが、私はウルティマオンラインのイメージで作っています。
できるだけ原作世界と齟齬がないように書いていくつもりですが、これからいろいろとでてきちゃうだろうなあ。

原作でもちょこちょこ登場するエギルさんを出してしまいました。
原作を読んでいる人にも違和感が出ないようにこれからも書いていきたいと思います。
今浮かんでいる、頭の中のストーリー上では血盟騎士団のメンバーはほとんど登場するので原作イメージブレーカーにならないようにがんばります。
あー、このキャラだったらこういうのありだよねーって思ってもらえるように書いていきたいと思ってます。

それにしても、二人のリア充っぷりはすごいですね。この頃のキリトとアスナはどん底の精神状態だったというのに……。なんか、これだけで本編の雰囲気(デスゲームでみんな緊張して暗い)を破壊している気がします(滝汗

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