2019年4月 藤野財団
「ここができてもう、3か月か……」
バナナの皮を剥き、豪快にかじりつきながら、白衣の女はあわただしそうな様子の研究員たちを眺めていた。
「由井河先生!」
研究員のひとりが、焦った様子で由井河の個室に入ってくる。
「なんだい助手くん、忙しそうに。私は今、健康的なおやつタイム中なんだけどね」
「すみません、ですが火急の用で……清水先生は現在どちらにいるかご存じで?」
「えぇ? 紙魚子のことなら君のほうが詳しいんじゃないか? いつも金魚のフンのようにくっついてまわってるじゃないか」
「それが、今日は朝から連絡がつかないもので」
由井河はまだ手を付けていない二本のバナナをポケットにねじ込み、立ち上がる。
「おおかた、また近くにフィールドワークに出たんだろ。それか、君のストーキングが鬱陶しくなったか」
「勘弁してくださいよ」
二人は部屋を出る。搬送口の方が特に騒がしい。
「紙魚子が戻るまで私が対応するよ。それで今、どういう状況?」
「はい。"鬼"を確保しました」
「ほう……」
「現在は檻に。ですが暴れていて、とても研究室に運べる状況ではありません」
「なるほど、では改造人間にやらせよう」
厳重なロックが由井河の光彩によって解除される。その部屋の金庫に、改造人間たちの部屋のキーが並んで入っていた。
「ジョーはまだ調整が済んでないからな。ハリちゃんに頼もう」
言いながら、由井河はNo.4のキーを取り、ボタンを押す。
「ハリちゃん?」
「うん。髪の毛が針みたいでしょ、だから勝手に名付けた」
二人の背後に音もなく、ハリちゃん―"生命の縫合者"が現れた。
それはもはや人間とは遠い存在に見えた。顔だけを見れば幼さの残る少女だ。だが、針のように硬化した黒髪。骨のような上半身。右腕は欠損しており、腰からは鹿のような角が伸びている。最も目を引くのは、甲殻類の如き足。改造人間というよりむしろ異形と形容されるに相応しい存在だった。
しかし、二人はそれを見慣れた存在のように驚くことなく、部屋を出る。
「じゃ、行こうか」
清水の助手の先導で、由井河とハリちゃんが"鬼"のいる区画に向かう。
「ガーッ……フー!!」
鬼は、まるで浮浪児といわれても納得するような風貌の少女だった。だが、鬼であることは誰が見ても明白だった。その頭部から生えた二本の角。そして、怪物の如き四肢、さらには、悪魔のような尻尾まで。
「ご丁寧にどうもって感じだね。どんな奴でもこいつを鬼と呼ぶだろうさ」
「特徴的には海外のデーモンやデビルの伝承にも通ずるものがありますね」
「こういう生物系の怪物は紙魚子の専門だ。とりあえず大人しくさせるか。ハリちゃん!」
声をかけられたハリちゃんが、体を上手くしならせて10cmほどしか感覚のない鉄格子をすり抜ける。檻の中に入った彼女に、由井河が命令を下す。
「そいつを大人しくさせて。腕や足なら切ってもいいから」
ハリちゃんがコクリ、と頷いた次の瞬間。
鬼の両足と左腕は切り落とされ、その口からは絶叫が放たれていた。
そこに、騒ぎを聞いて駆け付けた清水紙魚子がやってきた。機械専門の由井河に対し、清水は生物を専門としている。そのため、本来この鬼の回収を担当していたのも彼女なのだが……
「いや、ゴメンゴメン。なんかに使えないかなって思ってシャチのDNAサンプル家で解析してたら遅くなっちゃった。あ! 鬼!」
「腕と足落としちゃったけど」
「いいよ! どうせこれからもっと痛めつけるんだし! ハリちゃん、そいつ研究室に運んどいて!」
ショックで意識を失った鬼をハリちゃんが檻から出し、持ち運んでいく。
「ハリちゃんて名前知らないの、もしかして私だけだったりします?」
清水の助手がひとり除け者にされていることを嘆いた。
鬼。日本では架空の怪物として知られており、桃太郎の童話や源頼光伝説でその存在が語られていることから実在の可能性は疑われていた。
それを藤野財団が見つけることになったきっかけは、実に偶然かつ現代的なものだった。
財団のもつ広大な土地には、膨大な数の監視カメラが設置されており、それは森の中でも例外はない。そこでは、今まで巧妙に姿を隠してきた数多くの新種動物がカメラに収められた。
動物、とくに昆虫や深海生物は人間に知られていない種が未だ数多く存在するという。
それに目を付けた財団研究員の清水紙魚子によって捕獲体制が整えられた。
紙魚子が研究を行った後、財団はそのほとんどを裏マーケットに流して資金源としていたが、そんな中で人間にそっくりな奇妙な生物をカメラが捉えたのだ。
「今までは野生動物の亜種に過ぎないものばかりだったが、これは大発見になるぞ……なんせ、人間の亜種! 人類史を根底から覆しうる存在だぁ!」
2019年5月
鬼の生態を調査するための実験が紙魚子を主導として開始された。
「鬼は食事をするのか? 鬼の言語野や脳の機能は? DNAは人間とどう違う? すべてを知りたいね!」
バナナをほおばりながら、由井河も実験の様子を見守る。
「紙魚子が楽しそうで何よりだ。あの鬼ももう少し従順になってくれれば扱いやすいんだがね」
「先に電気や痛みの耐性についての実験に変えるか? 幸いDNAサンプルは採れたから、体はいくらでも再生可能だしね」
2019年6月
あらゆる苦痛を与えられ、あらゆる部分を削り取られ、ついに鬼は研究員たちに従順な奴隷となった。
もはやそこに、いち生物としての矜持や誇りは無かった。
2019年8月
「こんなもんか。やっぱり、根本的に身体バランスが違うんだな」
その日は由井河が鬼の義肢を作成し、実際に装着させて調整を行っていた。
「腕も足も重くて太いほうが歩きやすい、と。よし、外せ」
義手と義足を外し、その場所にゴロンと転がる鬼を邪魔だ、と蹴飛ばし、由井河は義肢を抱えて自分の研究室に戻る。
仕方がなく、残された一本の腕……それも、反抗しないように肘の部分で切断されている……で這っていく。
2021年9月
財団の一部のメンバーが、それまでのような機械部門、生物部門でなく植物を研究する部門を立ち上げ、子会社として独立した。名前は「ザ・ベジター」。
それに伴い、足りない人員を補うための補充要員が由井河のところにやってきた。
「梅村まち子です! 今日からよろしくお願いします!」
「ああ、よろしく」
このとき新人としてこの施設にやってきた梅村まち子が、大きな事件のトリガーになるとは誰も……本人すら、予想だにしていなかった。
新登場マシーナリーチルドレン
清水紙魚子
補足(元ネタ)
梅村まち子…ヤケクソうさ子pixiv第109回より