吉良吉影はトレーナーとして静かに暮らしたい 作:ボンゴレパスタ
むせかえるような煙に、あたりにバケツからひっくり返したように散らばる瓦礫の山。この杜王町の一角は、まるで地獄を書き写したようなありさまだった。
そしてそこには4人の男たちが傷だらけの1人の男を詰問するように取り囲んでいた。
もっともこの場合、自身の快楽に身を任せた大量殺人という罪を、年端もいかぬ中等部の少年をあまりにもむごたらしく命を奪ったという罪を重ねた罪人を裁く断罪の場といったほうが正しいだろう。
スカしたスーツに身を包んだ罪人は、自身の置かれた窮状を打開するために卓越した頭脳をフル回転させていた。
「テメーがしげちーを殺した殺人鬼だな」
罪人を取り囲んでいた男たちのうちの1人…頭をリーゼントに固めた学ラン姿の少年は、両目にその罪人をとらえると瞳に怒りの炎を宿らせて一歩近づいた。
「仗助!気をつけろ!」
彼の横にいた、ブルドックのように凶悪な顔をした、ポンパドールの髪をした学ランの少年が声をかけて注意を促すと、仗助と呼ばれたリーゼント頭の少年の足は、忠告を聞き入れてピタリと止まった。
東方仗助に虹村億泰…
先程死闘を繰り広げ、致命傷を与えたはずの広瀬康一と空条承太郎も東方仗助の手によって、あっという間にその傷は治癒し、私の前にこうして立ちはだかっている。
杜王町に長年巣食い続けたこの男…吉良吉影。およそ十数年もの間、誰にも知られる正体を悟られることなくひっそりと、自身の快楽を満たすためだけに何の罪もない人々を手にかけてきた、殺人鬼。
彼は自身の目の前に広がる、絶対絶命の状況を前にしても、取り乱したり命乞いをしたりすることはせず、ただおもむろに口を開いた。
「私の敗北だ…どうやらもう熟睡できないらしい」
吉良吉影という男は、「平穏に生きる」という信条を胸に生きてきた。激しい喜びや、絶望がない平穏な人生を。植物の心のような、そんな人生を。
「人を殺さずいられない」という醜悪な性を持ちつつ、その相反する思いを常に抱き続けた。そしてこの状況でも、吉良はその願いを諦めることは決してしなかった。
吉良はつぶやくと、ためらいもせず自身の左手を見えない何かで断ち切る。血潮が噴き出し、腕から切り離された左手は音もなく地面に落ちた。
殺人を犯さずにはいられないという性を抱えながらも平穏に生きたいという歪な念を抱えた男の執念からもたらされた行為に、一同は驚愕の声と表情を浮かべた。
「シアーハートアタック…私を守るんだ」
苦悶の表情を浮かべた吉良が言うと、既に彼のものではなくなった左手から何かが飛び出る。吉良を取り囲んでいた一同はその何かが視界に入ると、それを警戒するように身構えた。
一同が左手に気を取られているその隙に、吉良はその場から足を引きずりながら離れていった。
自身の手首から先がなくなった左腕にネクタイを強く締め付けながら、吉良は壁伝いに血を残して這いずるように歩いていた。
…平穏に生き延びてみせる
視界が霞み、全身は隈なく激痛が走り回っている。
きっと東方仗助たちは自分のことを必死に追いかけてくるだろう。状況は依然変わらず吉良にとっては逆風が吹きつけている。
それでも。そんな状態であっても、吉良は決して「生き延びる」ことを諦めていなかった。
目的地は決まっている。あとは私のコピーを探すだけだ。確固たる邪悪な意思を抱え、吉良は一歩ずつ確実に歩みを進めていた。
…その時だった。
「大丈夫ですか?」
そう声をかけてきた間抜けが一人。よく見れば背恰好も私とよく似ているようだ。
どうやら運は、この吉良吉影に味方してくれているようだ。
……こいつにしよう
悪魔は獲物を見定めるとほくそ笑んだ。
仗助の能力によって、離れたはずの左手はその持ち主の元へと戻っていく。一同はその宙に浮いて持ち主の元へ戻っていく左手を追っていたが、そのたどり着いた先に男たちは驚愕した。
「エステシンデレラ!?」
杜王町に構えるエステ店、「エステ・シンデレラ」…この店の店主である辻絢は仗助たちの仲間として、杜王町に蔓延る吉良の行方に注意を払っていた1人だった。
彼女が危ない。
直感が働いた男たちが、急いで店内に足を踏み入れると、そこには顔を失った男の死体と、辻絢が既に虫の息で倒れていた。
「辻絢さん!どうしたんだ!」
仗助の問いかけに、口から血を吐き出しながら辻絢はゆっくりと上体を起こし、途切れ途切れに言葉を続けた。
「…吉良は別人になった。背恰好が似た男に……」
つまりこの男の遺体は吉良のものではなく、その運の悪い被害者のものということになる。吉良は逃走の途中に自身と似た背格好の男を見繕ってここまで連れてきて、辻絢のスタンド能力で無理矢理顔を交換させたというわけだ。
辻絢は口から血を吹き出しながらも、なんとか上体を引き起こし口を開いた。
「奴の…入れ替わった奴の顔は……」
……カチッ。
そこまで言った彼女だったが、続きの言葉を紡ぐことは叶わなかった。
無機質なスイッチ音が部屋に鳴り響いたかと思うと、彼女の体は、最後の言葉は爆発によってかき消された。
爆風によって身体は部屋の隅に叩きつけられ、一同は顔を顰める。爆風が落ち着き、部屋の様子が再び確認できるようになったが、そこにいたはずの辻絢と、男の死体は跡形もなく消えてしまっていた。
「あ、あれは!!」
吉良の元へと戻ろうとする左手は、ドアが半開きとなった店の裏口から外へ出ようとする。
一同はそれに気がつくと、左手を見失わないように裏口に向かって走るが、一歩遅く左手は裏口から外へと飛び出していった。
ドアを開けて左手の行方を追おうとした一同だったが、ドアを開けた瞬間に驚愕の表情に染め上げられることになった。
裏口から繋がっている外は、帰宅ラッシュのサラリーマンたちでごった返していて、とても吉良はおろかその左手さえも追跡することもできなかった。
「吉良吉影はどいつになったんだ……!」
「これじゃあ、探すのは……」
一同の動揺をよそに、康一は雑踏の中央にまで走り寄ると、恐らく自分達を遠巻きに見ているであろう殺人鬼に向かって大声を上げた。
「吉良吉影ーー!卑怯だぞ、出てこいーーー!」
少年の心痛な叫びは、周囲からの奇異なものを見る視線に晒されながら、虚しく雑踏にかき消されていく。
「逃げ切りやがった……」
彼らはあと一歩のところで、辻絢に気を取られて、裏口から持ち主の元へと戻った左手と共に殺人鬼の足取りを失った。
数日後、悪魔は善良な市民の皮をかぶって、別人として新たな人生を送っていた。
真っ黒な髪を撫でつけたオールバックの髪形に、その色を流し込んだような漆黒の瞳。
……新たな名は川尻浩作。28歳の一人暮らし。どうやら日本トレーディングセンターM県支部のトレーナーとして勤務していたようだ。
この世界には人と似ているようで異なる容姿をした生物である「ウマ娘」という生き物が人と共にこの社会で生きており、その特徴である驚異的な身体能力を用いて彼女らが出場するレースは、日本において大人気の競技として一大ムーヴメントを引き起こしていた。
無論吉良にとっては興味のない話であり、あのしげちーとかいう始末したガキが言っていた言葉を借りるのならば、「スタンド」という特別なギフトを持っている自身にとっては、彼女たちも自身の獲物の中の一部だという認識でしかなかった。
しかしながら、職務に携わる人間に成り代わった以上はそうもいかない。トレーナーをしている川尻浩作が途端に業務に支障をきたすようになれば、怪しまれるリスクがある。
周囲から違和感を抱かれることがないように、吉良は急いでその知識を死に物狂いで取り込んでいた。
幸い川尻浩作の家にあったトレーナーという職業に関する資料や、自身が日ごろ心がけていた健康法やストレッチをはじめとした様々な医学知識、そして学生の頃に周囲に溶け込むためにやっていた陸上競技の知識も相まってなんとか周囲には疑問を抱かれずに職務に全うしていた。
「ちょっと、川尻君。」
自身の職場にある席に腰を落ち着かせると、上司であろう男に呼び止められた。なんの用だろうかと疑念を抱きつつも上司の部屋に招き入れられ、対面に座ると男はおもむろに口を開いた。
「川尻君に朗報だ。君が前から出していた中央への異動の希望、そして最近の勤務実績が認められて中央への移動が認められたよ」
「……中央?」
「そうだ。東京都府中市内にあるURA育成期間、日本ウマ娘トレーニングセンター学園…通称トレセン学園。君はそこに今月付で異動が決定した。」
なんてこった。生前の川尻浩作はどうやら向上心の強い男だったらしい。本当は職務に慣れているか自信は無いし、何より生まれ育った杜王町からは離れたくない。
しかしながらこの異動には利点があるのも事実だ。
新しい職場に移動となれば人間関係をリセットすることができるし、違和感を抱かれるリスクはかなり減少する。そして東京に移り住んでしまえば仗助達の目をかわすことができるはずだ。
私は生まれてから今まで、杜王町を出ようとは思ったことなど毛頭なかったが、致し方あるまい。
覚悟を決めると、吉良はゆっくりと口を開いた
「ありがとうございます、慎んでお受けいたします」
こうして吉良の、新たな生活は始まった。