サイヤ人 in ヒロアカ 作:H & J
職場体験2日目。
ホークスヒーロー事務所に行った彼は、初日と変わらず常闇達と一緒にホークスの後を追いかけていた。
追いかけていると、時々ホークスが彼をチラチラ見ているような感じがしたものの、肝心の本人は特に気にする事もなく敵の後処理係に徹している。
「次、博多駅近くの焼き肉店で酔った客が個性使って暴れ出したと通報が入りました! すぐ止めに行くんで出来るだけ急いでください!」
「了解! 急いで追い付くけん、ホークスは早よ早よ!」
サイドキックの催促と同時に翼を広げ、猛スピードで街の上空を飛行するホークスを眺めながら、彼が敵の拘束、常闇が駆け付けた警察官へ敵の引き渡しを執り行う。
2日目にして、慣れた手付きでテキパキと業務をこなす2人に、様子を見ていたサイドキック達から感嘆の声が漏れる。
「いやぁ、最近の子はほんまに優秀な子ばっかりやなぁ。もうウチの事務所に溶け込んどる」
「確かに。俺らがヒーローになった時は、仕事覚えるのにもっと時間掛かったっていうとにね」
お褒めの言葉は聞いていて気持ちが良いので、素直に礼を言ってありがたく受け取っておく。常闇も彼に続いて礼を言った。
確かに2日目にして、もう随分と数多くの事件の後処理を行ってきた。そうなってくると、彼も常闇も物覚えが凄まじく良いのであっという間に業務に慣れてしまったのだ。伊達に国内最難関の雄英高校に通っていないという事だ。
とはいえ、そんな2人よりもサイドキック達の方がまだ圧倒的に作業効率は良いので、これで天狗になって調子に乗る、という様な事にはならない。
「さて、引き渡しも済んだし急いで行こか。ホークスが俺らを待っとる」
「そうやな。2人とも、まだまだ走るけんしっかり付いて来てね」
「御意」
常闇に続き、彼も静かに首を振って応えた。
こうして4人はホークスが解決した事件の後始末に奔走し、大した変化もないまま2日目の午前が終了した。
午前の業務が無事終了したので、ホークスも含めた全員が昼休憩のために一旦事務所に集合する。
「はい、午前の業務お疲れ様でした。ご飯食べて休憩したらまたすぐに巡回するんで、それまでしっかり休んでください。君達も今の内にしっかり休んでね」
ではお言葉に甘えてしっかり休むとしよう。彼は昼食を取る事にした。
本日の昼食は大盛の博多ラーメンと鉄なべ餃子。実を言うと、ホークスがオススメの店から事前に出前を取ってくれたのだ。ホークス曰く、『せっかく福岡に来たのなら、福岡の美味いもん食べないと損でしょ?』との事らしい。
ちなみに初日の夕飯は水炊きだった。あれも凄く美味しかったのでまた食べたい。
そんな事を思いながら熱々のラーメンを美味しそうに啜る彼を、ホークスはニコニコ顔で遠目に見ていた。だが彼は気付かない。既に意識はラーメンと餃子に向いており、味を堪能する事に集中しているためだ。
とはいえその集中もあまり長くは続かない。あっという間に完食してしまったのだ。底なしの胃袋を持つ彼にとって、大盛ラーメンと餃子だけでは正直量が足りないのだが、ここで追加注文を相手側に要求するのは余計な手間を掛けさせてしまうので却下。業務中におやつを買ってコソコソ食べるか、夜食で足りない分を補給するかのどちらかで対応するしかない。
隣を見ると、常闇が熱々のラーメンを口に近付け、息を吹きかけてから慎重に口に運んでいた。猫舌なのか、食べるのに苦戦している様は見ていて微笑ましく思えてしまう。
そんな視線に気付いたのか、常闇が食べる手を止めてこちらを振り向く。
「……む、どうした? そんな顔でこちらを見て、俺の顔に何か付いているのか?」
見られている事に疑問を抱いた常闇に、理由を正直に話すのも良いかもしれない。ただ余計なトラブルに発展しそうな気がして、出かかった言葉を直前で飲み込む。これ以上人が食事する様を意味なく見続けるのも失礼なので、さっさと出発の準備に取り掛かろう。
尋ねてきた常闇にお茶を濁すと、彼は一旦部屋に戻って休憩を取ることに。
それからしばらくして、皆に呼びかけるホークスの声が聞こえてきた。午後の業務の時間だ。
「はい、皆さん注目。時間も良い感じなんで、そろそろ午後の業務に取り掛かりましょう。各班持ち場について巡回しといてください。俺は先に行っとくんで、決して遅れないように。では解散!」
ホークスの呼び掛けと同時に、先程まで携帯を弄りながら雑談に興じていたサイドキック達の表情が変わる。一瞬で仕事モードに切り替わり、急いでエレベーターに乗り込んでいく。
今更だが、ホークスの事務所で働くサイドキックはたくさんいる。それこそ数十人単位で。そして2,3人で班を作り、班ごとに街中を巡回しているのだ。
何故そのようにしているのか。理由は単純、ホークスが速すぎるからだ。事件、事故が起きた時、ホークスが秒で駆け付けて解決するのだが、その余りの速さにサイドキック達は全員付いて来られない。故に、常に遅れてホークスの元に駆け付ける。しかし、律儀に到着を待っていてはホークスが次の現場へすぐに向かう事が出来ず、業務全体に支障を来してしまう。
よって、事後処理を任せたホークスがサイドキック達に伝えるのは「次の次」、「次の次の次」の目的地だ。こうまでしないとホークスの仕事は成り立たない。これでもサイドキックの方が遅れてしまう事は多々あるのだが。
ホークスが先に向かい、事件を解決する。その事後処理を合流したサイドキック達が請け負う。そして別の班が次の現場へ駆け付け、その間に事後処理を済ませた班が次の次の現場へ先回りする。これがホークスヒーロー事務所の基本的な活動スタイルだ。
改めて考えるととんでもない活動スタイルに驚きを隠せないが、これがこの事務所での普通。作業効率と優先度を考慮すると、この形が一番理に適った方法だと思う。
そんな事を考えながらサイドキック達と一緒にエレベーターへ乗り込もうとした所、突然背後から誰かに肩を突かれた。
振り向くと、ホークスがそこにいた。
「……えっと、急にどうしたのですか? 我々に何か用でも……?」
どうやら常闇も同じく肩を突かれたらしい。
いきなりどうしたのだろうかと疑問に思う2人に構わず、ホークスの口が開く。
「用って程でもないんだけど、このまま皆と一緒に事後処理するだけなのも面白くないかなって思ってさ。せっかくの職場体験だし、色んな事に挑戦してみないとね。だからちょっとしたゲームでもやろうよ」
「ゲーム?」
「そう。今から俺と競走して、俺より先に現場に着いたら好きな物を1個、君らに何でも奢るってゲーム。本当に何でも。食べ物じゃなくても良い。2回勝てば2個、3回勝てば3個、10回勝てば10個って感じで。まあ強要する気はないんだけどさ、ちょっとした余興があった方が楽しいじゃん?」
勝てば勝つほど、より多くの物を強請る事が出来るゲーム。なるほど、実にシンプルな内容だ。しかも何でもだ。これは聞き捨てならない。つい先程、昼食の量に物足りなさを感じていた所なのだから。
隣に視線を向ければ、常闇もやる気に満ち満ちた目をしていた。食べ物に釣られたのか、はたまた純粋に勝ちたいという気持ちからなのかは知らない。だが互いに共通して言えるのは、2人ともこのゲームに乗り気になったという事だ。
「で、どうする? やってみる?」
そのゲーム、喜んで引き受けよう。分かりやすいルールだし、報酬の内容もシンプルで良い。常闇も了承して頷いた。
「決まりだね。2人とも、俺を見失って迷子にならないように気を付けて。ああそれと、くどい様だけど敵との戦闘行為は駄目だからね。よっぽどの事が無い限りは許可出さないから」
その説明は昨日にも聞いたので問題無い。要は接敵しても傍観していろという事だ。仮に目の前で見知らぬ一般市民が敵に殺されそうになっていて、プロヒーローが助けに来なかったとしても、容赦なく見殺しにしろという事だ。
常闇のようなヒーロー科の生徒達には到底看過出来るものではないが、彼にはそれが出来る。微塵の躊躇もなく、一片の後悔もなく、目の前でどんなに惨たらしい死を迎えていたとしても、彼は見殺しにする事が出来る。
何故なら彼はサイヤ人だからだ。この星の人間とは根底から違うのだ。
そんな事情など露ほども知らないホークスが笑顔で言った。
「よし、それじゃあ早速行こうか。よーいドン!」
──1時間後。
「次、北西5km先の大通り沿いで轢き逃げ事件発生したんで、そこの現場に直行してください。こっちは逃走中の犯人追うんでお願いしまーす!」
午後の業務開始から既に5件の事件・事故を解決したホークスが、今しがた到着したサイドキック達に指示を飛ばす。
現時点でホークスとの競走ゲームの戦績は5戦全勝、彼の完全勝利となっている。これで好きな物を5個も奢ってもらえる権利を獲得した。
ホークスに何を奢ってもらおうかとあれこれ考えていると、そのホークスから声が掛かる。
「ぼーっとしてないで次行くよ。ほら早く」
そう告げると翼を広げて颯爽と飛び去って行った。あっという間に飛んでいる姿が小さくなっていくが、何ら問題はない。
彼は舞空術で地面から離れると、次の瞬間にはホークスの数m背後まで超スピードで移動していた。この間0.1秒未満。数百mの距離をほぼ一瞬で移動した事になる。本気とはまだまだ程遠いが、ホークスの後を追うには十分過ぎる速さだ。
その様子を観察していたホークスは、彼に関心を寄せていた。
(……まただ。また気付いたらすぐ後ろを飛んでいる。俺のスピードに平然とついて来ているし、もう1時間以上飛び続けているのに息一つ乱していない。それどころかまだまだ余裕って感じだな)
彼がどのようにしてホークスに勝っているか。その方法は実にシンプルだ。
現場近くまではホークスの後ろをべったりついて行き、現場を目視で確認したら、ホークスの飛行速度を超える速度で現場へ直行する。これの繰り返しである。
単純だが、彼の移動速度を持ってすれば容易に出来る芸当。たとえホークスの方が一歩早く行動に移っていたとしても、彼はその差を一瞬で埋め、逆に追い越してしまうのだ。
これを1時間もされ続けているのだから、当の本人は堪ったものではない。だが、ホークスに悔しいという感情はなく、逆に感心していた。
「まーったく、最近の子は恐ろしか」
そんな2人を遥か遠くから眺める人が1人。
「ハッ、ハッ、ハッ……!」
激しく息を切らしながら歩道を全速力で走る常闇だ。
(あいつはホークスのスピードに追い付いているというのに、俺ときたら……!)
ホークスに勝負を持ち掛けられ、少しでも追い付いてみせるという気概を持って挑んだ。そのはずなのに、現実は甘くなかった。
分かっていた事とはいえ、今の実力ではホークスの後を追うなど到底不可能で、だというのにもう1人は涼しげな顔でホークスと行動を共にしている。この現実が、常闇の矜持に大きな衝撃を与えていた。
「ツクヨミ君、あんま無理せんと」
「それ以上続けると身が持たんばい。一旦休憩しいや」
不安を感じたサイドキック達の呼び止める声が背後から聞こえてくる。だが、それくらいで止まるほど常闇の精神は柔ではない。
「お気遣い感謝します。ですが、もう少しだけ頑張らせてください」
そう言い残すと、再び全速力で駆け出した。その後ろ姿を眺めながら、感嘆の息を漏らすサイドキック達。
「ツクヨミ君、気張ってるなぁ!」
「伸び代やね。もう少しだけ見守っていようか」
情熱に押され、がむしゃらに追い付こうとするヒーローの卵を懐かしい目で見つめる。いつの間にか忘れてしまった挑戦する心に、かつての自分達の姿を思い出していた。
だが、情熱だけではホークス達に追い付けるわけもなく。その日、常闇が2人に追い付く事は終ぞ無かった。
一方、ホークスに余裕で勝ち続けた彼は、最終的に26連続勝利という大挙を成し遂げ、ホークスの財布の中身がすっからかんになるまで博多グルメを堪能したという。
ホークスは青褪めた。
──翌日、夕方。
3日の職場体験となり、彼も常闇もこの事務所の活動体系を完全に覚え、その日の業務も無事に終えた現在。
「はい、それじゃあ時間も良い感じなんで、本日の業務はこれにて終了とします。お疲れ様でしたー」
「「「「お疲れ様でした!」」」」
業務の終わりに必ず行う全員揃っての挨拶をした後は、自室に戻ってゆっくり休憩するだけとなる。
彼も常闇も、そしてサイドキック達も解散して帰路に就く中、ホークスだけが何やら大量の書類を束ねてバックパックに詰めていた。
一体何をしているのだろうか。昨日たくさん奢ってもらった礼があるので、何か手伝える事があれば手伝おうという、彼にしては珍しい気紛れでホークスに尋ねる。
「ん? 何をしているのかって? ああ、これから怖ーいおじさんおばさん達とお話する予定があってね。で、この書類はそのために必要な物なんだけど、今から東京まで来いって言うからもう大変! まあ行くんだけど」
なるほど、恐らく警察や公安の関係者と何かしらの会議をしに行くのだろう。トップヒーローともなると、それくらいあっても不思議ではない。オールマイトも警察の方々と頻繁にお話すると聞いた事があるくらいだ。
しかし、今から東京まで行くとはまた面倒な事だ。ホークスの飛行速度なら3時間もあれば十分だろうが、それでも面倒な事に変わりはない。テレワークでどうにかならないのか。
「そうしたいのは山々なんだけどねぇ……ほら、君も何となく分かるでしょ? テレワークだと結構リスキーなの」
言われてみれば確かにそう。トップヒーローがわざわざ東京へ出向いてまでするお話だ。内容によっては、今後の日本の未来を左右する可能性だってある。テレワークでは情報漏洩する危険性があるため、避けられるリスクは回避するに限る。
ならば手伝う事は何もない。瞬間移動でホークスを目的地まで送っていく事も考えたが、これから大事なお話をしに行く相手に、部外者が不用意に目的地の詳細を聞くのは不躾にも程がある。
結果、ホークスの事情を考慮して、今日もお疲れ様でしたと一言告げるだけに留まった。
「うん、お疲れ様。それじゃあゆっくり休んでね。明日も朝早いし。ああ、心配せずとも、朝までには帰ってくるから」
そう言うと、ホークスはバックパックを背負って華麗に窓から飛び出して行った。そして翼を目一杯広げ、猛スピードで薄暗い東の空へ消えていく。
背後から来る沈みかけの夕日の光が、ホークスの紅い翼を照らし、輝かせ、何とも幻想的な光景を作り出す。
それが見えなくなるまで見送ると、彼は今度こそ自身の部屋へ戻った。
──その日の夜。
晩御飯を食べ終え、いよいよもって後は寝るだけとなった時の事だった。彼の部屋に、突然常闇が入って来た。
一体何事なのかと疑問に思う彼に、常闇自身も非常に困惑した顔で口を開く。
「いや、こんな夜中にすまんが、ちょっと聞きたい事があってだな。……これ、どういう事だと思う?」
疑問と共にスマホの画面を見せてきた。画面に写っているのは1年A組のグループチャットだ。
雑多な会話が続いている中、1つだけ目を引くものがあった。緑谷からクラスメイト全員への送信。内容は位置情報のみで、詳しい説明は無し。1分前に送信されたばかりだが、何事なのかと他のクラスメイトから次々と心配の声が上がっている。
「つい先程、緑谷からこんなものが送られてきた。位置情報だけでそれ以外に分かるものは無し。どういう意味なのか、今考えている所なのだが……」
今すぐこの住所へ近くの警察とヒーローを向かわせるように通報しよう。何がどういう事なのかさっぱりだが、とりあえず困ったら警察に通報で良いと思う。これで何も無かったら、早とちりしてすみませんと誠心誠意込めて謝罪すれば良いだけの話だ。
それに、こういう位置情報だけを送りつけてくる時は、助けを呼びたいけど自分では呼びに行けず、周囲の人にSOSのメッセージを送るので精一杯である状況だと決まっている。物語でよくある展開なので、きっとこれもそうに違いない。いや、そうに決まっている。
「なるほどな。ふむ……」
10割ほど適当な考えで言った彼の意見に、常闇はツッコミも入れず、とても真剣な表情で画面と睨めっこしだした。これには彼も、まさか本気にされるとは思っていなかったため、少々焦りを覚える。
そうして黙り込む事十数秒、常闇が顔を上げた。
「うん、とりあえず警察に通報しようと思う。まだ何の情報も無いが、何かあってからでは遅いからな。お前の言う通り、困ったら警察に頼るべきだろう。ヒーロー志望の俺が言うのもなんだがな」
ヒーローでも困ったら警察に頼って良いと思う。そう思ったが、これはわざわざ口にするような事でもないので黙っておく。
しかし通報すると決めたのなら、早く行動に移した方が良いだろう。
「ああそうだな、早くしなければ。では、俺はこれで失礼する。……話を聞いてくれてありがとう」
静かに部屋を出て自室へ戻る常闇を見送った後、彼はふかふかのベッドに転がり込んで眠りに就いた。
──更に数時間が経ち、深夜2時半を回った頃。
皆が寝静まった真夜中に、突如彼は目を覚まして起き上がった。
ベッドから立ち上がると、寝間着から日中着用しているジャージに素早く着替える。
そして部屋に元から備わっているベランダへ出ると、冷たい夜の風に当たりながらも身を乗り出し、ビルの屋上から勢いよく飛び降りた。
何故彼が深夜にいきなりこんな事をしているのか。その理由は数十分後に明らかになる。
「……ん? あいつ、部屋から出てきやがった。それも1人で。恐らくだが、俺の存在に気付いてるな……!」
彼がビルから飛び降りる瞬間を目撃している者が1名、ホークスヒーロー事務所から数km離れた所に位置するビルの屋上に居座り、双眼鏡で観ていた。
そして、対象が建物から建物へ移動する後を追うように、その者もまた建物から建物へ飛び移って追跡する。
それが分かっているのか、追われている彼の方も定期的に周囲をチラチラと確認しながらゆっくり移動する。まるでついて来いと言わんばかりに。
「昼間にホークスを追ってた時ほどのスピードじゃねえ。しかもこっちがちゃんと来てるか確かめてやがる。こりゃあ確定だな」
そうして移動し続ける事30分。時刻は深夜3時を回った頃、ようやく彼は歩みを止めた。
辺りを見渡せば、光り輝く都心部から随分離れた所に位置する、ただひたすらに木々が生い茂る山奥。人も建物も無く、あるのは山々をすり抜けるように走る1本の細い道路のみ。
いくら大声で叫んでも、いくら個性を使って暴れようとも、ヒーローも警察も来ないどころか、そもそも何が起きたのかすら気付かれない、そんな場所だ。
そこで移動を止めた彼は、後を追って来ている者の到着を待った。
数十秒経ってやって来た。
「はっはぁぁぁぁー!! ようやくその気になったみてぇだな! おいクソガキ、俺と遊ぼうぜ!!」
声と同時に頭上から飛び込んでくる気配を感じ取った彼は、後ろに飛んで奇襲を回避した。
後ろに飛び退いた直後、細い道路がぐしゃぐしゃにひび割れて深くめり込む威力の拳が降って来た。並の人間が真面に食らえば間違いなく即死するほどの殴打である。
そんな攻撃をいきなり仕掛けてきた男から距離を取った彼は、佇まいを直して尋ねた。誰だお前は? と。
「へええ、今のを軽々避けんのか。大抵の奴はあれで避け切れずに死ぬか、避けるので精一杯なんだがな。まあ、ホークスに付いて行けるだけの事はあるか……ん? 俺が誰かって?」
大抵の奴は死ぬ。これだけで、目の前の男が人の命を奪った事のある敵であると分かる。しかもこの気の大きさ、敵の中でもかなり強い部類だ。
確実に今のヒーロー科の生徒達よりも実力は上。全員で束になってようやく互角といった所だろうか。
そんな事を考えていると、男が饒舌に語り始める。
「俺ぁただ個性使って好きに暴れたいだけの奴だよ。世間じゃ俺の事を『マスキュラ―』だとか『血狂い』だとか呼んじゃいるが、まあ呼び名はこの際どうでも良いんだ。それよりも……」
なるほど、道理でどこか見覚えがあると思えば『マスキュラ―』、聞いた事のある敵名だった。一時期ニュースでも話題になっていたから記憶に残っている。左目に嵌め込んでいる義眼も特徴的だ。
全国各地を飛び回り、多くの市民とヒーローを快楽のままに嬲り殺す、非常に残虐性の高い敵。確か2年程前にも有名なヒーロー2人が殺害されたとか何とか。
ここで疑問なのは、どうしてそんな敵がピンポイントで自身を狙って来たのかという事。体育祭での彼の活躍を一目見て、自分自身の戦闘欲求が刺激されたのか。はたまた誰かに依頼もしくは命令されてここへ来たのか。
いずれにせよ、ホークスが不在の時に満を持して襲って来たという事は、今までずっと監視されていたという事を意味する。
夜中に強烈な敵意を感じ取って思わず目を覚ましたから、念の為だとこんな山奥まで移動した。だが、もしあのまま事務所に籠っていたら、ホークスがいないため躊躇なく事務所に乗り込んでいただろう。この男の性格ならそうする可能性が高い。
と、短い時間の間に色々考えを巡らせている内に、マスキュラ―がいよいよ戦闘態勢に入った。
「今はただ、俺と遊ぼうぜぇぇぇぇー!!」
体全体を覆う様に全身のあらゆる部位から大量の筋繊維が飛び出し、それらが重なり合って体がどんどん肥大化していく。
確か『筋肉増強』という非常にシンプルかつ強力な個性だと聞いた。目の前にあるこの姿を見れば、並のヒーローでは太刀打ち出来ない理由が良く分かる。
「オラァァァァァァー!!」
掛け声と共に駆け出したかと思えば、一瞬で距離を詰めてきた。筋肉が肥大化した事で、スピードも踏み込むパワーも上がっているためだろう。
そして限界まで右腕を引き絞ると、腹を貫かんとする勢いでボディブローを繰り出した。
彼はこの攻撃を避ける事なくモロに食らい、そのまま猛スピードで吹き飛ばされる。
「まだまだぁ!!」
だがマスキュラ―の攻撃はこれで終わらない。再び地面を強く踏み込み、吹き飛ばされている彼よりも遥かに上回るスピードで後ろに回り込む。
くの字になって迫ってくる彼の背中に、今度は強烈なタックルを食らわせ、更に脇腹を抉るような回し蹴りもお見舞いした。
抵抗もせず、されるがままの状態となっている彼の体は、蹴られた勢いそのままに多くの木々を薙ぎ倒し続け、その先にあった大岩にぶつかった。
その衝撃で土煙が舞い上がり、辺りの視界が悪くなる。そして物音一つしない。
その様子に、マスキュラ―は実に残念そうな顔で言った。
「なんだぁ? 体育祭で見た感じ、あのくらいじゃ死なねえと思ってたんだが、ひょっとしてもう終わりか? ……ったく、全然大した事ねえじゃねえかよ。弱すぎる」
思っていた以上にあっさりと終わった空気に、マスキュラ―の気分は一気に落ち込んでいく。テレビ中継で体育祭の様子を見ていたからこそ、期待とのギャップにショックを受けていた。
「所詮は雑魚どもによる過大評価。結局ガキはガキというわけか。スピードはあったからそれなりに楽しめると思ってたんだがなぁ……ん?」
だがマスキュラ―は知らない。この程度の攻撃で彼が倒れる事など、それどころか負傷すらあり得ないという事を。
その証拠に、土煙が晴れた向こう側には、大岩の前で何事も無かったかのように佇む彼の姿があった。
これにはマスキュラ―も喜びを隠せない。
「おっ! なんだなんだ、結構大丈夫そうじゃねーか! 今のであっさり終わらなくて良かったぜ! さあ、早く続きを始めようか! お楽しみはこれからだ!」
マスキュラ―の言う通り、この戦いがほんの少しだけ楽しくなってきた。やはり体育祭の時のような
職場体験中に突如起こった思わぬ戦いに、彼も思わず不敵な笑みを浮かべるのであった──。
マスキュラ―を出そうかどうか迷いましたが、何かパンチが欲しいなと思い登場させました。