インスパイア・チェイン   作:メビウスノカケラ

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2-6 侵された躰

 のぞき窓から差し込むLED照明、それが満たされた薄青色の液体の中に浮く彼女の体を照らしている唯一の光源であった。聞こえる音も、液体を循環させるポンプの駆動音以外にはない。

 どれくらいの時間が経ったのか。鉄棺型水槽内で再び意識を取り戻したみゆきにとってのその時間は、ほんの数十秒間のめまいでしかなかった。友人と過ごした休日、巻き込まれたトラブル、もう一人の自分、そして体に走った衝撃。これら先程までの記憶は存在するのに、夢であったかの様に錯覚してしまう。

 取り戻した意識を覚醒させ、彼女は瞼を開いた。目に、肺に、体内に液体が隙間なく充填されていると感じるが、彼女の感覚に痛みも窒息感もない。むしろ、やけに馴染むような感覚があった。

 その違和感の中、彼女は自身の体が確かにあるという感触を確かめた。力は入りづらいが右手を握ったり、足を動かしたりもできる。液体が人肌近く若干粘度があることも、腕を動かした際の触覚で分かる。

 だが。

 

(無い)

 

 心音が聞こえない。利き腕の感覚がない。腹部にある肉の存在を感じられない。意識が絶たれる直前に強い衝撃と痛覚を感じた箇所なのに、空虚であるかの如く痛みがない。

 それなのに血が通い、肉体が生きているという感覚は確かにある。

 

(何が、私に)

 

 鈍かった感覚がゆっくりと正常化していく中で、自分の体に触れる存在を感じた――認識した瞬間、触れるという表現も適切ではないと気がついた。

 何かが自分の体から『生えて』いる。それも、顔面を除く体の穴という穴から。感覚がないと思っていた左胸、左腕、腹部にもそれが蠢いている。

 感覚が戻るほどに理解が進む自身に起きた出来事、それを認識するのが怖い。しかし、元来の好奇心の強さ、不安の解消には物事の認識が必要という生来のロジックのもと、彼女はそれを確認せざるを得ない。

 ゆっくりと、自らの肉体を視界に入れた。自分が生まれたままの姿でいる事を、大きな乳房が視界に入ったことで認識した。

 

(……私は、エログロ創作の世界に転生したとでも言うの?)

 

 自分の体は見慣れたものではなかった。蛇と蚯蚓を混ぜたような、と言う事も正しい表現ではないかもしれない。先端には蕾や花の様な形状も確認されるその様な異形の生物が、体にある穴と傷口から無数に生えている。絡みもつれ合い塊となって体の代わりに詰まっている。

 彼女は幾許か動揺を感じたが、しかし場違いなまでに冷静な自分を感じていた。自分の中に生まれた感情が恐怖ではない事に気が付いているからだ。

 この現状で彼女の中に生まれた感情は怒りであった。自らの生き写しであるルーナの顔を始めてみたときと同じ心の模様を感じ取っていた。

 

(傷口の境界線、触手と私の体との癒着がある。おそらく心臓もこの触手が機能を代替している。内臓も同様か。私の体が拒絶反応もなく平然と生命活動を営んでいる所をみると、生体的に適合率が高い……)

 

 遺伝的にこの生物は自身と近しいということを、彼女は自身の遺伝学の知識から培われた感覚で即座に見抜く。それが更に彼女の鋭い怒りを増長させる。

 

(いつ、どこで、誰が私の遺伝子を……)

 

 触手の事、カタログの事、ルーナの事。倫理に反した遺伝子の無断濫用、これがみゆきの怒りの根本にあるものであった。彼女自身の置かれるこの状況が、更にその怒りに拍車をかけている。

 不安や恐怖をかき消すほどの怒りの最中、低めの位置から外壁を叩くノック音が聞こえる。

 

(誰かがいる?)

 

 問い返そうにも器官に液体が満たされ声が出せない。ならばと壁面を蹴って音を鳴らしてやろうかと思った矢先、全身に振動を感じた。液体が揺れ、音となっている。その音は子供の声であった。

 

《おはよう、みゆきお姉ちゃん!》

 

 今置かれている状況と乖離した、明るく嬉しそうな声が自分の名を呼ぶ。そんな幼気が彼女を姉と呼ぶが、そもそもみゆきに姉妹はいない。当然、彼女は当惑した。声が出せるなら彼女に何故と聞けるのに、液体に声帯が邪魔をされ叶わない。

 そのもどかしさを感じる間もなく、のぞき穴からひょっこりと頭が見えた。

 

《よいしょ……台がないと見えないの、不便だなぁ。身長が高い遺伝子で産んでくれても良かったのに》

 

 ビリジアンにオレンジ色のメッシュが入った前髪、同時に覗かせた少女の目元。睫毛こそ長く可憐な印象が強いが、穏やかで冷静な印象を与える目つきはみゆきと瓜二つであった。

 

(また、私のクローン……とは思うけど、なんか……)

 

 ルーナの時とは少し印象が違う。間違いなく自身の血を感じる目つきだが、確信には至れない。色が違うから、睫毛の長さが違うから、全身を見ていないから。そんな理由で違和感を感じているのだとひとまずは片付ける。

 

(……とにかく。私が閉じ込められたここは、ルーナの生まれた施設だということは間違いなさそう。この触手の親和性、この子と私の類似性……ルーナを生んだものと同様程度の遺伝子工学技術がそこかしこにあるわけが無い)

 

 そんな疑いを張り巡らせるみゆきの怪訝な顔を察知してか、少女の目元もまた心配そうに眉を潜め、口元に持っていると思わしきマイクに語りかける。

 

《お姉ちゃん、大丈夫だよ。お姉ちゃんの体は私が治しているから。お喋りはまだできないけど、全部治ったらいっぱいお話しようね》

 

 みゆきは励ますように声をかける少女には気にかけず、頭の回転のギアを急速に上げていく。

 

(しかし、私を知っているのは何故?)

 

 少女の存在と肉親を意味する呼び名から、みゆきは自身の両親をまず想起させる。

 

(……パパとママはきっと関係ない。パパは仕事の日は直帰、残業の日は絶対に居場所と帰宅見込み時間を伝える。ママはそもそものほほんとしすぎてるくらいだし。休日だってずっと家にいるか映画館に行くかだし、二人共。こんなことに携わってるわけ無い)

 

 両親の潔白を自らのロジックで納得した後は、呼び名の理由の追求が始まる。

 

(なら、お姉ちゃんと呼んでいるのは施設の洗脳か教育のせい? でも意味が無い。ルーナ達が脱走した以後なら僅かにありそうだけど、それ以前からオリジナルの私をこの施設に連れてくるなんて余計にありえない。コソコソとクローンの人身売買を行う様な所が、そんな意味不明な企みをするわけが無い……短期間に洗脳を施す技術があるとしても、こんな状況で私が絆されると考えているのもおかしい。私を直接洗脳すればいいだけだ)

 

 考えても考えても合理的な理由が見当たらない。となれば、残る選択肢は絞られてくる。

 

(だったら……何か個人的な意図が働いている? エゴがもたらす非合理な欲望?)

 

 自分を知っているという状況を作り出せるのは『彼女を知る者』以外には無い。故に、不信感がさらに募る。今まで生活で出会ってきた全ての人間を疑ってしまいそうな、嫌な気分を感じてしまう仮説である。

 生まれた仮説は無視はできない。されど、証明されていない予測推測でしかない。だからみゆきは無理矢理に、喉の奥に人間不信の味を押し込もうとする。

 

(……こんな事考えるのは今はよそう。精神衛生をできるだけ保たなきゃ。ただでさえ私の体がこんな……ううん、これも考えてはだめ。生きてる事が今は最大の幸運)

 

 そんな事はつゆ知らず、少女は期待に満ちた弾む声をマイクに吹き込んでいる。

 

《えへへ……あ、お名前言ってなかったね! 私、胆礬っていうの。私、いっぱい話したいことがあるんだ。グアニンの新しい代用物質についての事とか、細胞におけるネビデ許容体の後天的負荷についてとか、お姉ちゃんならいっぱい話せるかなって!》

 

 無邪気な声から飛び交う、一瞬理解が遅れるような用語。概ね遺伝学に関連したものであるが、その中にみゆきもしらない単語も混じっている。

 だが、それについて問う術がない以上は、黙って聞く以外のことはしない。例え、気を引く内容の言葉だとしても。それが、彼女が考える最善の方法であったからだ。

 

(今はとにかく聞く。皆のところに戻るため、今できることはとにかく情報を集めること。変に刺激して情報を取りこぼすことは避けなきゃ……)

 

 脳裏に浮かぶ、親友二人の笑顔。

 

(皆、の……依瑠光とメグの……!)

 

 自分の身に起こった事があまりにも衝撃的過ぎたのだ。無理やりであっても落ち着きを僅かに取り戻した今、彼女たちの安否が急激に心配になってくる。

 

(何も、何が起こったのかすらわかってないんだ、私は。みんなが無事であるかどうかも、何も)

 

 抑えているネガティブな感情がじわりと滲み、漏れてくる。それは、彼女の表情にも現れている様子で、胆礬と名乗った少女は呼応して焦りだす。

 

《あ、あれ? あれ? もしかして、痛い? SRO-14は神経系にも癒着して痛みも肩代わりしてくれるはずなんだけど……》

 

 その様子に気がついたみゆきは、根の優しさから反射的に首を横に振る。

 

《えっと、じゃあ、さみしいの? 私もそんな顔しちゃう時、あるけど……うーん、おしゃべりできたら早いんだけど》

《――……、…………る。――――が…………――……》

 

 狼狽する少女の声に若い男の声が混じる。

 

《あ、縹さん! どうし……》

 

 マイクの音声が途切れた。覗き窓から離れる少女を目で追うと、似た背丈の縹と呼ばれた男のもとに駆け寄っている所が見えた。

 右肩を抑えた男の少しはねた首元までの長さの青髪のまとまり具合に、そこはかとない上品さを感じ取れる。

 幾秒かのあいだ、話をしている素振りを見せたあと、少女は男から離れてのぞき窓からフレームアウトした。そして、男はこちらに寄り、顔も見えなく位置まで近寄り、表情も見せぬまま彼はマイク越しにみゆきに語りかけてきた。

 

《――……これを言ってしまう事は非合理だが》

 

 男の声色は淡々としていた。その声にみゆきの背筋に冷たく電気が走る感覚を覚える。その感覚に同調して、風穴に巣食う触手の塊も蠢きを増す。

 

《日焼けの女の足止めにしてやられた》

(日焼け……依瑠光の事? じゃあ、この男は……!)

 

 発言が意味する事と、脳裏にかすかに残る声の記憶との一致。みゆきがその姿を確認できぬ間に意識を絶った張本人、それが縹である事を認識する。

 続く言葉に、みゆきは脳の回転数を再び上げていく。心配をしている親友たちの情報を取りこぼしてはならない。

 

《行動が八秒遅れ、お前たちが呼んだ女の軍人に鉢合わせて肩を撃たれた。俺の任務は成功したが、この損害は予定にない。シミュレーションと違い、予測できない変数を侮ってはいけないと思い知らされたよ》

 

 だが、男の発言内容は欲しい情報には微妙にたどり着けない。

 

(他に何か言って……!)

《……愚痴など馬鹿馬鹿しいだけだなやはり……瑠璃は一体何をモタモタし――》

 

 その一言で、男は独り言つ時間を断ち切った。ツカツカと鉄床を歩く振動が、液体を通してみゆきにもわずかに伝わる。

 

(くっ……仕方ない、これで推測できるところまで……)

 

 無力感の中、みゆきはできうるかぎりの推測をする。

 

(任務が成功したと言っていたけれど、その任務の内容は私を連れてくることか。理由は全くわからないけれど、これは多分確定。向こうにとって殺して消す選択肢がある事態なのに、私が生きていることを考えるとそうなる)

 

 これは、胆礬の語りかけの際に思考していた仮説に関連した推測。少女が自身を肉親のように扱う理由、つまり生き残らせて少女に触れさせる事。判断材料にはなるが、しかし芯の部分にはたどり着けない。

 

(問題は、依瑠光やメグやあのお店にいた人たちも同じ様になっていないか。目的がわからない以上、確定事項は出せない。依瑠光が何らかのアクションを起こして、軍人であるドーラさんがその場に駆けつけ抵抗した時間ができた事はわかったけれど、それが皆の安否を証明するものではない)

 

 皆の無事を祈ることとは別に、事実だけを分析の材料としなければならない事をみゆきは理解している。正しく現状を整理することが、正しい認識への唯一の方法である。

 

(以上から今できることは、あの男がドーラさんから受けたダメージで継戦不能と判断して、私だけを連れ去ったのだと祈ることだけ……もどかしい)

 

 歯を食いしばりたくなる現状に、焦りを堪えることが辛くなってくる。

 

(最後の瑠璃、というのは仲間の名前と考えるのが自然だけど、任務のバックアップのための人員か、別の任務に当たっていたのか……不確定事項はいくら考えても仕方がないけれど、前者であって欲しくない)

 

 不安要素が多く、親友の安否を思う気持ちが更に強くなる。吐き気まで感じるが、自分の体内で蠢めく感覚で上書きされる。

 

(……祈ること、しかできない。状況の変化を、待つ事しかできない。私が何をしたって言うのよ……)

 

 彼女なりの平凡で楽しい日常生活は壊され、今や実験動物にされている様な気分を受けている。みゆきの中でふつふつと湧き上がり続ける感情が、煮立ってドロドロになっていく。

 

(私の好きなものを汚す、私から日常や友人を奪う、こいつらに一矢報いることもできないなんて……!)

 

 彼女の怒りの業火で不安と悲哀は炭化し、冷めていく。生まれて初めての強烈な怒りが、余計な感情を縛り付けるための枷となってくれている。

 この気持ちの制御こそが今、彼女の正気を支える唯一の方法あった。

 

(必ず、ここから脱出する。チャンスを見つける。そして……潰さなきゃならない)

 

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