インスパイア・チェイン   作:メビウスノカケラ

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2-7 同期完了

 直感的に感じた恐怖が背後から迫っていた。

 そのポニーテールと巨大な乳房を揺らしながら、不釣り合いなほどの笑顔を狂気的に浮かべ、女は三人を追ってきている。

 

「おらおらおらぁ、もっと走りなよぉ!」

 

 異様な光景に混じる破砕音。松野が振り向くと、どういう理屈か全く分からない破壊の光景。外壁が砕け、手すりが折れる。起こってる現象の全てを女の四肢が引き起こしているように見える。

 

「栄翔っ、なんなんだ、あのヤバいのぉ!?」

「くっそ……っ!」

 

 二階から一階への階段に差し掛かるとき、女が放つ全ての音が一際大きい轟音とともにピタリと止んだが、不思議に思う間もない。三人は足を止めず、踊り場を曲がってあと十四段の階段を降りるだけの位置に達する。

 先に大地に降り立ったのは女だった。上の階段を貫通させ、そこから降りて先回りしたのである。

 

「ゲぇムオーバァ~! コンティニューするぅ?」

 

 舌を出した品のない笑顔をこちらに向け、首元を右親指で描き切るような仕草をしている女。体温上昇により全身に滴る汗、乳頭の充血と固化が見られ、極度の興奮状態にある事がうかがえる。

 

「殺さなかったらいいって縹のズブは言ってたよなぁ? じゃあ、女は半殺しで男はヤリ捨てだなぁ! 黒髪はあんまり乱暴するなって言われてるけど、金髪はサンドバッグにしてもいいよなぁ! どんな声で泣いてくれっかなぁ~?」

 

 極度なハイに身を任せ、聞いたわけでもないのに自分の思考をそのまま投げ捨てるかのように言葉を連ねる。その言動からも分かるように、自分たちの持っている常識がまるで通用しない相手。

 そんな異常者の存在を察知してか、新たな来訪者の登場である。

 

「止まれ!」

 

 ゲームセンター内で起こった暴動の通報を受けた男女の警察官が二人、女にテーザー銃の銃口を向けた。だが、女は動じるどころか両の手を広げてながらにじり寄り挑発をする。

 

「いいよ、撃っちゃいなよほらぁ!」

 

 十年前にテーザー銃を導入してからというものの、ミヅホ諸島国保安省が執り行う重犯罪取締率は大幅に改善した。警棒と使用が法により限定された実弾銃よりも行使しやすい制圧武具を、導入された当時から彼らは適宜適切に使い、その威力と抑止力で国民の安全を愚直なまでに守り続けてきた。

 今回もその例に漏れず、二人の警察官はためらうことなく引き金を引いた。銃口から発せられた稲妻が女に走り、高電圧が女の汗を伝って制圧が完了する――かにおもわれた。

 だが、倒れたのは二人の警察官だった。

 

「ぎゃははは! こっちの奴らは使えないんだもんなぁ!」

 

 引き金が引かれた瞬間、警察官二人の手元で稲妻が閃光を放った。それは衆目の目からはテーザー銃の暴発だと見られるような光景であった。

 不甲斐ない様子の警察官を見てひとしきり嘲笑ったあと、女は右拳を倒れた一人に向けた。

 

「水風船は割れるまでが華なんだよぉ? ばぁん!」

 

 すると、その警察官の胸部が触れられてもいないのに陥没。ちょうど心臓の位置にクレーターができ、目鼻口耳、顔面の全ての穴からおびただしい量の血が吹き出て事切れた。

 

「ガキどもに使えない分、パーッと使わねえとなぁ!」

 

 女はそれを狂った笑い声と共に、続けざまでもう一人のに対しても同じ仕草を行う。同様に叫ぶ間もなく弾け飛んだ血液は、やがて壁面の染みになるのであろう。

 

「楽しいねぇ! なんかすっごく楽しいぜ、外ってさぁ! 知らない人間は潰し放題だし、いっぱい見られちゃうしさぁ! 縹と主任からは目立つなって言われてるけど、そんなもったいないことできないよなぁ!」

 

 女は振り向き、栄翔達がいる方向に拳を向ける。だがそこはもぬけの殻の踊り場だ。

 

「あーっ! さいってーだ、逃げやがったガキども!」

 

 

 

 女が警察官に気を取られている間に、三人は半壊した階段を駆け上がり屋上に登った。こここそが栄翔とパッヘルの初邂逅の現場だ。ここが運命の特異点であろうが、思い出に浸る気など起きるわけがない。

 今現在、恐怖と焦燥感は給水塔の裏で息を潜める三人の心理を蝕み始めている。

 

「くそっ、出汁子のやつ電話に出ない。メッセージも既読がついてそれだけだ」

「こっちも駄目、ルーナの端末と繋がらない。向こうにも追手がいるという事?」

 

 助けを乞う事も叶わず、急く心を締め付ける。同じく追手の襲撃に会っている最中なのか、終わってしまったのか。この事態が他方にも広がりを持って展開されているのだと、もはや自分達だけのトラブルではないことを想像させてくる。

 だとしても、生きようとする強い本能が諦めることを許さない。女のことをまずはどうにかしなければならないのだ。たとえそれが、人智を超える暴力が相手であるとしても。

 

「なあ、階段壊しまくってたあれ、どういう手品なんだよ」

「わかんねー。原理が分かったところでどうにかなるとも思えないけどな……」

 

 コンクリートの壁を殴り壊す、踏み抜いた段差を粉々にする女の周りで、不自然な程に軽々しく破片が飛ぶ。その恐怖の刹那の記憶の中、女の拳に一切血がついていなかったのではないかと気がついた。アレだけの衝撃なのだ。鎧武者でもなければ肉体に傷の一つや二つがつかなければおかしい。

 

「拳に衝撃波をまとわせて触れずに殴るって? アニメじゃんか」

「そんなんじゃ、今来た警察が相手したってなんとかなるかも怪しいんじゃ……?」

 

 辿り着いた荒唐無稽な結論だが、その判断を断定する他無い状況がさらに苦しい。三人一様に同じ気持ちである様子で、数拍の沈黙が発生してしまうが作戦会議は続く。

 

「俺達、他の階から迂回して外に逃げた、って勘違いして何処かに行ってくれりゃいいんだけどな」

 

 あえて外に逃げずに屋上に隠れる。追跡者の心理を逆手に取ろうとした逆転の発想はパッヘルの案である。しかし、当の彼女に最善の一手を取れた自信はない。

 

「時間稼ぎにしかならないかもしれない」

 

 そんな彼女の不安を否定する様に、栄翔は彼女の目を見た。

 

「いや、多分これが一番だ。人をためらいなく殺して進む暴走列車相手に、人を隠すは人の中なんて通じないだろーし。それに、最初に振り払えたとしても、いずれは追いつかれてオレ達のスタミナ切れのほうが早く来る」

「だけど、ここだって!」

 

 彼女の声は震えていた。荒らげた声を出したことに気が付き、体を自分の腕で覆って心を無理矢理に落ち着かせようとしている。

 施設にある小説では、希望を絶やさず燃やし続ける主人公が登場する物語が流行っていた。パッヘルもその物語の読者であった故に、絶望を前に希望を持つ事がこんなにも難しいとは考えてもいなかった。

 目の前の彼はまた違う考え方を持っていた。

 

「……イチかバチかなら」

 

 見据えた目を栄翔は逸らさない。緊張の面持ちは同様だが、次を見据えている人間の目をしていた。

 パッヘルはそれを強がっているのだと解釈した。実際、空元気の側面もあった。

 

「都合のいい方法ないわ」

 

 諦めるように放つパッヘルの言葉がだ、栄翔も頷いている。

 

「わかってる、もはや賭けだ。さっきから送ってるこのメッセージをあのオカルト狂に知らせる事とかな。警察はもう来てるけど、どうなるか」

 

 栄翔の回答は〈他人任せ〉。三人の少年少女に対抗手段はないと思わされる上に、無理がある確率の薄い作戦。あまりにもお粗末ではないかと、松野は思わず栄翔を睨む。

 

「だからわかってるよ。けれど、うまくいって助かる見込みがあるのはこれが一番高い。山本秋江のイカれっぷりと頭の回転……知ってるだろ、アイツのヤバさ」

 

 納得する他にないのか。煮えきらず俯く栄翔以外の二人。未だやりとりができていない相手を待つなどとは、本当に博打をするようなものである。

 栄翔自身もそれは当然理解していた。

 

「それに、策はもう一つある。ここの立地だからできる不意打ち……それと、未知の力」

「なんだって?」

 

 自分たちで解決する手段だって、問題解決には必要なのである。

 

 

 

 塔屋の重い鉄製の扉が、自動車に跳ね飛ばされるがごとく大きな音を立てて吹き飛んだ。フェンスを超えて、落下した音と同時に通行人の悲鳴が空に響いた。

 

「カノンの座標はこのビルから動いてねぇ」

 

 扉があった鉄枠から、間を置かずに女が現れた。栄翔たちを探すため、キョロキョロと落ち着きなく屋上を見回している。

 

「どうもビルの中にはいないんだよな。逃げ場のない屋上に逃げるなんて馬鹿な奴ら、興ざめだ! 追っかけっこしようぜ、なあ?」

 

 意図的に声を張り上げて一人話す女の頭上、塔屋の屋根から影が降ってきた。

 

「不意打ちしたってさぁ!」

 

 女は体を翻して身を躱し、同時に落ちてきた影にアッパーカットを放った。

 拳が直接触れる前に、乾いた破裂音が響く。それは肉が鳴らせる音ではない。

 

「やべっ、使っちまっ……あぁ?」

 

 降ってきたのは空のプラバケツだった。彼日に栄翔が秋江のスタンガンを無効化するため塩水をばらまいた際に使用したもの――だった破片が彼女の頭上から降りかかる。

 

「上にいたってっ!」

 

 すかさず彼女はバケツが飛んできた天井に、躱した動作の軸足の瞬発力みでその身を到達させた。

 足をつくや、彼女はその腕を構える。だが、対象の姿はない。

 

「んだあ? 上から降ってきたよなぁ?」

 

 喚く声に続き足音が二つ、天上下から聞こえた。

 反応する女の動きは雷のごとく早い。足元の天上に腕を向け直し、コンクリート製のそれにいくつもの穴を瞬時に空けた。梁が崩落し、塔屋の入り口は崩れ去り、足音の主は逃げ場を失う。

 

「えぇ~? 金髪のヤツ帰っちゃったのぉ? 残念だなぁ!」

「…………」

 

 松野の姿はそこにない。二人はただ警戒する態勢で、悠々と立っている女を見据えている。

 

「ま、逃げたって別の奴らが潰しに行くんだろうけど。サンドバッグ似できないのは残念だけどまあ、今は楽しもうぜ~。生きたいっしょぉ?」

「っ!」

 

 突然に距離を詰めてくる女。背の低さを利用して栄翔の懐に潜り、視界から消えた。

 

「エイトっ!」

 

 パッヘルの声掛けとともに、振り上がった拳が栄翔の鼻先をかすめる。バックステップの反応速度の速さに、女は驚きの表情を浮かべ距離を取る。

 

「お前ら、なにか手品やってやがるな?」

 

 ほぼ確実に当たるはずだった打撃が空を切った理由、それは直前のアシレボに兆しが現れていた二人の『同期』。

 

(複雑だけど)

(狙い通り、か?)

 

 未知の力。パッヘルが言うカタログとやらに記された繋がりの目覚めを、二人は先のアシレボ対戦にて直感として認識していた。動きの良いパッヘルと反射神経の良い栄翔の長所が同期し、双方ともに通常の自分よりも動ける状態になっていた。

 

(わかってる)

(気味が悪いけど)

(今はこれしか無い)

 

 例の金属がしなる様な音に混じり、お互いの心の声も透けて聞こえる。

 

(せーのっ)

 

 思考に響く合図に、遅延なく二人は別方向に散開した。同じ歩幅、同じテンポで女を挟む様に位置する。

 

「的を絞らせないってかぁ? それでオレの相手できるとか思ってるってぇ?」

 

 女は二人を交互に視界に入れながら、腕の構えを少し変えた。足元はどっしりと構えたものから、瞬発力を利用するようなつま先中心の動きが見て取れる。

 

「浅すぎるだろーがよぉ!」

 

 一気に距離を詰めてくる。まず狙うは栄翔。

 

(集中っ)

(左からくる!)

 

 栄翔は女の蹴りによる初撃を躱した。紙一重だ。

 

(眼が四つあるって)

(滅茶苦茶見える!)

 

 一拍も置かずに放たれる二撃目三撃目も躱すことができるのは、女の背後にいるパッヘルとリンクした視覚が予備動作を用意に捉えることに貢献しているためだ。

 栄翔に気を取られているうちにパッヘルは女に蹴りを入れる。女は気づいて振り向き、腕でガードを入れる。視界の外に出た栄翔が距離を取り、息を整えながらパッヘルの回避動作を手助けする。そして栄翔も背後から蹴りを入れに行く。これを繰り返す。

 未知の力を使われては勝ち目がないが、しかし女は自分たちのことを『殺せない』と発言していた。故に、コンクリートを破砕するほどの能力は使用しないであろうという判断も的中していた。

 今日で二度目の対面であるはずの二人は今や、一心同体のコンビネーションを繰り出している。

 

「やるじゃんやるじゃんやるじゃん!」

 

 二人の同期が高まることと同じ程に女の体の動きがどんどんと早くなってくる。両者ともにボルテージ上昇の天井が近づいてくる。

 その時は間もなく訪れた。

 

「終わりィッ!」

 

 二人の連携が四度目の終わりを告げようとした時、女が突如腕を上げた。

 二人の気道に流れ込んでくる異物。その正体が液体だと気づくのに時間はかからなかった。

 この瞬間に足元から現れ、体を這い、全身を包むように纏わりついた水。突然の怪奇現象によって、二人はその場でうずくまりもがき苦しむ。

 そんな二人に女はご丁寧に、一発ずつの蹴りを腹部に御見舞する。二人に纏わりついた水から気泡が大量に溢れ出す。

 二人に纏わりついた水は形を維持する力を失って、溢れるように床に広がった。されど二人が起き上がれるわけもない。急速な酸欠状態、腹部のダメージ、何よりリンク状態にかかった心身の負担からくる疲労感。咳込みながら意識を保つことでやっとの状態である。

 

「お前らの『ネビド』は中々珍しいが、初めての相手がオレなのは運が悪かったなぁ!」

「ね、ビ……ど?」

 

 女が発した意味不明な単語を聞き取りかろうじて意識を維持している。だが、女は回復を許さない。パッヘルの頭上にかかとを上げ、踏み潰そうとしている。

 

「もったいないよなあ、そんな力がありながら歯が立たないなんてさぁ! もったいないと思いながら潰れろぉ!」

 

 力を込めてかかとが振り下ろされる。

 

「うわあああっ!」

 

 女のすぐ背後から叫び声が響いた。だが栄翔のものではない男の声だ。女はかかとを下ろすことをやめて、声の方向に振り向き腕を上げて防御行動に出た。しかしそこには誰もいない。

 女の顔に影がかかる。見上げると、松野が宙に浮いている。

 

「金髪ッ!」

 

 松野の膝は女の鼻っ柱に当たった。策が見事に的中した瞬間だった。

 バケツによる囮で塔屋天井に誰も潜んでいない印象を根付かせ、その上で栄翔たちが塔屋付近で囮になる。何とか凌いでいる間に松野が塔屋の天井に上り、重力を味方につけた襲撃をかける。

 状況による錯覚を仰ぐ。これが栄翔の打開策だった。

 

「栄翔、パッヘル、やったぞ!」

 

 動かなくなった女に馬乗りになり、栄翔たちに笑顔を見せる松野。明るく嬉しそうな声に栄翔とパッヘルは歯を食いしばり、子鹿のような足取りで立ち上がり松野に加勢する。

 

「よ……し! あとは、ゲホッ……」

「おい、無理すんなよ! このテープでぐるぐる巻きにしてやればもう安心だって、言わなくても分かるしさ!」

 

二人に松野は屋上の納屋から取り出したであろうカートンテープを剥がす音とともに、女の態勢をうつ伏せに変えようとして、体重を一瞬女の体から浮かせた。

 虚空をむいていた女の眼球が松野の方向に視線を変えた。

 

「俺ん体に触ったな?」

「え?」

 

 その瞬間、松野の腹部に衝撃が走った。

 胃酸が鉄の臭いと混じって逆流し、松野の喉から飛び出て女にかかる。

 

「松野ぉっ!」

「うぇ、ばっちい。こんのエロガキがよぉ……くそっ、めっちゃいてえ。殺すつもりでやってやったのに弾けちまった。鼻が痛すぎて鼻血も出るしで、集中力足りてねー」

 

 白目をむいて女の乳房に顔をぶつけるよう倒れた松野。膝蹴りで引き剥がされ地面に投げ捨てられた彼の腹部は服が破れて露出し、皮膚が断裂して出血している状態が見える。

 

「でもまあ、こいつらいたぶって殺すにゃあちょうどいいか」

 

 女が栄翔とパッヘルに腕をかざすと、再び水が二人に纏わりついて飲み込んだ。

 

「待ってろ。次テメエらだ、よっ!」

 

 女は松野を蹴った。足を、腕を、胸を。全身をぶっ壊してやろうとする怒りをさらけ出し、鼻血と吐瀉物にまみれながら笑顔で蹴っている。

 

(や、やめて……)

(こいつ……!)

 

 酸欠状態ながら、栄翔とパッヘルは再び自分たちをリンクさせ、女に向かっていく。だが、その様な状態では女に歯向かうことも叶うわけがない。

 

「順番の意味わかってねーのかよぉ! 別に先に死んでもいいけどなぁ!、ぎゃははははは!」

 

 二人は裏拳で容易に倒れてしまう。衰弱が早まるだけの結果に終わってしまう。リンク状態の高まりを表すのであろう金属がしなるような音も徐々に弱まっていく。

 

(くそ……オレ、オレたちここで終わるって……?)

(いや……そんなの、いやだ……)

 

 朦朧とする意識すらもついには途切れようとしている。すでに視界は暗くなり、しなり音がわずかに聞こえるのみとなって、ただその時を待つ状態。

 もう為すすべはない。

 

 

 為すすべは、ない――

 

 ――本当に?

 

 

【挿絵表示】

 

 

(耳鳴りが――音に変わる)

(体の感覚が――溶けていく)

 

 二つの波動が、完全に混じっていく。

 

 

「……俺の水が消えてやがる?」

 

 気道が開き、咳込む栄翔とパッヘルに気が付き、女は松野を痛ぶる手を止める。

 二人の体に纏わりついていた水膜は剥がれ、床に溢れていた。

 

「「松野を……」」

「「放して……!」」

 

 完全に同期したタイミングで二人は声を出している。向かってくる足は変わらずおぼつかない。だが、女は本能的に異変を感じてる。

 

「お前らが、ネビドを……おいおい、覚醒しやがったってぇ?」

 

 何かを知っているのか、女はハッとした素振りを見せた瞬間、二人に対して距離を詰め、拳を放つ。拳の軌道は確実に栄翔のこめかみに直撃する動きであった。

 そして間もなく拳が到達すると、女の拳から肘にかけて、規則的な螺旋の模様を描くように肉が裂け、鮮血が吹き出した。まるで、打撃が反射されたかのような速度であった。

 

「ネビドも発動しやがらねえっ!? やっぱりやりやがったなぁっ、てめえラァッ!」

 

 痛みと焦りが女の体を支配する。流していた汗が全て脂汗に変わる。

 女は本能的に判断した。バックステップで松野の側によると、彼の首ねっこを掴んで持ち上げ、二人に見せつけるようにしている。

 

「一歩でも動いてみろぉ! こいつ殺すからなぁ!」

 

 人質だ。当然ながら、二人は動けない。

 

「「…………」」

 

 言われるままにしているのか、二人は立ち尽くしてただ見ている。

 

「そうだ、そのままでいろよ……」

 

 女は少しずつ後ずさりをし、塔屋の方に近づいていく。

 友人のピンチの中、栄翔とパッヘルは、落ち着き払っていた。

 

((今、感じているこの音に従って))

 

 しなり音から変化した単音が、

 

((イメージをするだけで、良い))

 

 二人の心を導いていた。

 

 それを二人が自覚した時、女の体に振動が走った。

 断末魔を上げる間もなく、女は全身の力を失い倒れる。

 

「「本当に、できた……」」

 

 二人もその場で地に伏した。負担が蓄積したその体はすでに限界であった。

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