吉良吉影はトレーナーとして静かに暮らしたい 作:ボンゴレパスタ
新幹線に揺られて2時間と少しばかり。車体が減衰しながら小刻みに揺れ、やがてアナウンスが車内に響き渡った。
「本日も東北新幹線をご利用下さいましてありがとうございます。この電車は〇〇号東京行、まもなく終点東京に到着になります。お忘れ物のないよう、お支度ください。」
やがて車体が停止すると、車内の席に座っていた吉良は徐に立ち上がり、席の上のスペースにしまっていた荷物を下ろし、ドアの方へと向かって行った。
それからしばらくして、府中駅から徒歩しばらくの距離にある、広大な敷地を有するウマ娘の育成機関として国内最高峰の機関である日本ウマ娘トレーニングセンター学園…その学園の仰々しい表札が掲げられた校門の前に吉良の姿はあった。
…はぁ
重々しく、そして心に秘めていた苛立ちを端的に表すその一つのため息が口から溢れると、彼は独り言を呟いた。
「東京ってやつはまったく騒々しくてまいる…」
暮らしていたM県も、東北の地方都市として地方の中では1番の賑わいを見せていたが、ここはその比ではない。新幹線に乗って東京駅に降り立った時にその人の多さに、そしてその騒々しさに生まれてこの方杜王町をほとんど出たことがなかった吉良は舌を巻くことになった。
普通に歩いているだけで、誰かとぶつかりそうになり、辺りからは雑音がひっきりなしに鼓膜を震わせる。
これからこの騒々しさにはなれなければならないと思うと、体の中で胃がきりきりと痛み出すのを感じて吉良は顔をしかめた。
「これから新たな場所での生活だな、吉影」
ふいに自身の胸ポケットからしわがれた声が聞こえる。
「まったく災難だよ、親父」
胸ポケットから自身に声を掛けたのは、私の父、吉良吉懬だった。もっとも私が21の時に、彼は病気で死んでしまったが。
親父も私と同じ特別な能力を持っていて、死んだ後は写真に写った幽霊として、写真に写った空間を支配する能力を使い、自信が写った写真を拠り所として生活を送っていた。
親父は私の持って生まれた性を理解していて、ことあるごとに助けてもらっていた。先日の一件でも仗助たちに足がつく前に連絡し、事情を説明したうえで助けとして東京に共にやってきた。
合流する前に別人となった私の痕跡を探すために仗助達が家にやってきたようで、親父とひと悶着あったようだが、隙をついて私の能力を引き出した矢を持って逃げ出したことを合流した後で聞かされた。
今でも写真の縁に画鋲で突いたような穴が広がっていて、裏にはテープを剥がされた後が見受けられる。見たところ相当手酷く仗助たちにやられたのだろう。
それでも私への追跡を躱すために、親父は私が東京に向かうまでの間に杜王町にいた人々に矢を使ってスタンド能力を持たせ、私のことを追う奴らに差し向けるように手配をしていた。
これで奴らも私が杜王町から出たとは思わないだろう…仮に仗助たちが自身が既に杜王町にいないことに勘づいても、時が経過すればするほど、奴らが私の元に辿り着く可能性は低くなっていく。
「これからは奴らに目を付けられないように人を殺すのは抑えなきゃならんぞ、吉影」
ここに定着する以上、しばらくは仗助たちはもちろんのこと、周囲からも怪しまれないように生活を送らなければならない。そのためには殺人など御法度であることは頭では分かってはいるのだが、改めて人からそのことを指摘されると、フラストレーションが風船のように膨らんでいく。
昔からどうしようもないこと、ままならないことが目の前に立ちはだかると無性に爪を噛みたくなる。胸にしみ込んだ黒い染みを取り払うように頭を振ると、突然自身を呼び止める甲高い声に気が付いた。
校門の向こうから緑色の制服と帽子に身をまとった女性がやってくるのが見えた。小さく見えていた彼女もあっという間に吉良の目の前にやってくると、雪解けごろの太陽のような、朗らかな笑みで声をかけてきた。
「M県支部からいらした川尻トレーナーですね?トレセン学園へようこそ!理事長秘書の駿川たづなと申します!」
「よろしくお願い致します。M県支部から参りました川尻浩作です」
社会人としての社交辞令をすませると、たづなは笑みを崩さぬまま口を開いた。
「早速なのですが、川尻トレーナーには二人の人物にあっていただきます!まずは一人目、学園長のもとに案内いたします!」
長い廊下を歩き、ひときわ重厚な扉の前でたづなは立ち止まると、こちらを振り向いた。
「ここが理事長室になります」
扉を2回ノックすると、幼い声で「入り給え!」という声が聞こえるとたづなと吉良は部屋に足を踏み入れた。
理事長室の中は荘厳なつくりとなっており、その奥には頭に猫を乗せた少女が座っていた。
「歓迎ッ!トレセン学園にようこそ!私は本学の理事長、秋川やよいだ!」
こんな年端もいかぬ少女が理事長…?
頭の中に浮かんだ疑念と呆れが顔に出ないように必死に勤めながら吉良は言葉を紡いだ。
「よろしくお願いいたします…M県支部から参りました川尻浩作です」
「うむ!M県で前々から中央への異動を希望する前途有望なトレーナーがいると聞いた!ウマ娘のため、それを支えるすべての人々のため、できることは惜しまない所存だ!」
どうやら私を中央へ異動する運びとなったのは、彼女の差し金のようだ。ならばここは下手に出ておくのが正解だろう。
「本当にありがとうございます…すべて秋川理事長のおかげです」
「期待ッ!これからウマ娘のために尽力してほしい!」
なんとか最初の挨拶では相手に疑念を抱かれずに済んだようだ。ここに長居は無用だ、さっさと切り上げて次の場所に向かおう。
その時だった。理事長の頭の上で眠りこけていた猫が目を覚まし、吉良に真っすぐ視点を定めた。すると火に触れたかのように頭から転げ落ち、その小さい身体を精一杯こわばらせて威嚇を始めた。
シャーー!
「ど、どうしたんでしょうか…?」
「驚愕ッ!今までこんなことはなかったのに!」
……これも野生の本能というやつだろうか
人間と違って犬や猫は理性ではなく、本能で相手の如何を問う。時々このように犬や猫から恐怖の念を抱かれることはあった…それは偏に自身のうちに秘めているものを感じ取ったからだろう。
理事長とたづなが異様な光景に驚き、猫に気を取られている隙にその忌々しい猫に向けて殺意をむき出しにしてやると、潰れたカエルのような情けない声をあげて窓から飛び出していった。
「たづな!私は猫を探さなければならない!川尻トレーナーの案内の続きを頼む!」
そう叫ぶと理事長は扉を開け、外へ飛び出していった。
二人目に案内された人物は、その人物の元へ行くまでにたづなから受けた説明によると、本学の生徒会の会長らしい。
たかが一生徒になぜ挨拶をと思ったが、どうやらトレセン学園の生徒会は他の学校とは組織図がかなり異なるようで、生徒会と、その頂点に立つ彼女の影響力、そして権力はかなり絶大なもののようだ。
少女が理事長の学園だ。例え老婆が生徒にいても驚くまい。
吉良はもはや理事長と対面した以上、驚くことはせず淡々とたづなの説明を聞くことに徹していた。
やがて生徒会室と書かれた部屋の前に立ち止まり、ノックをすると今度は凛とした声で入室を促す声が聞こえたため、扉を開くとそこには先ほどの理事長とは対照的な理性的な眉目秀麗な女性、もっとも人と大きく違う点として特徴的な耳と尻尾がついてはいたが、まるで皇帝のような覇気を放って席に座っていた。
「生徒会長のシンボリルドルフだ。これから君には前途多望なウマ娘たちと切磋琢磨することを望むよ」
彼女が放つ言葉の一つ一つに重みがある。数多くの修羅場を潜り抜けてきた吉良も、彼女が発する皇帝の威厳に一瞬たじろいだ。
こいつは一筋縄ではいかないだろう。
「この度はありがとうございます。M県支部から参りました川尻浩作です。トレーナーとしてウマ娘のために尽力することを誓います。」
シンボリルドルフはその言葉を受けると、目を細めて口を開いた。
「…時に川尻トレーナー。君は本学の教訓をご存じかい?」
「…Eclipse first, the rest nowhere、唯一抜きんでて並ぶものなし、でしたか?」
その質問は既に織り込み済みだ。川尻浩作に成り代わるのに際して、基本的なトレーナーとしての、そしてトレセン学園の知識は既に頭の中に入っている。
「その通りだ…君がこの言葉の通り一心一意ウマ娘のために尽くしてくれることをねがっているよ。…そのために」
「…そのために?」
一瞬室内に静寂が流れたかと思うと、彼女はやがて口を開いた。
「少し早いが、君には担当をみつけてもらう必要がある」