インスパイア・チェイン   作:メビウスノカケラ

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1-5 道標

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ――どうなったの、私。

 

 光の白。浮遊する意思。肉体の存在は曖昧、掬うと霧散してしまいそうな存在。

 ぼんやりとした感覚がだんだん鮮明になっていく。

 

「……とは……にいられない。さよ……ら」

 

 音。若い女性の声。聞こえるだけのはずなのに、意思の中に意味として響く。

 

 ――知らない声……誰の、声?

 

 疑問に思う間に声は増えていく。その女声だけではなく男声も混じって言葉が重なっていく。

 

「姓も……よう。それがい……コ、素晴らしいと……だろう」

「正気じ……の名前だよ? ねえ、どうし……」

「この子は『出汁子』。我が社の……となる看板……」

 

 男性の声は知っている。

 

 ――父親の、声? じゃあこの女の声は母親の声、なの?

 

 声は止まらない。

 

「必ず幸せにする……ヨウ……」

「こんなに好きになるもりじゃなかったんだけ……」

「さあ、式場に行こう」

 

 ――こんな声色の父親の声、聞いたことがない。なんでこんな、優しいんだよ……

 

 声を聴く内に自らの意識も鮮明になってくる。段々と何者かの顔が浮かび上がってくる。

 

「丁度、君みたいな人を探してたんだ。飲みに付き合ってよ、奢るから」

「……こんなうだつの上がらない男に声をかけるなんて、物好きな女だね」

「ねえ待ってよ」

 

【挿絵表示】

 

 それは銀髪のショートヘアー、赤い目をした鋭い目つきの女性の顔。

 

 ――似てる。

 

「私の名前はヨウコ。あなたは?」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「っだぁっ!?」

 

 突如、出汁子の左頬に本日二度目の痛みが発生する。

 

「起きろ!」

 

 秋江が出汁子の顔を覗き込む。秋江の右耳の側には右の平手が構えられている。

 

「うおぁおっ!?」

 

 平手打ちの体制だと即座に察知し、三度目はたまらないと素早く状態を起こして出汁子は回避する。間髪入れず暴力に対して怒りの声。

 

「な、何しやが……」

 

 しかし、その怒りを超える勢いで秋江が胸ぐらを掴み、出汁子は怒りは忘れてしまう。

 

「出汁子、何をした」

「……は?」

 

 尋常ではない剣幕。怒りか焦りか驚愕か、判別はつかない圧力を出汁子は感じる。詰められる覚えがないという様子の出汁子の様子を察知、秋江はため息を一つ。

 

「後ろを見ろ。とぼけた顔も吹き飛ぶぞ」

「後ろ……?」

 

 そういえばと、出汁子は後ろに何やら不穏な感覚があることに気がつく。触られているような、揺れているような、生きてきて今までに感じたことのない空気感。

 胸ぐらを離され出汁子は恐る恐るとばかりにゆっくり振り向く。

 

「な……何よ、これ」

 

 この空間に別の空間が浮かんでいる。有機的な膜に穴が空いたように空間が裂けて、そこが別の空間へと距離無く繋がっている。

 

「見た通りではあるが、私は『裂け目』と呼んでいるものだ。いる場所から離れた空間との距離を無いものにしてしまう空間の乱れだ」

 

 裂け目の向こうに見えるのは暗い何かの部屋。概ねの人々が見たことのない様な機械が存在する。人はいないが、奥にある機械仕掛けの扉の方から声や扉を叩くような物音が聞こえる。

 

「これまで観測してきた小規模なものとは比べ物にならない。違うのは向こう側の場所が随分と文明的である点か」

 

 秋江が考え込む傍ら、裂け目はゆっくりと閉じてゆく。扉を壊そうとしているのか、音はどんどん激しくなってゆく。

 その様子を出汁子は息を呑んで見ていることしか出来ない。秋江も頭の中を独りごちり、冷静さを保っている様子。

 

「今までの裂け目の向こう側はすべて自然物や石造りの建物の内部だったはず……目の前に突入できる大きさの裂け目があるというのに、クソ……」

 

 裂け目は人が通れる大きさではなくなる。そして、扉から火花が散り、こじ開けられる様子が見える。

 こじ開けられた扉からは数名の女性の影。一人がこちらに駆け寄って来る。こちら側から差し込む光の反射で薄い空色の髪色であることがわかるが、近寄り切るよりも早く裂け目は閉じきってしまう。

 

「…………」

 

 出汁子はただ唖然とするしかない。だが、そんな暇など与えられはしない。

 

「全て、お前の体から発した光が起こした現象だ。態度を見れば自覚がないのは見て取れるが、心当たりもなにもないのか」

 

 明確な焦りの表情と声色で出汁子に問う秋江。その様子を見て出汁子は先程自分に起きた変化を思い起こし振り返る。

 

「な、ないない! 私だって、何がなんだか……気分が悪くなって、目の前が真っ白になって……それで父親と私に似た人のやり取りを光の中で聞いて」

「……関係あるかないかわからない情報だな、クソ」

 

 期待したものは得られず、秋江はうなだれる。

 

「ひとまずはその情報と……あそこに居る〈三人〉の事も調べる必要があるな。それから、周囲の記憶の相違と霧が発生しなかった事についても」

「……三人?」

 

 三人。出汁子は秋江と栄翔と自分の三人を思い浮かべる。だが、秋江は自分の背後を指差して三人と称している。

 その指差された先を出汁子も振り向いて確認する。

 

「裂け目から現れた。随分焦っている様子だがな……」

 

 三人。確かに三人いる。一人は栄翔。もう二人は少女。

 

「…………」

 

 出汁子は口を開いたまま固まってしまう。そこに三人いた事よりも大きな衝撃によるものである。

 二人いる少女は二人共殆ど裸のような格好をしたあまりにも町中にそぐわない外見。片方はハート型のニップレスで隠した顔より大きな乳房二つを紐で吊るす意外に機能のないフリフリの下着に通し、スカートとは認識できないスカートを身に着けた、長いオレンジ髪ツインテールのメガネ少女である。

 

 だが、それ以上に出汁子の目を引くのはもう一方であった。

 

 バニーガールスーツ風のカップ部を持つチューブトップ様の服装に、ファッションでパンツの紐が見える様に腰に布を巻いた少女。腰まで伸びた髪は黒く、艶めいて輝く。オレンジ髪の少女よりも常識的で控えめなボディラインであるが、出汁子は彼女に、彼女の顔に注目せざるを得ない。

 

「え、栄翔が、二人っ!?」

 

 おどおどしているオレンジ髪の女性の前で壁になる形で栄翔と相対しているもう一人の栄翔。栄翔と同じ顔をした少女。双子や鏡写しという表現がよく似合うほどである。

 栄翔はと言うと、警戒しきって口を開かず睨むばかりでしかいられない様子。もう片方も同じく眼を見合うだけ。

 そんな膠着状態を解き、事態を動かすために秋江は立ち上がる。三人に体を向けて近寄っていくのを出汁子はとっさに後をつける。

 

「出汁子、これでお前も無関係ではなくなった」

「……納得も理解も、できないわよ」

 

 唾を飲み、余裕のない自分を奥底に封じめる。そして、目の前で起こった現実を受け止める。他に無い。事実を歪められないこと、事実から見ないふりをしても何も起こらない事を出汁子は知っている。

 先程までの怪異的な現象。特に自分が引き起こしたという裂け目の発生と光の中で見た幻影。これらは出汁子の混沌とした心の海の底を見せた。

 

(私は……私って一体〈何〉なの)

 

 自分の存在の謎。表層にある自身の名前の謎。自身の出自の謎。果ては自身の存在の正体そのものの謎。自身に関する悩みやコンプレックスが全て謎へと変わる。

 闇雲に考えを巡らせたり行動したりするよりも遥かにわかりやすいと、妙な高揚感を得る出汁子。

 

(……コイツとあの母親らしき女がその鍵を握っている。私が知りもしない私に関する超常現象の、その正体を暴く鍵を)

 

 前を歩く秋江の背を見る出汁子。ここまで真実とは微塵も思わなかった秋江の発言の意味はガラリと変わってしまった。

 この女に着いていくしか無い。今はそうしなければ謎は解決できず、自分の心は惨めなまま。もはや出汁子にとって脅迫などさしたる理由ではなくなっている。

 加えて、出汁子の秋江に対する心情の変化が起こっていた。

 

(ここまでの話が本当なら、コイツは一人でここまで何もかも知ってきたって事なのよね……)

 

 自立しようと一歩踏み出したばかりの出汁子の目に映る今の秋江。羨みもあれば憧れもあるような、大きな存在に見えている。

 

(……私だって)

 

 空を見上げると青天に飛行機雲が伸びている。その遥か彼方にある行く先の地。その場所のことは彼女にはわからない。

 

「……ああ、もう!」

 

 だから、彼女は行く先に向かって精一杯吠えた。

 

 

 ◆ ◇ ◆

 

 

「他人の前では私のことは『会長』と呼べ。私はオカルト研究をしているとして掲示板に情報提供のチラシを張っているのでな。活動しているという素振りをしなければならん」

「ええ……なんで?」

 

 数日後の学校の廊下、放課後になって人があふれる中、二人で並んで歩く出汁子と秋江。新入生は出汁子に、上級生は秋江の姿に反応して目を合わさないようにしている。

 

「生徒会や教師共に部活動でなくともきちんと活動をしていると認識させる。行く行くは同好会にしたいと言うと熱意とやらに絆され見逃してくれる」

「はぁ……」

 

 しかし二人は気にする様子はない。秋江はもとより、出汁子は入学初日に感じていた被害妄想がすっかり聞こえなくなっている。

 

「それから、まだ身近な奴らを調べた結果に過ぎんが、周囲の記憶の齟齬は今のところ見られない。断定できるほどではないが、裂け目が原因ではない可能性もありうるな。霧が裂け目発生の条件に必要かどうか……はすぐにはわかりそうもない」

「まだその辺も何が何だかわからないんだけど……」

 

 話していると目的地に着く。そこは科学室のドアの前。

 

「本当にいるの? です?」

「覗いてみろ」

 

 出汁子は音を立てぬようにドアノブをひねり、数センチだけドアを開け覗き、何かを見るやいなやぎょっとした顔ですぐに離れる。

 

「ほんとにいる……」

 

 出汁子が見たのは少女。裂け目からやってきたオレンジ色の髪をした少女と瓜二つの顔。違うのは裸眼で髪が短く、胸は大きいものの二回りほど小さい所。

 

「二年、理系クラスの永野みゆき。ルーナのコピー元と断定できるだろう」

「それで、どうするんすか。残り二人の事もあるし」

「奴ら巨乳三銃士共の写真を撮り、それをパッヘルとルーナ両者に確認を取る。奴ら毎日三人で下校をするはずだ、底を狙うぞ」

 

 秋江はシャッター音のならないカメラアプリを使い、スマートフォンで出汁子の顔を撮り見せる。

 

「巨乳三銃士ってあだ名……ていうか盗撮。ほんと最悪」

 

 露骨に嫌悪感を見せる出汁子。しかしそれ以上に楯突く素振りはない。

 二人して息を整え、同時に周れ右。

 

「さて、行動開始だ。写真は私が取る」

「……まあ、やらなきゃならないんもんね。私は先にマーベル・アグリでルーナ達の話を聞いておきますよ、会長」

 

 そして、同じ方向を向いて一歩を踏み出す。彼女らが向き合う怪異への道標、それを探し求めて。

 

 

 二人はオカルト研究会『MYISTIC』。




第一章 完

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