アナザーストーリー もしも『希望』に出会わなければ 作:惣名阿万
コトブキ村を襲った強力なドサイドン。
その使い手は死んだとされていたはずのテルだった。
「久しぶりだな。会えて嬉しいよ――先輩」
呪い狐の装いに身を包んだテルは面を外して素顔を晒すと、笑みすら浮かべて見せた。
以前と変わらぬ優しげな微笑みに、ショウの胸が自ずと温かくなる。
「テル……? ああ。生きて、いたんですねっ」
直前までの蛮行を知って尚、ショウはテルとの再会を喜ばずにいられなかった。
コトブキ村へテルが帰ってきたことが何よりも嬉しいと思わずにいられなかった。
警備隊や住民たちも戸惑いを隠せずにいた。
2年が経ったとはいえ、『英雄』とまで讃えられた相手だ。村を駆け回る姿を覚えていた者も多く、追い出した先で命を落としたと聞かされ負い目を感じていた者もいた。
一方でこの2年の内に新しくコトブキ村で暮らし始めた住民には見知らぬ人間だ。村をポケモンに襲わせた張本人であることもあり、彼らは恐怖と怒りの綯い交ぜになった目を向けていた。
ショウを始めとするテルを知る人間とそうでない人間。両者それぞれの異なる眼差しをゆっくりと見回して、テルはしかし一切表情を変えることなく懐へ手を差し入れた。
穏やかな笑みを口元に湛えたまま、テルは取り出したボールを目前に落とす。
先のドサイドンに負けず劣らずの巨体が飛び出し、村中に響くような雄叫びを上げた。
生き物としての格の違いを見せつける威容。
『竜』という、ポケモンの中でも特に生命力に満ち溢れた種特有の存在感。
加えて人を大きく超える体躯から放たれる歴戦の風格は、強さの違いを知らない人々にもわかるほど濃密な気配として辺りに落ち、見る者の肺を締め付けた。
悲鳴すらも出せない恐怖に村人が呑まれる中、ショウだけがその名前を口にする。
「そんな、ガブリアスだなんて」
またしてもテルの図鑑に走り書きが残されていたポケモンだ。
厳しい自然環境下で逞しく育ち、それ故に強大な力を備えるとされる竜の一種。
ヒスイの大地に暮らすポケモンたちの中でも特に危険な種とすら伝わっている。
ボールを拾い上げるテルの倍ほどの背丈を持つガブリアスは、ずんずんと足音を立てながらゆっくりと門へ近付いてくる。
息を呑むだけの村人たちを見下ろす眼に敵意はなく、それが寧ろ村の人間を脅威とすら捉えていないことの証左にも思えた。
「と、止まりなさい! それ以上近付くのなら……」
震える手でボールを握りしめ、ショウは精一杯の制止を叫んだ。
痛いくらい固く握っているはずなのに感触は遠く、立ち塞がるようにしていても身体は恐怖に震えていた。
絞り出したのも悲鳴交じりの声で、空元気なのは誰の目にも明らかだ。
視線が背中に集まるのを感じて、ショウは折れそうになる心をどうにか奮い立たせた。
逃げ遅れた村人や警備隊の期待が重く圧し掛かり、今すぐにでも逃げ出したい衝動に蓋をする。
門を潜って止まったガブリアスがショウを見下ろした。
鋭い眼差しに射抜かれて膝が折れそうになったものの、ショウは唇を噛むことで何とか堪える。滲んだ涙はそれまでと違い恐怖から生じたものだ。
ガブリアスの隣に並んだテルが哀しげに目を細めた。
「退いてくれ。先輩と先輩の相棒をこれ以上傷つけたくはない」
「退きません。あなたこそ、どうかポケモンを収めてください」
訴える声が震えている通り、ショウには虚勢を張ることしかできなかった。
手元にガブリアスへ対抗できるポケモンはいない。
残った2匹はどちらも相性が悪く、繰り出したところで時間稼ぎにもならないだろう。
相棒たちが無為に傷付けられる光景はできることなら見たくない。
なんとか説得して強硬な姿勢を解きたいと、ショウは縋るような想いで語りかけていた。
そこへ、背後から通りの良い声が響いてくる。
「みんな退きな! 道を開けるんだよ!」
迫力ある声に押されてか、恐怖に根を張っていた足が動いて人垣が割れた。
間を通ってやって来たのは村でも高位の実力を持つ人物たちだった。
「団長! ペリーラさんも。それに、あなたはムベさん?」
居並ぶ面々を順にみて、ショウは最後の一人に首を傾げた。
ギンガ団団長と警備隊長が駆け付けるのはわかるが、茶屋の店主が何故ここへ来たのだろうか。ムベがポケモンを扱う技を持っているなど聞いたこともない。
疑問に答える者はおらず、ショウはペリーラに促されて脇へと下がった。
デンボクはガブリアスの放つ圧力を物ともせずに進み出て、テルと向かい合う。
「お久しぶりですね、デンボクさん」
瞬間、テルの笑みが変質したのがわかった。
ショウに向けた優しいものではない。拒絶するような、軽蔑するような、そうした負の感情を僅かに、けれど確かに覗かせる笑みだ。
デンボクの目が驚愕に見開かれる。
居るはずのない存在を目の当たりにしてか、一本だけとなった左腕を握ってほんの僅か身を引いたのがわかった。
「お前は……生きておったのか」
「お陰様で。まったく無事に、とはいきませんでしたが」
テルは自嘲するように首を振る。
ポケモンに村を襲わせた張本人でありながらその口調はあまりに軽く、お道化た声は余計にテルの異質さを際立たせた。
真意の読めない言動にデンボクは眉を寄せ、険しい顔で話は終わりだと言い捨てる。
「事の次第は後で聞くとしよう。まずは村を騒がせた沙汰を下さねばならぬ」
「あなたにできるんですか? 尻尾を巻いて逃げ出した、あなたに」
意味深な台詞に顔を顰めたデンボクだったが、すぐに表情を改めてボールを取り出した。
両脇のペリーラ、ムベも同様にポケモンボールを手に持ち、3人がそれぞれ相棒を繰り出す。
ゴローニャ、エルレイド、エテボースの3匹が飛び出して、ガブリアスへ怯むことなく対峙した。
居並ぶ3匹を
「3対1なら止められると思ったんですか?」
「無論。何としてでも止めて見せよう」
答えたデンボクがゴローニャに手振りで指示を出す。
両脇のエルレイド、エテボースも同様に距離を詰める中、ガブリアスは悠然とした構えを崩さなかった。
両陣営のポケモンが間もなく相手を射程に捉えるかと思われた、その時――。
突如、ガブリアスの後ろから3つのボールが飛来し、両者の間に落ちて光を放った。
新たな闖入者に一同が驚く中で光が晴れ、3匹のポケモンがデンボクたちのポケモンの前に立ち塞がる。
ギャラドス、レントラー、クロバット。
ゴローニャたちと対峙するその3匹に、ショウは見覚えがあった。
「あの子たちは、まさか……」
彼らは皆、テルが村を追われた際に連れていたポケモンだ。
調査隊に入ったばかりの頃、黒曜の原野で捕まえて以来テルはずっと彼らを連れ歩いていた。
だが今、あの3匹はテル自身が繰り出したわけではなかった。
彼の背後、門の向こうから投じられたボールから飛び出していた。
テル以外の誰かがそこにいる。
そう考えて門の向こうに目を凝らしたところで、ガブリアスが再び足を踏み出した。
「こっちは任せるよ」
穏やかな声に3匹が応え、デンボクたちのポケモンへそれぞれ襲い掛かる。
デンボクたちも相棒へ指示を出して応戦するが、経験の差かテルの3匹は指示を待つまでもなくゴローニャたちを翻弄していた。
時に避け、時にいなして攻撃を捌き、自分たちの攻撃を的確に命中させるギャラドスたち。
最初にペリーラのエテボースが倒れ、次いでムベのエルレイドが倒れると、デンボクたちはテルに注意を割く余裕もなくなった。
激しい戦闘が繰り広げられる横を、テルとガブリアスは悠然と通り過ぎる。
時折飛んでくる流れ弾はガブリアスが軽々と撃ち落とし、テルは振り向くことすらなくコトブキ村の通りを歩いて行った。
テルとガブリアスが遠く離れ、ショウはがくりと膝を着く。
村への侵入を止めることはおろか、今なお戦闘の続く中に自分の相棒を加勢させる勇気も湧いてはこなかった。
コトブキ村を守りたいという気持ちは確かにあるのに、デンボクへ加勢してテルを捕まえるのが本当に正しいことなのかわからなかった。
段々と視界の狭まるような感覚がショウを襲う。
力の抜けた足は言うことを聞かず、動悸のする胸は息苦しくて仕方ない。
落ち着けと自身に言い聞かせても鼓動は収まらず、瞳からは次々に涙が溢れ出ていた。
「――! ――ウくん! ショウくん!」
どうしたらいいのかわからず震えていたショウは、すぐ傍から名前を呼ばれてようやく我に返った。
顔を上げるとそこにいたのはラベンで、心底慌てた表情でショウを覗き込んでいた。
「ショウくん! 彼が、テルくんが本部に! ともかく、一緒に来てください!」
ラベンに腕を引かれ、ようやく立ち上がった。
まだ震えて覚束ない足を踏み出して、ラベンに連れられるまま通りを本部の方面に走る。
デンボクたちは未だに激しい戦闘を繰り広げており、すれ違うショウへデンボクは視線だけを寄越した。
商店通りを抜け、間もなくギンガ団の本部が見えるところまでやってくる。
平屋の屋根越しにレンガ造りが見えてきたところで、ふいに空へ眩い光が伸びた。
エンペルトの吐き出す水流にも似た力の奔流はギンガ団本部の最上階――団長室へと突き刺さり、周囲のテラスや装飾ごと一切合切を焼き尽くした。
悲鳴が上がり、本部方面から沢山の人が逃げてくる。
ラベンとショウは人混みの間を掻き分けながら進み、やがて本部前の広場へと出た。
広場ではテルとガブリアスが数多くの警備隊員に囲まれていた。
遠巻きに囲む警備隊はしかし手出しを躊躇っているようで、テルの傍に倒れた人物を認めて理由を察する。
「シマボシ隊長!」
幸い、地面へ倒れているシマボシに怪我はないように見える。
だが本部向かいの茶屋には同じく意識を失ったユンゲラーが倒れていて、突き飛ばされてぶつかったのか茶屋の板木はひび割れていた。
先程の攻撃、恐らくガブリアスの放った『はかいこうせん』だろうそれは、ギンガ団本部の3階部分を跡形もなく消失させていた。
入り口からは今も続々と団員が逃げ出てきていて、テルはそんな彼らに一瞥もくれることなく本部の正面玄関にある団章を見据えている。
「なぜこんな酷いことを……。テルくん、君は一体どうしてしまったのですか!」
我慢ならぬとばかりにラベンが問いかけると、テルはようやくラベンとショウの存在に気が付いたようだった。
それまでの険しい表情をふっと緩ませ、微笑みかけてくる。
「博士、お久しぶりです。また会えて嬉しいです」
毒気を抜かれるような表情に一瞬怯んだラベンは、しかし再び眉を寄せて声を張る。
「君との再会を喜びたいのはやまやまですが、こんな状況では不可能ですよ! 何故、君はこんなことをしているのですか!」
ラベンが問うと、テルは眉尻を下げて苦々しい表情を浮かべた。
口元に辛うじて笑みを残しつつ、困ったように答える。
「おれの目的のために、この本部を残しておくわけにはいかないんですよ。言って聞かないのはわかっていますから、強引に押し通らせてもらった。それだけです」
「そんなことは理由になりません! やりたいことがあるのなら何故、話し合いで解決しようとしないのですか!」
ラベンの言葉に、テルが眉を震わせたのがわかった。
俯いた拍子に髪が垂れ、表情が隠れて見えなくなる。
影の向こうから届く声はそれまでよりもずっと低く、底冷えのする響きを持っていた。
「冗談でしょう。あれだけ貢献した上で追われたというのに、今さら対話が通じる相手だと思えるはずがないじゃないですか」
「それはっ……ですが……」
言われてラベンも思い至ったのだろう。
献身的に働いていたテルを一方的な疑惑で追放したのは他ならぬギンガ団だ。
掛けられた嫌疑に対して追放するだけだったのはせめてもの温情とはいえ、行く当てのないテルにとってそれは拠り所の全てを失う大事だった。
調査隊員の身分も失い、ベースキャンプなどの設備も使えないとなれば、野生のポケモンが闊歩するヒスイの地で安全に過ごせる場所はほとんどない。
コンゴウ団、シンジュ団に身を寄せようにも、ギンガ団との関係を考えれば匿うことは難しく、テルは単独で生きていかねばならない状況に追い込まれた。
いつ野生のポケモンに襲われるかわからない中で独り生きていかねばならない。
そんな状況下に追い込んだギンガ団とコトブキ村の人間に対して、恨みこそすれ対話を図ろうなどとふつう考えられるはずがない。
辛くも生き残ったテルがコトブキ村に牙を剥く理由はいくらでもあって、無差別に攻撃しないだけ温情を残していると考えるべきなのだろう。
テルの受けた仕打ちを思い、ショウは改めてかつての自分を呪った。
何か一つ行動を起こしてさえいれば。疑いを晴らす手伝いができていれば。
テルは今もコトブキ村の住人として、一緒にヒスイに暮らすポケモンたちの調査をしていたかもしれない。
僅かに逡巡する間俯いていたテルはやがて顔を上げ、元の穏やかな笑みを浮かべた。
「さあ博士、今のうちに必要なものを持ち出してきてください。少しの間だけなら待ちますから」
声音と表情はかつて村で過ごしていた時と同じもの。
しかしその胸に抱いているであろう感情は、最早ラベンやショウが言って宥められるものではなかった。
しばし悩むようにテルを見つめていたラベンは、けれど彼の表情が変わらないことを悟って本部の中へと駆けこんでいった。
ショウもラベンを追いかけ、ラベンの指示のままに荷物を持って往復する。
最後に研究室の隅の木に止まっていたモクローを抱き上げて外へ出ると、ラベンは纏めた荷物に腰かけて項垂れていた。
長年かけて集めた研究資料の内、持ち出せたのは一部のみで、残りはまだ研究室の棚や床に積まれている。
「これ以上は待てません。いいですね」
無言で項垂れるだけのラベンを一瞥して、テルは視線をショウへと向けた。
「中に残っている人はいませんね?」
「……はい。もう全員、外へ出ました」
訊かれるがまま答えるしかないショウは、胸のモクローを強く抱いた。
羽毛に顔を埋め、困惑したように鳴くモクローへ「ごめんなさい」と声だけで謝罪する。
テルは数瞬だけショウを見つめ僅かに目を細めたものの、振り返った時には元の無表情に戻っていた。
周囲を警戒していたガブリアスの片翼へ一度触れ、触れた手で本部の建物を指し示す。
「ガブリアス、はかいこうせん」
テルの指示の応え、ガブリアスは一度咆哮を上げた後、顎門から黄金に輝く光を吐き出した。
人間を軽々と呑み込むほどの径を持ったそれはギンガ団本部を薙ぎ払うように一閃し、レンガ造りの建築が瞬きの間に溶け崩れていく。
2度、3度と左右へ首を振りながら繰り出されたはかいこうせんにより、本部はすぐさま瓦礫の小山と化した。
「うむう、このようなことが……」
力なく呟く声が聞こえて振り返ると、デンボクが呆然と立ち尽くしていた。
背後には見覚えのないゲンガーの姿がある。ペリーラとムベ、警備隊や住人諸共ここへ連れてこられたようだ。
村一番の近代建築の無残な姿を見て息を呑む人々。
その間から3人の女性が進み出て、テルの前で膝を折った。
「頭領。言われた通り、住人を集めたよ」
「ありがとう。お陰でここへ来た目的が達成できる」
「礼ならあたくしが言いたいくらいさ。お陰でギンガ団に一泡吹かせられたからね」
「ほんと、すっごいじゃん! あんなでっかい建物が木端微塵になってさ」
「姉者、騒ぎ過ぎ。頭領のガブリアスならこれぐらい朝飯前だろ」
派手な格好と隈取りを施した3人のことはショウも知っていた。
各地でギンガ団、コンゴウ団、シンジュ団から貴重品や食料などを盗む野盗三姉妹だ。
そんな彼女たちはどういうわけかテルを「頭領」などと呼び、随分と慕っているように見える。
この2年間、ショウの知りえないところでテルと彼女たちの間にどんな繋がりができたのだろうか。
「復讐のため、か」
ふと、デンボクが重々しい口調で呟いた。
賑やかだった三姉妹の次女と三女が口を噤み、長女が冷たい視線を向ける中、テルは振り返って退屈そうに答える。
「そんなつまらないことはしませんよ。本部を壊したのは、『世界を取り戻す』にあたって邪魔だったから壊した。それだけです」
そう言ってもデンボクの表情は変わらず、テルは小さくため息を吐いた後で居並ぶ人々に聞こえるよう声を張った。
「さて、皆さんにはこの後、即刻この場を退去して頂きます」
静まり返った広場に響いた声はコトブキ村の住人全ての耳に届き、一人の例外もなく目を見張った。
「……なにをバカなことを。ここを出て暮らせる場所なぞ、そうないだろうに」
馬鹿馬鹿しいとばかりに吐き捨てたムベへ、テルは冷たい眼差しを向ける。
「いくらでもあるでしょう? 15歳の男1人、追い出しても構わないと判断したくらいだ。あなた方にとって村の外はその気になれば生きていける場所なんですよね?」
言われて、事情を知る人間の大半が目を逸らした。
先にテルを追いやったのは自分たちで、だからこそ彼の言葉に異を唱えることができなかった。
それでも反論を口にしようとした者、事情を知らない者は口を開きかけたものの、テルの傍で睨みを利かせるガブリアスの姿に委縮して何も言えなかった。
しんと静まり返った村を見回して、テルはふっと緊張を解くように息を吐く。
「すみません。今のはさすがに意地が悪すぎました。一応、コンゴウ団の方に暮らせる土地を見繕ってもらえるようお願いしてありますので、野山で眠るより多少は安全かと」
打って変わって穏やかな口調で言われ、「それなら」と囁き始める者が現れた。
目の前の明確な脅威から一刻も早く逃げ出したくて、未知の困難へ踏み出す方がマシだと考えたのだろう。
このままでは本当に村人全員がこの地を追われてしまう。
そう思ったショウは気付けば声を張り上げていた。
「待って――待ってください!」
モクローをラベンの傍に下ろし、テルの前へと進み出る。
ざわざわと囁いていた声が途切れ、全員の視線がショウへと向けられた。
ゆっくりと振り向いたテルは作り物めいた笑みを浮かべて問いかけてきた。
「何ですか、先輩」
「っ……。村の外の恐ろしさは、あなたも良く知っているはずです。なのに相棒のポケモンもいない人すら外で暮らせなんてあんまりですよ」
表情とは裏腹の鋭い眼差しに一瞬怯み、けれど引くことはできないと訴える。
彼がショウの知る優しいテルのままなら、温情を引き出すことができるかもしれない。
しばしの間、視線を交わしていたショウとテル。
テルはふっと息を吐くと、心なしか柔らかな笑みに変えて切り出した。
「なら、こうしよう。先輩とおれで一対一の勝負をして、先輩が勝ったらおれはこのまま村を出ていくよ。ただし、おれが勝ったらこの村は完全に明け渡してもらう」
テルの持ち出した提案を聞いた村人が俄かにざわめき始める。
譲歩する気があるならこのまま出ていけと、強気の発言すらも飛び交い始めた。
恐怖と不安が弾けた住人は、村一番の遣い手であるショウの立つ姿に背を押され、一時的にガブリアスへの恐怖すらも跳ね除けていた。
「別に断ってくれても構わない。その場合はおれと彼女たちの総力を挙げて追い出すだけだ。怪我人が出るかもしれないが、それも仕方ない。選んだのはあなた方だ」
段々と騒ぎの大きくなる中、テルは彼らの言葉には一切耳を貸すことなく、ショウとラベン、シマボシやデンボクといったギンガ団の中心人物だけを見つめていた。
「さあ、どうする?」
モクローを抱えたラベンは心配げにショウを見る。
シマボシは頬に着いた泥を拭いながら、いつも通りの真剣な表情で頷いた。
「責任はこちらで取る。キミの思う通りにしろ」
最後にデンボクを見ると、今は無くなった右肩を押さえたデンボクが力強く頷いた。
同じ調査隊の仲間を始め、ギンガ団の団員や村人たちが一心にショウを見つめていた。
「……わかりました。あたしと勝負、してください」
重く圧し掛かる期待を背に、ショウは声が震えるのを堪えて頷く。
向き直った先のテルの目には何故か哀しげな色が浮かんでいて、けれど頭を振った後にはもうそれは見えなくなった。
背を向けて歩き出したテルの後に続く。
辿り着いた先は訓練場の稽古場で、かつて何度も手合わせをした場所だった。
不意に蘇る思い出が鼻奥を刺した。
涙の滲みそうになるのを堪えて、ショウは残った手持ちの一匹――以前からの相棒を繰り出す。
「お願い、ライチュウ!」
光が収まり、以前よりも濃い黄色と土色のライチュウが気勢を上げた。
ピカチュウだった頃しか知らないテルは驚き目を見張ると、どこか寂しげな、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべた。
「――なるほど。道理で強くなっていたわけだ」
2年前、テルと手合わせを繰り返していたショウは、どれだけ経験を積ませてもピカチュウを進化させようとはしなかった。
未熟な自分では力を引き出せないと思っていたこともあるが、一番は戦うことを恐れていたのが理由だ。
ピカチュウをライチュウに進化させたのは、ショウ自身が調査隊員としてより多くのポケモンたちと向き合う覚悟を決めたから。
テルの笑みはそんなショウの決意を汲み取ってのものだろう。
「ゾロアーク」
表情を引き締めたテルが繰り出したのは、彼自身の纏う衣装と同じ色合いのポケモンだった。
ゾロアーク。
人間への怨念を抱き続けていると伝わる雪原のポケモンだ。
シンジュ団に伝わる伝承の通り、ゾロアークは目に見えない呪いの力を操るとされている。
ゾロアークの体格はそれほど大きなものではなかった。
少なくともオヤブンと呼ばれる個体ではないのだろう。
だとすれば、あのゾロアークはテルがこの2年の間に育て上げたポケモンのはずだ。
先手必勝。元より経験で劣るショウに、様子見などしている余裕はない。
「一気にいきます! ライチュウ、ボルテッカー!」
ショウの指示に反応して飛び出したライチュウは、一回り大きな雷球となって稽古場の地面を電光石火の如く駆け抜ける。
目にも止まらぬ速さで迫るライチュウに、けれどテルの声は冷静だった。
「『素早く』めいそう! 受け止めろ!」
鍛えられた『早業』により一瞬で精神統一を果たしたゾロアークへ、持てる最大の力を発揮したライチュウが飛び込む。
轟音と閃光がほとばしり、眩い光が消えた先で――。
「うそ……」
雷光ごとライチュウを受け止めたゾロアークは、しっかりと地面を踏みしめていた。
愕然とするショウの眼前でライチュウは距離を取ろうと藻掻くものの、ゾロアークの手ががっしりとライチュウの胴を掴んでいるために抜け出せない。
電気技で距離を取らないと。
そう考えた時にはもう、テルが口を開いていた。
「掴んだまま、シャドーボール」
両手を伸ばしたゾロアークが自身とライチュウの間に黒い力の塊を生成し、必中の一撃でライチュウを空へ吹き飛ばした。
ボルテッカーで消耗していたところにめいそうで強化された一撃が加えられ、ライチュウは受け身を取る素振りもなく落下し始める。
「ライチュウっ!」
慌ててボールを向け、地面を転がる前にライチュウを回収。
膝を着いてポーチから薬を取り出し、ボール内へ噴射した。
一対一での勝負という最大限の譲歩を得ながら、手も足も出ずに敗れた。
力なく顔を上げたショウの見る先で、テルは憮然とした顔で目を切っていた。
「勝負あったな。約束通り、全員ここから出て行ってもらおう」
容赦のない宣告に村人の間から不満の声が上がる。
先程は見過ごされたからかより大きなざわめきが漏れる方向へ、けれどテルは極寒の眼差しを向けた。
思わず息を呑み、そろそろとガブリアスへ目を向けた一同がすっかり黙り込む。
冗談でもなければ温情もないとわかった人々は、今度は不満を口にし始めた。
テルやガブリアスへの不満が第一に。
それが侵入を許した警備隊や勝負に負けたショウにまで及び始めた瞬間、膨れ上がるような圧力に先んじてデンボクが大声を張る。
「皆、落ち着けい!」
静寂に包まれたその場に、デンボクは膝を折って一本だけの左手を地に着けた。
「済まない。今回の件、すべてはこのデンボクの不徳の致すところ。無闇に逆らって怪我人を出してはならぬ。今は大人しく従ってくれ」
コトブキ村の指導者であるデンボクの土下座を見て、人々は疲れたように肩を落とした。
冷静になって改めて自分たちの言動が危ういものだったと悟り、恐怖の大きなものからぞろぞろと村の門へと向かっていく。
村の外にはいつの間にかコンゴウ団の団員が立っていた。
代表して話しかけたペリーラと何事かを話し、やがてコンゴウ団員の先導に従って歩き出す。
一人、また一人と村を後にする中、ショウは稽古場の地面にへたり込んだまま涙を流していた。
ショウには最早、自分の心がわからなくなっていた。
怒っているのか。悲しんでいるのか。喜んでいるのか。
複雑に混ざり合った感情はそのどれにも当て嵌まるようで、しかしどれ一つとして表に浮かんではこなかった。
「ショウくん」
ふとラベンに促されてみれば、村に残っているのはもうショウとラベンを除けばシマボシとデンボクだけになっていた。
立ち上がり、手を引かれるままに通りを門へ向けて歩いていく。
振り返ると、テルは訓練場の台座から村を見渡していた。
ゆっくりと首を巡らせて、焼き付けるように村を眺めるテルを見て、ショウの中で何かが弾ける。
ラベンの腕を振り解き、来た道を戻ってテルのもとへ。
訓練場への坂を駆け上がるとガブリアスの目がこちらを捉えたが、ショウは止まらずテルの前へ駆け寄った。
「テル……テル!」
声の限りに叫んだショウへ、テルがそっと振り返る。
感情の抜け落ちたような暗い目が向けられ、けれど怯む間もなくショウは心のままに想いを吐き出した。
「あたしは! あたしは、あなたの意志を継いで図鑑を完成させようと……。だから……!」
また、一緒に調査に出よう――。
そう口にする前に、テルは静かに首を振った。
滲んで歪んだ景色の先で、彼の言葉がショウを貫く。
「先輩。おれにとってそれはもう必要のないものだ。図鑑の完成を目指したのも、それで博士や先輩たちと一緒にいられるからだった。今となっては、その理由もなくなったけどな」
大切だったと気付かされて。
手遅れだと突き付けられて。
不要だと切り捨てられて。
大切な図鑑をそれでも胸に抱きながら、ショウは目の前が真っ暗になるようだった。
連日投稿はここまで。
次回投稿は未定です。