アナザーストーリー もしも『希望』に出会わなければ   作:惣名阿万

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第3話:失意

 

 

 

 コトブキ村を退去したギンガ団と村人たちは、先導するコンゴウ団員に付いて黒曜の原野を歩いていた。

 

 そろそろ陽も高くに昇り始めようかという頃合で、草地を並んで進む一行は不安と恐怖に震えながらなだらかな坂を下る。

 大志坂を東に向けて下りていくとやがて視界が開け、広大な蹄鉄ケ原の地平が一同の前に広がった。

 

 時折木々や草葉の間からケムッソやムックルといったポケモンたちが覗くたび、野生のポケモンに慣れていない人々は驚き震え上がる。

 その都度警備隊の人間が励ましつつ進み、ようやく足を止めたコンゴウ団員が振り返ったのは、静かな水面を湛える池のほとりだった。

 

 怯えた表情で辺りを見渡すコトブキ村の人々。

 そんな彼らの最前で眉を寄せるデンボクの前に一人の青年が歩み寄る。

 

「デンボクの旦那」

 

 藍色の髪を束ねて下ろした姿は、2年前と比べより精悍さが増していた。

 着物の袖口から覗く両腕には包帯が巻かれごつごつと盛り上がっている。痩身な体型はそのままに密度だけが重厚になったようで、かつての軽薄な印象から堂々とした風格の青年へと成長していた。

 

「セキ殿、か。此度のはからい、感謝致す」

 

 正対して腰を折ったデンボクへ、コンゴウ団の若き長は真剣な表情のままで首を振った。

 

「感謝してもらう必要はない。オレたちはあくまで約定に則って動いているだけだ」

 

 セキの声音は淡々としたものだった。一部気掛かりな単語はあったものの、デンボクは口を挟むことなく頷く。

 極短い間だけ視線を合わせた2人は、セキが促すのに合わせて視線を移した。

 

「この辺りにいるのは比較的大人しいポケモンが多くてな。水場もあって拠点とするには丁度いいだろう。ただ、夜になるとフワンテやズバットなんかが現れることもある」

 

 どちらも夜行性の少々厄介な性質を持つポケモンだ。相棒のポケモンを連れている場合はそれほど手強いわけではないが、単独で出くわすと襲われてしまうこともある。

 

 セキの忠告はそれだけに留まらなかった。

 

「対岸の林には少々凶暴な連中がいる。川を渡るのは避けた方がいいだろう。万が一オヤブンの縄張りに踏み入っちまったら、命の保証は出来ない」

 

 緩やかに流れる川の向こう岸を指した言葉にデンボクが唸りを漏らす。

 

 群れや縄張りの頂点に位置する『オヤブン』たちは一線を画す強さを持ったポケモンだ。

 腕の立つ警備隊員ですら接触は避けるのが基本で、実際にギンガ団のみならずコンゴウ団、シンジュ団でも重傷者が出ている。

 

「今回の一件、オレたちコンゴウ団は中立の立場を取らせてもらう。テルの側に与することはしない代わりに、アンタたちの側に立つこともない。それは覚えておいてくれ」

 

 一通り周辺の地理や生息するポケモンについて伝えたセキは、最後にそう宣言した。

 

「すでに各地の団員へ事の次第は伝えた。中には団を抜けてアイツに付くやつも出ちまったが、残った連中はアンタたちギンガ団の行動を妨げることはしない」

 

 どうやらコンゴウ団の内でもひと悶着あったようで、それならば彼らが中立を選ぶのもやむなしと納得できた。

 元より2年前の一件以来交流は減る一方だったのだ。対立するではなく、こうして便宜を図ってくれる時点で助けられていると考えるべきだろう。

 

「承知した。重ね重ね、配慮に感謝致す」

 

 潔く腰を折ったデンボクは、すぐに今後のことを考え始めた。

 

 危険なポケモンは少ないとはいえ、周辺の警戒を怠ることはできない。縄張り付近の見回りも含め、警備隊の負担は大きなものとなるだろう。

 資材や食料の調達を疎かにするわけにもいかず、雨風を凌ぐための住居も早急に用意しなくてはならない。

 

 以前に比べて人手は増えているものの、それは養う人数が多いことにも他ならない。

 安定して収穫できる畑を失った今、増えた人口を支えるためには働き手の大半を食料確保に回す必要がある。

 

 途方に暮れる住民たちを前に思案するデンボクへ、訝しむようにセキが訊ねる。

 

「旦那は随分と冷静なんだな。アイツのしたことに怒りは抱かないのか?」

 

 セキの問いは、コトブキ村の住民であれば当然持つはずの感情に対してのものだ。

 現に村人の中には恨み言を呟いている者もいて、口にしていない者でも突き付けられた理不尽に怒りを感じているのは明白だった。

 

「憤りはある。恨みがあるのであれば、わたし一人に向ければよいものを」

 

 しかしデンボクは表情一つ、声色一つ変えることなく淡々と答える。

 

「だが今は斯様なことにかかずらっている暇はない。今日の床、明日の食事を考えねばならぬ。誰も死んではおらぬのだ。生きてさえおれば、何度でも立ち上がることはできる」

 

 デンボクにとって、住む土地を失うのはこれが初めてではない。

 かつての惨事では多くの同胞と最愛の妻を失い、それでもと新天地を求めてヒスイの地へ辿り着いた。そんなデンボクにしてみれば、生きていることは何にも代えがたい好事だ。

 

 だからこそ、ギンガ団とコトブキ村を纏める者として考えるべきは今後のこと。

 私情にかまけている暇などなく、人々の安全な生活を確保することこそが最優先だった。

 

「……やっぱり旦那は大した人だよ。指導者としちゃあ、紛れもない傑物だ」

 

 デンボクの答えを聞いたセキは視線を斜め下に落とし、何やら含んだような言い方をして背を向けた。

 

「何か手伝えることがあれば言ってくれ。隣人として(・・・・・)、話くらいは聞こう」

 

「感謝する」

 

 背中越しに応えを受けて、セキがその場を後にする。

 

 一見穏やかに話していた両者の間にはしかし、見る者が見れば明らかな隔たりがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、あとは――」

 

 デンボクとのやり取りを終えたセキはその後、この場を訪れたもう一つの目的を果たすべく草原を歩いていた。

 

 簡易な茣蓙(ござ)を敷いた上に座り込む人々の間を抜け、目当ての人物を探して回る。

 疲労や恐怖を浮かべた顔を横目に見ながら歩いていると、やがて集団から外れた岩の上に腰かける少女が目に留まった。脇には彼女を心配げに見つめる学者の姿もある。

 

「ショウ」

 

「……セキさん」

 

 ラベンに手振りで挨拶しながら声を掛けると、頭巾の少女が抱えた膝を下ろして振り返った。

 驚いたように軽く目を見張りながら、けれど眉尻は落ちたまま表情は変わらない。

 

 小さく眉を顰め、セキは岩から降りたショウへと問いかける。

 

「アイツに、テルには会ったか?」

 

 頷く動作で応じたショウの瞳が一層細められた。

 

 胸の前の両手は小刻みに震えていて、彼女の抱く心痛の大きさが察せられた。

 痛々しいほどに苦悶するショウを見て一度は視線を落としつつも、セキはすぐに表情を改めて告げる。

 

「言いたいことはあるだろうが、恨まないでやってくれよ。オマエや学者先生なんかと対立しなきゃならないことをアイツは一番気に病んでいたからな」

 

 漏れ聞いた事情にショウの震えが大きくなる。

 ラベンも苦々しげに眉を寄せ、静かにテルの名を呟いていた。

 

 消沈する2人の前で、セキはこの場にいない誰かを案じるように目を細める。

 

「2年前、アイツに初めて会ったとき、オレはテルこそが3つの団を結びつける器だと予感した。裂け目から現れたというアイツは何にも縛られない存在だったからだ」

 

 語る彼の視線はかつて空の裂け目があったテンガン山の頂きへと向けられていた。

 裂け目から落ちてきたテルはその出自が故に調査隊の一員として各地を巡り、またその出自と類稀な能力が故に村を追われた。

 

「かつての『英雄』と共にあったポケモンの末裔と絆を結び、各地のキングとクイーンを鎮め、テルは見事にバラバラだった3つの団の橋渡しとなった。予感は現実となり、新しい時代を牽引する存在になる――はずだった」

 

 懐古にしては後悔の色が強く、遺恨にしては晴らし所のない感情が覗く。

 集落の仲間を纏め、団のリーダーとしてより広い視野と知見を得たからこそ、セキの葛藤は過日よりも強くなっていた。

 

「デンボクの旦那が下した決断を責める気はない。旦那は旦那で、ギンガ団とコトブキ村のために考え得る限りのことをしたんだろう。賛同はできないが、納得はできる」

 

 どちらかを選ばなくてはならなくなった時、集団にとって最善と思われる手段を取るのが指導者の責任だ。

 たとえそれで誰かを切り捨てることになったとしても、全体の危険を回避するために非情な決断を迫られることは時に出てくる。

 

 じっと空を見つめた末に小さく頷いて、セキはショウとラベンへ順に目を向けた。

 

「アンタたちと対立することをオレは望まない。一方で、テルに恩義があるのは確かだ。だからオレたちコンゴウ団は中立の立場を取ると決めた。アイツに付き従うことはしない代わりに、アンタたちギンガ団と肩を並べるつもりもない」

 

 鋭く射貫くような眼差しが2人を捉え、厳しくも穏やかな声でセキは激励を送った。

 

「手を貸すのは今回限りだ。あとはアンタたち自身でこの状況を切り抜けてくれ。ヒスイの大地に調和して生きる限り(・・・・・・・・・・・・・・・・)、|アイツが手出しをしてくることはないだろう」

 

 意味深げにそう言ってから、セキはふと思い出したように告げる。

 

「それともう一つ。シンジュ団を頼るのは止めておけ。連中はオレたちと違い、アイツの側に付くことを決めた。ギンガ団が助力を求めたところで、取り合うことはないだろう」

 

「Unbelievable! テルくんとシンジュ団の間に何があったというのですか……」

 

 驚き目を見張ったラベンが故郷の言葉を口走る。

 隣ではショウが困惑を浮かべていて、動揺する2人へセキは淡々と続ける。

 

「さすがに襲われることはないだろうが、行けば追い返されるのがオチだ。余程の事情がない限り、連中の集落に近付くのは止めておいた方がいい」

 

 鋭い眼差しに射竦められ、ショウは思わず身を引いた。

 俯き自らを支えるように抱きながら、恐る恐るといった声音で問いかける。

 

「どうして、シンジュ団の人たちはテルの味方をするんですか?」

 

「さあ、な。オレも探りを入れてはみたが結局わからず終いだった」

 

 腕を組んで顎に手を当てて考え込むセキに釣られ、ショウの目が足元へ落ちる。

 

 テルとシンジュ団の間にあるという繋がり。

 それを辿れば、テルが何故こんなことをしたのかがわかるかもしれない。

 

 コトブキ村を襲い、けれど住民を1人として傷つけることなく追放するに留めた理由。

 単なる意趣返しのためとは思えず、だとすればテルの目的は一体どこにあったのだろうか。

 

「忠告はした。それでも行くってんなら、あとはオマエ自身でどうすべきか考えるといい。行けば後悔はするだろうが、得られるものもあるかもしれん」

 

 ショウの表情の変化を見てとったセキが念を押すように呟く。

 純粋な厚意から出た忠告をしっかりと受け止めながら、それでもショウは雪原へ向かうことを心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 ―――

 

 

 

 

 

 

 数日後、ショウは独り雪と氷に閉ざされた地へと足を踏み入れた。

 

 ショウがシンジュ団の集落を訪れた経験は一度もない。

 純白の凍土は他の地域と比べても危険な土地で、単独での調査が許されるのはイツツボシ以上の隊員のみ。調査許可を得た後も頻繁に訪れられる場所ではなく、必然的にこの地へ根付いたシンジュ団の集落とも縁遠くなっていた。

 

 加えて2年前の一件以来、ギンガ団とシンジュ団の間の交流はほとんど途絶えていた。

 あるのはイチョウ商会を介した物のやり取りと僅かな書簡の行き来のみで、運搬もイチョウ商会が行っているために両団の団員が顔を合わせることもない。

 

 セキから語られたテルとシンジュ団の関係はデンボクやシマボシにも知らせてあり、ショウは助力を請う使者の役割を与えられて雪原を訪れていた。

 

 キッサキ神殿の聳える山の麓。

 雪深い谷間に点在する家々の間を抜け、長の庵へと向かう。

 

 道行くショウをシンジュ団の団員は遠巻きに見つめていた。即座に追い返されるほどではないものの、眼差しは冷たく表情も硬い。

 歓迎されていないのを肌で感じながら、それでもショウはデンボクの使者として、またテルの話を少しでも聞くことができればと重い足を繰り出して雪道を歩いた。

 

 やがて、集落の最奥に長の暮らす庵が見えてくる。

 細く煙の立つ庵の前では美しい毛並みのグレイシアが降りしきる雪を眺めていて、ショウの到来に気付くと何も言わずに専用の入り口から中へと入っていった。

 

 間もなく庵の戸が開き、中から少女が姿を見せる。

 

 シンジュ団の長――カイ。

 

 2年前よりも長く伸びた黄金の髪は腰に届くほどで、以前と似た出で立ちの上から羽織った赤い肩掛けを首元で結って留めている。覗いた白い手足は細く長く、蒼穹のような瞳と並んで冷たい印象を与えていた。

 

 落ち着き澄ました表情でショウを見たカイは、瞳の色と同じ冷たい声音で問いかける。

 

「何の用でしょうか。ギンガ団のショウさん」

 

 言葉だけを捉えれば丁寧な一言だった。

 けれどカイの放った声には明確な隔意が窺えて、ショウは挫けそうになる自身を奮い立たせて一礼する。

 

「お久しぶりです、カイさん。急な参上をお許しください。本日は団長からの嘆願をお届けに参りました」

 

 懐から書状を取り出し、両手でカイへと差し出す。

 差し出されたそれをジッと見つめた後、滑らかな所作で受け取ったカイはその場で懸紙を開き、書かれた内容に目を通し始めた。

 

 デンボク自らしたためた親書を読み進めるカイを見つめる。

 

 カイが最後にコトブキ村を訪れたのは裂け目が閉じた直後のことで、帰還したデンボクを訪ねてきた彼女は激情を隠すこともなく涙ながらに村を出て行ったらしい。

 当時テルの訃報に泣いていたショウは部屋に閉じこもっていて顔を合わせることはなかったが、かつての彼女は長としての責務を果たそうと懸命に努めていたのを覚えている。

 

 そんなカイも、この2年の間に凛とした女性へ成長していた。

 ショウよりも一つ年上の彼女は今やシンジュ団の長として相応しい風格を備えて見える。

 

 手紙に目を通すカイを見つめていたショウはふと彼女の腰元にある物へ目を留めた。

 

 鮮やかな緋色の帯の上から巻かれた帯留め。

 青空の色に染められたそれは同時に小物入れを保持するためのものでもあり、そこには以前の彼女からは考えられないものが提げられていた。

 

(モンスターボール? カイさんはボールを使わない人だったと思ったけど……)

 

 かねてよりヒスイに暮らすシンジュ団、コンゴウ団の人々が使おうとしない、或いは忌避すらしているそれが、長であるカイの腰元に覗いていた。

 

 空のモンスターボールなのか、それともポケモンが収まっているのだろうか。

 興味を引かれるショウの前で、カイは読み終わった書状を畳み始めた。

 元のように懸紙へと収め、視線がショウへと向けられる。

 

 コトブキ村の窮状を訴え、協力を依頼する書状を読んだカイの目はしかし、変わらず凍てついたままだった。

 

「お引き取り下さい。わたしたちシンジュ団があなた方へ助力することはありません」

 

 言って、カイは書状をショウへと差し出し返した。

 

 セキから忠告されていた通りの答えだった。シンジュ団はテルと結んでいるが故に、ギンガ団へ助力することはないだろうと。

 それをわかった上で、僅かでも望みがあるのならとここを訪れたのだ。ショウを遣わせたシマボシは断られたのなら潔く引き下がるよう指示していたが、困難の中にある村人を思えば食い下がらざるを得ない。

 

「待ってください! 村の皆は住む場所もなく途方に暮れているんです。食べるものでさえ、皆の手に行き渡るかどうか……」

 

「あなた方の窮状は理解しました。ですがそれはあなた方の判断が招いた結果でしょう。あの人を追放し、いずれかで果てるべしと判断したのなら、同じ沙汰を言い渡されても文句はありませんよね」

 

 改めて訴えても表情は変わらず、どころかカイの目は僅かに鋭くなっていた。

 怯んで唇を噛んだショウがそのとき、はたと気付く。

 

「あの人……? テルのこと、ですか?」

 

 まるで身内を指すかのような呼称(・・・・・・・・・・・・・・・)に違和感を抱く。

 

 テルがまだ調査隊の一員として活躍していたとき、カイは彼を『テルさん』と呼んでいた。

内心でどう想っていたかはわからないにしても、『あの人』と親しげに呼ぶことはなかったはずだ。

 

 それが今になって別の、親しい相手を指すような呼び方をしている。

 2年の間により慕うようになったのだとすれば、カイはテルが何処でどんな風に生き延びてきたのか知っているかもしれない。

 

「カイさんは、テルが生きていたと知っていたんですか? 教えてください! テルは、彼はこの2年間どこにいたんですか?」

 

 切実に訴えるショウに対し、カイの表情は凍てついたまま変わらなかった。

 

「あなたに教える必要がありますか? 忌々しいあの男の言葉を真に受けて、あの人を探そうともしなかったあなたに」

 

「それは……」

 

 食い下がろうとして、何一つ言葉が出てこないことに気が付いた。

 何を口にしても言い訳にしかならない。カイは事実を口にしているだけで、どれだけ心配していたとしても行動が伴わないのであれば何もしなかったのと同じだ。

 

 胸の張り裂けそうな痛みを堪えながら、ショウはただ唇を噛むことしかできなかった。

 そんなショウへ、カイは淡々と目に見えない刃を振りかざす。

 

「結局、あなたは我が身可愛さにあの人を助けようとしなかったのでしょう。傍に居続けることも、団を抜けることすらできたというのに。居場所を失うのを恐れて、あの人を見捨てた」

 

 2年前、村を出て行くテルを見送った時、耐えて機を窺うことが肝要だとシマボシから言い含められた。それが何よりテルのためで、テルが疑惑を晴らす証を持ち帰るまでの辛抱だと。

 

 かつてはそれが最善だと信じていた。誰よりテル自身が頷いていた。

 だからこそショウは飛び出したい気持ち堪え、その末にテルの訃報を聞いたのだ。

 カイの言う通り、何を置いてでもテルに付いていっていれば、或いは全く違う『今』を迎えられたかもしれない。

 

「お引き取り下さい。これ以上、ギンガ団の方にお話しすることはありません」

 

「っ……なら、ならせめて、彼の目的を教えてください! 何のために、どうしてあんなことをしたのか、もし知っているのなら教えてください。お願いします!」

 

 見限って目を切るカイに、ショウはけれど胸を押さえて食い下がる。

 今すぐにでも叫び出したい衝動は涙となって瞳に浮かび、白雪の上に小さな染みを作った。頬を伝う熱は風に当たってすぐに冷え、棘へ触れるのに似た痛みが肌を刺した。

 

 半身背を向けたカイが首だけで振り返る。

 感情の窺えない眼差しで腰を折ったショウを見つめ、やがてポツリと問いを零した。

 

「仮にお話ししたとして、それであなたはどうするつもりですか?」

 

 問い質す声は興味から出たものとは思えなかった。

 寧ろ罪を暴こうとするような、判事の審問のようにも聞こえた。

 

 意図を推し測ることはできず、それでもショウは望みを口にする。

 

「あたしはただ、以前のように戻れればと……」

 

 

 

 瞬間、カイの目に激情が灯った。

 

 

 

「以前のように、戻る? よくもまあ、そんな酷なことが言えたものね!」

 

 膨れあがった怒気に思わず身を引く。正対したカイの雰囲気はそれまでと打って変わり、自制の外れた憤怒が全身から放たれていた。

 

「手出しは止められていたけど、今の言葉は聞き捨てならない。――グレイシア!」

 

「っ! 出てきて、バクフーン……!」

 

 敵意を露にしたグレイシアを見て、ショウは反射的にボールを繰り出した。

 

 氷の力を揮うグレイシアに対し相性の良い炎を操るポケモン。

 紫焔を身に纏ったその姿を見て、カイは一層眼差しを鋭く尖らせる。

 

「抗う意志を持てるなら、どうしてあの時そうしなかったの! グレイシア、シャドーボール!」

 

「こちらもシャドーボールで打ち消して!」

 

 グレイシアとバクフーン。双方から放たれた呪いの黒弾が中央でぶつかり、弾けて消えた。

見事な対応を見せたショウに歯噛みしたカイが今度こそとばかりに指示を飛ばす。

 

「もう一度、シャドー――」

 

 しかし、今度は一瞬前の焼き直しとはならなかった。

 

「『素早く』かえんほうしゃ!」

 

 呪いの球を生み出すグレイシアへ、いち早く炎の槍が伸びる。

 穂先が黒弾を貫き、勢いはそのままに向こう側のグレイシアを吹き飛ばした。

 

「グレイシア……!」

 

 悲鳴と共に振り返ったカイへ応えるようにグレイシアが立ち上がる。

 『早業』によって威力が減衰していたとはいえ、苦手な炎を身に受けて尚立ち上がる余力があるのはグレイシアが相当な修練を積んできた証左に他ならない。

 

「ありがとう。よく頑張ってくれました」

 

 駆け寄ったカイがグレイシアを撫で、その場に座らせて顔の前にオボンの実を置く。

 立ち上がり振り返ったカイの顔に笑みはなく、煮え滾る激情のままにショウを睨みつけた。

 

「もう、やめてください。あたしは、ただテルのことが聞きたいだけなんです」

 

「っ……。あの人を見捨てたあなたが、気安くその名前を呼ばないで!」

 

 叫んだカイが後ろ腰に手を回す。

 背中へ回った左手が掴んだのは帯留めから提がっていたボールで。

 慣れない手つきで放たれたそこから、1体のポケモンが飛び出した。

 

 海のような群青の頭と腕。

 胸元の突起は通常よりも色味が薄く、純白の体躯は庇うようにカイの前に立っている。

 

「エル、レイド……? そんな、その子はテルの……」

 

 確認されている中では唯一の、通常とは異なる色のエルレイド。

 紅蓮の湿地の奥地、霧の遺跡で出会い、相棒の一角として連れていたテルのポケモンだ。

 

「出て行ってください。そしてもう二度とここへは来ないで」

 

 エルレイドの傍らから睨むカイの瞳に涙が滲む。

 テルの相棒だったポケモンに庇われる彼女を目の当たりにして、ショウは自身こそが彼に仇を為しているのだと思わされた。

 

 支援は受けられず、自身の罪を突き付けられ、それでもテルのことが知りたいと食い下がって、その果てに彼の相棒からも睨まれて。

 

 全身の冷たくなる感覚に襲われてショウは一歩二歩と後退る。

 心配げに振り返ったバクフーンにも首を振ることしかできず、ボールへと戻して逃げるように駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追われるようにシンジュ団の集落を後にして数時間、落ち着きを取り戻したショウは重い足取りで帰路へと着いた。

 

 降り積もった新雪に(くるぶし)までを埋めながら、凍えた身体を前へと進める。

 

 芯から湧き上がる震えは寒さだけが理由ではない。

 自身の罪と甘さを突き付けられ、何一つ成果の得られなかった事実がショウの心を冷え込ませていた。

 

 舞い落ちる雪が周囲の音を吸って、純白と静寂の幕が視界を覆っていた。

 身も心も冷たく凍え、行く先さえ見通せない雪原をたった独り歩くうち、段々と身体の感覚が遠のいていく気がする。

 深い後悔が渦巻く胸は痛く苦しく、両手で抱いても身体の震えは止まらなかった。

 

 これが夢ならばどれだけよかっただろうか。

 

 ぼんやりと浮かんだ想いが胸中に広がって、自然と涙が滲んでくる。

 止まった足が独りでに折れ、膝を着いたショウは力の限り自身の身体を抱いた。

 

 漏れ出た嗚咽は舞い散る雪の中に消え、誰の耳にも届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 それからどれだけの時間が経っただろう。

 肩に薄っすらと白雪の積もった頃、不意にショウを呼ぶ声が聞こえた。

 

「こんな雪原の真ん中でどうされたのですか?」

 

 振り向いた先にいたのは、イチョウ商会の防寒服に身を包んだ青年だった。

 

「事情は伺いましたよ。村の皆さんにはお世話になりましたし、テルさんのことも気になりますから。ジブンにも何かお手伝いをさせてください」

 

 そう言って笑みを浮かべる青年の瞳は爛々と輝いていた。

 

 

 

 

 




 
 
 
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