アナザーストーリー もしも『希望』に出会わなければ 作:惣名阿万
お久しぶりです。
今回は繋ぎ回なので短めです。
雪原にうずくまるショウへ声を掛けたのは、顔馴染みの青年だった。
青年の名はウォロ。イチョウ商会に所属する彼は過去コトブキ村を頻繁に訪れており、ショウ自身も幾度となく言葉を交わしたことのある相手だ。
村を追われる前のテルとも交流があり、調査帰りのテルから旅先で会ったと聞いたことも1度や2度ではない。
穏やかに手を差し伸べてきたウォロに引かれて立ち上がったショウは、「ひとまず落ち着いて話せるところに」と語る彼の後について歩きだした。
どうやらコトブキ村に向かっているわけではないようで、テンガンザンを西に見て歩くウォロの背にショウは小さく息を吐く。
心身ともに凍え切った今、まっすぐコトブキ村へ帰ろうという気にはなれなかった。
だからこそ村とは別方向に向かうのはありがたく、胸に重く圧し掛かったモノがやんわりと解れていくような気がした。
雪原の外れを南東へ向けて歩くこと暫く。
山間の道を進むウォロに付いて歩いていると、やがて開けた場所へと出た。
小川に架けられた橋と小さな畑。ひっそりと建つ庵の前には異国のテーブルが置かれ、卓上の茶器は瀟洒で見るからに貴重そうな代物だ。
庵から細く立ち昇る煙を認めて、ショウはどんな人物が暮らしているのだろうかと俄かに興味を抱いた。
「ここに住んでいる人は少々変わっていますが、ジブンたちの知らない様々なことを知っている人でもあります」
ショウの疑問を読み取ってか、ちらと視線だけを振り向かせたウォロが笑みを浮かべる。
「どうやってかはわかりませんが、ヒスイ地方で起きた出来事の大概を知っているのです。テルさんのことも何か知っているかもしれませんよ」
微笑を浮かべたウォロの目配せにキュッと胸が詰まる。
テルのことを知りたくてシンジュ団の集落を訪れたものの叶わず、途方に暮れていたと語るショウをウォロは励ますようにここへ連れてきた。ただ慰めるのではなく、次の手掛かりを示す彼の遣り方が今は何よりも有難かった。
先導するウォロに付いて庵の前へと立つ。
ちらと目配せをしたウォロは安心させるように頷くと、慣れ親しんだように戸を叩き、開いて中へと足を踏み入れた。
庵の中は柔らかな香草の匂いに満ちていた。
新緑を思わせる内壁には多種多様な香草の葉飾りが掛けられ、両脇の棚にもいくつか鉢が並んでいる。支柱傍のかまどには沸々と音を立てる鍋が乗っていて、香りの出処はどうやらその鍋のようだ。
不思議と落ち着く香りに、ショウは自ずと深く息を吸う。
重く圧し掛かった雲が薄れていくような感覚。目を閉じ、二度三度と深呼吸を繰り返す内に息苦しさが和らぎ、開いた視界はそれまでよりも少し明るくなったように感じる。
そうして思わずため息を漏らしたショウへ、ふと傍らから声が掛けられた。
「ふむ。手慰みに煎じておったものじゃが、それほど気に入ったか」
ハッとして振り返ると見慣れぬ洋装に身を包んだ女性がいて、純白の手袋に覆われた手を口元に添えショウを見つめていた。
慌てて無礼を詫び、深く腰を折る。
けれど女性の方はさして気にした様子もなく、手振りだけで応えると視線をウォロへと向けた。眼差しは呆れを多分に含みつつ、やれやれとばかりに非難を口にする。
「またぞろ唐突に現れおって。しおらしくしておったのは何だったのじゃ」
「その話はもういいじゃないですか。そんなことより今日は聞きたいことがあって来たんですよ」
ウォロの方も普段の飄々とした態度はどこへやら。やり辛そうに苦笑いを浮かべ、早々に本題を口にした。
なんとも気安いやり取りに、ショウは2人の浅からぬ付き合いを見て取る。
親姉弟というには態度に隔たりがあるが、顔立ちはかなり似通っているように見える。親類縁者と考えるのが妥当なところだろうか。
「コギトじゃ。して、こやつは?」
ウォロの苦笑も興味なしとばかりに流して、女性は端的に名乗った。
切れ長の銀の瞳に射抜かれて、ショウは畏まった姿勢のまま唾を飲む。
「ギンガ団のショウさんです。調査隊の一員で、ポケモンたちの生態を調べて記録しているのですよ」
「初めまして。コギトさん、とお呼びしていいですか?」
促されるままに会釈し、顔を上げてコギトを見つめ返す。
悠然としながらもどこか儚げな彼女はじっとショウを見つめた後、諦めたようにふっと目を伏せた。
「好きに呼ぶがよい。それで、聞きたいことというのは何のことじゃ」
一抹の違和感を抱きながら、それでも何か手掛かりが得られればと口を開く。
「2年前、テンガン山の上に開いた裂け目をご存知ですか?」
「もちろん知っておる。ここからもよう見えておった故なぁ」
コギトの目がちらと壁の一方へと向く。庵の中からではわからないが、視線の先には天冠の山麓があるのだろう。
テルが一時消息を絶った山の頂を思い出しながら、語る口を続ける。
「あのとき、裂け目を閉じるのに力を尽くした人がいるんです。テルという名前で、彼自身も裂け目から落ちてきたのですが……」
そこまで話したところで、コギトは何やら納得したように息を吐いた。
「ああ。成れ果てたという
思わず言葉に詰まる。
吉事とは到底思えない単語はもちろん、それ以上にコギトの口調が耳に残った。詰まらないとばかりに冷めきった声音が、真意を訊く前からショウの胸を締め付ける。
「
二の句が継げないショウを見かねて、隣のウォロが問いかけた。
ちらと視線を揺らし、それからコギトはティーカップを手に取る。
「言葉の通りよ。『英雄』たるを望まれ、そのように振る舞い、神をも退けてみせたその末に只人でなくなった。『英雄』の役目を一身に負った、その成れの果てじゃ」
言ってカップを口へ運ぶコギトは、心底からどうでもいいと思っているようだった。
ゆっくりと中身を飲み下し、カップを受け皿へと置いた後で、卓上に肘を着いた右手を頬へと添える。
一連の動作を見守っていたウォロは、コギトの目が自身へと向くのを待ってから問いを続けた。
「『只人でなくなった』? テルさんの身に何が起きたのですか?」
「さて、のう。わたしも言伝に聞いたのみじゃ。確かなことは知らぬ。じゃが――」
面倒くさそうに明後日の方向へ視線を逸らしながら、コギトの答えは続く。
「神の許へと連れられ、御力を与えられたのやもしれぬと、その者は言っておった」
信じ難い内容にショウはただ驚くばかりで、他事を気に掛ける余裕はなかった。
隣に立つ青年の表情を見ることもできなければ、漏れ出た囁きを捉えることもできなかった。
「まさか、加護を受けたとでもいうのか……? そうだとすれば……」
「……ウォロさん?」
様子の違いへ気付いたときには呟きも止まっていて、ショウが覗き込んで訊ねると彼はすぐに表情を整えた。
「すみません。実に興味深い話だったもので」
小さく咳払いをしたウォロは、改めて人差し指を立てる。
柔和な笑みを浮かべる彼の声はそれまでと変わりなく、それ故にショウが彼の変調へ気付くことはなかった。
「神の御力――つまりはシンオウ様の力ということでしょうか。もし本当にテルさんが何か特別な力を受け取ったのだとすれば、それは一体どんなものなのでしょうね」
「わかりません。村へ来たときは、以前と変わらないように見えたのですが……」
先日、コトブキ村へ乗り込んできた際の様子を思い出す。
ドサイドンやガブリアス、ゾロアークを繰り出して村の人々を追放したテルは、言動こそ冷然としていたものの人ならざる力を揮った様子はなかった。ただショウが気付いていないだけという可能性も多分にあるが。
「なんにせよ、これで一つはっきりしました。2年前のあの日、テルさんはテンガン山の頂上にあるシンオウ神殿に向かい、現れた謎のポケモンと戦った末にシンオウ様から力を授かった、と。もしかしたら、これで彼の凶行にも説明がつくかもしれませんね」
鬱々と考え込むショウに対し、ウォロはいっそ晴れやかにそう言った。
戸惑い見上げた先で、彼は立てた指をゆっくりと揺らす。
「2年前、似たようなことが起きたのはショウさんも知っているはずですよ」
言われるままに過日を思い返す。
2年前、ラベンに連れられてきたテルと初めて対面し、以来先達として接してきた。野生のポケモンの恐ろしさと対処法を示し、瞬く間に己がモノとしたテルの才能に心底から驚き、調査隊の仲間となって以降は遥か先を駆けるその背に憧れた。
ヒスイ全域を脅かす事件が起きたのは、そんな矢先のことだった。
「時空の裂け目から落ちた雷を浴びたキングとクイーンは、力が暴走して暴れ回っていました。仮にあれがシンオウ様の力だったとして、同じことがテルさんにも起きたのだと考えると、彼の心にも何かしらの変化が起きていておかしくない。そうは思いませんか?」
ウォロの口にした推察に、ショウは心臓が大きく跳ねるのを感じた。
全身に震えが走り、そんなはずはないと奥底から衝動が湧きだす。
「待ってください! テルは、彼は村の人たちを傷つけたりしませんでした。キングたちのように暴走してしまっているような印象はどこにも……」
「今のところは、というだけかもしれません。あの時も、雪原のクレベースだけは雷を浴びて尚大人しかったのですから。それに人とポケモンとでは、変化の方向性が違うのかもしれない」
反射的に首を振ったショウはしかし、いつになく真剣な表情のウォロに息を呑む。
そうして一度冷静になってみると、彼の言った危険性が無視できないものだとわかった。
各地のキングやクイーンが堪えきれずに暴れ出したように、テルもまた理性を失う可能性がある。
強大な力を持つポケモンでさえそうなってしまうのだ。人間がそうならないという保証はどこにもない。
「どちらにせよ、テルさんがシンオウ様の力を授かっているのだとしたら、その影響を調べる必要はあるのではないでしょうか。そして、万が一暴走した際の対処法も考えておくべきでは?」
「そう、ですね……。でも、そうだとして何から手を付ければ――」
今すぐにでも叫び出したい衝動を堪えて、ショウは必死に考えを巡らせる。
シンオウ様の力の影響を探り、可能なら救い出す方法を考え、いざという時のための備えをも整えるためにはどうすればいいか。
閃きは、思いの外すんなりと浮かんだ。
「キャプテンたちなら、何か知っているかも」
キングやクイーンの世話を任されていたキャプテンたちであれば、力の影響や暴走について他よりも詳しく知っているかもしれない。
テルと共に鎮めた経験はテル自身を影響下から解放する手掛かりとなるかもしれず、また彼らキャプテンは相応の能力があってこそ役目を与えられるのだ。
思い付いたまま口にすると、ウォロは声を漏らして手を叩いた。
「なるほど。各地のキャプテンを訪ねて話を聞いてみる。良い案ですね。もしかすれば、この2年間テルさんが何をしていたのかもわかるかもしれない」
確かに、とショウは頷く。
コトブキ村を訪れる前からテルはコンゴウ団やシンジュ団とも話を付けていたようで、だとすればキャプテンたちとも何かしら関わりがあったかもしれない。話を聞くことができれば、手掛かりは増えることになるだろう。
「そうと決まれば、早速行きましょう。コトブキ村の皆さんへはジブンが伝えておきますので、ショウさんは各地のキャプテンを訪ねてみてください」
頷き、善は急げと振り返ろうとしたところを止められる。
逸る気持ちのままに見ると、ウォロは再び指を立てて顔を寄せた。
「ただ警戒は忘れないように。キャプテンたちの中には、テルさんへ同調した人もいると耳にしています。万が一の場合、彼らと対立することもあり得るかと」
「わかりました。ありがとうございます、ウォロさん。コギトさんも、お話を聞かせてくださってありがとうございました」
「礼には及ばぬ。退屈しのぎにはなった故な」
すっかり興味を失くした様子のコギトに深く腰を折って、今度こそ庵を後にする。
来たときよりも幾分か気力の増した背中を見送って、ウォロは満足げに笑みを浮かべていた。
人好きのする笑顔のウォロを盗み見て、コギトは小さく息を漏らした。
元より介入する気はない。問われれば答えくらいはするものの、手を貸すことも邪魔をすることもしないと決めている。
この身は伝承を繋ぐためのもの。それ以上でも以下でもなく、いつか現れるかもしれない言い伝えの人物に必要なことを告げることが唯一の存在意義だ。
たとえ哀れな少年の話を耳にしようと、それが待ち続けてきた『時の迷い子』だと言われようと、目の前に自らやってくるまでは決して手出しをしない。
故にこそ、コギトは静かにカップを傾ける。
幼少のみぎりより知る青年が宿す野心の灯を知りながら、それが再び災いを呼び起こすと気付いておきながら、ただ呆れたようにハーブティーを口にするだけだった。
次回更新は未定です。
今後も不定期更新となりますが、お付き合い頂ければ幸いです。