吉良吉影はトレーナーとして静かに暮らしたい 作:ボンゴレパスタ
チームシリウスでのミーティングが終わった後、マックイーンは浮かない顔でターフに向かっていた。
ーー川尻トレーナーのあの姿。とてもトレーナーとして、教育者としてかくあるべきという姿とは言い難い、殺意と狂気に満ち満ちた、あの姿。私のことをまるで息をするかの如く殺すと言い放ったあの姿。
考えれば考えるほど思考の波から抜け出すことは出来そうにないーーそんなマックイーンの背中を、とあるウマ娘がポンと叩いてたのだった。
「マックイーン!練習行くんだよね!?一緒に行こうよ!」
ーー彼女の名前はウイニングチケット。シリウスのチームメイトであり、日本ダービーを制した実力あるウマ娘である。現在のメンバーだと最年長であるがその天真爛漫な様は、良く言えばムードメイカーであり悪く言ってしまうと子供っぽいウマ娘であった。
ただこの時ばかりは、彼女の分け隔てない明るさがマックイーンの心に良い作用を及ぼしたのは言うまでもない。
2人がターフに向かうと、珍しい人物がターフに姿を現していた。
「あれは…」
「アグネスタキオンさん…?」
研究といえばアグネスタキオン、アグネスタキオンといえば研究ーーそんな言い換えが成り立つほど、日々ウマ娘の可能性を模索して研究を進める彼女は、学園内でも有名人であった。ほとんど自身の研究室と称した占領した理科室から出ることがなく、時折出てきたかと思うと自他問わず自身の研究の材料として訳の分からない薬品を飲ませようとするため、非常に奇異の目に晒され、時には厄介者扱いされていた。
「今日はシリウスがターフの申請を出していたはずですよ、タキオンさん?」
ハイライトのない狂気を孕んだ瞳がこちらをじっと見つめてくる…タキオンはしばらくして、徐に口を開いた。
「そうだったかい…それは悪いことをしたね…今日はとても気分がよくてね、走りたくなってしまったのだよ…どうだろう?すこしだけ私と軽いレースをしないかい?」
――なにかがおかしい。タキオンはいつもおかしいと言ってしまえばそうなのだが、今日の感じるいつもとは異なる毛色の違和感に、マックイーンは思わず顔をしかめた。
――せっかくですが、今日は遠慮しておきますわ
眼前のタキオンの誘いを断ろうとした瞬間、チケットが目を輝かせて横から割って入ったのだった。
「いいの!?走ろ!一緒に走ろ!」
「そうこなくては!…普通に勝負をしても面白くない…どうだろう、もし私が勝ったら君をデータにさせてくれないか? 」
さすが研究家気質のタキオンといったところか…彼女らしい提案にマックイーンが苦笑し、チケットはその満面の笑みを崩さず大きな返事と共に首を縦に振ったのだった。
「データ?よくわからないけどいいよ!」
「ありがとう…そうと決まれば早く準備したまえ!」
チケットはあれよあれよという間にアップを済ませ、タキオンの横に並び立つ。
マックイーンの合図で一斉に二人が走り出す…どちらもウマ娘としての実力は一級品でありタキオンとチケットは並んで走っていたが、最後ゴールに僅か先にたどり着いたのは、タキオンであった。
「悔しい~あとちょっとだったのに~!」
チケットが悔しそうに、しかしどこか満ち足りた様子でこちらに戻ってきた。
「お疲れ様です、チケット先輩」
激戦を繰り広げたチケットにねぎらいの言葉を送ると、マックイーンは勝者のタキオンにも声をかけようと彼女の方を向くと、その異変に気が付いた。
「…素晴らしい」
――ぼそりと、しかし確かに周りに聞こえる声で呟くタキオン。その言葉を皮切りに彼女は自身の研究者としての感情を爆発させた。
「素晴らしい!チケット君のラスト2ハロンの加速力には目を見張るものがあった!見たところだが、他のウマ娘と比較しても大腿四頭筋を初めとした脚の筋肉量が0.8キロ以上は多そうだぞ!あぁ、素晴らしい!君のデータでまた一つ、ウマ娘の可能性の果てに近づけるというものだよ!」
台本があれば思わず噛んでしまいそうなほど長い台詞を早口でしゃべりながら、彼女はチケットの元へグングンと進み、彼女の目の前で止まるとチケットの手を取った。そのあまりの変質さに思わず、チケットも顔をしかめた。
「あの~、タキオン?ちょっと怖いよ…?」
「あぁ、こんな上質なデータが手に入るなんて!なんて私は幸運なんだ!君には窮屈な思いをしてもらうが、仕方ない!これも研究のためなんだ!これもウマ娘の可能性のためなんだ!」
チケットの手を握る力が次第に強くなっていく。チケットとマックイーンもここでようやく事の重大に気づいて声を荒げた。
「タキオンさん!その手を放しなさい!」
「タキオン!痛いよ!」
「それはできない!君をこれからデータにしなければならない! 」
「ど、どういうこと!?」
「君は確かに約束した!私が勝てば君をデータにすると!私の能力は対象をデータにすること!チケット君!君は確かに勝負し、私に負けた!その時点で能力は発動している!」
――能力ですって!?
アグネスタキオンに感じていた違和感の正体。それは、サイレンススズカの能力に追跡された時と同じ種類の違和感であることに気が付いた時にマックイーンは声を上げたが、その時には既に遅かった。
「チケットさん!タキオンさんからすぐに離れてください!」
――チケットの身体が見えない何かによって持ち上げられ、一瞬の内に1冊のファイルに変貌してしまった。
「――チケットさん!」
地面に落ちたファイルをタキオンが持ち上げ、3日ぶりの水にありつけた漂流者のように、貪るようにページを開いていく。緋色一色に塗りつぶされた瞳がこの時ばかりはルビーを埋め込んだように光り輝いていた。
「――今朝、何者かに首を何かで刺された時、この能力を授かったが…正に三女神からのギフトといっても差し支えない…これで私の研究は飛躍する…ウマ娘への可能性へと」
――何者かに刺された?能力に目覚めた?タキオンには聞かなければならないことが沢山あるようだ…マックイーンは愉悦の海を回遊するタキオンに向けて強く言い放った。
「能力に目覚めた?一体どういうことですの?チケットさんを元に戻しなさい!」
後ろを向いていたタキオンは首だけこちらに向けると、顔の周りにハエが集るが如く鬱陶し気に口を開いた。
「――返す?君は間抜けかい?これは私の研究を発展させる、正に可能性の1つそのものだ…返すわけがないだろう」
どうやらスズカさんのときのように、正気を失っているようですわね…
マッドサイエンティストとしての邪悪さ、狂気さが全面に押し出されてしまっている正気を失ったタキオンを眼前に捉え、どうするべきか思案していると、タキオンは何か思いついたように不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「――いいだろう。彼女を元に戻してやってもいい。ただし」
「先ほどのように私とレースをして、勝てたらの話だがね」
――どうやら私のこともデータとして取り込む気のようですわね…
しかしながら、現状タキオンとのレースを勝利し、彼女を正気に戻すこと以外手はないようですわ…
マックイーンは腹を括り、彼女との勝負を受けるべく口を開こうとした瞬間、後ろから突然声が聞こえてきた。
「――私と勝負してください」
――清流のように透き通ったその声
マックイーンは唐突に聞こえた声の方向に振り向いてそこにいた人物を目にとめると、驚きのあまり大きく目を見開いたのだった。