「栄翔が急にドッペルゲンガーの話しだしたのって、君が原因だったわけだ」
場所を変えた彼ら。取り乱し騒いだ気まずさと、これから空気が悪くなるであろう予感に、店の迷惑にならないようにという栄翔の思いがあってのことである。
スガノ町第二公園には遊具があった名残のコンクリート基礎とブランコがポツリとあるだけで、ベンチもない小さな公園。それを覆うフェンスに三人は寄りかかっている。
公園ののどかさとは温度が違う三人は静けさの中。松野が口を開く。
「しかし、なかなかぶっとびかっとびガールだよね、パッヘルちゃん。施設とか飼われていたとか」
「かもしれないね。この数週間あなた達の言う〈普通〉の暮らしを見てきた。私の過ごしてきた環境はとても息苦しいものだったと実感したわ」
「……アンタとあの日がなければただのイカれた話だよ」
道中、彼女は今日訪れた目的と自らの素性について話していた。
彼女が正体不明の少女飼育施設で暮らしていた事、施設の真実を知ってしまったこと、捕まりそうになった所を空間転移装置で逃げてきた事。
そしてもう一つ、栄翔にその逃亡に改めて力を貸してほしいと言う事。
栄翔があの日パッヘルと出会った結節点、空間の裂け目こそが空間転移装置が作り出したワープゲート。見た以上は彼女の言う事はある程度の信憑性があると認める他ないのだが、信じたくない栄翔は心が次第に波立っていくのを感じている。
「オレと同じ顔のアンタ、オレの居場所を知ってること、それからアンタの生まれの話。全部なんにも知らないんだよオレは。知らないところでオレは巻き込まれてばかりいる。高校生活始まるってとこに、ワケわかんねー事が起きまくって。刺激はたしかに欲しかったけど、これはキャパオーバーだよ」
「私は、そんなつもりじゃ」
「わかってるけど、オレの気持ちも知ってくれって話だよ。タダでさえ現実味もなくて危ないアンタの話、そうじゃなきゃ聞けないよ」
吐露する思いはこの場の空気にとっては汚濁の根源でしかなかった。お互いに悪意はなく、しかし相手にとっては深刻な障害となるすれ違い。それを是正できるほどの余裕が二人にはない。
だが、蚊帳の外になっている彼にはあった。
「君ら、空気悪いよ。何、姉弟喧嘩?」
空気など読むまい、いやむしろ読んでいるからこそなのか、飄々とした態度で二人に絡みかけるのは松野。気の抜けた声色と姉弟の様にされていることも腹立たしく思った栄翔は、刺すつもりで松野に眼光を向ける。
「お前なあ」
「話聞く気ならカリカリしてたって仕方ないだろ~」
松野はあいも変わらず余裕のある言葉を得意げな表情で投げてくる。が、その言葉に栄翔は気にする所があるので突き出した視線をそらしてしまう。
責めることが目的ではない。コミュニケーションとは気づきの多さこそ会話円満の心得なのだと松野は知っているのだ。栄翔も松野の言いたいことは察している。
「ていうかさ、君ら自己紹介とかしたの?」
気づきの数を増やす為には互いのことを知りあうのが一番。二人は互いを知っていると言うには程遠い事が松野にとって気がかりで仕方がない。
案の定、パッヘルは首を横に振った。
「そんな事している時間は……」
栄翔に向けられた切れ味のあるそれと同種の眼差し彼女からも受け、松野は肩をすくめて苦笑い。そして諭すように語りかける。
「君も俺らの事を知らないと思うけど、君は血相抱えた俺らに「話を聞いてくれ」って言われてさ、なんだこいつらって身構えちゃうじゃない? 単純に怖いじゃん?」
「そんなこと……」
パッヘルは言葉を重ねることができない。
素振りは無邪気だが、話を聞いて貰うという事に対しての松野の姿勢の誠実さ。横で見ている栄翔は彼を軽薄な人間だと思っていたが、その認識の変容を感じてしまって何か恥ずかしさまで覚えてしまう。
「松野」
照れ隠しをしたかったのか、思わず声が出てしまう。松野はそれにウィンクで返し、フェンスから数歩歩いて手を広げてにっこりと笑った。
「じゃ、俺からね! 俺、松野明良。特技は歌で、趣味はカフェでお喋り。好きなもの、っていうか人は鍋塚出汁子ちゃん! よろしくぅ!」
二本指をこめかみ付近で立ててスカしたポーズを繰り出す松野。二人の反応は微妙にぎこちない。その空気の中、栄翔が手をゆっくりと挙げる。
「質問。出汁子にしょっちゅう絡みに行ってるけど、手応えあんの?」
「お、いいねぇ。栄翔わかってんじゃん」
お膳立てしてくれたならば乗ってやろうという栄翔の質問に、松野は鬱陶しいそうにする栄翔の肩を嬉しそうに叩いて応える。
「まあ、その質問の答えは正直ノーだよ。「意味分からない」とか「また今度」ってあしらわれる。けど、そのツンケンしてる感じがあの子の気持ちの裏返しさ。ホントの自分のことをちゃんと見てほしい子なんだよ、きっと。そこが可愛くってさ、分かってやりたい気持ちがあるっていうか!」
想い人の事を話す松野はいつも以上にジェスチャーが多い。栄翔は彼の話を聞いて、彼への感心を強めた。
「あー、出汁子そういうトコ確かにあると思うわ。そういうトコ見てんのって意外だな」
「好きな子の事理解しようとするのは当然!」
頬を赤らめながらも屈託のない笑顔に栄翔も釣られてかすかに笑みを浮かべる。
傍から見ていたパッヘルは不思議そうな顔をしている。やはり、焦りの色が隠せない模様だ。
「その……いまいちピンときていないのだけれど。こんな話をして何になるの?」
「終わったらわかるよ。じゃ次、栄翔な!」
優しい声色でパッヘルの焦りを隅に寄せ、栄翔を指差し番を促す松野。栄翔は一息吐いて正面を向く。
「名前は九音栄翔。松野と同じ歳の高校一年。趣味で好きな物は作曲と編曲、それから音ゲー。休みの日はだいたいそれだな。ま、普通の音楽好きの高校生だよ。普通の、ね」
「作曲ができる音ゲーの全国ランカーが普通かぁ?」
「うっせ。こういうのは謙虚に言ったほうがカッコイイんだよ」
それまでは緊張で手一杯だった栄翔の立ち居振る舞いが少し柔和になっている。パッヘルもそれを感じているが、その理由までは掴みきれない。
狼狽えるパッヘルに松野は優しく手を差し出した。
「ほら、パッヘルちゃんもなんか栄翔に聞きたいこと無い?」
「重いのはやめてくれよ、今は」
「あ、えっと……」
とっさに頭脳を回転させるパッヘル。そして少しの間を空けて出た言葉は。
「コウコウセイって、何?」
そして聞いた栄翔の顔は強張った。この世の常識とは別のものを基準に生きてきたからこそ出てくる質問。その上、その質問をした自分と同じ顔をした少女が作っていない無邪気な表情でいる。
彼自身も本当は腰を据えて話をするべきだと思っているからこそ、彼女からほとばしる純粋さに戸惑ってしまう。
「……重ぇ~」
「え、えぇ!?」
頭を抱える栄翔にそんなつもりはなかったと狼狽えるパッヘル。悪意のない食い違いとこんなにも見た目が似ている二人の噛み合わない様子を見て吹き出す松野。
「あはは、おもしれー。答えてやれよ栄翔!」
松野を腹立たしそうに目を細めて見はするも、素直にパッヘルの質問に回答を与える。
「高校生っていうのは学校に通ってるってこと。学校は知ってる?」
「何かを教えたり教えられたりするイベントよね? 施設にもそういう事をする習慣があったわ」
「まあうん。それを週五日やってると思ってくれれば良い」
「エイト、アキヨシ。あなたたち物知りなのね……いいなぁ」
二人を見るパッヘルの目は輝いていた。その眼差しに松野はある気づきを得る。
「なあなあなあ、栄翔」
「なんだ?」
耳元に語りかけるてくる松野の言葉を栄翔は静かに待つ。とてつもなく神妙な松野の雰囲気に、息を呑む。
「もしかしてさ、お前って結構可愛い?」
聞いて間髪入れず松野の肩をどついた。
「ちょ、そんな怒んなって」
「うるせえ!」
真剣な話が出てくると思いこんでいた事がバカバカしく思えてしまう松野の言葉に、栄翔達が課せられたライブ期日破りの罰ゲームが想起される。
「メイド服、案外似合うかもよ」
「おーおー、次は顔行くぞ?」
そのやり取りに場の空気が染まりつつある中、おどおどと狼狽えているパッヘルに気が付く二人。
「ふ、二人共、ケンカしちゃ……」
栄翔はまくった腕を、松野はふやけたふざけ面を戻してパッヘルに向き直る。
「ああ、大丈夫。ケンカじゃないケンカじゃない」
何事もなく戻る二人の仕草に胸を撫で下ろし安堵を見せる彼女。その仕草を確認した栄翔は自分の番は終わりだと認識する。
「パッヘルの番だよな」
「どう? 要るでしょ、自己紹介」
二人が目線を合わせると、パッヘルは少し考えて首を縦に振った。
パッヘルは心中にあった焦りが和らいでいる事を感じた。そして、それはほか二人にも言えることだとは自然と受け入れることができた。
彼女はそれまで過ごしていた環境で、気づけば互いが互いのことを既に知っている状態で過ごしていた。知らなくともいつでも閲覧可能なデータベース上に記載されている情報で相手の事を全て円滑に知れた。互いへの理解が最初から出来上がっている関係しか知らなかったのだ。
「相手のことを知らないって、なんというか……『狭い』のね」
松野が伝えたかったニュアンスは通じ、彼女はそれに則って自身の自己紹介を始めた。
「ええと、私の名前はパッヘル。年齢はわからないけれど多分エイトと同じで、趣味は読書、特技は舞踊……これで良いかしら?」
松野は頷きつつ、栄翔とのやり取りと同じ様にパッヘルに質問を投げかける。
「舞踊って、どんな踊りを踊ってんの?」
「うーん……」
全身を使った動きを言葉で説明するのは難しい。そう考え、パッヘルは少しフェンスから離れてステップを刻み始める。やがて、彼女の口からメロディが口ずさまれると同時に動きが大きくなっていった。
ブレのない曲線を描く腕の動き、寸分の違いも無く刻まれるステップ、全身の動きと連動し妖艶さを演出する髪のなびき。素人目で見ても、彼女の踊りには情を掻き立てる魅力があった。
音楽がない状況であるにも関わらず、十五そこらの少女が出せる艶めかしさではない繊細さと表現力が溢れ出る。栄翔が思わず足でリズムを取り、松野が色を刺激され頬を紅潮させる程の完成度。それが彼女の異質さを否が応でも感じさせる。
踊り終えたパッヘルは、本来あるであろうスカートを持ち上げる仕草と同時にお辞儀をする。それに応えるという気持ち発する前に二人は拍手をしていた。だが、彼女の空気は仄暗い。
「ありがとう。私はこれを施設のステージで客に披露していたわ。本を買うための通貨と引き換えにね」
彼女のそれまでの暮らしを垣間見せる言葉と表情が二人の彼女への興味を増す。それが引き金となり、栄翔は彼女との出合い頭を思い起こした。
「質問。今日の出会い頭もそうだが、最初にオレのこと『カノン』って呼んでたよな。なんで?」
「あ、それ俺も気になってたやつ。なになに、もう一人そっくりさんがいるとか? パッヘルちゃんの知り合いにさ」
パッヘルが喫茶店に来訪した時、そして彼女との出会いの日。彼女が彼を呼ぶ際に使った呼称の謎がずっと引っかかっていた。
その質問を聞いたパッヘルは栄翔の瞳をじっと見つめた。
「本当に、何も知らないのね。アキヨシの予想はそんなに間違ってない」
「それ、答えじゃないよ」
和やかさを持ちかけた空気が再び重くなっていくのを感じながら、栄翔とパッヘルは見つめ合い静かに意図を伺っている。
だが、お互い少しだけ理解が進んだ。相手を端から否定する程の警戒心は解消されているからか、栄翔は何も言わないが目はそらなさい。待ってくれていると察してパッヘルは言葉を発す。
「……あなたのカタログネームよ。私、一緒に来たあの子、そして『カノン』も。あの施設が出自の人間は目的ありきの作り物か、その研究の過程で生まれた実験体」
「カタログ? 売り物として人を作ってるって? オレもその一人だって言うのか?」
出てくる言葉は全てが現実と乖離している。SF物語の設定を語られているような感覚からか、やはりどうしても飲み込みきれない。
そして、どうやらパッヘルも栄翔と松野二人の気持ちがわかるという様子で、浮かない顔つきをしていた。
「私はあなたなら何か知っているのではないかと思ってた。入手したカタログから読み取った情報の補完でしか話せないの、私も」
「オレの力が必要ってそういうことか」
パッヘルは頷いた。だが、完全な肯定とまではいかず付け加える。
「それから……私は、あなたと私との間のに大きなエネルギーの存在を感じているわ。追手を巻くには使えると思っている」
栄翔には心当たりがあった。
「さっきの音、関係しているんだな」
喫茶店で栄翔にだけ聞こえていた金属がしなるような怪音の事だ。
「多分、その音の事。あなたを探したいと思ったら音が聞こえて、音に従って進んだらあなたに会えた。あの日も聞こえていた。これは偶然ではないわ。カタログにだって『パッヘル』『カノン』は見開きで隣り合わせに掲載されていた。私達には何かしらの繋がりがあるのよ」
確信のこもったパッヘルは前のめりになっていく。栄翔は一歩も引くこと無くパッヘルの目を見続ける、強い意志を示すために言葉を頭の中で組み立てながら。
「……わかることはできるけど、わかりたくないよ。オレが作られただなんて信じたくない。親もいるし生きてるし、思い出だってちゃんとある。じゃあ親はオレの何なんだってなるじゃないか。親は偽物だとでも言うのか?」
「それは、えっと……」
栄翔の言葉と目つきはパッヘルに鋭く深く訴えかけてきた。彼女はそれに答えられずにいる。嘘を考えているというよりかは言葉を選ぶ、言うことをためらう様な、後ろめたい事を内に抱えているのだと、目を逸らして一歩引いてしまう仕草から察せられる。
この話にこれ以上の進展はないだろうと松野は思って聞いていた。なので、彼は助け舟を出してやらなければと一息吐いて笑顔を作り、咳払いで二人の注意を自分に向ける。
「置いてけぼりにしないでくれよ~。せめて二人で話してる間、そのカタログとか見たいんだけど持ってないの?」
この話のキーアイテムであろうカタログは存在を確認できていない。おどけた仕草でとぼけてはいるが、松野はこの有無で二人間に進展が起こると考えて話を聞いていた。
だが、パッヘルは申し訳無さそうに頭を垂れた。
「ごめんなさい。あれはアキエたちに預けているから……」
「あってもなくても同じだよ。オレは九音栄翔。『カノン』じゃない」
そして栄翔にとってカタログの有無は関係なかった。自己の存在の決壊に繋がりかねない物など見たくないと、彼の拒絶心は拭いきれない。
栄翔の意思を聞いてパッヘルは何も言い返せない。いくら思考を泳いでも、彼を納得させる言葉は見つからずに口を紡いでしまう。等身大の少女の様に見え、そして自分と同じ顔であるから、栄翔はその姿を視界に入れてしまうと胸に穴を空けられるような感覚を覚えた。
だから、彼は息を深く吸って空を見上げた。何もない公園に、空を遮るものなど無かった。
「……ったく、なんなんだってなあお互いさ! ちょっと息抜きしない?」
「エシカウニアケテシ。カカセニアヒヒヒスリ」